513 寒い日には温かいものを
「ジャス君、姫。 そろそろ出発しようか」
「はい」《はあーい》
半ズボンの子供用スーツにシルクハットとステッキという、いつもの素敵な格好をしたアーンさんと一緒にセスルームへと向かう。
肩に乗せたニアちゃんにシャボン結界を張ってもらうと、風がさえぎられるせいで気持ち寒さが和らぐ。 肩の力が少し抜けた。
「じゃ、行ってきまーす」
家族から「行ってらっしゃい」の声をいっぱいもらいながら、俺の身体が浮きあがる。 手を振ってくれるみんなの姿が、だんだんと小さくなっていく。
家の前の通りにいたご近所のメイドさんが目を丸くして見上げているのに気づき、ちょっぴり苦笑いになりながら手を振ってみると振り返してくれた。
うん。 俺が御使いだと、近所にカミングアウトしておいて良かった。
――王都の上空は、実はけっこう賑やかだ。
空自体が広いので混雑はしないが、小さな精霊がたくさん飛んでいる。 地上からでは見えないけどな。
高い場所ほど速く飛んでいいことになっていて、俺達がいる高度は比較的ゆっくり飛ぶところなのでときどき挨拶されたりしたりする。
《あれ~? ヒトが飛んでる~》
《あ、どうも》
近づいてきた知らない精霊さんがテレパシーで声をかけてきた。 元・日本人らしく、会釈しながら挨拶する。 シャボン結界のおかげで感じないけど、海が近い王都の上空はそれなりに強風が吹いているハズなので会話はテレパシーが基本なのだ。
前世で八〇年代に流行ったという両生類みたいな、ミョーに愛嬌のあるピンク色の精霊さんに、ニアちゃんからも話しかけた。 我が娘よりひとまわり大きい程度でつるつるしていそうな細身の身体には、イイ感じに脱力した手足がついている。 大きな頭の耳に相当する場所からは、柔らかそうな赤い繊毛のついたエラみたいなものが三対、風の中を泳ぐようにひらひらさせていた。
かなり癒される……。
《ニアたち、これからお出かけなんだよー》
《ふ~ん、そうなんだ~》
前を飛ぶアーンさんも振り返って、精霊さんに向かってシルクハットのつばを摘んで挨拶をした。 そのウーパーさんはゆるキャラみたいな顔を上下させて応えると、高度を下げて街の中へと入っていった。
「……なんか、不思議な造形の精霊さんだったな」
「かわいかったねー」
ニアちゃんと顔を見合わせてそんなコトを言っていると、後ろを向いたまま前を飛び続けているアーンさんが俺達にも声をかける。
《あははは。 ところで、最近涼しくなってきたね。 ジャス君は寒くないかい?》
見た目は俺と同い歳に見えるショタっ子ではあるが、実はマーヤさんのお義父さんで年齢三ケタの精霊様である。
波紋ひとつ立たない冬の湖のような笑みには、確かにヒトを超えた何かを感じさせられる。
《はい、大丈夫です》
タンスの衣替えも半分終わり、俺は秋物の上下にいつの間にか買ってくれていた薄手のジャンパーを羽織っている。 上着はワンサイズ大きいけど、まだまだ身体が成長することを考えればその方がいいだろう。
アーンさんは紳士服なのでともかく、ニアちゃんはいつものミニスカレオタードなのでかなり寒そうに見える。
まあ精霊だから、寒くもなければ風邪も引かないんだけどな。
《それは何より。 それで、今日の予定はどうなっているのかな?》
《ええっと――》
アーンさんの都合もあるので、行く日そのものは早めにセラさんに手紙で伝えてある。 で、向こうから返事が来て、何かあればまた手紙を――という感じだ。
