601 とっておきの「提案」
その後――。
お袋の提案により、二階にある休憩室の防音性に関する検証実験を終えてから、俺達は別宅を後にした。
日は既に傾き、空は少しずつ赤く染まり始めている。 たまに吹くそよ風は、ちょっと肌寒い。
「ああ~、すっきりしたわ~♪」
「す、すごかったです……♪」
だが、お袋もマールちゃんも寒さなどまったく感じていないようで、まるで背中に羽がついているかのような足取りである。
二人はついでに初めてのシャワーも体験し、それぞれ金と空色の髪を軽やかになびかせて石畳を歩いていた。
俺の周囲は、花のようないい香りであふれている。
「……うん。 それはよかったよ」
「ええ~」「はいっ!」
満面でツヤツヤな笑みと共に、二人の明るい返事が重なる。
性能は、納得のいくものであったようだ。
名前の通り、次の国へと移動する使節団を見送るセレモニーである歓送式典。
だが歓迎式典は見た俺達は、出発する彼らには悪いけど式そのものを見送り、その後の街へ繰り出すことにした。 もちろん例のサボリ魔さんは式に出ているハズなので、見送るのはあいつに任せておこう。
「じゃ、行ってくるね」
秋らしい肌寒さを顔に感じながら、重ね着をした俺とコートを羽織った私服のマールちゃんが玄関を出る。 空には薄い雲がかかり、太陽の姿を白いヴェールで覆っていた。
マールちゃんの髪はお休みモードで解かれていて、わずかな空気の流れを受けてふんわりと揺れる。 白いコートにその髪はよく映え、今見えている空のようですごくキレイだ。
「い、行ってきます」
「行ってらっしゃ~い」
にこやかに手を振るセーレたんに対し、マールちゃんはちょっとばかり遠慮気味だ。
確かに、以前のこの子であれば、多少なりともうらやましそうな顔を見せただろう。 ……たとえ、その理由を知っていたとしてもね。
そんなハニーの精神的な成長を喜びつつも、やはり一抹の寂しさのようなものも感じてしまう。
「うふふ~。 ゆっくりしていらっしゃいね~」
セーレたんの後ろから肩に手を置き、お袋がもう片方の手を振っている。 ゆっくりと少しだけ左右に動かす、とても上品な振り方。
見た目だけでなく、何気ない仕草もよーく似ている親娘であった。
「……も、もうすぐ冬ですね」
「そうだね」
ご近所さんの壁の上から見える木の葉は色づき、その数をずいぶんと減らしている。 落ちた葉は石畳を飾りつけるところだが、朝の掃除でほとんど見られない。
たまにすれ違う近所の人と挨拶を交わしながら、俺とマールちゃんは手を繋いで歩く。
「ささ、寒くありませんか?」
「うん、大丈夫」
さっきから、少しぎこちないマールちゃんの言葉に口元が緩む。 首にマフラーを巻かれている俺はむしろちょっと温かすぎるくらいで、マールちゃんに気づかれないよう、さり気なく首との間に指を入れてスペースを作ってある。
ちなみにマールちゃんは、マフラーを巻いていない。
「そういうマールちゃんは?」
「ぜ、全然寒くないです! 逆に、ちょっと暑いくらいで……」
「あはは」
ぶんぶんと首を振るマールちゃんを見上げながら、思わず声を出して笑ってしまう。
少し風が涼しいかも? という天気予報に従って防寒対策をしてきた俺達であったが、ほんのりと顔が赤いような気がするマールちゃんを見れば杞憂だったことは明らかだった。
でもまあ、秋らしく空気はやや乾燥気味なので、風邪の予防には悪くないだろう。
「……それにしても」
「ん?」
優しく降り注ぐような栗色の瞳と、視線が重なる。
「ジャス様も、大きくなられましたね」
「だね」
昔は抱きついたらお腹に当たっただろう俺の顔は、今や胸の高さに近づいてきている。 エルネちゃんに至っては、横に並べば肩に近い。 ちっちゃいチャロちゃんとの差は頭半分もなくなり、「もう一、二年もしたら抜かれちゃいますね……」と、複雑そうな顔をしていた。
その後に「たぶん、こっちも……」という悲しげなセリフが続くのだが、彼女の視線の先には気づかなかったことにした。
