590 真夜中の再会
『そろそろ、本格的に寒くなってくる……かも? 風邪を引かないように、寒さに弱い人は気をつけましょう』
という、お天気お姉さんの予報を聞いた。 我が国の上空にて、カンパーフィールド氏がしばらくご滞在予定なんだとか。
北の山では雪も降ったらしいし、「来る、きっと来る」と言われて続けていた冬が、本当に目前まで迫っていることを実感する。
しかし。
俺個人としては、今はそんなコトはどーでもよかった。
「来る……帰ってくる……」
ありとあらゆる準備が整った今日。 夜明け前から起き出した俺は部屋の中をひとりでぐるぐると歩き回り、朝のジョギングは後ろから呼び止めようとしているお袋の声にも気づかずご近所を三周した。
朝食中の今だって、魔法で重さを増している我が娘に頭を押さえられていなければ、すぐさま立ち上がって家族のいるテーブルの周りを徘徊しているであろう。
昨夜、ベッドの中で「そういえば、明日なんだよなー」と思ったが最後。
道場の件だって、ジョギングで何度か前を通ったハズなのに、どうなっていたかまったく記憶に残っていない。
「ジャス、少しは落ち着け……と言っても無理か」
「うふふふふ、そうね~」
夜勤から帰ってきた親父が苦笑いを浮かべ、お袋は穏やかに微笑んでいる。 俺を見るメイドちゃんズの表情も微笑ましげであった。
うん、まあ……俺だって頭では解っているのだ。 「お前は主人を待つ子犬か」とツッコミを入れる俺が、「だって、だって」と言いながら頭の中を走り回っている俺を見て呆れ返っているのである。
――何しろ今夜、あの子が帰ってくるのだから!
「ジャス君、落ち着いた?」
幼児園への道の途中、エルネちゃんがくすくす笑いながら俺に声をかけてくれた。
「うん。 ……多少は」
ひっひっふーと、ラマーズ法でなんとか最低限に気を静めた俺。 なんとか頭は回る状態にまで回復している。
これも、行儀が悪いと怒ることもなく温かく見守ってくれたみんなと。
「にゅふふー」
今も俺の頭の上に乗っかり、俺をちょっと足が浮く程度に持ち上げゆっくりと運んでくれている、ニアちゃんのおかげである。
頭の上なので見えないが、きっと半透明の羽を出してぱたぱたと羽ばたいているのだろう。
「はふー」
思わずため息が出る。 首の後ろを摘んで持ち上げられた子猫や、マイブラザーの気持ちがよーく分かるな。
上空を高速で飛ぶときとは逆に、なぜか心が落ち着く。 通行人にはビックリされるけどな。
ミューティレートばんざーい。
「……それにしても」
脱力したまま運ばれていると、ずーっと小さな声で笑っていたエルネちゃんが、カバンの肩ひもの位置を直しながら口を開いた。
俺が宙に浮いているので、覗き込んでくる顔の高さがいつもより近い。 極上の紅茶のような、透き通った瞳がとてもキレイだ。
「ん?」
「さすがのジャス君でも、やっぱりこういう日は落ち着かないんだね」
「うん? まあ……うん」
俺でもって、そんなに普段は落ち着き払っているように見えるのかな? けっこうドタバタしているように思うんだけど。
脱力しながら小首を傾げてうなずくと、長い髪をなびかせて歩くエルネちゃんは、ふっと穏やかな笑みを見せて――。
「ふふっ。 だから好きなの」
「……」
いつものような、子供みたいに俺に甘えてくるような感じもなく、小悪魔らしく俺のドギマギする様子を見て喜ぶような感じでもない、大人な微笑み。
だからこそ俺は、どう解釈したらいいのか分からなくて言葉に詰まってしまった。
「ニアもママが好きだよー」
「だよねー」
俺が黙っている短い間に我が娘がそう言うと、エルネちゃんも楽しげに応えてすぐにいつも通りのお喋りが始まった。
特にエルネちゃんの様子も変わらないし、俺の考えすぎだったようだな。
結局、最後まで地に足がつかないまま俺は幼児園に到着。
すると、いつもなら誰かしらが親子連れがカウンターいるのに今日は誰もおらず、代わりに奥からきゃーきゃーと賑やかな声が。
たとえるなら、登校してみるとどこかのクラスに美少女転校生がやってきたかのような騒ぎ――そこで俺は合点がいく。 隣のエルネちゃんも「やっぱりねー」といった表情である。
「どしたのかなー?」
一人だけ分からなかったらしい我が娘が、俺を床に下ろし頭の上に乗ったまま疑問を口にした。
それに答えたのは俺でもエルネちゃんでもなく、カウンターでお留守番のように立っていたダンディーであった。 可愛らしいデザインのエプロンが、不思議なほどによく似合っている。
「はっはっは……リリちゃんが戻ってきたのですよ」
「おおーっ」
