615 正しい知識を得ましょう
チラリと右側に目をやると、るーちゃんが左手で自分のうさ耳を触りながら、真面目な表情でまっすぐ先生を見上げている。 このコの癖だ。
なお絶叫先生は「ふぉぉぉぉ……!」と青い顔をして切羽詰まった叫びを上げながら、慎重な足取りで教室を出ていった。
……しばらくは帰ってこられまい。
「では、教科書の――」
黒服で教壇に立つ我らがアズミーリ女史は小さなため息をついたものの、それ以外はなんらいつもと変わりない凛々しさで、黒板に本日の授業のテーマを書いた。
それが終わると、先生は軽く手についた粉を払ってからチョークを置き、俺達に向き直る。
書かれたテーマは「『大人になる』ということについて」である。
「先ずは復習だ。 大人になると、今の諸君と何が変わる?」
少しひんやりとした男ばかりの教室に紅一点、先生の声が響きわたる。
ビジュアル的な「紅一点」としてはそれ以上のコが隣にいるが、今は気にしないでおく。 教室の右側――ウチのクラスの連中からはそわそわとした気配を感じていたが、それもすぐに消えた。
代わりにあちこちから手が上がり、先生に指名された子が次々と答えていく。
「仕事をしてお金を稼ぎます!」
「税金を納めます」
「自分の家が持てまーす!」
「ふむ、そうだな」
特に間違った答えもなく、先生は出た内容を黒板に箇条書きしていく。
「はい、結婚ができるようになります」
「相手がいないとダメだけどな~」
他の生徒からのツッコミに笑いが起こる。 アズミーリ先生は厳しいけど、これくらいの軽い冗談で怒るような短気でもなければ、石頭な人でもない。
だからみんなに好かれているし、授業も適度にリラックスしたムードで進むのだ。
「ま、まあ……そうだな」
しかし、先生にとってはあまり軽くなかったようだ……。 わずかに頬が引き攣っている。
俺はさり気なく視線を外し、空気を読んだ一部の子達もすぐに黙った。
ところでるーちゃんよ、どうして俺の顔を見て微笑んでいるのかな?
「……ゴホン。 えー、生活や社会においては、そういった事が挙げられるな」
先生の咳払いと共に笑いが収まり、授業が再開される。
この国の制度は、あまり前世と変わらないくらい高度だ。 違うところもいっぱいあるけどな。
外の世界が厳しいわりに徴兵制はなく、自由や権利も十二分に保障されている一方で、責任や義務は果たさないと強制される。 ……犯罪者として。
例えば「デキちゃったら強制結婚」という制度。 逆手に取ればハーレムだって作れちゃうワケだが、ちゃんと自分で子育てするか養育費を出さなければ、支払いが終わるまで強制労働の刑が待っている。 こういう場合は破産だって認められないので、払えないなら死ぬまで働かされるのみだ。
ちなみに、終身刑に当たる「第三種奴隷」になる理由のトップは重犯罪じゃなく「コレ」だと、以前の授業で強調されていた。
生々しい話である。
「ふう」
少し早めに一時限目が終わり、俺は席に座ったままひと息ついていた。
前半は復習だけで終わったが「大人は色々と大変なんだ」ということを再確認する内容であり、特に進学しない予定の子達は「うへえー」とキツそうな声を漏らしていた。
俺にしてみれば……大部分は既に現在進行形だったりするけどな。 いちおう働いてるし、学費も納めてるし。
ところで、絶叫先生は戻ってこなかったけど大丈夫だろうか?
