614 将来の大事なこと
世界から切り離されたような静寂と暗闇。
重力さえ感じられぬ無辺の空間、しかし俺は暖かな気持ちで仰向けのままたゆたっていた。
「わーいっ」
そんな俺の耳をくすぐる可愛らしい声。 ゆっくりと目を開けると、色とりどりの魔力粒子がぼんやりと光りながら自由気ままに泳ぎ回る、深海のような宇宙空間のような景色が広がっている。
そして、無数の魚達と戯れるように、緑の髪と衣装を身にまとった女の子が、半透明の羽を広げてゆったりと泳いでいた。
「あっ、ママ。 起きたー?」
「……んん、まあ、起きたというか」
すいーっと滑るように近づいてきた我が娘を、俺は仰向けだった身体を起き上がらせて真正面から受け止めながら答えた。
確認するまでもなく、ここは俺の中――魂たるオドの奥深くである。
今の俺、というか身体の方は恐らく今も眠っているハズ。 なので、起きたかと言われてもビミョーな返事になってしまうのだ。
「にゅふふ。 やっぱり、ママの中がいちばんほっとするー」
俺の腰に抱きつくニアちゃんは、顔を上げて無邪気に笑う。
「そっか。 ママもほっとするぞ」
「きゅふーんっ」
アンテナの立った髪をなでてあげると、ニアちゃんは俺のお腹に顔を擦りつけて照れたように喜んだ。 鳥のような羽をゆっくり動かし、身長よりも長いストレートヘアはバラけることなく、リラックスした動物のしっぽのように毛先を揺らしている。
「それにしても、まさかこんなところでニアちゃんに会えるとはな」
「そおー?」
我が娘が顔を上げ、碧玉よりも澄んだ瞳を瞬かせた。 俺達の周囲にはオドの魚達がのんびりと泳ぎ回り、時折かまってほしそうに俺や我が娘の身体をつついたりしてくる。
忘れてしまうことも少なくないが、俺は今でも寝る前に瞑想――自分の中へのダイブを続けている。 続けるべきだ、という聖母様の言葉に従って。
それでひたすらに底を目指して潜っていると、つい先日、なんとオドの深海の中を寝ながら漂っているこの娘を見つけたのだ。
ビックリしたのなんの……最初、思わず飛び起きちゃったからな。
「いや、ニアちゃんはてっきりママのオドにくっついているイメージだったから」
「うん、そだけどねー」
この娘は夜になると俺の中で寝ているのだから、潜ればこうして会えるのは必然。 言われてみれば納得であった。
そして、今もベッドで眠っている俺とは別に「俺」がココにいる以上、この娘もまた、オドにくっついて寝ているのとは別の「この娘」がいた、というワケだ。 ……ちょっと、ややこしい話だが。
で、それもビックリなのだが、同じくらいビックリしたのが――。
「ニアちゃん、大きいなあ」
「ママもおっきいよー?」
なんとこの娘、この中では俺の胸に届きそうなくらいの身長があるのだった。 そして「俺」も、この空間内では実際の俺よりも背が伸びていた。
手足の長さから考えると、「俺」は恐らく中学生か高校生くらい、ニアちゃんは実際の俺と同じくらいの背丈だろう。 頭身もリアルな比率になっていて、顔立ちやフェイスラインも愛らしいながらスッキリとしている。 今のセーレたんやエミーちゃん達に近い感じだ。
ちょっと……いや、かなり感慨深いものがある。
俺は身体の位置を下げてニアちゃんのミニスカのあたりに腕を回すと、おしりを乗っけてひょいっと抱き上げた。 いつだったか、前世の祭りか何かでそうやって歩く父娘連れを見た記憶がかすかに残っている。
我が娘は、いつもは立っている俺の肩に手を置き、もう片手を俺の首に回して喜んでくれた。
「わーいっ」
「ははは。 こういうのもいいな」
仮に現実でニアちゃんがこの大きさになったところで、組み体操みたいにしかならないからな。 もう少しマシなたとえをしても、せいぜいペアのフィギュアスケートにしかならないだろう。
だから。
「ニア、もうちょっと大きくなった方がいいー?」
「……いいや」
娘の言葉に、俺は首を横に振った。
「――お兄ちゃん、朝だよ?」