テレパシーが届く距離ではないし電話なんてないから仕方ないのだが、往復だけで一週間以上かかるんだよなあ。
そのためやり取りできることが限られ、アーンさんにも詳しい予定が伝わっていないのだ。
《今回は、セラさんの家にみんなが来てくれるって聞いてますね》
《へえ》
セラさんいわく、腰の良くなったロザリーさんの方から、セラさんの家で俺達を出迎えたいと言ってくれたそうだ。 早めの連絡が功を奏したのか、クラリスお姉さんもその日は遅めのシフトで職場に入れるんだとか。
ちなみに師匠は仕事だろう、ということだった。 「もしも仕事じゃなくても、しばらくどこかで暇を潰してもらうから心配しないでね」って書いてあったけど……。
《今日もアーンさんは、どこかに行くんですか?》
同様に、いつも俺達に同行した後はどこかに行ってしまうアーンさんにも質問してみる。
《うん。 今日は、エルドフリーの様子を見に行ってみようと思ってね》
セスルームのすぐ近く、フレス川の対岸に建設中の新しい衛星都市のことである。
俺も興味はあるけど、なにしろ「外」からの襲撃に備えながらの建設作業なので一般人は入れないハズだ。 俺には、遠くから少し見るくらいしかできない。
《何か面白いものでも見かけたら、後で教えてあげるよ》
俺の顔に出ていたのか、アーンさんはそう言って笑みを浮かべたのだった。
王都とセスルームの入管のお姉さん達にニアちゃんをいっぱい可愛がってもらって、俺達はお袋の実家に到着した。
やや内陸側にあるこの街は、やはり王都とは空気が違う。 ちょっとのどが乾く感じがするな。
玄関の前で唾を飲みこんでから、俺はドアをノックしようと手を上げて握った。
「おは――」
『はああああーーーーーーーいっ♪』
早いなオイっ!? ノックして声を上げようとした直後、もう返事が聞こえてきた。
ビックリついでに後ろに下がると、すぐにドアが開いてセラさんが姿を現した。
「待ってたわジャス君! 寒い中、よく来てくれたわね」
「う、うん」
背中まで伸びる金髪ウェーブをひらりとさせて、自分から外に出てきたセラさん。 色の濃い首回りのゆったりした上品なワンピースに、丈の短いニットカーディガンを合わせている。 膝丈のスカートの裾にはレイヤー状の薄いフリルがついていて、胸元には俺のプレゼントしたカメオブローチをつけていた。
セラさんは軽く腰を曲げて俺に顔の高さを合わせると、真正面から軽く抱擁してきた。 母性の象徴たる温かみや柔らかさと同時に、ふわっとお袋によく似たフローラル系の香りに包まれる。
相変わらず、若々しさにあふれながらも大人らしい落ち着きと色っぽさを兼ね備えた女性である。 ……いつも思うけど、これでひ孫までいるだなんて誰も信じないだろうなあ。
俺の視界がワンピースと肌の色でいっぱいになっている上から、セラさんは俺の肩に乗ったままのそのひ孫ちゃんにも声をかけた。
「ニアちゃんもお疲れさま。 久しぶりね」
「ひさしぶりーっ♪」
俺の片方の腕からセラさんの手が離れる。 たぶん、なでなでしているのだろう。
更にセラさんは、後ろにいるアーンさんとも挨拶を始めた。
「アーン様もご無沙汰しております。 いつも二人のお世話をしてくださって、ありがとうございます」
「これも仕事ですから、お気になさらず。 それに、彼には私の娘もお世話になっていますからお互い様ですよ」
「……」
ところで俺、いつまでじっとしていればいいんだろう?
