600 ときには形のないものを
窓を開け、涼しい空気が流れ込んでくる教室。
久しぶりの三階から見える景色は、青い空が広く見えて清々しい。
「も、燃え尽きたぜ……」
「ふぅ~。 疲れたわあ……」
真っ白になって口から何かが出そうになっている男子や、自分の肩を揉みながらイスの背もたれに身体を預けている女子達が、あちらこちらで見られる。 テスト後の光景というのは、どこの世界でも似たようなモンだ。
一日がかりで行われた試験は四科目とも終わり、アズミーリ先生はバネのようなポニーテールを弾ませて颯爽と、そしてシャルちゃん先生は「ああ、これから採点だあ……」とリス耳をしょんぼりと下げながら、既に教室を後にしている。
先生は大変だなぁ。
「さて」
昼の鐘が鳴るまで休む必要もなく、俺は手早く机の上を片づけて席を立つ。
隣でも、帰る用意を終えたマイシスターがまったく同じタイミングで立ち上がった。
「あら、もう帰るのね」
振り返ると、テスト疲れの欠片も見られないマーヤさんが涼しげな笑みを浮かべていた。 その横には遠慮がちな視線を俺に向けている女の子がいる。 しかも二人。
どうやら学期明け早々、マーヤお姉様による「お悩み相談会」が始まるらしい。
「うん、ちょっとご近所さんに挨拶をね」
「ふふっ、なるほどね」
今日はステイさんがウチに来ないので、空いた時間を使って道場のご近所さんに挨拶回りをするのだ。 ちなみに、手土産やソバの類は不要である。
俺は微笑むお姉さんに「じゃあ」と軽く手を挙げて挨拶すると、自分のイスを一八〇度回して順番待ちの女の子へ譲ってあげた。
「あ、ありがとう……」
「ううん」
ぽっと頬を赤らめながらお礼を言う女の子に、俺はにこやかな顔で首を横に振る。
ところで、休みの間にニアちゃんがご近所デビューしたため、俺が御使いだったという話がすっかりクラス中に知られていたんだけど……休み時間に何人かに聞かれたくらいで、それもほとんどビックリされなかったことに俺の方がビックリであった。 しかも、俺が精霊様と契約したことよりも「その精霊様がすっごくカワイイ女の子らしいという件について」の質問が多かったという。
ちなみにこの女の子も、そんな質問をしてきた一人である。
「ふふふっ。 さすがはジャス君、優しいわね」
「……」
そうなった原因は、席に座ったまま俺を見上げ、艶っぽい笑みをたたえているお姉様のせいだったりする。 しかし、俺がこうして今まで通りにクラスになじんでいられるのは、両親が契約者と精霊であるという前例が既にいたおかげでもあるのだ。
それにしても――どうして、一部のクラスメート達から、俺があたかもニアちゃんを口説き落としたかのように思われていたんだろうか。
ビックリした俺がすぐに否定して、「えっ、違うの?」って真顔で聞き返されたときには、ものすごく凹んだぞ……。
その後で、どうやらマーヤさんがみんなにしてくれていた「ひょんなことからニアちゃんと知り合って意気投合」という建前上の理由の説明が、なんかワケの分からないひん曲がり方をして一部に伝わっていたらしい、と判明したんだけど。
俺が愕然としていた横で……この人、目に涙を浮かべて思いっきり笑ってた。
「また明後日ね」
「……うん、またねー」
困ったお姉さんに苦笑いを返し、俺はセーレたんと共に手を振りながら歩き始める。
あ……そういや、幼なじみーズに勉強会の連絡をしないと。
「お兄ちゃん、るーちゃんにはわたしが言ってあげるよ~?」
廊下へ出る直前、教室の出口で立ち止まった俺にセーレたんがそんなコトをおっしゃった。
俺は思わず目を見開いた。
「えっ、いいの?」
「うん」
まさか、セーレたんがそんな提案をしてくれるとは……。
他のクラスでも燃え尽きている子が多いのか、いつもと比べればまだ混み合っていない廊下。 とはいえ既に人の流れはできつつあり、両隣にある教室を行ったり来たりするのはちょっと骨が折れるかも、と思っていた矢先である。 とても助かる。
「じゃあ、お願いするね」
「うんっ」
俺の言葉に、ハニーは天使のような笑顔でうなずいてくれた。
我が妹ちゃんの小さな成長に頬を緩ませつつ、俺は三組の教室を覗く。