整えられた短いあごひげを触りながら答えた男性――園長さんの旦那さんに、ニアちゃんが納得の声を漏らした。 相変わらず、安心感を覚える低音ボイスである。
今朝は幼児園のアイドルこと、リリちゃんが久し振りに登園してきたのだ。 そりゃあ大騒ぎになるハズである。 大人も子供も……というか、どちらかといえばお母さん方の声の方が大きいのも、さもありなんであった。
リリちゃんの純真な魅力は、同年代よりも年頃のお姉さん方にジャストミートするからな。
「それでヴェオラさんも」
「はっはっは」
俺が最後まで言わずとも、意味を察した旦那さんが穏やかに笑う。 つまりはそういうコトである。
園長さんという立場のため過度にはしゃいだりはしないものの、それでもリリちゃんを眺めてうっとりしているのだろう。
なるほどーとみんなで廊下の方へ目を向けていると、カウンターの方から旦那さんではない女の人から声をかけられた。
「おはようございます!」
女性としてちょっと声の低い、しかしとても張りのある声。 視線を戻せば、旦那さんの後ろに長身のメイドさんが立っていた。
ベリーショートの髪は鮮やかな赤で、もちろん服の色はワインレッドである。
「あ、おはようございます」
ぺこりと頭を下げて挨拶をする俺達。 女性は流れるような所作で腰を折り、深く頭を下げた。
俺にとっては仕事の同僚であり、エルネちゃんにとっては――同じ服を着てはいるけど、今のところは同僚ではないドロシーさんである。 ……将来は分からないが。
頭を上げたドロシーさんは、柔らかく微笑んだ。
「リリちゃんが戻ってくると、園が明るくなりますね」
「そうですね――」
笑って相づちを打とうとして、そこで違和感に気づく。
……あれ? ついこの間までと違って、オープンスペースになっている入口から事務所まで響きわたるような大音量ボイスじゃない?
発音のキレイさは変わらず見事だけど、声の大きさは奥から聞こえてくる黄色い歓声に負けない程度に、やや大きいかなーと思えるくらいでしかない。
「さあ皆さん、どうぞ中へ」
長身に見合う長くしなやかな手で、ドロシー先生が俺達をカウンターの中へを促す。
何がどうしたのか聞きたかったのだが……まあ、中に入ってからでもいいだろう。
「――昨日、ツェリ様がいらっしゃいまして」
カウンターの奥にある事務所、つい立ての向こう側にある小さな応接スペース。
二人掛けのソファーでエルネちゃんとお茶を入れてもらい、対面に座ったドロシーさんから話を聞いた。 シュガーは彼女に入れてもらったので、我が娘はいまだ頭の上である。
「ええ」
エルリアさんが言ってたもんな。 留守の間の様子を聞いたりとか、いろいろ話があったのだろう。
それにしても……あの人、いつ休んでいるんだろうな?
「演技について、目の覚めるお言葉を頂いたのです」
「ほう」
メイド服を着て幼児園で先生のバイトをしているこの人だが、本業はあくまでも役者さんである。 ものの考え方の中心にも、それがあるのが分かる。
そんな、根っからのプロの人にアドバイスができる銀髪メイドさんの底知れなさ……は、今更なので何とも思わない。
「演じては、いけないのだと」
「……ほ、ほう」
な、なんだか、ものすごーく深いお言葉だな……。
ニアちゃんは静かに耳を傾けているようで、隣ではエルネちゃんも固唾を飲んで聞き入っている。
「『演じる』と、考えている時点でダメだったのです。 その時点で、役柄や自分自身という枠に押し込められてしまうのだと。
そこから解き放たれない限り、彼女のような演技はできない……と」
「な、なるほど……」
演技の素人には難しい境地ではあるが、おぼろげながら理解できる――ような気もする。 いわゆる「守破離」とか、そういった類のものだろう。
俺が授業で見た限り、ドロシーさんの演技は自然であり、また十分に彼女らしさも感じられて既に「型を破っている」ように思ったんだけどな……。 彼女に言わせれば、そこから更に突き抜けるための何かが足りなかったらしい。
ちなみにドロシーさんの言う「彼女」とは、あの人気女優・リーリンのことである。
「そう思うと、身体から力が抜けちゃいまして」
「……そうですか」
俺があごに手を当てて唸っていると、ドロシーさんはそう言って自然な笑みを見せた。 以前までの、見ているだけでも思わず背筋が伸びるような感じとは違って……素人ながらも、雰囲気は今の方がずっといいような気がした。
エルネちゃんは「役者さんってスゴイんですねぇ……」と感心のため息をつき、我が娘はうーんうーんと唸った後「よく分かんないやー」と、俺の頭の上で器用にひっくり返った。
まあ、俺もエルネちゃんもたぶん似たようなモンだと思うから、気にしなくていいと思うぞ?
