613 温かさが身にしみる季節です
「どうりで寒いワケだ」
吐き出した息が白く煙り、冷たく静かな朝の空気に溶けていく。 俺は明るくなりつつある夜明けの空ではなく、視線を下に向けて呟いた。
玄関と外とを繋ぐ石の道。 その両脇の芝は枯れているが、代わりに穏やかな光をたたえる半透明の芝がびっしりと生い茂っていた。
俺の知っている限り、今年の初霜である。
「うわっ、すっごーい♪」
俺の肩の上で、厚手のコートを着たニアちゃんが耳を掴んで小さく跳ねる。 もちろん、この子のオドによる自作である。
身体は寒さを感じないとはいえ、服装はそれっぽくしないとね。
……だって、見てる方が寒いし。
「はっはっは」
そのはしゃぎように笑いを漏らす。
去年の今ごろはタマゴだったから、まともに体験する冬は今年が初めてなのだ。
「コレって、空気の中の水が直接凍ってできるんだよねー?」
「……よく知ってるね」
「きゅふーん!」
我が娘がぺったんこな胸を張った。 自慢げなドヤ顔が可愛らしい。
まだ生まれて一年も経っていないこの子は、精霊ネットワークや直接の交友関係によってドンドン知識を増やしているのである。
母親としては嬉しくもあり……どこかで変な知識を身につけてこないかと不安でもあるがな。
敢えて誰とは言わんが、喜々としてそーゆーコトを教えそうな父親もいるし。
「わあ~っ♪」
白いほっぺにほんのりと赤みを乗せたセーレたんが、金色の髪を踊らせながら霜の下りた草地に足を踏み入れた。 しゃりっと小さな音が鳴り、足を上げると可愛らしいスタンプが残る。
これから朝のジョギングに出るとあって、スカートの下にタイツは穿いているが上着は着ていない。 ちょっぴり寒そうな格好だけど、くるくる踊るマイハニーは楽しそうだ。 子供は風の子、だな。
「ふふふふふっ」
だけど、踊りながら俺にふっと向けてくれた微笑みがとても穏やかで、お袋がよく見せてくれる表情と重なった。
思わず目を見張り、息が止まる。
「あっ、ニアもやるー!」
そう言って我が娘も飛び降りると、霜の芝生に小さな点々を縦横無尽に作り始めた。 さすがにあんよが小さすぎて、踏んだときの音は聞こえないけどな。
でも意外とその足は速く、ゆっくりと回って踊る妹の周囲に次々とスタンプを押していく。
「準備運動は……いらないか」
白い息を吐き、二人の姿にそっと微笑む。
そして、俺はその場で屈伸運動を始めたのだった。
アナさんとエミーちゃんがやってくるのを待ち、子供達だけで軽いジョギングをこなす。
それが終わると、俺達はカバンを持ってマールちゃんと一緒に道場へ向かう。 その頃には、霜はもうほとんど溶けていた。
今日は楽しい勉強会である。
「いらっしゃーい」
「うん」
サラッと髪をかき上げながらの歓迎の言葉に、白い毛皮のコートを羽織ったるー君は静かにうなずいた。
雪うさぎみたいで可愛すぎる。 ……某落語家のネタが吹き飛んでしまった。
「え、えっと……寒かったでしょ? 入って」
「うん、先に行ってるね」
いちばん最初にやってきたるー君は、暖かな居住部の玄関で靴を脱いでとことこと階段を上がっていった。 ここには俺だけで、セーレたんとエミーちゃんは二階の勉強部屋でみんなを待っている。
次々と入ってくる幼なじみーズの中にリリちゃん姿はない。 あの子は向こうの家でリソ君と遊ぶことになっていて、お袋が面倒を見てくれると言っていた。
ニアちゃんも今日はあっちにいる。
「さ、後で温かい飲みものをもって行ってあげるからね」
「ん」
寒がりなわん子ちゃんは、上着だけでなく手袋や紺色のニット帽まで被って完全装備だった。 持ってきたカバンさえ温かそうである。でも背が高いので手足もすらりと長く、同じ格好をしたらヌイグルミみたいになるであろう俺とは大違いだ。 ……うらやましい。
くりむちゃんは俺の言葉に微笑むと、かかとの低いショートブーツを脱ぎ、黒く大きなしっぽを揺らしながら階段を上がっていく。
「よーう」
「いえーい!」
それから、意外とシャレたジャケットを着たニコとは手を打ち鳴らす。 気心の知れた男どうしは、このテキトーさが心地いいんだよなー。
