526 常識なんてものは幻想である
――あのことを聞いたのは、確か使節祭のパーティの頃だったかと記憶している。
いったい何畳あるんだろうなーという考えが頭をよぎり、かつてウサギ小屋と揶揄された元日本人的な思考に内心で苦笑いを浮かべる俺。 部屋には大きな天蓋つきベッドや、これまた小さな会議くらいならできそうなテーブルとそれを囲む柔らかい革張りのソファーなどが置いてある。
決して派手さはないものの、ひと目見て最高級と分かる家具や置物や敷物などが、部屋の広さを損なうことなくさり気なく配置されていた。
場所は、フォルクバング城と同じ敷地内にある、王族と聖母様一家が居住する離れの王宮。 マリエルさん達、宮廷の戦乙女の職場でもある。
開けた窓の外は深い闇に覆われ、過ごしやすい涼しい空気が流れ込む。
「ところでさ、聞きたいことがあるんだけど」
ふかふかのベッドにオシリを埋め、制服ファッションに身を包む俺は隣に座っている部屋の持ち主に話しかけた。
俺のひざの上にはしばらくパパとお留守番していたニアちゃんが座り、マリエルさんは本来のメイド服姿でソファーから少し離れたところに立って俺達のことを優しく見守ってくれている。
「ん? 何だジャスよ」
我が娘、というか俺達の子を指先でいじって遊びながら、この国の聖母様が俺の声に応える。
「今まで、怖くて聞けなかったんだけど」
「ほう?」
唯一の人工物であるメガネのフレームを指で上げ、レンズ越しの碧の瞳がすっと細くなり口元には薄い笑みが浮かぶ。
寄り添う彼女の身体からは、瑞々しい若葉と朝露に蜜を混ぜたような香りに混ざって、ほんのりと桜の花に似た甘みを含む香りが漂ってくる。
「もしかしてさ。
オ……僕とアルヴィちゃんってさ、既に結婚しちゃったりしてないよね?」
「俺」という一人称を使おうとしたが、いちおうマリエルさんがいることを思い出して口調を直す。
にしても、相変わらずマリエルさんの気配は自然だ。 ちゃんと魔力は感じるし見れば目を奪われるほどにキレイなのに、意識していないと忘れてしまう。
――生活の教科書に書かれていた、婚姻のための条件。
それによれば、子供が産まれて親子関係が証明されれば強制的に結婚なのだ。 さすがに未成年だと婚約止まりになるが、俺は年齢はともかくれは既に身分上では成人と認められている。
そして、俺にはニアちゃんという娘がおり、その父親も誰なのかハッキリしているのだ。
初学校の教科書だけでは不足を感じ、俺は親父の書斎から法律関係の本を借りてその辺りを穴が開くほど読み込んでいる。 結婚に関する規定は詳細に定められており、判断が難しい場合は国の方で審議されたり裁判になることもあるようだ。
例えば髪や目の色などは、個籍に色名と並んで複数の文字を組み合わせた「区分」が書かれている。 宝石みたいなカテゴリー分けをして、それで結婚の可否を判定しているらしい。
なぜそんな本を親父が持っているのかというと……結婚や子供に関するトラブルは、この国では逮捕理由として常に上位に上がっているためなんだとか。
元・保安隊としては、確実に押さえておかなねばならない知識というワケだ。
「んふふ。 ……どうなっていると思う?」
「心臓に悪い冗談はやめてよ……」
我等が娘をイジリながら、パパはいかにも楽しそうな笑顔を俺に近づけてくる。
「個籍を見れば明らかだが、法律上は婚姻を結んでおらんよ。
んふふ……残念だったな?」
「……黙秘しておくよ」
「ふん、つまらん」
唇をすぼめ拗ねて見せるが、すぐにイタズラっぽい笑みに戻る。 お堅そうに見えて、相変わらず表情が豊かである。
そう。 俺の個籍証明書を見た限り、いちおう俺は結婚していないことになっているのだ。 晴れて独身貴族というワケだな。
そこそこお金はあっても、あんまり自由な時間はないんだけど。
「聖母たる者が、二人目の配偶者を迎えるのは拙いのだよ。 んふふ……『嫁』としては、一人目なのだかな?
