514 訪問の目的を達成しましょう?
お茶を楽しんだ後。
アーンさんはお礼の言葉と英国紳士的な挨拶を残し、セラさんの家を後にした。
……もしかしたら、そわそわし始めたクラリスお姉さんに気を遣ってくれたのかもしれないけど。
「え、ええっと、その、私、そろそろ……」
手早く食器を片づけて洗い終えると、クラお姉さんはお腹の辺りで組んだ手をもじもじさせながら、しきりに上目遣い気味で俺達を見回し始める。
俺とセラさんとロザリーさんは、そんな若い娘さんの様子に生温かい笑みを交わし合った。
最初は、とてもしっかりしたお姉さんだなーと思っていたのに……わりと残念なところがあるよな。 ま、それが可愛らしいなと思えるところでもあるんだけど。
そういえば……今日はクラお姉さん、珍しくイヤリングなんてつけているんだな。 透明の小さなストーンがたまにキラッと光って、キレイだ。
「はいはい。 分かったから、そんなにがっつかないの」
「ええっ!? わ、私、そういうつもりじゃあ……!」
セラさんにからかわれ、慌てて両手を振るお姉さんの顔がみるみる赤くなっていく。 オレンジの髪に近い色になってしまった。
俺はファジーな笑みを浮かべることしかできなかったが、ローザお母さんは口に手を当てて上品かつ楽しそうに笑っていた。 ちなみにニアちゃんは、ローザさんのひざの上でなでなでしてもらって嬉しそうにしている。
セラさんも明るく笑い、でもすぐに取り仕切って予定を決めていく。
「ふふふ、分かってるわよ。 時間の都合もあるから、クラちゃん、ローザさん、それから私の順番でいいわね?」
「はいっ♪」「ええ」
セラさんの視線の行く順番に二人が返事をして、最後に俺の方へ。 もちろん俺も異存はないのでうなずいておく。
何の順番かといえば、言うまでもなくアレである。
――今日は寒いので、全身がぽかぽかと温かくなるようなスライム振動マッサージを身体中にまんべんなく施してみた。
先週が誕生日だったというクラお姉さんには、お祝いを兼ねて張り切りすぎたせいでちと刺激が強すぎたみたいだったが、振動を半分くらいに抑えたところローザさんには大好評だった。
……セラさんは、クラお姉さんと同じ強さをリクエストしてきたけどなー。
なおローザさんは今も残されているお袋の部屋で、セラさんは自分の寝室で二人ともぐっすりお休み中だ。 ニアちゃんが見てくれているので、起きたらすぐに分かるだろう。
「はい、お水」
「あ、ありがほ……」
レイグさんの部屋で、ベッドから身体を起こしたクラお姉さんに水を手渡す。 お姉さんはちょっとかすれた声でお礼を言うと、一気に飲み干した。
まあそのノドも、マッサージ効果が出るにしたがって治っていくと思うけど。
「ごくっ、はあ……。 ジャス君、時間はまだ、大丈夫かな?」
「さっき見たら、もう少しだけ」
ダイニングに時計があるので、水を持ってくるときに見ておいた。 聞いた時間――お昼には、まだ少しだけ余裕があった。
昼の鐘が鳴ったら、セラさん達も起こさないとな。
空になったコップを受け取りながら、ベッドの端に座っている俺はそう考えていた。
「クラさん、仕事は行けそう?」
「ええ……。 たぶん、もう少ししたら」
「そっか。 よかった」
「それで……そろそろ私、支度したい、から」
「あ、ごめんね」
仕事に着ていく服がしわになるからと、部屋着を持ってきていたお姉さん。 今はその部屋着だ。
脱いだ服やイヤリングなどが机の上に置いてあり、クラさんがそれに目をやったので俺はすぐさま退散することにする。
まだ少し身体がフラついているように見えるけど、まさか着替えを手伝うわけにはいかない。
――とそのとき、外から女の人の声が聞こえてきた。
『ごめんくだふぁーい!』
「あれ?」「ん?」
どうも、お客さんが来たらしい。 ヤバイな、セラさんを起こしてこないと……。
だが、次のお姉さんの言葉で立ち上がろうとしていた俺の動きが止まる。
「この声……カステさん?」
「えっ、誰?」
小首をかしげているお姉さんに、俺も首を傾ける。
「ほら、カステルミさんよ。 ジャス君は、覚えていないかな……?」
「……ああ」
エドガーさんの――つまり、親父のお兄さんの、奥さんである。 去年、俺もセーレたんも会ったことがある。
そういや、セラさんがマッサージの前に来るって言ってたな。
「私が、セラさんを起こしてくるから、ジャス君はお迎えして?」
「うん、分かった」
聞き取りやすいんだけどこまめに単語を区切って話すお姉さんに、俺は首を縦に振って応える。
知らない人だったらマズイけど、会ったことのある人だったら俺が出てもいいだろう。 親戚なんだし。
俺はベッドから立ち上がり、出ていこうとして――クラお姉さんに振り向いた。
「……あ、そうそう」
「ん?」
「先に言っておくけど……。
もしセラさんが服を脱いでいたとしても、僕じゃないからね?」
「え? ……えええーーっ!?」
閉めたドアから、お姉さんの驚く声が聞こえてくる。
セラさんもお袋と同じく、寝るときに脱ぐ癖がある。 だから、俺もニアちゃんに頼んで見てもらっていたのだ。
アレは、知らないとビックリするからな……。
「はーい、今開けまーす!」
階段を駆け下り、大声で返事をしながら玄関に向かう。