にしても……なかなかカッコいいジャケットじゃないか。
「うん。 コレ、兄ちゃんのなんだー」
「へえ」
狼みたいなワッペンが貼りつけてあるのを触りながら聞く。
他にも、背中などにいろんな動物やらロゴやらがつっくけてあって、ちょっとアメリカーンな感じである。
「……」
ニコをくるくる回してジャケットを見せてもらっていると、階段の途中でくりむちゃんが立ち止まって振り返っているのに気がついた。
高いところからじーっとこちらを見下ろす、あのしっぽの揺れ方からすると……。
「後でやってあげるから」
「ん」
俺の返事に小さくうなずき、今度は最後まで振り返ることなく二階へ。 さっきの、手を打ち鳴らしたのを見た……というか聞いて、自分もやってほしくなったらしい。
あんまり表情を変えないのでクールそうに見えるんだけど、けっこうスキンシップが好きなんだよなあ。
どたどたと上がっていくニコを見送ると、最後に引率してくれたエルリアさんが入ってくる。 いつものワインレッドのメイド服に同系色のストールを羽織り、肩にはカバンを掛けていた。
きっと、今日も差し入れのおやつをたくさん持ってきてくれたのだろう。 カバンがちょっと膨らんでいる。
「今日もお世話になるわね」
「いえいえ、こちらこそ」
玄関で二人、ぺこりと頭を下げ合う。 エルリアさんは顔にかかったセミロングの焦げ茶の髪を、軽く左右に払って微笑んだ。
話し方は気さくだけど、仕草の端々には丁寧さや上品さがうかがえるお姉さんである。
そんなプロのメイドさんが、腰を屈めてイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「ところで、ジャス君」
「はい?」
「例のあれ、できたわよ」
「……ああ」
俺も口の端を吊り上げた。
なぜだろう? こういったとき、どうも邪悪な笑みを浮かべたくなるよねー。
「報酬は例の口座に」
「ふふっ……ええ」
エルリアさんは小さく笑いながらも、いかにも怪しいやりとりに付き合ってくれた。
適度に暖房の利いた部屋で始まった勉強会。
俺とマールちゃんとで運んできたお茶を飲んでひと息つくと、誰ともなくアイコンタクトを交わし合っておのおののカバンから勉強道具を取り出す。
俺もノートを出すと、みんなの様子をうかがいながら自分の筆跡に目を通す。
「……」
鉛筆の走る音や本のページをめくる音、それから質問をしたり答えたりする小さな声。
聞こえてくるのはそのくらいで、怠けたり私語をしたりする子は誰もいない。 年末に控える卒業試験に向けて、みんな復習に余念がない。
前世じゃ俺も含めて、勉強なんか放り出して駄弁ってゲームしてたというのに……。 こっちの世界では、なんだかんだ言いながらもちゃんと勉強している子が多い。
大したもんだよ。
「あれ……?」
「ほら。 それ、よくある引っかけ問題よ」
「へ? ……あ」
エミーちゃんに指摘されたニコが、ノートの答えを消しゴムで消す。 ニコにはエミーちゃんが、くりむちゃんにはセーレたんがつくのが今や恒例だ。
ちなみにるー君は元から質問をすることが少なく、最近は減ったけどむしろセーレたんに教え方をフォローしていた。 で、自分が質問したいときはエミーちゃんかセーレたんのうち、手の空いている方に聞いている。
じゃあ、エミーちゃんやマイシスターは誰に聞くのかというと――。
「あっ」
俺と目の合ったエミーちゃんが、申し訳なさそうな顔をしてテーブルの向かいにいるセーレたんに声をかけた。 そして質問をし、ハニーは多少たどたどしいながらも頑張って説明を始める。
「……」
すごく集中しやすい環境だからって、俺ってば「授業」のとき以外は黙々と自分の勉強をしていたんだよな……。
「何かあったら遠慮なく声をかけてね?」とは言っているけど、一人だけ何冊もの参考書を出して大学の勉強をしているのを目にして、みんな「邪魔しちゃ悪い」と思っているようだ。 それでますます勉強の捗っていた俺だが、最近になってふと気づいた。