「んん……」
目を開けると、暗い部屋の中でセーレちゃんが寝ている俺の顔を真横から見つめて微笑んでいた。 ウェーブがかった金色の髪は、周囲のほのかな光を引き寄せているかのように、暗闇の中でも愛らしい姿をハッキリと見せてくれる。
「今日も寒いよ~?」
セリフとは裏腹に、マイシスターは嬉しそうにはにかんだ。 ……朝の挨拶をした後で。
魔力式暖炉が利いているらしい室内は暖かいが、さすがに廊下に出るとその効果も薄れてしまう。
着替えて部屋を出ると、身体がブルッと震えて完全に目が覚める。 それが、冬の朝の定番であった。
「おっはよー」
「おはようございます~」
俺はマフラーを首に巻き、ハニーは例のつけ襟を首元に付けて教室に入る。
学校の中には暖房はないが、元気な生徒達でいっぱいなのでまったく寒くない。 むしろ暖かすぎるくらいだ。
「おーっす」
「おはよ、今日も仲いいねー」
男女問わず、今日も気さくに挨拶を返してくれるクラスメート達。 二つも三つも年上の子ばかりだけど、同じ教室で机を並べている俺達に歳の差はとっくに関係なくなっている。
それにしても……今日はおおよそクラスの雰囲気が三つに別れているな。
予想通りだ。
「にっひっひ」
「うっわ、いやらし」
「あぅ……」
ニヤニヤしている子と、それにイヤそうな顔を向ける子。
それから、恥ずかしそうに席でうつむいている子。
「さすがのお前でも、まだまだ分からんだろうなあー」
「はいはい」
近くの女子が露骨に顔をしかめているのも気にせず、入口の近くにいいたニヤケ顔の男子が俺の首に腕を回して絡んできた。 俺はテキトーに流しつつ、我が妹様を女子グループにそっと合流させる。
よろしくねーとアイコンタクトを送ると、女の子は「まかせて!」と無言の笑みで応えてくれた。
「……まったく、そういうコトを言ってるから女の子に嫌がられるんだよ?」
「げふっ!?」
ホント、顔はけっこう整ってるのにねぇ。 軽ーく男子にカウンターを食らわせると、その場で床に崩れ落ちた。 近くの女の子達がぷっと噴き出す。
それだけじゃかわいそうなので、男子の方もフォローしておこう。
「まあまあ、元気出して」
「お前のせいだろっ!?」
男の子が顔を上げてツッコミを入れると、クラス中がどっと沸いた。 ツッコミを入れた子も、床にひざをついたままケラケラと笑い出す。
相変わらず、ノリのいいクラスである。
「今日も切れ味が鋭いわね」
「どーも」
いつもの最前列の席にカバンを置くと、真後ろに座っているマーヤお姉さんから声をかけられる。 今日はブラウンのブレザーか。
これもまたつややかな黒髪によく似合っているが、お嬢様系の女子高生には見えこそすれ、間違っても初学生とは思えない。
「あの子のリアクションがあってこそだよ」
「ふふっ、確かに」
たまに絡んでくるあの男子とは、まさに典型的なボケとツッコミが成り立つ。 対して、このお姉さんとはツッコミ不在のボケ倒し……というか、さながら真剣どうしでの斬り合いである。
ま、その紙一重な感じが楽しいんだけどな。
「……で、マーヤさんは愉しそうだね」
「それはもちろん」
そう言ってマーヤさんは机に頬杖をつくと、紅い舌先で唇を濡らし妖艶に微笑んだ。
薄く細まった瑠璃色の瞳がきらめき、思わず背筋がゾクッとしてしまう。
「興味をひた隠しにしながら、羞恥に震えるみんなの姿。 ……たまらないじゃない?」
「……」
この人、とことんドSだよなー。
ちなみに今日は、二時間目も潰して二時限連続で生活の授業がある。 内容は、前世でいう保健体育の部分。
更に端的に言えば、性に関する授業である。
「その点、ジャス君は達観しているからつまらないわ」
「……その言葉、リボンを付けてマーヤさんにお返しするよ」
俺は初学校に入る前から教科書の予習しているし、ウチは女性陣が多いので慣れてもいる。 なにより、お袋からオープンすぎるエリート教育を受けているのでな……。
