520 結局、休んでいないような
日に日に夜明けが遅くなっていく。
しかし今朝の空気は温かく、これならば日中は上着のいらない陽気になるんじゃないかと思える。
なので言ってみたのだが……。
「まだダメよ~」
「私もそう思いますよ、ジャス様」
「そうですよー」
リビングでお茶を飲んでいたお袋と朝食の準備をしていたメイドちゃんズから、立て続けに却下を食らってしまった。
せっかく、今朝は微熱も感じないし咳もあんまり出ないからと思ったのにー。
「いや。 風邪はかなり良くなってきたみたいだし、あまり続けて学校を休むのは……けほ」
そう、今日は土の日だから学校があるのだ。
「だ~め。 少しでも、まだ咳が出ているでしょう?」
「ジャス様は頑張りすぎなんです。 こういう時くらい、しっかりとお休みした方がいいと思いますよ?」
「そうですよー。 それにジャスさまなら、勉強が遅れる心配もないんですからー」
一般的に、学校に行けと言う親は多いと思うが、まさか行くなと言われるとは……。
だが授業については問題がないのは確かである。 セーレたんにノートも見せてもらったし。
「でも――」
なんとか反論しようと口を開こうとしたら、後ろから魔力の気配がしてリビングのドアが開かれた。
薄暗い廊下から現れた背の高いシルエットは、もちろん親父である。
「おう、ジャスも起きていたのか。 おはよう」
親父の挨拶に、俺も含めた全員が挨拶を返す。 ちなみにさっきから口を開いていないが、セーレたんも俺の隣にいるしリソ君はお袋の隣で眠そうな顔でぼーっとしている。
ほとんど身体を動かしていないために早く目が覚めてしまい、しかしタイミングとしてはちょうどいいやと思い、今日は学校に行っていいかと聞きに来たところなのである。
「ねえパパ。 今日は僕、学校に行ってもいいよね?」
「ん?」
寝起きでボサボサの髪を掻きながら、まだ少し眠たそうな目で俺のことを見下ろす親父。
しばらく目を合わせていると、親父は長いため息をついて、言った。
「まだマスクをつけているじゃないか。 他の子に移すといけないから、今日も休め」
「……うぐ」
そう言われてしまうと反論の余地がない。 たとえマスクをしていても、絶対に誰にも移さないと断言できるワケじゃないからな……。
俺は隣のマイシスターの顔色を見た。 「今日は一緒に行けるかもね」って言ったら、すごく喜んでくれたのに。
二回連続でひとりで学校に行かせるのは、さすがに心苦しい。
ところが――。
「お兄ちゃん。 ……わたし、頑張る」
とても残念そうに眉尻を下げ俺の手をきゅっと握りながらも、なんと口元に笑みを作ってそう言ったのだ。
予想外の言葉に、「えっ」という声も出ず口を開いたまま固まる。 リビングが沈黙に包まれた。
「あら~♪ セーレちゃん、えらいわね~」
見開いて俺の眼球が乾きそうになっていると、テーブルの方からぱふぱふと小さな拍手と共に癒し系ボイスが流れてきた。 もちろんお袋だ。
おたまや皿を手に二人で並び立っていたメイドちゃんズも、互いに顔を見合わせるとハッとしたように手を叩き始めた。
「あ……さ、さすがセーレ様ですね!」「さ、さすがジャスさまの妹さまですー!」
チャロちゃんが、素で「妹様」と言った……。
いきなり始まった拍手に、寝ぼけ眼だったリソ君も目を覚まして手を叩き始めた。
「うー?」と小首をかしげながら。
「……よく言ったなセーレ」
後ろからセーレちゃんの左側に立って親父が、大きな手を彼女の頭に置いて優しくなでる。 親父も眠気を覚まし、慈しむような笑顔を浮かべていた。
なでられたまま上目で親父の顔を見たハニーは、ちょっぴり照れていた。
で、そのセーレたんと見つめ合っていた親父の視線がふと俺に向き、そこでようやく俺がまだ何も言ってあげていないことに気がついた。
俺は彼女に向かい合い、握られている手にもう片手を添えて包み込んだ。
「あ……う、うん、さすがセーレちゃんだ! 今日もまた、帰ってきたら学校で何があったか教えてな?」
「うんっ」
小さくうなずいたその笑顔に、俺は頼もしさを感じた。
リソ君に移ってはいけないので今日も自分の部屋で朝食を取った俺は、セーレたんを見送ってからガウンを羽織り机に向かっていた。 思った通り陽が昇るととても温かく、窓を開けて入ってくるそよ風の心地良さに頬が緩む。