人間の男子が子供を産むという想定外を逆手に取り、法律上は無効としてある」
「……なるほどね」
理由としててはもっともなのだが、このお方がそんな外面を気にするものなのか? ……という気がしないでもない。
まあ、そのあたりは「言わぬが花」というヤツだろう。
意外と可愛らしいところもあるじゃないか。
「それで? 斯様なことを我に聞いたのは、愛しのセーレちゃんに操を立てたかったが故かな? んー?」
「あ、あのね……」
驚くべきことに、この国では結婚の条件に「血縁」を考慮していない。 他の国のことは知らないけどさ。
俺は前世では兄弟がいなかったから、気持ちが悪いというほどの忌避感は持っていないものの――やはり、背徳感はそれなりに持っているつもりだ。
王族みたいな特殊な家系だったら場合によってはアリかもしれないけど、一般でそれはマズくないのか? と。
「ふむ。 其方がそう考えるのは、詮無き事かも知れんな」
二の腕どうしが触れ合う距離で、俺の思考が漏れたらしい。
するとアルヴィちゃんはいきなり俺の肩に手を回し、抱き寄せるようにして意味深な笑みを浮かべた。 切ってはないないんだろうけどキチンとまっすぐに揃えられた、碧の肩口までのショートボブが一本単位でサラサラと揺れる。 やっぱり、ニアちゃんとは再現度が段違いだな。
桜の香りがふわりと、俺の鼻をくすぐった。
「これはかつて、とある者が唱えた説なのだが……」
「ん?」
聖母様は微妙に気になる前置きをして、言葉を区切った。
「この世界の人類は、か弱き存在であるな?」
「……まあ、あんたから見れば、な」
また忘れていた、青髪のメイドさんに視線を移す。
「……」
マリエルさんは相変わらず少し離れたところで静かに姿勢よく控えていたが、俺と目が合うと一瞬だけ「私だってか弱いですのに、酷いです」という感じで拗ねたような顔を見せた。 そして、またすぐに穏やかな笑みに戻る。
見た目はとっても優しいお姉さんだが、実は単独でニアちゃんレベルの精霊と殺り合える実力を持っているんだよな……。
なおも更に上がいるという驚愕な世界なんだけど、聖母様にしてみれば大抵は誰も彼もひっくるめて「か弱き存在」なワケで。
「だからこそ、人類は種族の壁をも越えて団結し、代わりに集落の周りに壁を築いて身を守り生き延びてきた」
「うん」
この王都で生活していると忘れがちだが、特に衛星都市から一歩でも外に出れば、人間なんて虫を払うように蹴散らせる存在がワンサカといる世界だ。 人種が違う程度で、どうこうと言っていられる余裕などない。
とはいえ、まったく何もなかったというワケじゃないんだろうけど。
実際に小さな山脈を隔てたこの国の東側では、今でも村や町や小都市規模の集団が国を興したり滅んだりと、内外様々な理由で離合集散を繰り返しているという。
「守護者」という強大な存在にずっと守られている、三大国家が特別なのである。
「すると、だ」
俺の前で人差し指を立てる、我らが守護者様。
白く細くしなやかな指の先に、俺の目が焦点を合わせる。 近くて寄り目になっているだろうからか、彼女はふふっと笑い声を漏らした。
「小規模な集団の中で世代を重ねれば、必然的に血は濃くなっていくな?」
「あ」
言われてみれば、確かに……。
複数種類の人類がいるからまだマシだろうけど、それでも町の規模によっては、何百年もすれば皆が遠からず血縁者になってしまう。 混血が進み、種族の違いもあいまいになっていくだろう。
ちなみに、三大国家間で頻繁に交流が行われいるのにも「そういった」目的が含まれている、というのはわりと知られている話だ。 使節団の半分以上は独身者だっていうし。
右へ左へと振られる指先を見ながら……って、おい。 俺の目で遊ぶなよ。
彼女の顔を見れば、やはりニヤニヤとしていた。 ったくもー。
「んふふふふ……ところでジャスよ。
人類種における、親子間の『遺伝』とはどの様になっている?