アレが近いときの女の人への気遣い方とか、妙に具体的な教えを実践で叩き込まれているのだよ。
「はいはーい! 席に着いてねー」
俺も流し目に薄い笑みを浮かべて見つめ合っていると、ほどなくして先生ズが教室に入ってきた。 大きなリスしっぽを動かし、ぱんぱんと小さな手を叩きながらみんなに呼びかけるシャルちゃん先生は、いつ見ても癒される。
しかし今日は、どことなく緊張しているように映るな。 後ろのアズミーリ先生はいつも通り、堂々としているが。
「今日の生活の時間は一組と合同で、男子と女子に別れまーす」
『はああああーーーーーい』
俺も含めた生徒全員が席に着くと、教壇に立ったシャルちゃん先生が言った。 これもまた前の授業で聞いているので、特に戸惑うこともなくそろって返事をする。
「ついに来たか……」というニュアンスを含む声が多いけれども。
後ろに座っているお姉さんは、さぞ嬉しそうな顔をしていることだろう。
「男子は、アズミーリ先生と一緒に一組の教室に移動、女子はこのまま一組の女子と一緒に私と授業です!」
やっぱりそうかーと思いながら、俺はみんなとタイミングを合わせた返事をする。 まだまだ教師歴の短いシャルちゃん先生では、子供とはいえ異性を相手に授業するにはちょっと厳しい、という判断なのだろう。 その点、アズミーリ女史は安心だ。
今もシャルちゃん先生の隣で睨みを利かせているし。 相変わらず、憧れを抱いてしまうほどクールである。
「では、男子諸君は速やかに鞄ごと持ち移動するように」
『はーい!』
アズミーリ先生のハスキーボイスに、俺達はテキパキと準備をして立ち上がる。 ふと振り返ると、マーヤさんは思った通りニヤニヤしていた。
そしてセーレたんは――。
「ふふっ」
かすかに頬を染めつつも、とても穏やかに……穏やかすぎるほどに微笑んでいた。
「……」
お袋もそうだけど、見かけによらず肝が据わっているよな、この子も。 エミーちゃんだったら耳まで真っ赤にしているだろうに。 俺だって顔には出さないが、まったく恥ずかしくないかと言われればウソだ。
まあ、セーレたんもまたお袋から教育を受けているからなあ。 ほどんどは個別のため、あの子がどんな話を聞いているのかは知らない。
ちなみに俺も、親父からアドバイスをもらったのだが――。
『なるようになるさ』
――と、たったそれだけであった。
深すぎて分かりません。
「静かに移動しろ」
出口に立っている先生に注意され、小声で駄弁ってた男子数人が口をつぐむ。 俺も我に返り、教室から出ていく子供たちの列に混じった。
たとえ予習で知識があっても、こういう授業は直接受けることに大きな意味がある。
今はニヤニヤしている男子連中も、そのときが来れば解るだろう。
「……そういえばさ」
「ん?」
先生達が来る前に俺に絡んでいた男子が、また横から小さな声で話しかけてきた。 先生の方をチラッと見ると、「やれやれ」といった感じでため息をついていた。
周りでもまたこそこそと話をしている子もいて、先生も多少は仕方がないと思っているんだろうな。 俺も内心でため息をつき、やたらマジメな顔をしているその子に視線で続きを促した。
すると――。
「ラピヨーネって、どっちの組で授業を受けるんだろうな」
「……」
いや……俺も、ほんの一瞬だけ疑問に思ったけれども。
「一組でしょ」
いくら見た目が超絶な美少女でも、るー君の下はちゃんとアレだし、心と身体の性別が違っているワケでもない。
単に超越しているだけなのだ。
「だよな」
「ですよ」
俺と彼との意見は一致したのであった。
ぞろぞろと出てきた俺達は、すぐ隣にある一組の教室は入らず、廊下でしばし待つ。 窓のない廊下は明かりはついているがちょっぴり寒く、もう片方の出入口からは一組の女の子達が「うわっ、寒ーい」などと言いながら出てきては俺達の教室の方へ歩いていく。