やはりどこのクラスも似たようなもので、上を向いて口を半開きにしている子や机に突っ伏している子、余裕の笑みを浮かべてお喋りしている子などがいた。 数人のクラスメートが集まり、テストの答え合わせをしているらしいところもある。
エミーちゃんの席は、そんな中のひとつだった。
「あっ」
毛足の長い黒い耳をぴくんと動かし、エミーちゃんの席に集まっていた中のひとりが振り返った。 くりむちゃんだ。
俺が手を挙げて応えると、大きなしっぽを振りながらこちらにやってくる。 早生まれである上に背の高いわん子ちゃんは、年上のクラスメート達に混じっていてもほとんど違和感がない。
「ああっ、ジャス君だー!」
そして、くりむちゃんの声で集まり視線の中にはニコもいた。 にかーっと歯を見せると、人の輪から離れて同じようにやってくる。
「よう」
パチーン! と大きな音を鳴らして手を合わせると、わん子ちゃんもしてほしそうな目をしていたので、なでていた手を止めてそっと出してみる。
すると、ぱちんと優しく手のひらを合わせてきた。 いつもながら、優しい気遣いをしてくれる子である。
二人が抜けて空いた隙間からはエミーちゃんが顔を覗かせ、大人っぽい微笑みを見せていた。
だけど、今回の主役はニコである。
「遅くなったけど、誕生日おめでとうな」
「へへへー♪」
ニコが子供らしい照れ笑いをする。
ちょうど、鹿耳のブランシェ姉弟が帰る頃にコイツの誕生日だったんだよねー。 俺達の中では二番目に早く、次は年明けにるー君の番となる。
その前に妹のリリちゃんが先だけどな。
「ジャス君、それを言いに来てくれたんだー?」
「ああ、それもあるんだけどな」
これ以上、入口で団子になっているとジャマになるため、教室の中に入ってから話の続きをする。
年下だけど頼りになるエミーちゃんはいまだ他のクラスメートから質問を受けているようなので、俺は二人に伝言を頼むことにした。
内容はいたって単純。 秋休み前と同じであれば、明日あるハズの勉強会は中止。 休み明けの一回目は、その次の精霊の日にするというだけである。
……道場のことは話してないから、さぞビックリすると思うけどな?
ふふふのふー。
合流したセーレたんと手を繋いで帰り、お袋やメイドちゃんズと一緒におやつを食べる。
もちろん、話題は学校のことが中心だ。 久しぶりに会った友達がどう変わっていたとか変わっていないとか、そういった話をハニーと一緒にして食卓に花を咲かせる。
やがてお皿が空っぽになり、お袋から午後の予定が告げられる。 といっても、朝のうちに聞いているので確認だけどな。
「セーレちゃんは、チャロちゃんと一緒にお願いね~」
「はあ~い」
お袋の話に、大人しく聞いていたマイシスターがにこやかにお返事をする。
挨拶回りに行くのは、俺は当然として……親父は仕事なので保護者としてお袋と、実質的に道場の管理人となるマールちゃん。 それから、いきなり見かけると驚かれるから先に紹介しておこうと決まった、ニアちゃんの四人だけである。
平日の昼下がりにぞろぞろと押しかけたら迷惑だろうし、なによりセーレたんも連れて行くと、チャロちゃんが一人でリソ君を見ながら仕事をしないといけなくなるからな。
基本的にリソ君はいい子だが、やっぱりいろんなことに興味を持つお年頃。 自分でドアも開けられるようになったので、あまり長く目を離してはおけない。
「お留守番、頼むな」
「セーレさま、一緒にガンバりましょうねー!」
俺が横からハニーの頬へ手を添え、食器の片づけ中だったチャロちゃんも近づいてきて声をかける。
すると、セーレちゃんは柔らかな、だけど頼もしい笑みを浮かべて応えてくれた。
「は~い。 わたし、がんばるの~♪」
「……うん」
ほんと、頼もしくなってきたよな。
手を振って見送ってくれるチャロちゃんとセーレたん、そしてリソ君に「行ってきまーす」と声を揃え、俺達は道場への道を歩く。
顔をなでる空気は相変わらず涼しいものの、身体に当たる日光は温かい。 道の掃除や買い物らしきお出かけ中のご近所さんとすれ違っては、みんなで会釈などして挨拶をする。
学校や幼児園などから帰ってきたらしい子供達もいて、特にニアちゃんは大人気だ。 俺の肩に乗っているのを見て、みんな元気に手を振ってくれる。
「リソ君みたいにねー、持ち上げてあげるとみんな喜んでくれるんだよー♪」
「あらあら~」
「そ、そうなんだ……」
