591 旅から帰った可愛い子は…
皆さんこんばんは。 袋小路実篤です。
……自分でも何を言っているんだとは思うが、これぞ端的に俺の心情を表したひと言であると言えよう。
つまるところ、想定外すぎる事態に頭が混乱しているのだ。
どっぷりと更けた夜、玄関先にて久し振りの再会。
「たっ、ただだだだだだっ……たらいまっ! ……でしゅ」
あり得ないほどにぎこちない「ただいま」の言葉を、セーレたんから聞く。 ハニーは顔を真っ赤にし、祈るように胸の前で両手を重ねている。
噛み噛みなのがまた可愛らしい。
一ヶ月ではさすがに身体的な成長は分からないものの、顔つきを見るに、今までは前面に表れていた「幼さ」――言い換えるなら、俺が常に側にいなきゃ倒れてしまいそうな「頼りなさ」が、ずいぶんと影を潜めたように感じられた。
それだけでも、このひと秋の経験が決してムダではなかったのだと分かり、俺の頬はおのずと緩む。
綺麗になったな、なんて本音を内に隠して。
「……うん。 お帰り、セーレちゃん」
我ながら、コレはお兄ちゃんらしく笑えたんじゃないかなーと思ったのだが……。
「はうっ!?」
なぜか、思いっきり視線を外された。 というか、半歩引かれた。
ショックだ……。
「はわっ、はわっ」
と思っていたら、セーレたんは両手で顔の下半分を覆い隠し、小さな身体を丸めてぷるぷると震えていた。
「……う、うれしい」
半ばうずくまるような妹さんから、かろうじて聞こえたのは喜びの声。 よもや、キザすぎて引かれたのかと不安だったので、かなりほっとした。
それにしても……嬉しくて照れてくれたにしても、今までのこの子であれば頬に手を当てて「いや~ん」と腰をくねらせていたハズである。
《なんかセーレちゃん、変わったねー》
後ろから飛んできた我が娘のテレパシーに同意を返す。
俺もぶっちゃけ、こんな反応は想像していなかった。
妙な初々しささえ漂う雰囲気の俺達。 その両脇を、優しい笑みを浮かべたメイドちゃんズが会釈をしてから通り過ぎていく。 その先を見ると、御者さんが箱馬車の中から荷物を出して親父がそれを受け取っていた。
ずいぶんと待たせてしまったせいか、親父は申し訳なさそうに頭を下げてチップらしきものを渡していた。
……こんな夜遅くに、スミマセン。
「さ、こんなところに立っていても寒いから、入ろうか」
実は自分でも口にしてから気がついたのだが、今夜はけっこう冷え込んでいるのである。 パジャマに上着を羽織っているだけの俺とは違い、セーレたんは秋物の白いドレスを着ているので大丈夫そうに見えるけど……だけど女の子である。
そう言いながらハニーに視線を戻すと……また目を逸らされた。
しかも。
「は、はい――あっ!? ま、待ってくだしゃいっ」
「え?」
俺から近づいて差し出した手から逃げるように、セーレたんは振り返り、来た道をまた引き返してしまう。
そして、長い金色の髪が背後からの明かりを受けてキレイだな――と思ったときには、既に妹様は親父からカバンをひとつ受け取って肩にかけ、それを大事そうに抱えながらゆっくりと戻って来る途中であった。
「……速いな」
足音もしなかったし。 ……ところで、この差し出した手はどうすればいいんだろうか。
自分の手を見ながら、さっきから一言も発しないお袋に振り返ると。
「うふふふふっ。 温かいお茶、淹れてあげるわね~」
と、柔らかく微笑んだだけであった。
――で、夜中の短いティータイムを過ごしてから。
明かりを消し、真っ暗になった部屋の中。
暖炉がよく利き、更に温かい布団を被り、俺は天井をぼーっと見つめていた。
「……」
……ひとりで。
なんと、セーレたんは俺と寝ることを拒否したのだッ!!