……その部分のマッサージに関しては、たとえ誰にお願いされたとしても請け負うワケにはいかない。
「あと何年かすれば、私よりも大きくなられるんでしょうね」
「ははっ、まだまだ先だよ」
母親のような姉のような、優しい目差しにこそばゆい感じを受けて、俺はわずかに視線を外す。
そういう彼女も、俺が赤ん坊だった頃に比べるとグッと大人っぽくなった。 でありながら、少女のような可愛らしさも併せ持っている。
いずれは追い抜きたいけど、マールちゃんの身長はどちらかといえば平均よりも上だ。 俺が成人するときには逆転しているかな、というくらいだろう。
「はい。 まだ……まだ、先ですね」
「うん、そうだよ」
再び目を合わせると、マールちゃんはなんとも複雑そうな、嬉しいような寂しいような笑みを浮かべていた。
それは、俺がセーレちゃんに抱くものと同じなのか――よく解らない。
――祭の期間も半分が終わり、大通りに並ぶ異国の露店もずいぶんと少なくなっていた。 アクセサリーなどを扱う店は特に少なく、在庫もあとわずかといった様子。
片や食べ物系はまだまだ盛況で、買い物カゴを持った子供やお姉さんなどが買っていく姿もよく見られる。 けっこうな量を買っている人もいて、たぶんおやつか、夕飯のおかずにでもするのだろう。
祭りの最中でありながら、学校は既に始まっているこの時期。 特に平日ということもあってか、南北いろいろな料理の匂いが混じり合っている中、多くの人々はすっかり日常の生活リズムに戻っていた。
なんともアンバランスにも思える光景だが、これはこれで面白い。
「ふふ、得しちゃいました♪」
安くなっていた魚の干物を買い、マールちゃんがほくほく顔を見せる。軽く炙って食べても美味しいんだけど、野菜と一緒に煮込むといいダシが出るらしい。
最初はデートのような雰囲気を醸し出していた俺達だったが、賑やかな通りに出た頃にはいつもと変わらなくなっていた。 コートの中に入れてきたらしい薄手のカバンには、食料品や調味料といったお買い得品の数々が既にいくつか入っている。
完全にいつものお買い物と化してしまったが……二人でいろいろと話をしながら食材を選ぶのは、とても楽しい。
「今日のお夕飯、頑張って作りますね」
「いや、今日はお休みなんじゃ」
「あ……そうでした」
張り切ってぐっと拳を握るマールちゃんにツッコむと、恥ずかしそうに笑った。 けっこう買うなーと思ったら、どうやら忘れていたらしい。
しかし今日の食材は、明日の献立になることが決まった。
「そろそろ、どこかで休んでいこうか」
「えっ?」
俺の提案に、マールちゃんは小首を傾げ……すぐに「ああ」と納得の表情を見せた。 気がつけば周囲の人通りは減っており、昼時が近いのだと分かる。
広場に並べられているテーブルやベンチでは、露店で買ってきた料理を食べている人の姿がたくさん見られる。 たくさんのお皿を並べて豪華なおやつを楽しむ主婦さんグループもいるかたわら、今日は学校がないのか、それとも既に卒業しているのか……オープンカフェ風の店先で、初々しい様子で恥ずかしげにブランチを食べているカップルなんかもいた。
行列の延びている屋台もあるし、そろそろ決めないと座れる場所がなくなるかもしれない。
……というか、食べ物ばっかり見てたからハラ減った。
「私ったら、そんなことも気づかずに……」
「あははははっ。 それだけ楽しかったってことなんだから、いいじゃない」
「……あ、ありがとうございます」
ぽっと頬を染めるマールちゃんに微笑み、俺は手を引いて歩きながら場所を探し始める。 屋台で買って外で食べるのも悪くはないが、たまに寒い風が吹くので、できれば店の中の方がいい。
少し歩くと、ちょっとオシャレな軽食屋さんを見つけた。 けっこうお客さんが入ってるのが窓から見える、まだ空いている席もあるようだ。
「ここなんてどう?」
「あっ、はい! ……あ」
店の様子に表情を明るくしたマールちゃんだったが、すぐに何かに気づいてコートの内ポケットに手を入れた。