そんな俺達の様子を見て、ドロシーさんは明るく笑った。
「あっはっは、そんなに気にしないでください。
私も、まだよく分かっていませんから!」
『ええええーーっ!?』
分かってないんですかっ! と声を揃えてツッコむ俺達。
それでもドロシーさんは、楽しそうに目を細めて笑っていた。
――日が暮れると、いちだんと気温が下がってきた。 家の中でも、上に一枚羽織っておかないと冷えるほどだ。
さぞかしセーレたんは寒そうにしながら帰ってくるだろうと思い、キッチンにある暖炉に魔力を入れて家中を暖めておく。
「むはー」
時間が経つにつれ落ち着きのなくなってきた俺を見て、アナさん・エルネちゃん・エミーちゃんは三人そろってよく似た苦笑いを浮かべて家へと帰っていった。
夕飯ができるまでの時間。 お次は廊下に出て意味もなく往復し始めると、お袋に言われたらしいニアちゃんがやってきて、また俺の頭を押さえてミューティレート。 暖炉の仕事をもらった。
それから宙に浮いたまま、発着場へセーレたんを迎えに行く親父を見送って風呂場へと拉致監禁。
お返しにニアちゃんをとことん丸洗いし、母娘二人でほくほくになって上がってきたものの、空中でなおも手足を動かしマリオネットのごとく踊る俺を見て、今度はマールちゃんがお袋に命じられ、ものすごーく嬉しそうに俺を拘束ハグ。
そのマールちゃんがお風呂の間は、湯上がりでお色気の三〇〇%増量したお袋様が御自らお抱きになり、「もうお願いだから許してー!」と懇願し――。
ようやく解放されたのが、今の俺であった。
「の、のぼせる……」
湯船よりも、上がってきた後の方が熱いって……。
「うふふふふ~♪」
リビングのテーブルに突っ伏す俺を見て、お袋は斜め前の席で同じく湯上がりでほっぺの赤いマイブラザーを抱いてご満悦。
パジャマに着替えた上から丈の長い上着を重ねたマールちゃんは、わざわざアイスティーを淹れてくれ、俺の後ろに控えて優しい声で「お代わりはいかがですか?」なんて言ってくれる。 ……ただし、その茶色い瞳はギラついていた。
位置取りといい、隙あらば俺を拘束る気マンマンである。
ちなみにチャロちゃんは戸締まりの最終確認中であり、ニアちゃんは――リソ君に食べられていた。
あーあ、せっかくキレイにしたのに。
「はい、ジャス様」
「……ありがと」
冷蔵庫と暖炉への魔力供給で疲れている俺に、マールちゃんが自前の魔力を使ってティーを冷やしてくれる。 本来はアイスでもいい香りのする茶葉なのだが……今はお風呂上がりの女性陣がいるため、まったく判らない。
その間に、我が娘はリソ君の魔の口から逃れ自分でキッチンへ飛んで行き、蛇口の下で滝行を始めた。
「あばばばばばばー」
シンクの中にいるので見えないが、楽しそうだな……。
見ていて飽きない子である。
リソ君が可愛いあくびをして船をこぎ出し、お袋が重そうに抱き上げて部屋に連れて行った後――。
「あっ、来たよー」
修行を終えてテーブルに座っていた我が娘が、頭のてっぺんにあるアンテナっ毛を立ててそう言った。
更に間を置かず、お袋とチャロちゃんもリビングへ戻ってくる。 お袋は薄い上着を羽織ってきたようだ。
なお、チャロちゃんも湯上がりなのでパジャマに上着姿であり……しっぽもぴんと立っていた。
「ジャスちゃん」
「帰ってこられましたー♪」
「……」
おお、というひと言さえ出てこない。 のどの渇きを覚え、少し残っていたお茶を一気に流し込む。
な、なんか心臓がバクバクし始めたぞ……。
顔や服装が変じゃないか自分の目や手で確認し、みんなにも見てもらってOKをもらう。