鎖骨のくぼみに鼻をくっつけている状態で、そろそろ息が苦しくなってきたんだけど……。
たまらず、なるべくゆっくりと鼻から息を抜きながら、セラさんの腰に手を添えて二度三度タップしてみせる。
「んふっ」
それでもくすぐったかったようで、セラさんの身体がぴくっと跳ねた。 頭上からかすかに色っぽい声が聞こえてくる。
更にぎゅっと抱きしめられてドキッとしたが、タップの意味は通じたみたいだ。 程なくしてゆっくりと身体を離してくれた。
ふう……助かった。
「さあ、中へどうぞ。 お茶をお淹れしますわ。
……ジャス君も、中でローザさんとクラちゃんが待っているから」
「では、お言葉に甘えまして」
身体を伸ばしたセラさんにお茶を誘われ、アーンさんも快くうなずく。
俺も背中に手を添えられ、家の中に招かれた。
お袋の実家であるこの家も、広さには違いはあれど王都の家と間取りは基本的に同じだ。
まっすぐ廊下を進んで、突き当たりにあるドアの左を開けるとダイニングとキッチンに通じている。 ここはリビングをウチでいうリソ君の部屋に分けているから、微妙な違いはあるんだけどな。
「――あら、本当に早かったわね」
セラさんにドアを開けてもらって通されると、ダイニングテーブルでロザリーさんがお茶を飲んでいた。
ゆったり系のミセスファッションは相変わらずだけど、ちょっと着こなしが若くなったかも。 この家の雰囲気はロザリーさんとこよりも明るいので、なおさらそう見えるのかもしれないけど。
だが小料理屋さんの女将さん的な雰囲気はほとんど薄れ、ティーカップを傾けている姿は明るいダイニングにとても馴染んでいた。 俺に向けた碧色の瞳を優しく細め、灰色がかって見えていたウェーブの髪は光に当たって銀色のツヤを放っている。
改めて、俺や親父はこの人の特徴を継いでいるんだなーと感じさせられた。
「おはよう、ジャス君っ。 ニアちゃんも、ね」
そして、キッチンでお湯を沸かしながら振り向いたのはクラリスさん。 親父の妹さんだが、お袋よりも年上のお姉さんである。
大人系ショートヘアは少し濃いオレンジで、たぶん亡くなった親父のお父さんの色なんだろう。 動きやすそうなブラウスと長めのスカートに、やはり薄いジャケットを羽織っている。 淡めの色使いが髪によく合っている。
ちょっと垂れ目な茶色い瞳が俺を捉え、部屋の明かりを受けてキラリと輝いている。
「おはよう、ローザさんクラお姉さん」
「おっはよー!」
入口で立っているのもなんなので、ニアちゃんと一緒に挨拶した俺は中に足を踏み入れる。
他人行儀な気がするので、俺も少し前から愛称で呼ぶことにしている。
「今、お茶を淹れて……あ」
「ん?」
すると、クラリスさんがなぜか急に背筋を伸ばして姿勢を正した。 ローザさんももともと普通に座っていたはずだが、カップを置いて居住まいを正している。
どうしてだろう……と思うと同時に、サブ思考が答えに気づく。
「ご親族水入らずのところ、失礼を」
歩きながら二人の視線の先を追って振り返ると、ちょうどアーンさんが姿を現したところだった。 ……そういえば、二人は初対面だったっけ。
アーンさんは既にシルクハットとステッキを消しており、子供な見た目にふさわしい青みがかった銀色の坊ちゃんヘアーを晒している。
最後に入ってきたセラさんが、アーンさんのことを二人に紹介した。
「こちらがお話していた、アーンスロール様よ」
「初めまして」
いつもの、一見すると穏やかなのに気が引き締まるような冷たさを感じる笑みをたたえるアーンさん。
対するクラお姉さんは両手をおへその位置で重ねて九〇度近く深々と頭を下げ、ローザさんはわざわざ席を立ってイスの横にずれ、やはり同じようにゆっくり深く頭を下げて挨拶をした。
精霊の――特に高位のヒトがどういった存在なのかを、改めて思い出させる。
既に二人ともセラさんから説明されていたらしく、あとはローザさんとクラお姉さんがそれぞれ自己紹介をして挨拶は終わった。
「クラちゃん、後は私がやるわ。 アーン様、どうぞお席に……ジャス君とニアちゃんもね」
「あ、はい」
「ええ、恐れ入ります」