そこに財布が入っているのは知っているので、何を気にしているのか聞かなくても分かる。
「ここは僕が出すから」
「えっ? ですけど」
「いいからいいから」
遠慮するマールちゃんに笑顔を見せ、そのまま入口のドアへと向かう。
最初から俺が出すつもりだったし……それに、こっちの都合もあるからな。
前世なら、特に俺ひとりだけだったら一生入らないだろう、個人経営らしき喫茶店。 だがこの街では、よくあちこちで見かける店である。
香ばしいトーストの香りとキビキビと動く若いウェイトレスさんに迎えられ、俺達は案内された隅っこのテーブル席へ腰を下ろした。 マールちゃんは自分の横にカバンを置く。
「……」
表情には出していないものの、マールちゃんが鼻からゆっくりと息を抜きながら両肩を下げたことに気づく。 けっこう歩いたからな。
それでも、荷物を俺に預けてはくれない。 もっと大きくならないと、この娘は絶対に首を縦に振らないだろう。
「さて、何にしようかなー」
お盆を手にニコニコして待っているウェイトレスさんと話をし、注文を決めていく。
メニューには写真なんて載っていないから、遠慮しないで店の人に聞きながら決めるのがイチバンなのだ。
「――以上で」
「はい、かしこまりました♪ ……ふふっ、しっかりした弟さんですね」
いちばん安くて量の少ないトーストを注文しようとしたマールちゃんに釘を刺し、ちょっと強引ながらも本当に食べたいものを聞き出して注文を終える。
俺も抑えめにしてきたけど、マールちゃんは今朝のご飯をほとんど食べていないのだ。 お腹が減っていないワケがない。
俺達のやり取りにウェイトレスさんは笑顔をこぼし、こっそりと「少しだけオマケしてあげるね?」と言って立ち去っていった。
「美味しかったね」
「はい、食べ過ぎちゃいました……」
昼の鐘が鳴ってしばらく経ち、おやつの量を超えた軽食を終えた俺達は食後のホットティーを楽しんでいた。 大満足である。
表面をカリカリに焼き上げた厚切りのトーストに、バターやオプションのトッピングを乗せると、けっこうなボリュームになった。 サラダもシャキシャキで、ドレッシングはあっさり。
これで食べ過ぎるなという方がムリな相談であった。
「ふぅ」
「はぁ」
同時に二人でため息をつき、目と目を合わせてくすりと笑う。
口の中に広がるお茶の香りと温もり、そしてのどを通りすぎていくスッキリとした味わい。 他のお客さん達もそれぞれにゆったりとした時間を過ごしていて、お喋りをしたり、窓の外を眺めたりしている。
こういう過ごし方って、いいよねー。
「……さて」
静かにティーカップを置き、俺は襟を正しまっすぐマールちゃんと向かい合う。
そろそろ店を出るのかと思ったのか、一向に動かない俺を見てマールちゃんはわずかに首を傾けた。
「実はさ、マールちゃんに話があるんだ」
「はい、なんでしょう……?」
続いてマールちゃんは反対側に首を傾ける。 その疑問はもっともである。
――道場が完成してみんなのシフトを決めた際、お袋からとある提案があった。
その内容に俺はもちろん、同席していた親父も目を見開いた。
だけど、聞けば納得の提案。 その方が筋は通っていると思うし、俺の側も受け入れは可能だ。
任務によって長期間家を空けることもある御使いの特権で、これまた半分は国が持ってくれるしな――。
「マールちゃんって、僕付きのメイドさんになっているよね」
「……はい」
首を元に戻したマールちゃん。 今更な話に、今度は瞬きを繰り返して疑問を露わにする。
聞いたらこの娘もビックリするんだろうな……と思いながらも、どういう返事をしてくれるのかまでは確信が持てず、ちょっぴり心臓の鼓動が早くなる。
「で、もうひとつの家もできて、そっちの管理もお願いすることになって」
「ふふっ、そうですね」
マールちゃんは嬉しそうに微笑んだ。 チャロちゃんもそうだけど、仕事が増えるのにむしろ「時間を持て余していたんですよねー」と喜んでいるほどだ。