それからもう一杯お茶のお代わりをもらおうとしたが、マールちゃんに「飲み過ぎですよ」と断られてしまった。
既にポットは空らしい。 気づかなかった。
「ジャスちゃん、行きましょう?」
お袋が俺の隣へ来て、手を差し伸べる。
「……ごめん、トイレ」
きゅ、急に催してきた……。
我ながら何をやっているんだという体たらくだが、みんなはそんな俺を見ても優しく微笑んでくれるだけだ。
とてもありがたい。
ついでに大きなため息も吐き出し、心身共にスッキリとしてから玄関に向かう。 ドアの前には、お袋と我が娘が待っていてくれていた。 ニアちゃんはお袋の肩の上である。
俺が前に立つと、お袋がドアノブに手をかけて「いい?」と目線で問いかけてくれた。
「うん」
またもや心臓が阿波踊りを躍り始めたが、ここで躊躇する理由はない。
このドア越しにも感じられる、懐かしいとさえ思える、この魔力の気配――。
俺は逸る気持ちをムリヤリに抑え込み、うなずいた。
ドアが開けられると、外の風が吹き抜けてきた。 だが、今の俺にはちょうどいい。
玄関先の明かりに照らされた向こうは暗く……その向こうの門の外に、馬車が停められていた。 その扉は、まだ開かれていない。
言わずとも、親父とあの子はまだあの中にいる。 この距離なら、ビシバシと感じるのだ。
マールちゃんとチャロちゃんは、出てくる俺を左右に控えて待っていたかのように、玄関の明かりの下で静かに立っていた。 ……いや、たとえではなく事実だろう。
俺の背後には、お袋もニアちゃんを連れて立っている。
「さあ……ジャス様」「ジャスさま、お迎えしてくださいー」
「うん」
俺はパジャマの襟を正し、小さく息を吐いてから外へと踏み出す。
向こうが扉を開けて出てくる前に、ちゃんと迎える姿勢になっていなければ……あまりにカッコが悪い。
一ヶ月間、ひとりで頑張ってきたあの子を、最高の笑顔で迎えてあげないとな。
そう考えれば、さっきまでのがウソのように落ち着きを取り戻していた。
ところが。
「――んん?」
出てこないぞ?
ウチの玄関先とご近所さんのお宅以外には明かりのない薄暗い門の外で、木製の頑丈そうな箱馬車は静かにたたずんだままである。
中の気配は動かず、そしてウンともスンとも言わない。
「どうしたんでしょう……?」
「ねえー?」
俺の左右で、メイドちゃんズも呟いた。
もしや何かあった――ら、むしろ何か動きがあるハズだよな。
「……あっ」
と思ったら、門の陰から背の高い誰かが……って、親父か。
本当に何かあったのかとヒヤリとしたが、親父は一瞬こちらを向いただけで、すぐに馬車の扉のそばに立った。 そしてまたこちらに向き、手のひらを向ける。
玄関からの明かりに照らされた親父の表情は、とても優しい。
察するに、どうやら「セーレが自分で開けて出てくるから、それまで待て」という意味のようだ。
「……」
「……」
「…………」
ず、ずいぶんと長いな……。
たかだか十メートルもない距離とたった一枚の扉が、えらく遠くて厚いものになっている。
きっとすぐに飛び出してくるだろうと、俺は両手を広げてずーっと待っているんだが……。
これは予想外だぞ?
『どしたんだろーねー?』
後ろから我が娘の声がする。 俺もまったくの同意見である。 メイドちゃんズも再度同じ言葉は口に出さないものの、お互いの顔を見合わせている。
しかし、背後のお袋からは身じろぎの気配すらしない。
『――』
更に待っていると、親父が馬車の扉を軽くノックして、中に何やら声をかけている。
すると、ようやくその扉が――。
「……あれ?」
閉じた。
ほんの一瞬だけ、蒼い瞳と目が合っただけで。
……なんで?
