602 男のコは照れ屋さんです
まだ外は暗い夜明け前。
朝食を終えたばかりのリビングで、歌うような声が流れる。
「ふふふっ♪ ……それでは、失礼しますね♪」
食器が片づけられたテーブルの上、チャロちゃんが順番にカップを置くと、すかさずポットを持ったマールちゃんがホットティーを注いでくれる。 こぽこぽとカップに流れ落ちる音が心地よく、同時にいい香りがゆっくりと広がっていく。
しかしそれ以上にマールちゃんの声は耳に心地よく、満面に咲き誇る笑顔と相まって見ているこちらも自然と頬が緩む。
「ありがと」
「どういたしまして~♪」
お礼を言うと、マールちゃんはますます嬉しそうに表情を輝かせた。 足取りも踊るように軽く、空色のポニーテールがくるりと一回転……。
というか本当に踊りながら、俺の後ろを通り過ぎて隣のセーレたんにティーを注いだ。
「あらまあ~♪」
「ありがとう~」
その様子にお袋は笑みをこぼし、セーレたんも天使のような笑顔でお礼を言う。 リソ君はぱちぱちと手を叩いて喜んでいた。
チャロちゃんと親父はため息をついてちょっぴり苦笑気味だが、マールちゃんを眺める目差しはとても優しい。
「もう、お姉ちゃんったらー」
「やれやれ……」
その間にもマールちゃんは文字通り、みんなにお茶を注いで回る。
俺と目が合うたび、可愛い声と笑みをこぼしながら。
「マールちゃん、嬉しそーだねー」
「そうだね」
テーブルの上でシュガースプーンを担ぐニアちゃんを、指でなでながら応える俺。 マールちゃんは今朝から――ではなく、昨日の喫茶店を出てからずーっと、こんな具合である。
しかも一晩中そうだったらしく、チャロちゃんはなかなか寝つけなかったらしい。
マールちゃんに至っては、ひょっとしたらまったく寝ていないんじゃないかという話だけど……むしろ元気二〇〇%増しであった。
……でもまあ。
そんなに喜んでくれて、俺としても嬉しい限りだ。
「ほらチャロ、何してるの? 早くお皿拭いて♪」
「えっ? ……あれっ!? いつの間にっ!?」
親父と苦笑いを交わしていたチャロちゃんが、慌てて台所へ向かう。 マールちゃんは既に洗い物を始めており、シンク横には洗い終わったお皿が積み重なっていた。
いやホント、いつの間に……。
「わたしも、がんばるね」
横からの声に目を向けると、マイシスターが胸元に手を当てて、にっこりと微笑んでいた。
「ん? そっか……でも、ムリはしちゃダメだぞ」
「うんっ」
柔らかなほっぺをなでてあげると、セーレたんは嬉しそうに目を細めた。
夜明けの鐘を聞きながら、懐中電灯型の魔導具を手に俺とハニーは家を出る。 十一月も半分を過ぎ、朝の空気は冷たかった。
でも星々の瞬きと、濃紺色から金色へと変わっていく空のグラデーションはすごくキレイだ。 雲は昨日よりは少なくなってきから、少しずつ温かくなってくるだろう。
「――では、試験の答案を返す」
空がずいぶんと明るくなってきた、一時間目の生活の時間。 アズミーリ先生の第一声に、教室中が嫌そーなうめき声に包まれる。 今日は一日、おさらいも兼ねて先日のテストの解説をするそうだ。
ちなみに今回のテストは成績とは関係ないため、順位はつけていないらしい。 だが、クラスごとの平均点と卒業に必要であろう点数のボーダーラインが発表されると、一部の安堵の声は再び絶望へと変わった。
危ない子達は、これからもっと頑張れよ……?