ずーっと空席だったリビングのイス。 いつもより数センチ距離を開けて隣に座り、心配になるほど赤みの引かない顔のままで「ししし、死んじゃいましゅっ!」と思いっきり首を振っていた姿はとても可愛らしく。
また、帰ってきたのに俺と寝ないというビックリ発言に、この子にもようやく女の子としての自覚が出てきたのかと嬉しく思う気持ちも、確かにあるんだけれど……。
「……」
寂しいなー。 やっぱり。
これが、子離れをされた親の心境というヤツなんだろうか……。
「ニアはココにいるよー?」
「……うん、そうだね」
俺の気持ちを感じ取ったのか、我が娘がお腹の中から這い出てきて顔を出し、頭の横に下りて「いい子いい子」してくれた。
かなり嬉しい。
しんみりとした気持ちが和らぐと、温かかったミルクティーと布団の暖かさに包まれ、吹き飛んでいた眠気が急速に戻ってくる。
いろいろと気にかかることはあるが、まあとにかくあの子がケガも病気もなく無事に帰ってきてくれた。
今は取りあえず、それだけでいい。
「ふあぁ……ふぅ。 ニアちゃん、もう寝よう」
「ほーい」
大きなあくびの後で深呼吸をして、心身共に寝る態勢を整える。
我が娘はまた布団の中に戻るのかと思いきや、俺の肩とほっぺに挟まれる位置で身体を丸めて寝転んだ。 ……裸で。
だけど本人は気にする様子もなく、俺の首のあたりにぴったりとくっついている。
ほんのりと温かい。
「ママ、おやすみー」
まあ、いっか。 暖炉のおかげで部屋全体が暖かいし……というか、そもそも精霊は風邪を引かないからな。
俺は首を少しだけ傾けて娘にくっつけると、そのまま静かにまぶたを閉じた。
「……おやすみ」
明日からは、また――。
************
ぬるま湯に全身を浸したような微睡み。
とても甘美な誘惑の手をやんわりと解き、俺は意識の湯船から少しずつ身体を浮かばせる。
昨夜は寝るのが少し遅かったけど、誰も起こしにこないところを見るとどうやら時間通りに起きられた――。
「……んん?」
ふと違和感……とはまた違った感じを覚え、若干かすれ気味の声と共に目を開けると。
この気配は。
「あっ!」
耳に入る、高く可愛らしい声。
薄暗くぼやけた視界に、金色の髪と蒼い瞳がとてもキレイなお姫様のお顔が映った。
「お、起きました! お兄さまが……起きましたっ」
日の短くなった早朝、明かりを点けていない部屋はいまだ薄暗い。 そんな中で我が妹様は、ベッドの脇から俺の顔を見て目を星空のようにキラキラさせていた。
いつから起きていたのか、この子は既に普段着に着替えていた。
「あ、うん……」
寝起きにまったく回っていない頭に、「なんで?」という疑問が湧き上がる。
「ああぁ、お兄さまあ~……♪」
セーレたんは、胸の前で両手を重ね歓喜に打ち震えていた。
いや、恐らく起こしに来てくれたんだろうってのは分かるんだが、たかが目を覚ましたくらいでそんなに喜んでいただかなくても。
それに、まだ敬語なのね……。
「……おはよう」
「あっ、はい! おおお、おはようございます――」
何はともあれ、起きたらひとまずはご挨拶である。
首の下に我が娘が丸くなって寝ているのを確かめつつ、俺は妹様の手を握ろうとして――。
「ひゃああああああああああぅん!?」
「……」
逃げられた。
ウェーブがかった髪をなびかせて思いっきり後ろに飛び、背後のタンスを見ることなくくるりと一回転し、その角を避けて陰に身を隠す。
さすがの身のこなしである。
「にゃっ、にゃっ、にゃんでしゅかっ……!?」
「い、いや、おはようのアレを……」
ずっとご無沙汰であったが、それでも無意識に手を伸ばすくらいには身体に染みついている習慣である。
以前であれば向こうから必ずおねだりされていたのに、なんと今のセーレ様は。
「おはようの、あ、れ――ふわああああああっ!?」
ぼんっ、と爆発するように顔を赤くすると、タンスの角を掴んだままひざから崩れ落ちた。
で、タンスの側面におデコをくっつけたかと思うと……こすりつけ始める。
「おおおお、お兄さまと、わたしが……はわわわわわわ」
「……」
ひと晩あければ、また前みたいに戻るのかと思っていたら……全然そんなことはなかった。
なお、昨夜この子は既にぐっすりであったリソ君のベッドで寝た。 お袋は親父と一緒である。
どうすればいいのもかと眺めていると、ニアちゃんが眠い目を擦りながら起き上がってきた。
「……んー? どしたのセーレちゃん」
「いや……なんというか」
俺の方が聞きたいくらいである。 ところでニアちゃん、起きたら早く服を着ようね。
「ほーい」
すると我が娘の首から下が光に包まれ、一瞬にしていつも見慣れたミニスカレオタードが現れる。 コンマ五秒の早業であった。
で、片手を腰に当て、もう片手はおデコの前で横向きのピースをした。 今日も可愛く決まったな?