「……で、なにしてるの?」
隣を見てみると、桃色プリンセスが更にその隣に座っているラート君に向かい合い、指でおデコをツンツンしていた。
つつかれるたびに彼は「ぐふっ、ぐふっ」とよろめき、だんだん赤くなっていくハンカチを鼻に当てて懸命に耐えている。
「ボクも、したくてしているんじゃないんだよ?」
「それウソだよね」
「うん♪」
柔らかなボブの髪とうさ耳を揺らして振り向いたるーちゃんは、とても可愛らしい笑顔をしていた。
だがその小悪魔的な返答を、被害者である彼自身が肯定する。
「こ、これも、女体克服のための訓――ぐふっ!」
「……」
のけ反った拍子にメガネが外れ、うまいこと彼の机の上に落ちた。 しかも、ちゃんとレンズが傷つかないように。
いや、文字通り血のにじむような努力は買うけどさ……そもそも「女体」じゃないだろう? それに普通に女の子に協力してもらった方が、むしろ魔眼がない分だけハードルは低いような気もする。
例えばニャル子ちゃんとか、「なんであたしがそんなこと!」とか言いながらも手伝ってくれそうだし。
ところで、なんかみんなの視線がやたらに集まっているな。 しかも大半に羨望か嫉妬の色が見て取れるぞ。 前者は一組、後者は二組の子達だ。
……うらやましいのか、コレ?
「いつもそんなことしてるの?」
「たまに、ね」
突っついていた指を桜色の唇に押し当て、微笑むるーちゃん。 そして後ろの席の子に振り向き様に投げキッスを飛ばすと、その彼と周囲の数人がのけ反ってイスから転げ落ちた。
なんというか……いつ見ても楽しそうなクラスだな、ココって。
「ふふ。 ジャス君にも――」
すると朱い瞳を片方つむって、俺にもチュッ♪ と飛んできた。
面と向かって飛ばされると、本当に口元からピンク色のハートが飛んでくるように見えてヤバイな……。
しかし、俺は負けない。 投げキッスの応酬なら、たまーにエルネちゃんとやってるから俺も慣れてるぞ。
「おっと、お返しだ」
「あんっ」
すかさず反撃に出ると、るーちゃんが艶っぽい声を上げてよろめく。 ……なんか、「ビーム!」「バリアー!」とか言って遊んでた小学生の頃を思い出すようで、ちょっと楽しい。
方向性はずいぶんと違うけどな。
「……何をやっているんだ、お前達は」
「うぁ……!?」
「るっ?」
激しい攻防を繰り広げていたところ……教室に戻ってきたアズミーリ先生に、ものすごーく冷静にツッコまれた。
口を尖らせた状態で固まる俺達。
「教室の半分以上が倒れている。 ……授業に差し支えるから、そのくらいにしてくれないか」
「は、はい……」
「はーい」
ものすごーく恥ずかしかった。
「いよっしゃああああああーー! 起きろぉ野郎共おおおおおおおーーーーーーっ!!」
医務室で薬を飲んで復活したストローグ先生の雄叫びにより、生徒達が意識を取り戻し授業は約五分遅れで始まった。
……本当にすみません。
「前の時間では、大人になったら何が変わるか、主に社会上での事についてを復習したが――」
続く二時限目も授業をすることになったアズミーリ先生の話に耳を傾ける。
なお、絶叫先生は先生用の席で大人しくしている。 座るときに「ケツが痛ぇ……」とか言っていたが、流しておく。
「この時間では、諸君の身体がどのように成長していくのかを学んでいく」
「……」
小さなざわめきが教室を覆っていく。 ついに来たー……。
「身体が大人になるとはどういう事か。 端的に言えば……子供を作れるようになる、という事だな」
『おおー……っ!』
みんなのざわめきが、どよめきへと変わった。
これまた、ストレートに来たなぁ。
俺は予習しているから、おおよそのことは知っている。 成長の過程そのものは、実は地球の人類とそれほど違わない。
ただ……亜人種や獣人種だと、毛の色が変わったり角が生えてきたりする種族もいるらしい。 亜人種に角は生えないけどな。
そして魔力面においては、「器」たる身体が急速に成長することでオドの容量も急速に増え、それまでできなかったことができるようになったり、あるいは逆にできなくなることもある。 セーレたんのような飽和体質が消えるのもそのひとつだ。