アーンさんがセラさんに手で示された席に着き、俺もその隣のイスに。 お姉さんもキッチンを離れ、向かい側のローザさんの隣へ腰を下ろした。
ローザさんは年の功もあってさすがに落ち着いて見えるけど、クラお姉さんは表情にやや固さが見える。 身体も固くなっているし。
ま、それも仕方のないことなんだけどね。 俺もだんだん分かってきたんだけど、長い年月を生きている高位の精霊って、やっぱり持っている雰囲気が違うんだよな。
魔力を放出していなくたって、そういうモノは肌で感じられる。
ちょっぴり緊張した空気になってしまったリビング。
しかし俺の肩からテーブルに飛び移ったニアちゃんが、自分の身長よりも長い緑の髪をしっぽのように振りながらローザさんのところへたたたーと小走りに近寄っていくのを見ると、自然とみんなの顔に笑顔が浮かぶ。
「ねーねー。 お砂糖いるー?」
「……そうね。 少しだけ、頂こうかしら」
「ほーい。 ……ありゃ? お砂糖ないよー?」
嬉しそうに微笑むロザリーさんだが、基本的にシュガーを入れない人なんだろう。 テーブルにシュガーポットがない。
だけど間もなく、セラさんが俺達の分のティーセットをお盆に乗せて持ってきた。
お茶のいい香りが漂い、俺の鼻にも届く。 普通の紅茶とはちょっと違う、何となく花のイメージが浮かぶ香りだな。
「どうぞ」
「ありがとう」
まずはアーンさんの前にティーカップが置かれ、お茶が注がれる。 アーンさんはふわりと薄い湯気の立ち上るカップの取っ手を持つと、おもむろに口元に近づけて目を閉じ、香りを楽しみ始めた。
精霊は飲食をしないので、それが彼の楽しみ方だ。
「……うん。 花が開いたような、とてもいい香りですね」
「ふふ、ありがとうございます」
自然な笑みでアーンさんのほめ言葉を受け取るセラさん。 ふと思い出したけど、何となくジャスミンティーみたいだな。
前世じゃ飲んだ記憶はほとんどないけど。
俺と目が合うと、セラさんは次に俺の隣にやってきてくれる。 間近で黄金色のお茶が注がれると、ほんのりと甘みを含んだ本当にいい香りがカップからあふれ出してくる。
「うわ……ホントにいい香りだ」
「でしょう?」
「ママさんママさん、お砂糖ちょーだい」
嬉しそうにしているセラさんの元へ、ニアちゃんが小走りでやってきた。 テーブルにはお盆が一旦置かれて、そこにはシュガーポットと一緒に小さなミルクポットもある。
セラさんはその二つをニアちゃんの前に置いた。
「ニアちゃん。 このお茶はね、シュガーとミルクを両方入れるといいわよ?」
「ほえ~。 そなんだー」
それは俺も知らなかった。 コレ、ミルクティーもアリなんだ?
「ジャス君、そうしてみる?」
「うん」
「あ、ニアやりたーい!」
まずはストレートで飲みたい気持ちもあったが、ミルクティーにも興味があったのでお願いしてみる。
セラさんの指示に従い、ニアちゃんが俺のカップに砂糖を入れてかき混ぜ、ミルクを注ぐ。 ニアちゃんからすればドラム缶サイズのミルクポットだが、苦もなくひょいと持ち上げてとくとくと入れていく。
もう一度かき混ぜればできあがり。
「はい、できたよー♪」
「うん、ありがと。 いただくね」
混ぜるのに使ったスプーンをカップのお皿に置き、バンザイしているニアちゃんをなでてからカップを手に取る。
お茶の香りにもミルクが混ざり、なんとも柔らかい香りに変わっている。
「……ほっ」
普通のホットミルクティーともまた違う、とても癒される味。
入れた量も良かったんだろうけど、元々のお茶の風味を残しながらもミルクのまろやかさが溶け込んでマッチしていて、シュガーの甘さがミルクの甘さを引き立てている。 子供の舌にも飲みやすい、心休まる温かみがすっとのどを通り抜けていく。
後味も良く、とても美味しかった。
「とても美味しいよ」
「わーい!」「そう、良かったわ」
ストレートに感想を言うと、ニアちゃんとセラさんも喜んでくれた。
クラお姉さんと、最後に自分自身にお茶を入れ、セラさんも席に着いた。
午前のティータイムは、お茶の香りに包まれてゆったりと過ぎていった。




