400 今日もまた、楽しい1日が過ぎていく。
今日も、一日の授業が終わった。
窓から見える空は青く、ちぎって丸めたような雲が風に吹かれて流れている。 教室に入ってくる空気は適度に暖かく、外へ繰り出すには絶好の天気と言える。
急いで勉強道具を詰め込んだクラスメート達が、どこ行こう何しようと友達同士で楽しそうに喋りながら、授業の片づけをしている先生達に挨拶をしながら出ていく。 ちなみに、黒板をキレイにするのはアズミーリ先生の仕事である。
なぜシャルちゃん先生がしないのかは……敢えて言うまい。
「お兄ちゃん、帰ろっ」
「なんか戻ってる!?」
吹き込んできた風に金色の髪を揺らしながら、我が妹様がカバンを持ってやって来た。
しかし、なんでまた元に戻ったんだ? もしやペロペロ舐めたら直った……ってケガじゃあるまいし。
「どうして戻ったの?」
「ん~。 今は、お兄ちゃんって感じだから~?」
「……そうですか」
意味不明だった。
ま、俺としてはいつもの方がしっくりくるからいいんだけど。
気を取り直して帰る準備を急いでいると、後ろのお姉さんが小さな笑い声を漏らしながら席を立った。
「ふふふ。 二人も、またね」
さらりと黒髪をなびかせて、マーヤさんは教室を出て行く。
今日はこれから図書室へ行くと言ってたけど……そういや、俺はまだ行ったことがなかったな。 けど、なかなか時間が取れないんだよなぁ。
俺達は手を振って見送り、すぐに自分達も廊下の人の流れに乗ったのだった。
――特に寄り道もせず、俺達はとことこと靴音を立てて家路を歩く。
街も、もうそろそろ使節祭ムードに慣れてきたかなーと思いきや全然そんなことはなく、連日あちらこちらで大小様々なイベントが行われている。
城の方向を見上げると、小さな気球が三つほど浮かんでおり―― 風が強いせいで地上とロープで繋いでいるんだろう―― 左右にフラフラ揺れていた。
「お兄ちゃん、浮かんでるの~! すごいね~」
「うん、そうだねー」
石やレンガやコンクリートで作られた住宅街の中、少し開けた交差点に立ち止まってしばし眺める。 色の地味な気球と、鮮やかな青空が対照的でとてもキレイだ。
気球なんて前世でもほとんど見たことはないが、ここが異世界だということを忘れてしまいそうな光景だな。
……いや。 もう俺にとって、ここは異世界でなく「俺の世界」と言っていいだろう。
役立ちそうな知識の類は必死でつなぎ止めているし、覚えているものも少なくないが、細かい思い出やイメージは少しずつ薄れてきている。 たぶん、忘れたことにさえ気づいていないこともあるだろうな。
前の自分の顔さえ、まともに覚えているかどうか怪しいや。
「ははは……まあ、いっか」
名前も歳も見た目も違うし、元の――前の世界に戻る方法なんてヒントのカケラも見つかりやしない。
仮にあったとしても、歴史や時代が同じとも限らないしな。 毛むくじゃらの人間が石槍を持ってマンモスを追いかけているかもしれないし、風化した大仏が海岸の砂浜に半分埋まっているかもしれない。
何より――。
「んにゃ?」
俺のひとりごとに隣で小首をかしげている可愛らしい妹様や、たくさんの家族達もいるのだ。
もしも、今のこの俺の姿で元の世界と時代に帰れるとしても……今の家族を置いて行けるわけなんて、ないじゃないか。
「……ひゃうっ」
「おおっと」
涼しい風が吹き抜け、妹の長い髪が軽く波打つ。 左手は繋がっていて使えないから、俺は右手で彼女の髪を優しくなでて落ち着かせた。 蒼い瞳を閉じていたセーレちゃんが再び開き、見つめ合って微笑み合う。
ちょうどその時、城の方から昼の鐘が鳴り始めた。
「いや、なんでもないよ。 ……行こうか、セーレちゃん」
「うんっ、お兄さまっ♪」
「また戻った!?」
「えへっ」
「まったく……」
ぺろっと小さな舌を出すセーレたんのおデコを、指先で突っつく。
鐘の音が鳴り響く街の石畳を、俺達は再びゆっくりと歩き始めた。
――家へ帰ると、想像もしなかった光景が目に飛び込んできた。
「お帰りなさいジャスパーさん、セーレちゃん!」
「え? あ……ど、どうも」
いつもいっぱいのお菓子をほおばり、頬を物理的に膨らませているハズのステイリアさんが……目の前の皿に手もつけずに待っているなんて!