咳こそ完全には止まっていないものの、それ以外はほぼ問題ないのだ。 ぼーっとしているにはもったいないし、誰かに相手をしてもらうのも申し訳ない。
得られた時間を、すべきことに費やすことにする。
……ひょっとしたらムダに終わるかなとも思っていたが、こうなると筆も踊るように進むというものだ。
「ジャス様、セーレ様がお帰りになりましたよ」
「え、もう?」
紙面を見つめながら鐘の音を二回聞き、気がつけばマールちゃんがやって来て妹様の帰宅を教えてくれた。 時計を見ると……もう昼を過ぎてるのか。
って、二回目の鐘の時点で気づけよ俺。
一旦机を片づけてマスクをつけ、帰ってきたハニーを迎える。
「ただいまなの~♪」
「おおう、お帰り! よくぞ戻ったセーレちゃんよ!」
「えへへへへ~」
RPGの王様か俺は。
そんなツッコミを脳内で展開しつつ、愛しの妹様と抱擁を交わす。 マールちゃんは俺達を見て微笑みながら、セーレたんから受け取ったカバンを片づけていた。
「頑張ってきたみたいだね」
「うんっ! あのね~?」
「ああっと、そのお話はお着替えとおやつが終わってからな」
「え~っ?」
ところが、セーレたんはうなずかない。
あれっと思ったところ、マールちゃんが話しかけてきた。
「いえ、違うんです。 実は、セーレさまと一緒にマーヤちゃんがお見舞いにいらっしゃっていまして」
「へっ?」
マーヤお姉さんが? ……二回連続で休んじゃったから、気を使わせちゃったか。
だが念のためとはいえ風邪で休んでいる身なので、残念ながら俺が会うわけにはいかない。 昨日だってニコとくりむちゃんがお見舞いに来てくれたけど、俺は顔を合わせていないのだ。 ドア越しに少し話をしただけである。
特に今回のは多種族性で、人種を問わずに移す恐れがあるし。
「そっか……んじゃあ、セーレちゃんから伝えてくれるかな? もうほとんど治っているから、来週からは学校に行くって」
「うん」
「あと、お見舞いありがとうって」
「分かったの~」
この手の伝言も、今までは大抵メイドちゃんズにお願いしていたものだ。 でも、このくらいの伝言ならセーレたんも問題なくこなせるハズだもんな。
決して信頼していなかったというワケじゃないけど、伝言の類はどうしても大人の人に頼んでいたんだよな。
だけど俺も、セーレちゃんに頼めることは頼むしようにしないと。
「さあセーレ様。 マーヤちゃんも待っていますから、早く着替えてくださいね」
「はあ~い」
マールちゃんの声を聞き、俺はセーレたんのストリップ――じゃない、着替えを見ないようにしばらく窓の外を眺め、二人が出ていくのを見送る。
俺はおやつもここで食べるから、運んできてもらうのを待つのみだ。 ……集中していてすっかり忘れていたが、小腹が空いたな。
ドア越しにマーヤお姉さんと話をするとすれば、その後になるだろう。
今日のおやつはフルーツ。 栄養補給の面でも風邪引きの俺には嬉しいおやつを堪能し、再び机に向かう。
きっとマーヤさんのことだから、今ごろはリソ君をひざに乗せてご満悦のことだろう。 声がかかったら手を止めればいいやと、俺はノートに鉛筆を走らせる。
「……よっし。 たぶん大丈夫だろ」
ミルクティーでのどを潤し、俺が描いたのは魔法陣。 ニアちゃんがいないので発動できるかどうかの判定ができないが、手本と見比べても大きな誤差はないので発動すると思う。 ちゃんと専用の筆とクレヨンで描いていれば、だけど。
学校も大事なんだけど、明日は俺の描陣の資格試験なのだ。 初学校では申し込みはできても受験できないため、今回は高校へ行くことになる。
エルネちゃんが通っているところで、来年は俺やセーレたん達も通うことになるであろう学校だ。 そういう意味でも楽しみである。
『ちょっとだけ、いいかしら?』
何枚か描いたところで、ノックと共にマーヤさんの声が。 実質一週間ぶりだけど、ずいぶん久しぶりーって気がするな。
「はーい! 開けても大丈夫……けほ」
途中でむせてしまったが、とりあえずマスクをつけてガウンを整える。
振り返ると、開いたドアの隙間からマーヤさんが顔を出した。 いつもながら艶やかな黒髪だ。 更に足元にはマイブラザーがくっついていた。
よく懐いているなあ。