開けるとやはり、ぼんやりと見覚えのある鹿耳の女性が立っていた。 俺の顔を見ると、女性は黄色い瞳を丸くした。
「あら……」
髪は赤く、ショートというよりはベリーショートくらいの短さ。 その横から、菱形で大きな鹿耳の付け根が出ている。 背はたぶん大人の女性としては平均くらいで、スタイルは――マッサージを受けるようになって、スリムになる前のアナさんくらい。
……という言い方だと失礼に聞こえそうだが、俺と同年代の子供がいるアラサーの女性としてはごく普通という意味だ。 むしろ、お袋のダイナマイトバディに匹敵しつつあるアナさんがスゴすぎるのだ。
女性としては背の高い人なので、地味な服の上からでも凹凸が目立つ目立つ……。
「もひかして、ジャスパー君?」
「はい」
「あらまあ、大きくなっふぇ~!」
横道に逸れた思考はサブに任せ、俺は口元に手を当てていっそう瞳を大きくするカステルミさんを見つめる。
さっきから発音が少しおかしかったのが気になっていたが、それは口にスカーフを巻いているせいだった。 もちろん、顔を隠すためではない。
「ごほっ、ごほっ」
「……大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとう。 最近の寒暖の差にやられちゃってね……ごほっ」
鹿耳を左右に倒し、ちょっと咳き込むカステさん。 熱とかはないようだけど、やはり咳き込むと辛そうだ。 声も少しかれている。
だけど、にじんだ涙を指で押さえて拭き取ると「大丈夫よ」と微笑んで見せた。
「セラさんは、もう少ししたら下りてきますので……どうぞ中に」
「ありがとう」
ひとまずダイニングに通し、座って待ってもらうことにしよう。 お茶でも淹れてあげられればいいんだけど、茶葉がどこにあるかも分からないのでどうしようもない。
せめて、セラさんが来るまで話し相手になるとしよう……と思ったら、先にカステさんの方から話を振ってくれた。
「それにしても、大きくなったわねえ。 あたしのこと、覚えてる?」
「そう……かな。 もちろん、覚えていますよ」
「そお? 嬉しいわねえ~」
鹿耳を上下に動かし、本当に嬉しそうに目を細めるカステルミさん。
実はハッキリと覚えているわけじゃないんだけど……ま、それは言うまい。
「ええっと……あ。 マチルダさんと、エリック君は元気ですか?」
しかし、カステさんの顔―― といっても上半分だけだが―― を見ているうちに、少しずつ思い出してきた。
二人のお子さんの名前を記憶から引っ張り出すことに成功し、さっそく話を振ってみる。
「今は風邪で二人とも横になっているけど、それでも嫌になるくらい元気よ? 口ばっかり達者になって、もう……」
「あははは……ま、まあ、お大事に」
お子さんは二人とも俺より年上だったハズだから、ちょうどウチのクラスメートと同じくらいだと思う。 落ち着いている子は落ち着いているけど、騒がしい子はそれこそノンストップで喋りまくっているし。
特に女の子グループの場合、早くもご近所の井戸端会議のような気配を漂わせている子達もいたりする。 どこのクラスの誰が誰に告白したとか、そういうウワサ話が大好きだよなあ。
少し前に、俺が一年生の元・教え子の女の子と廊下でバッタリ出会って喋っていたら、その日の内に「ジャスパー君にまた、新しい女の子が出現!?」とかいう話が飛び交ったり……。
無論すぐに、同じ幼児園に通っていた元「同級生」だと否定したが。
「それに比べて、ジャスパー君もセレスティアちゃんも勉強できるんだってねえ? 飛び級したんだもの」
「まあ……コツコツ勉強してますし」
「そう、それ! それが偉いのよ~。 それに比べて――」
べた褒めされてむずがゆくて仕方がないが、昼の鐘が鳴ってもカステさんのトークは止まらない。
そろそろ助けてーと内心で言いたくなってきたとき、まさしく救いの女神様がやってきた。
「――遅くなったわ。 いらっしゃい、カステ」
ちゃんと服を着直して入ってきたのは、もちろんセラさんである。 なおマッサージ用の服を用意していたのは、ローザさんもセラさんもだった。
その後ろにはカバンを肩に掛けたクラお姉さんがいたけど、挨拶だけしてすぐに玄関の方へと歩いていった。 ローザさんも、もうすぐ下りてくるらしい。
いってらっしゃいと、みんなで声をかけてお姉さんを見送る。
「ちょっとお義母さん! 今日はまた、一段とツヤツヤしてるわね~」
「ふふふ、そう?」
嬉しそうな顔で、腰をくねってポーズを作るセラさん。 マッサージの効果が出てきて、外と部屋の明かりを跳ね返すほどに肌がツヤツヤしている。
カステさんは、うらやましそうな悔しそうな嘆声を漏らす。
「はあぁ……。 ローザお義母さんも、ウソみたいに若返っちゃったし……もう、一体何がどうなっているんですかあ!?」
「むふっ♪ それは、ねえ……?」
「……」
猫のような口を作り、セラさんがニヤニヤした目を俺に向けてくる。 これはもしや……お得意様、一名様追加の流れか。
頬を引き攣らせていると、セラさんは視線を再びカステさんに戻して話を続けた。
「ま、それはまた今度ね。
……それより、あなたに紹介したい子がいるのよ」
「えっ?」「へ?」
カステルミさんも驚いたようだが、俺も口が半開きになった。
え、誰? まだ誰か来るの?