「うふふふふっ。 あらあら~」
静かに笑う声に振り向くと、お袋がセーレたんと同じ蒼い瞳をアーチ状に細め、さも楽しげに握った手を口元へ当てていた。
俺もメイドちゃんズも……それからニアちゃんも、頭の上に「?」を浮かべた顔をしているのだが。
お袋はもうしばらく笑った後、俺に目を向けて優しく言った。
「もう少しだけ、待ってあげて?」
「……うん」
否やもなく待つ。
何がどうしたのかは見当もつかないけれど……親父もお袋も慌てた様子はないので、特に問題はないのだろう。
あるとすれば、馬車の御者さんが車の前方から出てきて「まだですかねえ?」と親父に話しかけているくらいだ。 親父は両手で押し止めるようなジェスチャーと共に「すまんが、もう少し頼む」と御者さんに謝っていた。
――それからもうしばらくして。
ゆっくりと扉が開き、ウェーブがかった金色の髪を揺らして彼女が下りてきた。
予想とは一転。
うつむいて前髪で顔を隠したままのセーレちゃんが、ゆっくりと地に足をつけた。
荷物は何も持っておらず、丸一日近く馬車に揺られるには向かないであろう――むしろパーティにでも着て行くべきだろうと思うくらいの、とてもキレイな白いドレス風の服に身を包んでいた。 俺の知らない服だ。
暗い夜の中、後ろにある玄関の明かりを受け……波打って揺れる髪は天の川のように。 そして純白ドレスは、清らかな銀嶺のごとくきらめいて見える。
「……」
改めて見て、俺の妹はこんなに可憐だったのかと言葉を失った。
彼女もまた桜色の唇を真一文字に結び、両手も下ろし茫然と立ち尽くす俺に、とてもゆっくりとした足取りで歩いてくる。
少しずつ近づいてくるにつれ、頭の頂点を見せるかのようにうつむく角度を急にしていくセーレちゃん。
どんなに笑ってても、泣いていても。 常に俺のことを真正面からじっと見つめてくれていただけに……「なんで?」という疑問がどうしても湧き上がってくる。
だけど、そんな疑問は俺の半開きの口から出ることはなく。 それどころか、息さえしていなかったことに気づいて意識的に呼吸を再開した。
やがてお互いに一言も発することなく、懐かしき花のような香りが感じられるほどに距離が狭まり、彼女が立ち止まる。
その顔は伏せられたままだ。
「……」
キラキラとキレイな金色の髪を見ながら、俺の口はぎこちない開閉を続ける。 ……あ、あまりにも想定外だ。
だ、だが、この娘が喋らないのであれば、俺の方から「お帰り」と声をかけてあげるべきだよな……。
そう思い、かろうじて声を絞りだそうとしたところ。
「――ぁ」
ほんのわずかに早く、か細い声が鼓膜に届いた。
「う、うん」
自分の言葉を飲み込み、取りあえずは返事をする。
すると。
「ひぅっ……!」
しゃっくりのような高い声を出し、セーレちゃんの全身が小さく跳ねた。
「……」
え……?
も、もしかして……緊張してるのか?
俺相手に?
「ぁ……、ぁぁ――」
だが、間近で目を見開いて固まる俺を見ていない妹は、気づいた様子もなく勇気を出して――?
と、とにかく。 頑張って声を出そうとしていた。
そうなると、俺は大人しく待っているより仕方がなくなる。
「……うん」
訳の分からないモノが胸の内からモヤモヤと噴き上がってくるのを抑え、俺は努めて優しい声を出して先を促した。
目の前では、俺より少しだけ背の低い彼女が、小さな肩を更に狭めて縮こまっている。
俺が陰になって後ろの明かりが当たっていないため、まるで寒さに震える子犬のようだ。
「ぁ……あ、あにょっ――!?」
あ、噛んだ……。
「うん」
また大きくビクンと震えるが、俺は更に優しい声でそれを流す。 俺もちょっとは緊張したが、さすがにこの娘がここまで緊張している理由には皆目――ひょっとして、感極まって泣きそうなのかな?
だとしても、それでも喋ろうとしているのだったら俺は待っててあげないとな。
今も小さく震えている愛らしい頭が、少しずつ俺の方に向きつつあるのをじっと見守る。
「あにょっ、おっ、おに……」
「うん」
自然と笑みが浮かんでくる。 最初の動揺など、とうにどこかへ飛んで行ってしまった。
およそ一ヶ月ぶりの再会だ。 まずは頑張って「ただいま」と言えたごほうびに、思いっきり抱きしめてあげよう。
「おに――」
俺がさり気なく身体をずらしたのもあり、だんだんと上向いてきたかんばせに光が当たり始める。
久し振りに見る妹の表情は、きっと蒼い瞳をこの上なく潤ませて――。
「――え?」
妹の表情は、この上なく蒼い瞳を潤ませて。
「おにぃ、さまっ……!」
お風呂上がりなど、比べものにならないほどに。
……真っ赤、だった。




