486 夜空の星を、この手に
ますますやる気になった師匠に、さんざん芝の上を転がされた後で。
「はっはっは! これで一緒に酒が飲めたら最高なんだかなぁ」
「無理に決まっているじゃない……」
リビングでセラさんに傷の手当てをしてもらっている横で、師匠が満足そうに笑っている。 柔らかい芝とはいえ、たまに小石もあるからすり傷くらいはよくあることだ。 学校の授業でも擦りむく子はいるしな。
サラッと水で汚れを洗い流し、綿に消毒薬をつけてちょんちょんとしてもらう。 絨毯に座っている俺達の足元で、ニアちゃんが消毒薬のビンを覗き込み、ニオイを嗅いで「うえ~」と顔をしかめている。 ……うん、けっこうクサイんだコレ。
しかし……本当に子供みたいな人だな師匠って。
「あはは。 十年後に期待してよ」
「おう! ……じゃ、ちょっくらあ呑んでくるわ」
「はいはい。 夕飯までには戻って来るのよ~」
またシャツを着替えた師匠は、昼下がりの外へと出掛けていった。
「……はい、おしまい」
「ありがと」
ガーゼなどを張る必要もなく、軽い消毒だけで手当が終わる。 今夜の風呂ではキズが染みそうだけど、そんな痛みも子供の頃の思い出の一ページだと思えば悪くない。
その後で、マイハニーにぺろぺろされるのも……まあ、思い出と言えなくもない。 よな?
最近はニアちゃんもマネしてくるんだけど。
「あ。 師匠にも話をしようと思ったのに……」
我が娘をいじくりながらジュースを飲んでまったりしていたら、すっかり忘れてしまった。 せっかく師匠が家にいたのに。
ここに来ているのはマッサージのためでもあるんだけど……俺個人としては、また別にあるからな。
むしろ、ここからが本題とも言える。
「ああ、あの話ね。 私の方から話してあるから、別にあの人にはいいわよ?」
「いいのかな?」
「ええ。 今から楽しみだって、ただ笑っていたわ」
「あはははは……」
ついさっきのガハハ笑いが脳内再生される。 師匠らしいや。
セラさんが救急箱に道具をしまうと、ニアちゃんが持ち上げて元の場所へと戻しに飛んでいく。 半透明の羽からこぼれ落ちる光の粒と昼下がりの日射しが、我が娘の後ろ姿を明るく照らしてとてもキレイだ。
魔法でドアを開けて出ていくのを見送っていると、セラさんが俺に話しかけてくる。
「ところでジャス君」
「ん?」
「……あの子には、もう話したの?」
「ううん。 まだ」
ため息をつきながら首を横に振る。 最初から解ってはいるが、それがいちばんのネックだ。
だが、時期としてはそこを置いて他にないと思っている。 その点はセラさんも同意してくれているしな。
「でも、そこはなんとかするよ」
「そう。 難しいどころではないと思うけど……そこはあなたを信じるわ」
「ありがとう」
セラさんが口にしようとして飲み込んだ言葉には、俺もまったくの同意見だ。 俺がこの世界に生を受けて以来、間違いなく最高難易度のミッションだと思うけど……。
それでも、俺はなんとかなると思っている。
《置いてきたよー!》
「お、ありがとね」
《にゅふー♪》
戻ってきたニアちゃんをあぐらの上にのっけてなでなでしながら、俺とセラさんの話し合いはギリギリまで続いた。
――沈みゆく夕陽を見ながら王都に帰ってきて、案の定マイハニーに捕まってぺろぺろされた翌日。
「確かに、涼しいわね」
ざわめきも熱で溶けたような教室で、首元に黒いチョーカーをつけた黒いお姉さんが涼しげな笑みを浮かべていた。
「でしょ?」
「ええ。 ……でも、集中しないと使えないのは不便ね」
席に着いたまま背筋を伸ばし、呼吸を整えて精神集中するマーヤさん。 間もなくチョーカーを発動できたようで、ほっとしたように目元が緩む。
周囲には、相変わらず暑そうにしているクラスメート達。 制服ファッション――というかシンプルな上下というスタイルはもはや定番と化していて、その中でも色つきの服を着て変化をつける子が増えてきたので、学校というよりはフリーな職場みたいに見えなくもない。