そう嬉しそうに語ってくれるマイドーター。 手を繋いでいるお袋は、おしりの位置まで伸びる髪をなびかせていつもの女神様スマイルだが、俺はちょっぴり苦笑いである。 ウチの娘は、俺の知らない間によそ様のお子さんをたびたびミューティレートしていたらしい。
というか、その子のお母さん方はビックリしなかったんだろうか? そう思っていると、後ろを歩いているマールちゃんが教えてくれた。
「初めは目を丸くなさっていましたけど、今はお母様方も喜んでくださっていますよ」
「……そうなんだ」
思えば、ニアちゃんと仲よくなるのも早かったし。
ウチのご近所さんって、けっこう適応力が高いんだな……。
「失礼致します~」
何軒かの挨拶回りを終え、お袋に会わせて頭を下げる俺とマールちゃん。 我が娘はお袋の肩の上でバイバイと手を振った。
なお、いきなり隣町からやってきた子供が「アレ、僕ん家なんだー♪」とか言っても怪しさ全開なので、取りあえずその辺には何も触れずに挨拶している。 お子さんが俺と同じ初学校に通っているという家も複数あったが、これで変な噂になったりすることもあるまい。
「次はどうしましょうか?」
「このくらいでいいんじゃないかしら~」
マールちゃんからの問いかけに、お袋が小首を傾げながら答える。 それを聞いてほっとする俺。
「向こう三軒両隣」ではないんだろうけど、道で区切られた区画すべてを回る必要はないみたいだな。 掃除してキレイに保つことが義務になる、自分の家に面した道に近いお宅を二、三ずつに挨拶をして終了となった。 とはいえ、道場は角地にあるから十軒以上は回った。
幸いなことにいい人ばかりだったのだが、ニアちゃんを見るやいなや恐縮されてしまい、玄関先での挨拶だけでは済まず中へ通されることもしばしば。
「……うっぷ」
お茶、何杯飲んだか忘れたよ……。 おかげで、短い時間でもずいぶんと打ち解けられたけど。
我が娘はいっぱい指握手となでなでをしてもらい、とてもご機嫌だ。
「少し、休んで行かれますか?」
「うん……そうしよっかな」
ちゃぷんちゃぷんといいそうなお腹をさすりながら、俺はマールちゃんの気遣いに感謝した。
道場には寄るつもりがなかったので鍵を置いてきたんだけど、マールちゃんは持って来ていたらしい。 さすが管理人さんだ。
「それはいいわね~」
ぽふっとお袋が手を叩く。 途中から断っていた俺とは違い、すべての家でご馳走になっていたハズなんだけど……お袋のお腹は依然としてほっそりとしたままだ。
ちなみにマールちゃんは「私はメイドですからお気遣いなく」と言って、やんわりとお茶を断っていた。
「ママのお腹がどうかしたの~?」
「……ううん、なんでもない」
お袋だったらそういうこともあるかと納得し、マールちゃんの後に続いて道場の家の方へ入る。 静まり返った玄関は日の光が入ってとても明るく、明かりを点ける必要もなくそのまま真正面にあるリビング兼ダイニングへ。
俺とお袋が向かい合って席に着くと、マールちゃんは外の窓を開けてくれた。 爽やかな空気が入ってきて、少し楽になる。
「ふぅ……」
疲れたのもあってテーブルにほっぺをくっつけると、二人がくすくすと笑った。
ニアちゃんはお袋の肩からテーブルへ飛び降り、小さなおててで俺の頭をなでてくれた。 癒されるう~。
「いい人ばかりでよかったわね~」
「そうですね」
ぐったりしている俺を眺めながら、お袋とマールちゃんが楽しそうにトークを始める。
アレだけ、行った先々でいっぱいお喋りしていたのに……女性のお話好きはスゴイ。
片方の耳をほっぺと一緒にテーブルにくっつけたまま、もう片方の耳で心地のよい声を音楽のように聞き流す。 我が娘に加え、お袋も俺の頭を優しくなでなでしてくれているのもあって、少し眠くなってきた……。
「――そういえば、ジャスちゃんからマールちゃんにお話があったのよね~?」
「ふぇ?」「えっ?」
いきなりお袋から話を振られ、寝ぼけ半分な声が出た俺。
マールちゃんも俺の頭をなでようとしてくれていたのか、目を開けると俺の斜め上にその手があった。 しかしそれを引っ込め、マールちゃんが俺の顔を見る。
「え、えっと……」
身体を起こしてお袋に視線を送ると、にこやかな笑みが返ってくる。 つまり、ここでマールちゃんに話をしろと?