いくら、みんなの勉強がスムーズに進むようになってきたとはいえ、それに甘えて放置していたらダメだろう……と。
「どう、分かった?」
開いたノートをテーブルに置き、俺は腰を上げてエミーちゃんのところに行く。
首を傾げていた妹様と一緒に、顔を上げて俺に目を向けた。 ニコとわん子ちゃんも手を止め、俺のことを見ている。
「んにゃ?」
「えっ? ……あっ、べ、別にいいのに」
「いいからいいから」
だからこそ、今日はノートだけを持ってきて軽い復習だけをしていたのだ。
戸惑いと遠慮を見せるエミーちゃんの肩を優しく叩き、その手を置いたまま後ろからノートを覗き込む。 逆さまに書かれたセーレたんの字も見るに――ふむ。
どうやら、同じ問題でも二人の解き方に違いがあるようだな。 しかしどちらも正解だ。 単にアプローチ、というか式の立て方が異なるだけで、並列思考で計算してみるとちゃんと正しい答えが出せる。
ただエミーちゃんの方は、出した答えをもう一捻りしないとダメなんだ。
「――と、いうわけ」
「う、うん……」
エミーちゃんはノートに目を落としたまま、恥ずかしそうにうなずく。 ……おおっと、気づいたら後ろから覆い被さるような格好になっていた。
向かい側でくりむちゃんが、また意味ありげなつぶらな瞳で俺のことを見つめている。
その隣の妹様も一緒にな……。
「ふふ。 ぼくも、ジャス君に教えてほしいな?」
「はいはい」
朱い目を妖しく光らせ、斜め前に座っているるー君が唇に指を当てて俺を見上げる。
教えてあげたいのはヤマヤマなんだけど……その本に描いてある魔法陣、俺も見たことないぞ?
むしろ俺が教えてほしいくらいだ。
「物を重たくする魔法陣。 誰かを押さえつけたいときに便利だって、ツェリが言ってた」
「おいっ!?」
押さえつけてどーするんだ!
とツッコみかけたが……このコみたいな半重力体質を打ち消すには便利なのか、と思い至って開いた口を閉じる。
るー君の着てきたコートの裏地を見せてもらうと、同じ魔法陣が描かれていた。
勉強が一段落つき、マールちゃんの手作りとみんなの持ち寄りによるおやつタイムを楽しむ。
外からリビングへと挿し込んでくる日の光には、ほんのりとした温かみが感じられた。
時計の針は、とうに五の字を通り過ぎている。
「さあ、みんなで掃除するわよ!」
「おー!」「は~いっ」「ん」
おやつの片づけを手伝ったエミーちゃんが手を叩きながらみんなに声をかけると、元気な返事が返ってくる。 ここで勉強や稽古をするときは、最後にみんなで掃除をしてから帰るのがルールだ。
今日は道場は閉めたままなので必要なし。 この居住部についても、外や風呂場、ベッドルームは必要ないか、既にマールちゃんが掃除しているので大丈夫だ。
もともと、そんなに汚すほど使わないしな。
「みなさんありがとうございます。 それでは――」
公正なるくじ引きによる結果に基づき、マールちゃんから持ち場が発表される。 もちろん、俺も参加だ。
中でも「ハズレ」は言うまでもなくトイレだが、当たっちゃったるー君はイヤな顔ひとつせず、それどころかヤル気を見せた。
「るー様、ご立派です……!」
その姿に、エルリアさんも胸の前で手を合わせ感激している。
俺も同感だ。
「ふふふ。 これでぼく、お婿さんでもお嫁さんでも大丈夫?」
「はい、それはもう♪」
「……そうだねー」
とてもイイ笑顔で即答したエルリアさんに対し、平坦な心電図のようなトーンで返事する俺。 そういえばこのお姉さん、ソッチ系に理解のある人だった……。
このコがピンクのエプロンをつけて、玄関で迎えてくれる姿は容易に想像できるんだが……スーツを着て職場から帰ってくる姿は、俺も誠に遺憾ながら想像にし難い。
他のみんながうんうんと首を縦に振る中、エミーちゃんだけは苦笑いしていた。
「ふぅー」
玄関を含む、一階の廊下の担当になった俺は、ホウキとモップを使ってさっさと掃除を終わらせた。 なお、モップは雑巾を先端のアタッチに取りつけるタイプで、ドレッドヘアみたいなアレではない。
そういえば……あの髪型って、どうやって洗うんだろうな?