「あふ……」
俺達の間を歩き回って答案を返してくれる途中、シャルちゃん先生がこっそりとあくびをしていた。 どうやら、先生達も睡眠時間を削って採点していたようだ。 ちょうど答案を受け取った女の子が「大丈夫ですか?」と声をかけていた。
今日は寝不足の人が多い日だなぁ。 お疲れさまである。
そんな眠気を吹き飛ばすのにうってつけな二時間目、魔術の時間。 地下体育館に、俺達二組とるー君率いる一組の生徒達が集まる。
でも今日は休み明け最初の授業のため、まずは個々の進み具合によって分かれていたグループの再編をすることになった。
休み中にも検定試験はあるので、それで級を取った子もそれなりにいるのだろう。
「いよっしゃああああああ!! お前ら、分かれろおおおおおおおおーーーーー!!」
『はあああーーーい』
いつもながらジャージ姿で声のうるさい絶叫先生の指示を、軽く受け流して返事をした子供達がわらわらと動き出す。
俺達の前には一組と二組の先生が合計四人、横に間隔をあけて並んでいる。
「やっぱり減ったね」
「そうね」
俺に右から相づちを打ってくれたのは、セーレたんでもマーヤさんでもなく、ニャル子ちゃんであった。 その更に右側には、今日はスカートではないるー君もいる。
フラヴリースの練習のため、既に級を持っている子とこれから取るために練習をする子が一緒になっている俺の周りには、ふたクラスの半分以上が集まっていた。 秋休み前と同じように、絶叫先生とシャルちゃん先生が担当してくれる。
対して、初めの一歩目である魔力感知がまだのグループは、前の半分くらいまで減っていた。 ハカセ君こと、コンラート氏はその中にいる。
また、検定の筆記試験対策グループもかなり少なくなっていたため、同じ先生がまとめて担当することになった。
で、その先生はというと――。
「すぴー」
絶叫先生ことストローグ先生の雄叫びもモノともせず、立ったまま寝ていた。 目をパチリと開ければ美人そうな、一組の副担任さんである。
……まともに目が開いてるの、見たことないけどさ。
海中の昆布のように揺れながら立っている先生。 見かねたらしいアズミーリ女史が、眉をぴくぴくさせながら声をかけた。
「ふ、フーリエ先生?」
「はいは~い、寝てましぇんよ~。 起きてまふにょ……」
「……だ、だったら、良いのですが」
いや、寝てるだろ――と誰もがツッコみたくなるのだが、コレでもほぼ平常運転だったりする。 だからアズミーリ先生も、それ以上は何も言わない。
その証拠に、目を横線にしたままの先生は、間延びした声でみんなに話しかけた。 両手には、試験対策のテキストらしき紙束を持っている。
「ほしー人は、てきとーに持ってって~」
『はあーーーいっ!』
先生の非常に適当な喋り方に反して、生徒達は次々と体育座りから立ち上がり、先生からドンドン紙を取っていく。 その人数は、明らかに勉強グループを上回っていた。
ちなみにこの先生が授業をしている一組は、テストの平均点が学年で最も高かったりする。 俺もるー君に授業のノートを見せてもらって、テキストを作る際の参考にしているくらいだ。
最後の一人が紙を持っていくと、ちょうど先生の手もフリーになった。 「あー重かった~」と、両手をだらんと下げて大きなため息をついている。
「……フーリエ先生だけは、私もよく解らないわ」
「僕も分からないよ……」
後ろでマーヤさんが零した声に俺も振り返り、心から同意する。
さすがの観察眼も、まるで開かずの間と化している先生の瞳の奥は見通せないようであった。
まあ、そんな謎の先生はさておき。
今までは魔力感知の担当していたアズミーリ先生の前には、十人近い子供達が集まっていた。 人数こそ多くないものの、みんなヤル気に満ちた瞳を先生に向けている。
彼らは魔力精製補助なしの魔導具を扱える、六級または五級の子達ばかりであり、これから活性化の練習をするのだ。
万が一、暴走すればとても危険な活性化。 それだけに、先生の説明に耳を傾ける子供達は真剣だ。
「あんたも向こうで、教わってきたら?」
「ぐふっ!?」
右に座っているニャル子ちゃんのツッコミに、思わず倒れそうになった。 そ、そりゃぁねえぜセニョリータ……。
体育座りで立てている自分のひざにおデコをぶつけると、るーくんやマーヤさんが小さな笑い声が聞こえてきた。 切れ味の鋭い冗談に、ニャル子ちゃんはもちろんのこと、他にも周りからくすくす笑いが起こる。
「い、いや……僕はちゃんと使えるから」
みんなには暴走したところしか見せたことないけど、本当なんですよ?
左からセーレたんが、優しく俺を抱きしめてくれるのが嬉しい。 涙が出ちゃう。
「うんっ。 活性化しているお兄ちゃんは、いつもよりもっともっとかっこいいの……♪」
「……」
嬉しい反面、ますます顔を上げづらくなったけどなー。
――四時限の学校が終わり、少し暖かくなった石畳を歩いて家に着く。 お昼の鐘はとっくに鳴り終わり、たぶん半時以上は経っているだろう。
学校初日の一昨日は水の日でバタバタしたので、今日はエミーちゃん達とおやつを食べて帰ってきたのだ。
久しぶりの授業に軽い身体のだるさを覚えながら、玄関のドアを開ける。
『ただい――』
「お帰りなさいませっ♪」
二人で「ただいま」を言いながら開けた瞬間、目の前にマールちゃんが飛び出さん勢いで現れた。 空の太陽に負けないくらい、明るい笑顔を見せてくれる。
うっすらと気配は感じていたけど、急にこっちに向かってきたからビックリした……。