と思っていると、セラさんが俺に「仕方ないわねえ」といった感じの苦笑いを見せた。 それに引っかかりを覚える俺を横目に、セラさんが紹介を始める。
「あなたには、前に少し話をしたわよね? ジャス君が、ひょんなことから『御使い様』になったって」
「ああ、そういえば……」
そして、セラさんの背後の廊下から近づいてくる長い銀髪の女性。 その肩に乗っている小さな子を見て、ようやく気がついた。
カステルミさんって、どんな人だったっけーと思い出すことしか考えていなくて、まだ紹介してなかったことを忘れていた!
セラさんがダイニングの中に入ってきて、代わりにローザさんの姿がハッキリ見えるようになる。
「ほら。 この子がその、ジャス君の精霊ちゃんよ」
「ま、まさか、本当に……」
上品なミセスの肩に乗っかった、緑のストレートヘアとミニスカレオタードが可愛らしい我が娘。
カステさんの両目がまん丸に見開かれ、ニアちゃんはローザさんに身体をなでられながら初対面の女性を見つめていた。
かすかに不安そうな気配が見て取れるけど、それでもしっかりと立ってまっすぐ碧の瞳を向けている我が子。 自己紹介は何度かやっているけど、そのたびに良くなっていくのが分かる。
本当に成長が早いなと、感慨深い気持ちになった。
「はじめましてー。 スフィニア……って、いいますー」
テレパシーではなく生身の声で、ちゃんと丁寧にご挨拶をした。 それから、三頭身の大きな頭をぺこりと下げてお辞儀まで。
……えらい。 えらいよ、ニアちゃん!
俺が感動で震えていると、温かい微笑みを浮かべたロザリーさんが更にフォローしてくれた。
「ニアちゃんは、とっても人なつっこくていい子よ。 精霊様だからと一歩退いたりせずに、気楽に接してあげてね……」
ロザリーさんは手のひらにニアちゃんを乗せ、テーブルに立たせた。 そして席に座る。
ニアちゃんはとことことカステさんに近づき、小さな両手を差し出した。 そのカステさんは茫然とした様子で、ニアちゃんのことを黙ったまま目で追っている。
菱形の長い鹿耳は張り詰めて真上を向き、俺と話をしながら出ていた咳もピタリと止まっていた。
「ニアと、指であくしゅ、しよ?」
ニアちゃんが頭を横に傾けると、てっぺんのアンテナっ毛も左右に揺れる。
それが良かったのかどうかは分からないが、カステさんの口からかすかに「か、可愛い……」と声が漏れるのが聞こえた。
と同時に、耳の緊張がわずかにほぐれて顔からもだんだんと笑顔が漏れ始めていた。
「あくしゅ、あくしゅー」
「え、ええ……」
おずおずと、テーブルの下から両手を出すカステさん。 ニアちゃんが「ゆびー」と言うと十本の指を慌てたように動かし、片手を引っ込めてもう片方の人差し指だけを立てる。
そして――握手をした。
「にゅふー♪ よろしくー!」
「よ、よろしくね……」
嬉しそうに大きな人差し指を両手で握って上下させるニアちゃんの姿に、カステさんの顔が完全にほころんだ。 鹿耳も柔らかくなって横に倒れている。
ロザリーさんも笑顔で何度もうなずき、いつの間にかキッチンでお茶の準備をしていたセラさんも、振り向いて微笑んでいた。
うんうん、よかったなあ。
涙が出てくる……というところまではいかないが、ちょっと胸がきゅんとなった。
「よろしくねー! うんと、えっとー……。
パパさんのー、おにーさんの……ママさん?」
「いや。 そこは普通にカステさん、でいいのでは?」
我が娘のややこしい言い方に、思わずツッコミを入れる俺。
間もなくして、明るいダイニングは笑い声に包まれたのであった。