「ほぼ治っているとは聞いたけれど、本当に顔色も良さそうね」
「おにー、げんきー?」
リソ君の可愛らしいセリフに、俺もマーヤさんもリソ君に目を向けた。 同時に笑い声が漏れ、マーヤさんが脚に抱きつくブラザーの頭をなでる。
「ふふっ。 お兄ちゃん、元気みたいよ」
「ははは……おう、元気だぞー」
家にいるときはこまめに時間を作ってリソ君と接する機会を作るようにしているけど、今回はそうもいかなかったからな。
……触手はしっかりと食べさせているが。
「まだ咳が少し出るから、今日は大事を取って休んだんだよ。 来週は学校に行けるハズだよ」
「そう、ほっとしたわ。 ジャス君の後頭部を見ていないと、私も張り合いがなくって」
「後頭部って」
顔じゃないのかよ、と心の中でツッコミにひと言を加える。 この人も、何かしら言葉のジャブを放ってくるな。
「ふふふ。 けれど、後ろから見てみてもある程度どんな顔をしているのかは想像がつくのよ?」
「え……なにそれスゴイ」
そんなスキルまでお持ちなのか。 相変わらず底の知れない人だ。
「それにしても、休んでいても勉強をしているのね」
「ああ、魔法陣の練習だよ。 あした試験があるから」
「そんな事までしていたのね……」
今度は俺の方が「底が知れない人ね」的な視線を受ける。
こういうやり取りができるのは、マーヤさんならではだな。
「それじゃ、勉強の邪魔をしてはいけないから今日はこのくらいにしておくわ。 お大事にね」
「うん、ありがと。 もし時間があるなら、もう少しリソ君と遊んでもらえると嬉しい」
「それはもちろん! ね?」
「にひー♪」
マーヤさんがリソ君に声をかけると、コアラのように脚に抱きついたまま顔を上げ、歯を見せて笑った。
微笑ましいやり取りではあるんだけど……ちょーっと、お姉さんの脚に触りすぎじゃないかとも思う。
……うらやましいだなんて、多少しか思っていない。
――昨日といい今日といい、ちょっと風邪を引いただけでも見舞いに来てくれるのはありがたいな。
それが何よりも心の栄養って感じだ。
夜になり、まだお風呂のOKが出なかった俺は身体を拭こうと迫ってくる女性陣にオド飴をあげてご退出願い、触手を駆使して全身を拭いてからまた書き物に励む。
今ごろセーレたんを含む女性陣は、リビングでぴくぴくしていることだろう。 ……想像するのはやめておく。
すると、外からまたまだお客さんが。
「あれま、どったの?」
「ふむ」
窓を開けて入ってきたのは、ニアちゃんと親娘水入らず中だったハズの聖母様であった。
なぜか、ちょっぴり不機嫌そうな顔をしている。
「……我が娘を、息子の奴に取られてな」
「ぷっ!」
思わず噴き出してしまった俺。
しばらく上空からジェット機みたいな音が聞こえていたのが消えたなーと思っていたら……ニアちゃん、仕事の終わったトゥキお兄さんに取られたのか。
今ごろ城の中か上空で、暗黒卿と妖精さんが戯れているんだろう。 想像するだけでも心が和む。
「はは……で、拗ねてこっち来たと」
「……拗ねてはおらん」
「はいはい」
若草色のタイツで絨毯の上を歩き、アルヴィちゃんがいつものようにベッドへ腰掛けた。 わざとらしく脚を組んで見せてミニスカートに暗がりの隙間をチラリと作るが、目が行きそうになるのはなんとか抑える。
ところで、さすがに夜ともなると外の空気は涼しくなっていたが、窓は既に閉められている。
いらんサービスもしてくれるけど、ちゃんと気を利かせてくれるお方であった。
「ん? 魔法陣の練習か」
「まーね」
ノートを閉じて相手をしてあげようかと思ったら、そのことに触れられたので見せてあげる。
「ふむ、なかなかよく描けているな。 問題なく発動できる形だ」
「そっか。 よかった」
描いたばかりの陣をほめられ、安心する。
……で、そこで俺は思いついた。
「だったらさ、ちょっと俺の描陣見てくれない?」
「む? ……まあ、良かろう」
ちょうどイイところに来てくれたので、この国の神様をひっ捕まえてニアちゃんの代わりに俺に付き合ってもらおう。
ついでに、何かいい魔法陣でも知っていたら教えてもらうとしよう。
「――これが、我がこの王都を造る際にこの半島を斬り飛ばした魔法陣だ」
「そんなの教えられても困るよ!?」
相変わらず、物騒なお茶目を見せてくれるお方であった。