生徒の中では、俺達以外にチョーカーをつけているのは表の女子リーダーであるお嬢様くらいしかいないけど、その娘は外から注入タイプのようだ。
「いい練習になりそうだから、直接発動させる方を買ってもらったのだけど……」
俺の視線を追ってお嬢様を見たマーヤさんは、他の友達に自慢しているその娘を見て呟いた。
「首輪みたいよねえ。 可愛いとは思うけれど」
「ははは。 まーね」
ふふん、と得意顔で胸を張るお嬢様に首輪。 なかなかのギャップ萌えであった。
「はーい! みんな、席に着いてねー」
そこに、シャルちゃん先生が大きなリスしっぽをぴこぴこさせながら入ってきた。
首元には例のチョーカー。 直接タイプのようだけど、小柄な先生がつけているので実際よりも少し大きく見える。
童顔のシャルちゃん先生に首輪――期待を裏切らず、似合っていた。
学校から帰り、例によっておやつ休憩にやってきたステイさんと雑談を交わした後の夕暮れ。
「そういや、今年は盛夏祭はないんだよな……」
空を覆い尽くし、部屋の中まで染み込んでくる琥珀色を眺めながら呟く。 妹様と娘様がそろって入浴中でおらず、文字通り黄昏れるにはいい時間だ。
まだまだ暑さは続いているものの、日暮れは確実に早くなってきている。 いずれ、秋の虫の声も耳にできるようになるだろう。
窓枠にもたれかかり両腕を外に投げ出していると、藍色に変わりつつある真上から少女のシルエットが降ってきた。 浴衣姿でないのは残念だが……彼女のスリムな身体をかたどる輪郭はセーラー服のようにも見え、それはそれでこのシチュエーションには合っているなーと思う。
空から舞い降りた彼女は俺が受け止めるまでもなく、自ら減速して俺の腕の前で静止した。 少し左にずれて場所を譲ると、少女は空中で後ろを向いて丸みを帯びたお尻を窓枠に乗せる。
「なんだ。 受け止めてはくれんのか」
「そもそも届かないってーの」
六歳児にオトナが受け止められるか……と思ったが、そういやコイツの体重はないも同然だった。
あかね色に輝く丸いレンズの角度が変わり、碧の瞳が俺の顔を見下ろす。 俺の髪を上からぽんぽんと押さえるように優しくなでてきたと思ったら、その手を肩に置いて俺の頭を自分の腰の横側――というか、お尻の横にくっつけるようにして引き寄せようとしてくる。
……思春期の少女のようなスタイルでむっちりとは程遠いとはいえ、そこは十分に柔らかい。
「こらこら」
「んー?」
後ろから右手を回して細い腰をタップするが、相手は目を細めて口の端を吊り上げるだけだった。 むしろ余計に押しつけてくる。
いつものこととはいえ、判っててやってるな……この聖母様は。
「で、其方は今から盛夏祭を楽しみにしているのか?」
「ん? いや――」
藍色の空を背景に俺を見下ろし、肩を引き寄せながらオシリをフリフリしながら押しつけてくる聖王国の女神様。 わずかに熱を帯びた俺の顔を風がなでるが、彼女の切り揃えられたボブカットは微動だにしない。
黄昏に染まった暗緑色の服は黒いセーラー服のようで、見た目のままに年頃の少女だと錯覚してしまいそうだが……。 このお方の一言は国を動かしかねない。 ヘタに「うん」とうなずこうものなら、「ではやるか」とマジで開催させることも決して不可能ではないだろう。
誤解の訂正も兼ねて、俺は言葉を選んで相手に返す。
「というか、花火が恋しいかな……ってさ」
「花火か」
前の世界では、この時期になると本当にいろんなところで花火大会や夏祭りがあったものだ。 夕暮れの街に赤い電気の提灯と露店が並び、その下を浴衣で着飾った人達が綿菓子や水風船なんかを手にして祭り囃子と雑踏の中を行き交う。 そして暗くなった空に光の花々が咲き乱れ、皆が空を見上げ時間を忘れる。
実際にはなくなりつつある田舎の風景だけど、俺の脳裏に浮かぶのはそんなイメージだ。
さすがに、そんな祭りを目にする機会は二度とないだろうけど……せめて、その一部分だけでもと思ってしまう。