同じ両親から産まれた兄弟は、どの様な特徴を持っている?」
「へ?」
いきなり専門学的な単語が飛び出し、俺は面食らいながらも高校の知識を脳から引き出す。 前世ではなく、こっちの方のな。
それを知ったときは「なんで?」と首をかしげたものだが。
「――ま、まさか」
「その通りだ」
例えば、俺の親父とお袋。 そして、俺とセーレちゃんとリソ君。
また、俺の知っている限りの親子とその兄弟姉妹たち。
内面的な部分は取り敢えず除外して、結婚条件である「種族」と「髪の色」と「瞳の色」とをそれぞれ比較してみれば――。
「一部の例外を除き、子供は片親の形質の大部分をそのまま受け継ぐ」
「…………」
昔は疑問に思っていたような気もするが、いつしかそれが当たり前なのだと受け止めていた。
血の繋がった親子・兄弟なのだから、似ているのは当たり前なのだと。
もちろん個性による多少の違いはあるものの、俺自身を含めて誰もが彼女の言う通りであり、学校の教科書にもそのように書かれている。
「そして、外見上の特徴が異なっていれば。
たとえ親子・兄妹であろうと、その間に産まれた子供に先天的な異常が発生する可能性は極めて低い」
「……なん……と」
見開いた目と半開きの口の中に乾きを覚え、頬にひと筋の汗が流れていくのを感じる。 軽い耳鳴りが起こり、なんだか頭もフラフラしてきた。
なにしろ、マナやオドなんてものが存在するのだ。 この世界の「人類」が、俺の知っている地球のそれとは別物だとは、頭の中では理解していたものの。
たどってきた歴史が異なれば、それほどまで「別物」になるのか……。
「遺伝の仕組みそのものは証明されていないが、その者が提唱した説は後の調査結果により支持されておる」
「うぅ、む……」
戦慄というか畏敬というか。 なんとも言えない気持ちが、心の底から湧き起こってくる。
そうやって、この世界の人類は種の多様性を保ったまま今日まで生き延びてきたのか――。
《ねーねー》
進化というもののすごさに感じ入っていると、下の方から可愛らしいテレパシーが聞こえてきた。
言うまでもなく、愛しの我が娘・ニアちゃんである。
「ん? どうしたの?」
同時に下を向く、法律上は結婚していない別居中の訳アリ夫婦。
つぶらな碧色の瞳に、俺とアルヴィちゃんの顔が映る。
《じゃあーねー? ニアも、ママに赤ちゃんを産んでもらったらケッコンできるんだねー?》
「……へ?」
かくんと三頭身の頭を横に傾け、愛らしいお口からトンデモないセリフが飛び出した。
しかし父親は、平然とその問に答える。
「無論、可能だ。 だがニアは純粋な精霊だからな、子供は関係なく結婚できるぞ?」
《そなんだー?》
我が娘はにこーっと屈託のない笑みを咲かせ、かつては自分の故郷であり、今は毎晩の寝床となっている俺のお腹へと視線を移した。
「や、やだ……まさか、ママの身体が狙われている!?」
《にゅふふー?》
っていうか、また俺が産むのか!? なんてコトだー! と衝撃を受けていたが……。
よーく見ると、父親と娘との間にうっすらとマナのラインが。
「……おい、娘になんてコトを言わせているんだ」
「さあな?」
「にゅっふふーん?」
ニヤニヤも隠さずに平然とトボける父親。 その娘も、同じように猫みたいな口をして笑っている。 こ、これはイカン!
どうやら、精霊でも親娘間で性格が似てくる恐れがあるらしい……。
――ところで。
いずれ子供を作ることを視野に入れて、愛し合う男女が一対一で結婚するのが基本であることは日本と同じだ。
しかし子供がデキてしまうと、養育のためにあらゆる条件を無視して、強制的に結婚させられてしまうのである。
たとえ、既に他の誰かと結婚していようと。 たとえ、同じ身体の特徴を持っていようと。
無論ソレ目的でムリヤリなことをすると、ものすごく重い罪になるんだけどな。 それに同意の上であっても、本来の結婚条件から外れる場合や子供が産まれて父親が判明してからの結婚は、多額の罰金を科せられることもあるようだ。
「既成事実さえ作っちゃえば~」なんて程度の浅い考えだと、まさしく痛い目に遭うワケだ。
犯罪に走る男などは、もちろん万死に値するのだが……実は女性の方が加害者である割合も決して少なくない、という統計結果があることが恐ろしい。
……壁の外の中も、まさに食うか食われるかの世界であった。
「こらニアちゃん、そーゆー黒いことはやっちゃダメだぞー?」
《そーなのー?》
「うん、そうなの」
「ん? 誰が黒いというのだ?」
「そこのアンタだ、アンタ」
「んんー? 何処にも見えんなあー」
「……マリエルさん、悪いけど鏡を持ってきてくれる?」
「くすくす……♪ はい、ただ今」
いわゆる一夫多妻制や、多夫一妻制なんていうのも話には聞いたことがあるものの。
基本は一夫一妻なのに多重婚アリって、独特すぎやしませんかねえ?