それに対し、いまだタンスにすがりついている妹様を見て……。
「はぁ」
こりゃ意外と長引くかもなー、と思ったのであった。
――たったったーと軽い足取りで、夜明け直前の薄暗いご町内を走る。
「あぁ……お兄さまが、走っています」
そりゃあ、ジョギングだからねー。
俺が毎朝走り始めたとお袋から聞き、我が妹様は陶酔しきった表情で「さすが、お兄さまですっ」と絶賛してくれた。 慣れればどうってコトはないのだが、継続を評価してくれたのは素直に嬉しい。
だからこの子は今朝、わざわざ俺のことを起こしに来てくれたというワケだ。
「ほっ、ほっ、ほっ」
俺はリズム良く呼吸をしながら、それに合わせて手足を動かす。 片手には懐中電灯の魔導具を持ち、足元を照らしている。 そろそろコレがないと、足元が危ない季節になってきた。
ちなみにお袋は、俺達の後ろをにこにこしながら着いてきている。 肩に乗っているニアちゃんがぴかぴかと光っているため、お袋は手ぶらである。
暗い夜道に、とても役立つ我が娘であった。
「ああぁ~、すごいです……」
「……」
なーんて、妹様はおっしゃいますが。
俺の顔を横からずーっと見つめてうっとりしながらも、歩法を使って髪やスカートをほとんど揺らさずピッタリと併走する、貴嬢の方がスゴイです。
しかも普通に喋ってるし。
『あら、セーレちゃんじゃない!』
熱い視線にちょいと困りながら走っていると、ちょうど外に出てきたばかりのご近所の奥様に声をかけられた。 するとハニーは天から舞い降りてきたような足取りでふんわりと立ち止まり、スカートの裾を摘んで上品にご挨拶した。
無論、石畳に靴を滑らせるような粗相はしない。
「はいっ、昨日帰ってきました。 お久しぶりです~」
「あら……ずいぶんと立派になっちゃって。 えらいわねえ」
「えへへ~。 そんなことないです~」
腰をくねくねさせて喜ぶセーレたん。
実はセスルームに行っている間、セラさんや師匠としか接する機会がないのではもったいないと、ローザさんとクラお姉さんはもちろん、メイドちゃんズのいた孤児院にもお願いして何度か遊びに行かせてもらえる手はずを整えておいたのだ。
ちなみにあの鹿耳姉弟には、王都に来ると聞いていたから伝えてなかったんだけど……。 もしかすると、カステさんが言ってくれたのかもしれない。
その成果か、喋り方が前よりも堂々としている。 よかったよかった。
「えへへへへ~♪」
ところでそのリアクション、久し振りに見られたな。
なんか、癒されるー。
「セーレちゃんが立派になって、お兄ちゃんも嬉しいでしょ?」
「もちろんですよ」
マダムに話を振られ、俺は微笑みと共にうなずき返す。 その点に関してはまったくの同意である。
すると隣で妹様が、ぽっと顔を赤くしてうつむいていた。
「お、お兄さまに、ほめられてしまいました。 うれしぃ……♪」
「……そ、そうか」
セーレたんの照れっぷりを見て、マダムが「あらいやだー」と手首のスナップを利かせて縦に振る。 さすがに、その飛ぶ鳥も落とせそうな攻撃が六歳児に振るわれることはなかった。
助かった。
「うふふふふ。 よかったわね~」
「……」
お袋はと頭をなでると、マイシスターは顔を上げずにこくりとうなずいた。
それにしても……家を出る前も、俺より早起きしたことやキレイに整えられた身なりをほめたら、やっぱり真っ赤になっていたし。
なんとも、照れ屋さんになったものだ。
今日は朝から出勤の親父も交え、みんなで楽しく食卓を囲む。 取り立てて急ぐ必要もなく、お喋りできる時間は十分にある。
今朝の話題はもちろん、帰ってきた我が家のプリンセスである。
「そう~。 頑張っていたのね~」
「はい~」
冷蔵庫で冷やされたサラダを小さなお口で食べながら、隣でハニーが柔らかく微笑む。
ああ、やっぱりいいわー。 いない間はお袋の女神様スマイルで癒されていたが、やはり隣にこの子がいると気分が違う。