「賑やかで楽しそうで……切ない光景だな」
静謐な雰囲気を纏い、聖母様が優しい目差しを向けてくる。
うわっ、俺のイメージを読まれたか……。 ますます顔が熱くなってきた。
「んふふ。 読むつもりはなかったが、流れ込んできたのでな」
肩をぽんぽんと、あやすように軽く叩かれる。 ……くっそー、完全に俺の自爆かよ。
むくれているとアルヴィちゃんは控えめな声で、しかし身体を揺らして笑い始める。
おい、お腹からの振動が右のほっぺに伝わってくるぞー。 ふにふにと。
「んっふっふっふ。 よし、良いだろう」
「……な、何がだ」
子供の腕でも余裕に回せる腰をタップしていると、メガネのレンズに宵色を映した聖母様がニヤリと笑った。 薄暗くなってきた夕陽を半身に受けて微笑む姿にイヤな予感を覚える。
ぱんぱんと音を立て、精巧な服の生地を後ろから叩いて抗議し続けるが、このお方は気にも留めない。 むしろ、対抗するように俺の肩を叩く。
「心配するな。 空の色を変えたりはせんよ」
俺の右手が止まる。 俺の想像を四次元方向に吹っ飛ばす聖母様ではあるが、ウソはつかない。 その隙に、止めた俺の手の手首を掴まれて腰に回させると、ピッタリと密着させられてタップも封じられた。
やべえ。 ……コレ、逃げるにはジャーマンでもやるしかないか?
「物騒なことを考えるでない」
「あへー」
肩に回されていた手で、左のほっぺをつねられた。
冗談だってば。
夜空には二つの小さな月と無数の星々が浮かび、緑の庭も薄い闇に覆われて周りから虫の合唱が聞こえてくる。
順番に風呂に入り、寝間着姿になった俺達は庭に集められた。 つけっぱなしの部屋明かりが窓から漏れているので、足元や周囲はそれほど暗いわけではない。
俺達の前ではアルヴィちゃんが得意げに胸を張り、その横にはいつの間にかやってきていたトゥキお兄さんがマントから出した大きな手のひらにニアちゃんを乗せている。
《わーいっ、お兄さんだー♪》
「……ニアちゃん」
トゥキさんは闇に溶け込むようなマントを羽織って眉間にしわを刻み、喜ぶ妹ちゃんを手に乗せている。
知っている人が見れば普通に微笑ましい兄妹の光景なんだけど、知らない人が見たら「暗黒騎士と囚われの妖精さん」と映りかねない。
「これから、何をなさるのでしょう~?」
目を擦って眠そうなリソ君を抱き、お袋が小首をかしげた。 ……薄いネグリジェがエロすぎる。
リソ君がこてんとお袋の胸に頭を預けると、ホワイトめろんがそれをふにょんと受け止めた。 その隣で、親父があさっての方向に目を逸らしている。
「うむ。 ちょっとした余興をと思ってな」
「よきょ~?」
アルヴィちゃんの答えを聞き、セーレたんが俺の左手を取ったまま首を傾ける。 今は袖に隠れている、擦りむいた俺の腕は既に消毒済みだ。
俺達二人の後ろにはチャロちゃんとマールちゃんが控えるように立っている。 普通のパジャマだけど、袖などにさりげない刺しゅうやレースが入っていて可愛らしい。
「ジャスからの要望でな……ふむ。 早速始めるとするか」
目を糸のようにして、めろん枕の上で口をむにゃむにゃさせているリソ君をチラッと見た聖母様。 一瞬言葉が途切れた後、前置きをやめてトゥキさんとニアちゃんを少し下がらせた。
「今年は盛夏祭がないからな。 派手な花火は上げられんが……こういう花火もある」
すっと細い人差し指を前に出したアルヴィちゃん。 ほどなく、その爪先に小さな光の球が生まれた。
自然と俺達の視線がそこに集まる。
そして――。
「わあ~♪」
「……まあ~」
台風すら動かす力を持つ聖母様の指先から、可愛らしい光の粒がシャワーのように前へほとばしった。
マイシスターが可愛らしい声を上げる。 その笑顔は光に照らされ、蒼い瞳には夜空のような星がきらめいている。 お袋も似たようなイントネーションで、だけど大人の女性の高い声で感嘆を漏らした。