今となっては答えを求めることはできない謎を抱えながら階段を掃除して上がると、廊下の突き当たりに突っ立っているニコの後ろ姿を発見した。
「どうかしたのか?」
「んー?」
ニコが振り返る。
「ねージャス君。 この壁、叩くと音が違うんだー」
ほらねーと、壁の真ん中と端をノックするように叩いてみせる。
そ、それに気づくとは……。
「……ざ、材質が違うんだ材質が。 そ、そんなことはいいから、さっさと終わらせようなー」
「ええーっ、なんでー?」
「ほら、エミーちゃんに怒られるぞお~」
急いで手を引っ張り、コイツをその場から遠ざける。 今日はいないハズだが、ノックして中の人に出てこられると困る。
ニコも鳴かずば撃たれまいに。
「ばいばい」
「うん、またね」
頭をなでなでしてあげると目を細めて喜んだわん子ちゃんが、ニット帽を被って手を振りながら帰っていく。 お母さんの手伝いもあるから、大変だよな。
ニコも家の仕事の手伝いがあると言って帰り、るー君はリリちゃんの様子を見たいからと一足早く俺ん家へ。 もちろんエルリアさんもついて行った。
それからセーレたんとエミーちゃんは、お袋に頼まれたココの花壇の手入れをするため、二人仲よく出ていった。
「……ということでマールちゃん」
「はい?」
またリビングに戻ってお茶を淹れてもらったところで、向かいに腰掛けたマールちゃんに話しかける。
首を傾けた彼女の前に、俺はセーターの中に潜ませていた例のブツを出してテーブルに置いた。
「はい、これ」
「あっ……!」
目を見開くマールちゃん。 次第に笑顔の花が開いていく。
俺がエルリアさん、というかるー君のところに頼んでいたモノが届いたのである。
マールちゃんのリクエストしていた、就職祝いのチョーカーである。
「改めて、これからよろしくね」
夏用のひんやりチョーカーに対応するような、冬に役立つあったかチョーカー。 要するに魔導具だ。
ただし魔力量に余裕の少ないマールちゃんのため、外から魔力をチャージできるタイプであり、防寒も兼ねているためちょっとばかり厚めで大型のものである。
色が黒いせいもあり、チョーカーというよりは首輪っぽいのだが……このデザインはマールちゃんのリクエストなので、俺が口を挟むことではないだろう。
「ありがとうございます! あ、あの……つけていいですか?」
「もちろん。 ……そうだ、僕がつけてあげるよ」
お祝いなんだし、贈り主がつけてあげた方がいいだろう。 あっ、と手を伸ばしかけたマールちゃんだったが、既に俺がそれを持って席を立ったので姿勢を正して待ってくれた。
背後に回ると、マールちゃんはポニーテールを横にずらしてほっそりとした首を見えやすくしてくれた。
「お、お願いします」
「うん」
俺は、白くキレイなうなじにドキリとしながら――ちょっと手が届きにくいので、背中から触手を出してリフトアップしてからチョーカーをつけてあげる。
「あっ。 ……温かい」
チョーカーの前部分に手を添え、マールちゃんはうっとりとしたような声で呟いた。 まあ、さっきまで懐に入れてたからね……。
ゆっくりとこちらを振り返ったマールちゃんは、例えではなく本当に陶然とした表情を浮かべていた。
「本当に、ありがとうございます。
これからも誠心誠意、いつまでもお仕えさせていただきます……」
「う、うん」
両手をチョーカーに添えて目を瞑り、まるで誓うように一言一句を口にするマールちゃん。
仕事自体は今までとそう変わらないんだし、ちょっと大げさすぎるような気がするんだけど……まあ、心から喜んでくれているようで、なによりだ。
住み込みだから実質的な生活費はほぼゼロとはいえ、これからは俺が彼女の給料を出すことになる。 その自覚を持たないとな。
「よろしくね、マールちゃん」
「はいっ♪」
触手で背を伸ばした、ちょっと格好の悪い雇用主を前に。
可愛いメイドさんは、満面の笑顔で応えてくれた。