隣でセーレたんがただいまの挨拶をしているのに気づき、俺も慌てて挨拶を返す。
テーブルにはステイさんと向かい合ってお袋とセラさんが並んでおり、リソ君はその間に専用のイスを置いて座っていた。 チャロちゃんは給仕のためか立っていて……俺がぽかーんとしていた理由に気づいたようで、くすくす笑っている。
玄関で出迎えてくれたマールちゃんはここにはいない。 今頃は、受け取った俺達のカバンを二階の部屋に置きに行っているところだろう。
「さあ~。 ジャスちゃんもセーレちゃんも、手洗いとうがいをして着替えていらっしゃい~」
今日は、みんな一緒におやつを食べるようだ。 とはいっても、ニアちゃんはまだ帰っていないようだが。
……それ以前に、まだステイさんにはニアちゃんを会わせてないし。
でも、そろそろ会ってもらってもいいかな。
『はあ~いっ』
そんなことを考えながら、俺は兄妹そろって返事をしてキッチンへと向かった。
着替えを済ませ、わざわざ待ってくれていたマールちゃんとリビングへ戻ってくる。 マールちゃんはちょっぴり残念そうな顔をしていたが。
なぜか俺の服と一緒に置いてあったセーレたんのスカートは無論、丁重にタンスに戻しましたとも!
「今日はお知らせだけなんですけど……」
席に着き、なに食わぬ顔でマールちゃんにお茶を入れてもらうと、まだおやつを食べていないステイさんが話を始めた。
「本の発売日が決まりましたーっ♪」
『おおーーーーっ!?』
ぱちぱちぱちーと拍手を始めるステイさんに続き、目を丸くしていた俺達も手を叩き始める。 リソ君も驚きつつ「よく分からないけど、取り敢えずマネしとこう!」といった感じで、くりっくりの蒼い瞳を見開いたままおててを叩いているのが可愛らしい。
先週、本のサンプルをもらったときに比べれば実感は薄いけど……とうとう決まりましたか!
「ジャスちゃん、おめでとう~♪」
「もう、凄いとしか言いようがないわね……おめでとう!」
満面の笑みで白魚のような手を叩くお袋と、少しだけ苦笑いしていたけどすぐに拍手と共に微笑みかけてくれたセラさん。
弟くんはその間で、二人をキョロキョロ見ながらとにかく手をシンバルのように叩き続けている。
「おめでとうございますっ! さすがジャスさまですねー♪」
「おめでとうございます! ジャス様のご本と……あのイラストが世に出るんですね。 ちょっと緊張します……」
チャロちゃんは耳としっぽを立ててお祝いしてくれているが、隣のマールちゃんは少し恥ずかしそうにして両手を胸の前で握っている。
「お兄ちゃん、おめでとう~♪ すごいの~っ!」
そしてセーレたんは腰をくねくねさせて、我がことのように喜んでくれた。
みんなの嬉しそうな視線が俺に集まり、俺もちょっとこっ恥ずかしく……今更だけど、少しだけ緊張してきた。
「あは、ありがとうみんな。 ……ところでステイさん、いつなの?」
「はい! 七月八日の、火の日になります」
「来月かぁー」
ほぼ一ヶ月先だな。
まあ、売り上げはともかく――って言ったらステイさんや会社の人には悪いんだけれど。 制作に関わってくれた人達はもちろん、買ってくれる人達にも喜んでもらえることを願うばかりだ。
「あと、今日はみなさんにも製品版の本を持ってきましたよ!」
『わあ~っ』
編集さんの追加の言葉に、メイドちゃんズが声を上げて更に拍手をする。 お袋達も声は出さなかったが、笑顔を深めている。
今度の視線はステイさんに集まり、ちょっと恥ずかしそうにしていた。
「ど、どうも。 ……え、ええっと。 それで、ですねえー――」
そのステイさんは、チラチラとお袋に何かのアイコンタクトを送っている。 なんだ?
俺にはよく分からなかったがお袋はすぐ気づいたようで、口元に手を当てて少し笑うと、その手をテーブルの下に戻して俺達に声をかけた。
気づいたみんなは拍手をやめ、静かにする。
「は~い。 それでは、そろそろおやつをいただきましょう~♪」
「ぷっ!」
さっきのアイコンタクトは、そーゆーことかい! つまりは「早く食べさせてくださいー」って。
……うん。 さすが食いしん坊さんである。
「わ、笑うなんて酷いです……」
顔を赤くしてほっぺを膨らませる新妻の編集さん。
確かに、思わず噴き出してしまったのは俺だけだけどさ……あなたの後ろで、メイドちゃんズも笑うのを必死でこらえていますよ?
チャロちゃんのしっぽが震えっぱなしです。
「うふふふふ……みなさん、召し上がれ~」
『はーい!』
俺達は笑いながら、でもステイさんはちょっぴり拗ねながらも返事をする。 いちおう目礼で謝っておくと、尖っていた口を上向きに直してくれた。
リソ君は無邪気にバンザイをしたかと思うと、真っ先にフォークを掴んではぐはぐと食べ始めた。
ステイさんの両隣にメイドちゃんズも腰を下ろし、みんなで楽しいおやつタイムが始まったのだった。
――温かくて穏やかで、そしてちょーっとだけドキッとしたりする日々。
たまにはスリルがほしくなることもあるけど、危険なんてものはお断りだ。
特に、みんなが命の危険に晒されるなんて……考えたくもない。
ラブ&ピースに勝るものなど、どこの世界にもないのだよ。
俺達は今日もまた、こうして楽しい一日を過ごしていく。