「大変だったけど、楽しかったの~」
セラさんとこは夫婦二人で暮らしているため、メイドさんはいない。 だから、家事は基本的にセラさんが全部やっている。
故に、向こうでのセーレたんには、ウチでやっているような「ちょこっとお手伝い」どころではなく、ガッツリとした「家事の分担」が求められるワケだ。
同じ六歳でも、そういった「労働」をしている子って、やっぱりすごくしっかりしているからな。
俺だって、あんまり偉そうなことを言えた立場じゃないんだけど――。
「……でも」
楽しそうにお話ししてくれていたセーレたんが、不意に逆説の言葉を口にしてその笑みを収めた。
ゆっくりと食べながら聞いていたみんなが手を止め、小首を傾げたり眉を動かすなどのリアクションを取る。 リソ君も空気を読んだのか、きょとんとした顔をしている。
お誕生日席に俺と並んで座っているセーレちゃんは、そこで一旦話を止めると、左右にいるお袋からメイドちゃんズへと順番に視線を移した。
静かになった食卓に、彼女の穏やかで、高く澄んだ声がよく通る。
「ママもチャロちゃんもマールちゃんも、いつもあんなに大変だったんだね……」
お袋が口元に手を当てて「まあ」と呟く。 珍しく、語尾を上げずに。
チャロちゃんは耳を立てて目を丸くし、マールちゃんも息を呑んだ。
そしてセーレちゃんは、まさに小さなつぼみが花開いたような笑顔を見せた。
「いつも、いっぱいお仕事してくれて、ありがとう!」
「せ、セーレさま……」「セーレ様……」
チャロちゃんがぷるぷると小さく身体としっぽを震わせ、マールちゃんは驚きからとても柔らかな笑顔へと表情を変えていく。
お袋も、噛みしめるようにゆっくりとまぶたを閉じ、そしてゆっくりと開いてとても嬉しそうに微笑んだ。
――いつもの何気ない「ありがとう」とはまったく違う、心からの感謝を表す「ありがとう」。
俺だって、本当に理解しているのかと言われればまだまだ足りないんだろうと思う。 でも、ある程度は解っているつもりだ。
だから……生まれてからずっとこの家で暮らしてきたこの子にも、この家がいかに恵まれているのかを実感してほしかったのだ。
「兄離れ」も大事だが、それ以上に以前から考えていたことである。
……まさか、こんなに早く聞けるとは思ってなかったけどな。
「パパも、お仕事してくれてありがとう~♪」
「……あ、あははははっ」
次に満面の笑みと感謝を向けられた親父も、すごく嬉しそうに頬を緩ませた。
いつものちょっと口元をつり上げるだけのカッコイイ笑みではなく、俺達がまだ生まれて間もなかった頃のような、緩みまくった笑みである。
だけど……そんなデレデレ顔も、嫌いじゃないぞ?
「うん、そうだよね……。 みんな、ありがとう」
俺も遅ればせながら、親父達に感謝の言葉を伝える。
……もはや輪郭さえおぼろげな、前世の両親に対しての気持ちも込めて。
すると、テーブルの上のニアちゃんも「そうだよねー!」と立ち上がってお礼を言い、なんとリソ君までおててを上げて「あいあとー!」と言い始めた。
これには、俺達全員の表情が一気に緩んだ。 ゆるゆるである。
「うふふふふ~♪ 私達の方こそ、ありがとうよ~」
「はっはっはっはっは」
お袋と親父は、間にいるリソ君の頭をなでながら笑い。
「はいっ、こちらこそありがとうございます!」
「当然のことをしているだけですからねー!」
マールちゃんとチャロちゃんも、春の日射しのように明るい笑顔を浮かべた。
相当に悩んだ時期もあったけど――。
「セーレちゃん、よく言えたね」
「え、えへへ~♪ ……また、ほめられてしまいましたぁ」
この子の照れた――ちょっぴり大人に近づいた笑顔を見て、本当に良かったと思うよ。
今度セスルームに行ったら、セラさんと師匠にもお礼を言わないとな。