中にはニャル子ちゃんの姿も見かけたが、彼女も含めて恥ずかしそうにして目線を合わせない女の子達をさり気なく見ないようにし、みんなが出てから入れ替わりに向こうの教室に入る。 室内では当然ながら一組の男子がいるけど、全員が廊下側の半分に集結していた。
この組って、キッチリと男子と女子で別れてるんだよなー。
「ふふ……来た」
左半分がガランとした教室の最前列。 二組では俺が座っている席で、ピンク色のショートヘアにうさ耳を垂らしたお姫様が待っていた。 間違いなく狙ったんだろう、今日は女の子の格好である。
ビスクドールのような白い顔にほんの少し笑みを浮かべただけで、教室の温度が上がったように感じた。
さすがであった。
「よっ」
なぜかみんなから背中を押されて先頭で中に入った俺は、軽く手を上げてるーちゃんの左側に腰を下ろす。 ちなみに一組の先生ズは女子が出ていったドアのところにいたが、副担任のあの眠そうな先生が出ていき、今日はまだ叫んでいるのを聞いてない絶叫先生が残った。 向こうは副担任コンビになっちゃうけど、まあ妥当な分け方だろう。
ところで……さすがの絶叫先生も、今日は静かなようだ。
「おらー、席ぃ着けー」
その代わり、テンションがやたら低いけど。
「ま、思った通りでよかった」
「るっ?」
俺の呟きに、桃色のお姫様は朱い瞳を向けてわずかに小首を傾けた。 柔らかそうな髪と耳が揺れ、なんとも甘い香りが鼻をくすぐる。
なお、俺の座ったのはニャル子ちゃんの専用席で、るーちゃんの逆隣には久しぶりのハカセ――ラート君の席である。
異性と身体が触れ合うと鼻血を噴く体質の彼だが、隣にいても耐えられる程度の防御力は備えているのだ。
……るーちゃんは異性ではないんだけどさ。
「ふふ」
そんなるー様は目を細めて微笑み、チラッと後ろを振り返って続々と入ってくる二組男子の面々を見た。 みんなは一瞬だけ時間が止まったものの、すぐに動き出す。
武術以外は何でも優秀なるーちゃんだが、実はもうひとつ「だるまさんが転んだ」も苦手だったりする。
幼児園のとき、それでよく負けていたし。
「今日はジャス君と一緒にお勉強……。 ふふ、楽しみ」
「……」
セリフはいたってマトモなんだけど、空いている席に座ろうとしている子達をランダムかつピンポイントに停止させるのはやめようね? シューティングゲームじゃないんだから。
俺は人差し指でるーちゃんの小さな鼻先をつっつき、寄り目にすることで魔眼を解除させた。 ……寄り目でも可愛いな。
「僕も楽しみだよ……っと」
「あん」
お姫様がお口を開けて上を向こうとしたので、すぐに手を引っ込める。
……なんか、俺の左に座った誰かが「ぐふっ」って声を漏らしたな。 大丈夫だろうか。
「だけど、大事な授業なんだから集中しような?」
「はい先生」
何も心配する必要のないるーちゃんだが、周囲の目もあるので形だけは釘を刺しておく。
なので、決してイチャついているわけではありません。 勉強会の前とか、わりといつもこんな感じです。
「さあ、早く席に着け」
後ろの入口から颯爽とやってきたアズミーリ先生が、絶叫先生に替わり教壇に立った。 駄弁っていた子達も席に着き、姿勢を正す。
それにしても、今回は補佐につくと思っていたのに……ちょっと意外。
「今日はストローグ先生に授業をして頂く予定だったが、ご体調が思わしくないとのことで私が代わりに行う」
一斉に絶叫先生の方を見る二組男子。 先生は出入口のすぐ側で、辛そうに自分のお腹をさすっていた。
そりゃあ、こんなに寒いのに薄い赤のジャージを着てるんだもん。 しかも腕まくりしてるし……。 ジャージにこだわりでもあるんだろうか?
まあとにかく、お大事にー。
「今日は世間的にも少々恥ずかしいと思われがちな内容に触れるが、諸君の将来に必ず関わってくる大事な授業だ。 真剣に臨むように」
『お願いしまーす!』
表情を引き締めた先生の言葉に、俺達も気を引き締めて返事をする。
先生は満足げにうなずくと、教科書のページを告げて授業を始めた。