その間にも光の粒は白、黄色、赤、青などに色を変えながら絶え間なく噴き出して放物線を描き、足元の芝をほんのりと照らしながらじょうろの水のように降り注ぐ。 落ちた粒子は芝の下にある土を明るくすると、雪解けのように消えてなくなる。
熱も煙もなければ、まったく音も出ていないけれど……これはこれで幻想的で、味がある。
「ふわあー」「きれい……」
俺の後ろにいるメイドちゃんズからもため息のような声が漏れ、親父も目を見開いて釘付けになっていた。
トゥキさんの手に乗ったままのニアちゃんも、その「花火」を見て両手を上げで大はしゃぎだ。 リソ君も目を覚まし、弾むめろんから頭を起こして目を輝かせている。
《おおーっ! すっごくキレイだー♪》
「んふふ。 ニアちゃんもやってみると良い。 トゥキ、其方もな」
《はーい!》「承知した」
ニアちゃんはバンザイした両手を前に向け、トゥキさんも眉間にしわを寄せたままもう片手をマントから出す。 間もなくそれぞれの手と指の先から光球が生まれ、同じように光のシャワーを降らせ始める。
その横ではアルヴィちゃんがもう片手にも光球を作り、指先をくいくいと動かしてシャワーの方向を変えて遊んでいた。
「ふむ。 地味でもの足りないかと思っていたが……存外楽しいな」
色や方向、そしてよく見ると粒の光り方まで変えながら、聖母様は周りに光の噴水を振りまく。
粒子は、それほど離れていない俺達のところまでドンドン飛んでくる。 顔やパジャマや手足を七色に照らし、あるいは直接当たって蛍のようにぼうっと光り、すぐに溶けて消えていく。
思わず差し出した手のひらにもたくさんの光の粒が降り注ぎ、様々な色と輝きを楽しませてくれる。 火花ではない、魔法の光だからこそできる楽しみ方だ。
ふと見ると、他のみんなも同じように手を出して笑顔を浮かべていた。 リソ君は両手を振り回し、粒子を捕まえようと一生懸命だ。 バランスを崩しかけた我が子を、お袋は両手で胸の内に抱え直した。
「こんな花火も、あるのですね……」
かすかに子供っぽい瞳の輝きを宿した親父が、あごの下に手を当てて呟く。
盛夏祭が魔導具の研究発表から生まれたという経緯もあって、この国でいう「花火」とは打ち上げ花火のことだけを差すらしい。 いわゆる、手持ち花火に当たるものは存在しないようだ。
俺から受け取ったイメージを元に作られたこの「手持ち花火」も、俺には懐かしいものだが他のみんなにとっては初めてのものだろう。
「わあ~。 ……アルヴィちゃ~ん、わたしもやってみたいの~」
光の噴水に見とれていたセーレたんが、その出所の光球を指さす。
その気持ちは分かるけど、そんなこと果たしてでき――。
「うむ、やってみると良い」
できるの!?
一旦シャワーのやんだ光球を、聖母様は指で摘んでほいっと妹様の手のひらに置いた。
アルヴィちゃんが手を離すと、その光球からまたゆっくりと噴水のように出始める。
「わあ~っ! すご~い♪」
セーレたんは俺から離した手で光球を摘むと、おもむろに持ち上げて宙を泳がせ始めた。 その動きに従って光の粒子の飛び方が変わり、俺とハニーの周りにキラキラときらめく雨が降る。
「すっげー。 俺……あ、いや、僕も」
「うむ」
俺も光球をもらい、指で摘んでみる。 わずかに弾力があるけど、重さがないのでピンポン球みたいだ。
俺の玉も間もなく、真上からぴゅーっと光の粒を出し始める。
「すっげー……」
絶え間なく生み出される星に、俺も目がくぎ付けになる。
ハッとして気づいたときには、ニアちゃんが両手に光球を持ってあちこちを飛び回り、他のみんなも誰かから光球をもらってそれぞれに花火を楽しんでいた。
残念なことに、光球は時間が経つとしぼんで消えてしまうみたいだけど……。
「あ……」
「どうぞ、義母上」
俺の玉がしぼんでガッカリしていると、トゥキさんが新しいのをくれた。
しかも、他よりもちょっと大きいのを。
「あ、ありがと!」
「……どういたしまして」
――俺達は時間を忘れ、夏の夜の花火を楽しんだ。