「いつもながら、よく僕達が帰ってくるのが分かるよね……」
「もちろんです!」
紺色と白のエプロンドレスに包まれた胸を張るマールちゃん。 ちなみに、ずっと玄関で待っていたという可能性はゼロである。
帰りが遅くなることはちゃんと朝に言ったし、そもそも午前中は道場の掃除に行っていたハズだしな。
「ところで、レイグ様がお見えになっていますよ」
「へえ」
セーレたんと一緒に、肩掛けカバンをマールちゃんへ手渡す。
姉であるお袋に言われて毎月来るようになった叔父さんだけど、今月は鹿耳姉弟の見送りにも来てくれたので二回目である。
「それに、お花もいただいたんですよ? つい先ほど、花瓶に挿してテーブルに飾りました」
「……え?」
あのレイグさんが、お花とな? なんと珍しい……。
「そうなの~?」
セーレたんも不思議に思ったのか、俺と目を合わせて可愛らしく小首を傾げている。
「すみませんけど、ジャス様とセーレ様はお先に」
「うん」「は~い」
俺達のカバンを持って階段を上がろうとするマールちゃんに返事をし、二人で廊下を進む。
突き当たりの左の扉を開けると、リビング兼ダイニングで叔父さんがお袋とお茶を飲んでいた。
「お……おぉ、お帰り」
「お帰りなさ~い♪」
「うん、ただいま」「ただいまです~」
手を挙げて挨拶をし、そのままテーブルの横を通り過ぎて台所へ。 マールちゃんの言った通り、テーブルの真ん中には小さな花瓶が置かれている。
取りあえずそれは後回しにして……帰ったら、まずは手洗いとうがいである。
花瓶を見て一瞬だけ足を止めた妹様も、すぐに俺の後をついてきた。
「チャロちゃんとリソ君とニアちゃんは?」
「ニアちゃんはお出かけ、チャロちゃんはリソちゃんを連れてお買い物よ~」
先にセーレたんへ台所を譲り、お袋に聞いてみるとそんな答えが。
お出かけするのはいいことだ。 特にリソ君は、春になったら幼児園に通うからな。
「お兄ちゃん、終わったの」
「おっ、ありがと」
入れ替わりで俺も手洗いとうがいを済ませ、セーレたんの隣へ腰を下ろす。 向かい合っているお袋とレイグさんを前にした、いつもの席である。
「あれ?」
そこで花瓶を見て、首をひねる。 小さな花が三本挿してあったのだが……お袋が庭に植えていたから知っているけど、冬も間近なこの時期まで咲く花じゃないよな? ウチのはもう枯れちゃったし。
すると、お袋が嬉しそうに微笑んで教えてくれた。
「そうなの~。 このお花は、お部屋の中で明るさと温度を調節して、咲くのを遅くしたものなのよ~」
「へえー」
そういうの、こっちの世界にもあったんだな。
感心しながら叔父さんに目を向けると、短く刈り上げた黒い髪を掻きながら微妙に視線を逸らしていた。
「ま、まあな。 来る途中、たまたま売ってたから……な」
「ふわぁ、すご~い♪」
ウチの女性陣は、みんな花が好きだからな。 セーレたんも顔をほころばせ、花瓶の花を眺めている。
「レイグちゃんは昔から、ときどきお花をくれたわよね~」
「そうなんだー」
お袋が胸の前でぱふっと両手を合わせる。 それは意外――いや、そうでもないのかな?
照れて横を向いた、今でも高校球児のような顔を見ながら、少年時代のレイグさんがお袋やセラさんにプレゼントをしているところを想像してみる。 ……自然と頬が緩んだ。
俺だけではなく、お袋もセーレたんも温かな目差しを向けている。
「遅くなりました♪ お茶、すぐにお淹れしますね」
ほどなくしてマールちゃんがやって来ると、キッチンへ向かいお茶の準備を始めた。
道具一式はもう用意されていたので、お湯だけ沸かしすぐに持ってきてくれる。 また踊るような身軽さで俺とセーレたんにお茶を注ぎ、叔父さんとお袋にもお代わりを勧めてから、最後に自分の分を淹れてお袋の横のイスに座った。
珍しいマールちゃんの姿に、叔父さんもちょっと目を丸くしていた。
「レイグさん、今日も稽古つけてくれるの?」
久しぶりに会ったハニーと叔父さんとの挨拶も終え、また女性陣の目が花に集まったところで、俺からレイグさんへ声をかける。
「……お? お、おお」
隣どうしで寄り添って嬉しそうにしている、お袋とマールちゃん。 そんな二人から俺に視線を移した叔父さんが、首を縦に振ってくれた。
武術試験が終わってからこっち、あんまり身体を動かしてないからなぁ。 ありがたい話だ。
それに――。
「ジャス様」
言葉を続けようとしたところ、マールちゃんがとても嬉しそうな表情を俺に向けた。 俺と同じことを考えているみたいで、二人でにっこりと微笑み合う。 お袋はもちろん、セーレたんもうなずいている。
俺も三人へうなずき返し、一人だけ首を傾げている叔父さんへと話の続きを始めた。
「だったらさ、近くに道場があるからそっちでやろうよ」
「ん? この辺に、そんなのあったか?」
眉をハの字にするレイグさんに対し、俺も女性陣もますます笑みを深める。
中でもマールちゃんは、いちばん瞳を輝かせて今すぐにでも言いたそうにしていた。 なので、そのサプライズ役を任せることにする。
アイコンタクトを送ると、マールちゃんは元気にうなずいた。
「はいっ! つい最近、ジャス様がお借りになった道場付きのお屋敷なんですよっ♪」
「――は?」
思った通り、レイグさんは目を見開いて固まった。
すぐにマールちゃんが繰り返すと……。
「はあああああああああああっ!?」
叔父さんは握り拳が入りそうなほど口を開け、大声を出して驚いてくれたのであった。