まあ、どちらにしても今日のうちに話さなくちゃいけないから、ちょうどいいタイミングではあるんだけど……。
内心ではドキドキしながらも、俺は平然を装いマールちゃんに話しかけた。
「マールちゃん、明日はお休みだよね?」
「えっ? ……はい」
半分首を斜めにしながらも、こくりとうなずくマールちゃん。
シフトの変更に伴い、明日は臨時のお休みとなる。 チャロちゃんもそうだったけど、そうしないと一週間以上お休みがなくなっちゃうからな。
そのため、新しいシフトではマールちゃんにこの家の掃除をお願いするところを、明日も引き続き閉めたままにする予定だ。
「何か予定ある?」
「いえ、特には……」
明日はちょうど十五日。 午前中に使節祭の歓送式典があるんだけど、見に行く予定などはないみたいだ。
歓迎式典とそれほど変わらないって聞くから、俺も見に行くつもりはないんだけどな。
「そ、ちょうどよかった」
「……え?」
俺の言葉に、マールちゃんが目を大きくする。
その驚きように頬を緩ませながら、俺はその続きを口にした。
「よかったらさ、僕とあそびに行かない? ふたりで」
「……」
静まり返る室内。 マールちゃんのキレイな瞳が、最大限に開かれた。
お袋はずっとにこにこしており、ニアちゃんは俺達を見上げて大きな頭を左右に傾けている。
「えっ? ふ、ふた……っ?」
「うん」
他のみんなもそうだけど……今後、特にマールちゃんにはここの管理人という役割が加わり、よりいっそう責任が増す。
そこで何かお礼をしたいなと思っていたところ、シフトの話し合いの時にお袋から提案があったのだ。
「どうかな?」
「ふ、ふふふたっ……!? あ、ああのっ、せ、セーレ様は……」
目の焦点が激しく震えているマールちゃん。 声をかけると、はっとしたように目の動きを止めて俺を見つめ、小魚のようにぱくぱくさせていた唇からなぜかマイシスターの名前が出てきた。
そういえば……前にマールちゃんとケーキの美味しい喫茶店でデートしたときは、セーレたんも一緒だったなぁ。
「ん? セーレちゃんとは、ちょっと前に行ったばかりだからね。 だから、セーレちゃんもニアちゃんもお留守番」
「えーっ」
一瞬だけ残念そうな顔を見せた我が娘だったけど、「ま、しょうがないよねー」と許してくれた。 聞き分けのいい娘に、俺とお袋が指を出していい子いい子してあげる。
もちろんマイシスターも了承済みであり、知らなかったのは本人だけである。
「……」
ずーっと瞬きしないで、目が乾くんじゃないかと心配するほどにますます見開いたマールちゃんは、首を固定したまま俺とお袋の顔を見た。
二人とも当然、にっこりと微笑んで首を縦に振る。
「ええ、行ってらっしゃいな~」
「うん。 また露店めぐりになると思うけど、それでもよければ」
にこやかに茶色い瞳を見つめ返していると、マールちゃんの顔がみるみる赤くなっていく。 なんだか、目もうるうるし始めたような……。
ちょっとばかり想像を超えた反応だが、いいことなので俺の顔はますますほころぶ。
そして――。
「はいっ!」
マールちゃんはとても嬉しそうに瞳を輝かせ、力強くうなずいてくれたのであった。