本当に頭が下がる。
――だからこそ、これはマールちゃんにとってこの上ない「ごほうび」になるのだと、お袋は胸を張っていた。
「そうなるとさ……マールちゃんって、ほとんど僕の専属に近い感じになるよね」
「そうですね」
当然、今の家の仕事もしてくれるワケだが、それだって俺と無関係ではない。
と、なれば。
「……いっそのこと、正式に僕のメイドさんにならない?」
「え――?」
マールちゃんは、目を丸くしたまま固まった。
そこへ、より明確な説明をつけ加える。
「これからはパパじゃなくって、僕がマールちゃんを雇いたいっていう意味」
「……」
真剣に目を見つめながら言葉を紡ぐと、彼女は瞬きも忘れた様子で、全身を硬直させたまま顔を赤くした。
俺も、お袋から聞いたときには言葉を失ったが……それは否定的な意味ではなく、「俺がこの歳で?」という困惑が理由である。
既に実質的に専属みたいなものだし、後でアルヴィちゃんにも聞いてみても問題はないとのこと。 むしろ俺が「家」を持った今なら、メイドさんへの給料を半分補助するという国の制度を「悪用」している、なんていう疑いもかからないだろう、という話だった。 ちなみに、補助されるのは一人だけである。
俺が結婚して子供ができれば別だが。
「もちろん、お給料とかは今まで通りに保証するよ? さすがに倍とか言われると、困っちゃうんだけどねー」
完全に石化しているマールちゃんを見て、あははーと冗談を入れて笑う俺。 マールちゃんは顔を隠すように、だんだんと下を向く。
もしかして……気分を悪くしてしまっただろうか。 他のことなら大抵は「スゴイですね」なんて笑って済んでいたが、さすがに俺みたいな子供が大人のマールちゃんを雇いたい、なんて口を叩くのは……。
口の中が急速に乾いてきたが、カップを手に取れる空気ではない。
「――ぃです」
「へ?」
本気で謝った方がいいかと考え始めたとき、下を向いたままのマールちゃんからかすかな声が聞こえてきた。
か弱く見えるほどに小さくなった両肩が、小刻みに震えてた。
「お給料なんて……なくても、いいです」
「……」
それは法的にムリ、なんて口を挟むことはしない。
そんな意味で言っているんじゃないってことは、分かるから。
「わ、私なんか、で……」
「いいに決まってる」
かすれ始めた声に、俺は強い断言を被せて消した。 ときには卑屈と思えるほど謙遜するのは、マールちゃんの悪いところだ。
メイドさんとしての実力は、アナさんだけではなく、ツェリさんやマリエルさんも認めている。
それに、休みのときまで俺や家族のみんなのことを考えてくれているマールちゃんは、そういう点では間違いなく一番だ。
俺の気持ちが伝わったのか、マールちゃんの反論はそこで途切れた。
「お仕事は今まで通り。 お給料とかもそのままになっちゃうけど……マッサージは頑張るよ?」
声のトーンを優しくして、またちょっと冗談を交えて聞いてみる。
マールちゃんの肩の震えが、少しずつ大きくなっていく。
「まあ、今すぐ返事をしてくれなくてもいいんだ。 よかったら、考えてみてねって――」
「なり、ます」
離れたところから心配げな視線をくれるウェイトレスさんに笑いかけていると、マールちゃんから途切れがちな、だけどハッキリとした声が聞こえてきた。
目を向けると、うつむいていた頭がゆっくりと持ち上がっていく。
カーテンのように隠れた前髪からはキラキラしたものがこぼれ、露わになった顔は茹だったように真っ赤。 しかもくしゃくしゃになっていた。
――だけど。
とても、とっても可愛い笑顔だった。
「……なり、ます。 私……ジャス、様の――。
ご主人様のものに、なります……っ!」
「う、うん。 ……ん?」
あまりに純真すぎる笑顔に、今度は俺が言葉に詰まってしまった。 それと、なんだか本来の意味以上に重たい返事に聞こえたんだが……。
だけど、顔を伏せて泣き始めちゃったので、何も言えない。
なにはともあれ、マールちゃんは正式に俺のメイドさんとなった。