そのように、成長や変化に非常に大きな幅があるため、教科書ではかなりページを割いていろいろと書いてある。
もちろん、男女の体つきがどう変わっていくかのイラストも載っているワケで……特に一部の男子がはしゃぐワケですよ。 某叔父さんの本を見た限り、アレな本も日本の少年誌レベルだし、たとえ家族でも異性には肌を見せないのが普通らしいからな。
ウチが極端なのは、ひとえにお母様のフルオープンな教育方針――だけでもないか。 俺が意図せずにこじ開けちゃった部分もあるし。
なので「おっぱい! おっぱい!」なんて連呼して喜んでいる男の子達を見ると、かえって微笑ましい気持ちになる。
「諸君の中には既に始まっている者もいるかもしれないが、脇や陰部に発毛が――」
「……おぉぉ」
しかし、教科書にも書いてあるとはいえ、なんというド真ん中の剛速球……。 あまりに堂々としているのでエロ好きな男子も何も言えず、更にエロイ単語が出てくるとむしろ教室が静かになってきた。
右隣のお姫様は、俺の顔を見てにこにこしているがな。
「むやみに言いふらすのは下品極まりないが、過度に恥ずかしがって忌避する必要もない。 自然な事だからな」
そう言って、アズミーリ女史はクールに微笑んだ。
先生……カッコイイです。
自然な流れとして、授業は生理現象にも及んだ。
さすが教育者、あるいは大人の余裕を感じさせる堂々っぷりによって男の生理現象について解説され、子供達の方がよほど恥ずかしそうな空気が流れる。
それから女性の現象についても、当然のものとして説明がなされた。
当の女性から直接聞かされるとあって、本に書かれている内容に沿っていてもそれ以上の説得力がある。
「――その際の女性の辛さは、先ほどのストローグ先生の比ではないぞ? 揶揄う等もっての外、さり気なく気遣うのが紳士の嗜みだ。
解ったな?」
『はーい!』
少し冗談交じりに、だけど具体的な例を女性の口から直接聞かされ、みんなも真面目な声で返事をしたのだった。
――二時間目もちょっとだけ早めに終わり、元の教室に入って女の子達と合流した。
クラスメート達の多くはお互いを見て、ちょっと恥ずかしそうに目線を逸らしていたりするけど……ま、仕方ないよね。
「ふふふ……この甘酸っぱい雰囲気、いいわねぇ」
「……」
席に戻るなり、ブレザー姿のお姉様はニヤニヤと微笑みながらそうのたまった。
横向きにイスに座り、俺は若干ジト目になってマーヤさんを見つめる。
「だって、この微妙な空気と距離感はこの年代にしかないのよ? とても貴重で微笑ましいじゃない」
「いや、そうだけど……」
なんというか……この人って、やっぱりあのショタお姉さんの娘だよな。
そういうトコロの思考回路が、よーく似ている。
「……ところで」
さっきからずっと気になっていたのだが、セーレたんが妙に頬を上気させて、うっとりした表情で俺のことを見つめている。
コレは一体、どのように解釈したらいいんだろうか?
いつまでもスルーしてもいられないので、取りあえずは今も全身にキラキラと光をまとって熱い目差しを送ってくれる妹様にお声をかけてみる。
「えっと……どうしたの?」
「ああっ、お兄さま……♪」
出た「お兄さま」。 そしてまったく意味不明である。
双子の絆をもってしても、こういったときには以心伝心とはいかない。
「せ、セーレちゃん?」
「早く、大人になりたいな……」
「お、おう」
俺は、どちらかといえば逆の意見なんだけど……あまりにまばゆい視線を受けては、否と言えない。
そしてマーヤさんは、俺達を見てニヤニヤしている。
「ま、まあなんだ……いい大人になれるように、一緒に頑張ろうな?」
「はいっ!」
すると、とてもいい笑顔でお返事をくれた。 その眩しさに思わず目を細める。
この子が素敵なレディーになるべくサポートできるよう。 そして、俺自身が規範となる存在になれるよう。
これからも、よりいっそう頑張らないとな。
「ふふっ。 ……ジャス君も、まだまだね」
「分かっているよ」
「ふふふっ」
マーヤさんの呟きに返すと、なぜかますます意味深な笑みを浮かべられてしまった。




