399 すべては、彼女の手のひらの上に
暖かくなってきたなと思ったら、また少し涼しくなった今朝。
「……ぅうん」
胸に心地よい重さを感じながら、俺は少しずつ意識を取り戻す。 ゆっくりと目を開けると、目の前に嬉しそうな妹様の顔があった。
外の光が薄いカーテンを通り抜け、暗い部屋をぼんやりと照らしている。 毛布から頭を出したハニーの髪も側面が淡く光を反射し、丸い瞳は自ら光を放っているかのように蒼く澄みわたっていた。
「お兄さま、おはよっ♪」
「……まだ『お兄様』なんだ」
昨日、メイド服を着てジャス子ちゃんとなった俺はみんなからほめ殺されて、例のごとく調子に乗って少しだけ女の子っぽく振る舞ってしまった。
もちろん後になって激しく後悔したが、引かれることなくものすごく好評だったので良しとしよう……と自己暗示をかけたのだが、それ以外にもセーレたんからの呼び方が「お兄様」で固定されてしまった。
昨夜ベッドの中で聞いてみたが、るー君以外にも女の子の姿と振るまい方がこれほど似合う男の子がいるなんて! と感動したらしい。
それで「お兄ちゃん」から「お兄様」へとクラスチェンジしたらしいのだが――妹様の思考回路は、ときどき俺にもよく分からなくなる。
「お兄さまって呼んだら、だめ?」
「いや……」
考えてみれば、俺って意外と様付けで呼ばれることが多いが、それはもっぱらメイドさんからだ。 立場や仕事でそう呼んでくれているんだろうから、それはいい。
でも、そうじゃない妹様から、しかも人前でもそう呼ばれるのはなあ。 俺も密かに妹様とか言ってるとはいえ、それは心の中だけだし。
……なんて考えていると、セーレたんの表情がみるみると曇っていく。
「い、いや! セーレちゃんがそう呼びたいならいいよ!」
そんな顔をされたら、ダメなんて言えないじゃないか。
どうせ恥ずかしいのは最初だけだと、俺はまた自分自身に言い聞かせることにした。
「えへっ♪ それじゃお兄さま、おはようの……」
「ん」
嬉しそうに輝くハニーの顔が近づいてきて、今日もまた一日が始まる。
「うふふふふふ~♪ いってらっしゃ~い」
昨夜、メイド服でのご奉仕を希望したお袋は、超がつくほどにご機嫌だった。 天照にも負けないくらいに全身がキラキラしている。
他の女性陣がうらやましそうな顔をしていたので、当分は夜な夜なジャス子ちゃんとなることを強いられるかもしれない……。
また、出勤前の親父は昨日みんなから邪魔者扱いされて思いっきり凹んでいたが、その後で俺とセーレたんとでWご奉仕をしたら持ち直した。
更に驚くことに、トゥキお兄さんまでもが親父に同情して「……その心痛、お察しする」と肩を叩き、親父が恐縮しまくっていた。
「二人共、気をつけてな」
「うん、行ってきます」「行ってきます~」
俺もセーレたんもビックリするほどのお小遣いをもらい、少し風の強い通学路を歩いて学校へと向かった。
「おはよー」「おはようなの~」
教室へ入り、クラスメート達と挨拶を交わす。 まだなんとなく浮ついた感じが残っている我が家と比べ、日常に戻ってきたような気がしてほっとした。
女の子達は今朝の風に文句を言いながら髪をとかし合い、男の子達は新しく出たらしいカードゲームのキャラがどうだのと熱く語り合っている。
声が大きいので、俺の耳にもその内容が自然と入ってきた。
「オレ、昨日新しく出たの買ってきたんだ! そしたらさ……ほれ!」
「おおっ、オルスターマイナじゃん! かなりレアじゃないか」
キャラクターは実在する騎士や魔獣などをモデルにしているようで、しかもその絵がけっこうキレイなこともあって男子連中の心をガッチリ掴んでいるらしい。
自分でデッキを構成し、そこから一枚ずつ引いて手札の中から「場」にキャラを出して、補助カードと組み合わせて相手のキャラを倒して全滅させたら勝ち――というルールなんだとか。
「見せて見せて! へえ……きれいな人だし、強さもバランスいいね」
この手のゲームはけっこうお金を使うから、俺はやるつもりはないが……でもそれなりに興味を引かれるのは確かだ。 セーレたんは早々に同性の友達に引っ張られて髪のとかし合いに入ってしまったので、俺一人でなんとなく近づいて覗いてみる。
何度か見せてもらったことがあるので、俺に気づいた男子達はすんなりと話の輪の中に入れてくれた。
「へー、どんなの?」
「ほらほら、どうよ!」
ガードの持ち主らしい子が、自慢げに見せてくれる。
そこには、すごい美人のメイドさんがオーラを纏わせた巨大な剣を持ち、凛々しい顔つきで髪をなびかせて剣を振り回しているイラストが描かれていた。 浮き上がったスカートからふくらはぎが覗き、ちょっぴりセクシーだ。
数字を見てもどれくらい強いのかはよく分からないので、俺はキャラの簡単な紹介文と名前を見る。
すると――。
『宮廷の戦乙女・序列五位:マリエ』
「ぶふっ!?」
どう見てもマリエルさんだった。
「オイっ!? ツバ飛ばしてないよな!」
「げほげほっ! だ、大丈夫……ごめん」
とっさに横を向いたから大丈夫だと思うが、持ち主の子にはいちおう謝っておく。
なんとなく似てるなーと思ったら、本人だったとは……。
ちなみに、俺の親父もキャラクター化されているのを以前に見せてもらったことがある。 親父が親衛隊に入っているのは知られてるから、それで俺の親父だと気づいた子がいたのだ。
超ロングソードを構える姿は西洋の佐々木小次郎って感じでカッコよかったのだが、それほどレアなカードではないらしくて、ちょっと凹んだ。
……そう言えば、師匠も軍人だから同じくキャラ化されているのかもしれないな。 まだ見たことないけど。
取り敢えず適当にごまかし、俺はカードの話で盛り上がる子達のところから離れた。
そして、さっきからずっと俺のことを見て微笑んでいたお姉さんに挨拶をする。
「おはようマーヤさん」
「ふふふ。 おはよう……お兄様?」
「ぐふっ」
き、聞こえていたのか……。
男子連中がうるさかったから、セーレたんと離れたときに「またね、お兄さま~」と言われたのは誰にも聞こえていないと思ったのだが。
「ええ、セーレちゃんの唇を読んだから」
「……」
相変わらず、底の知れないお姉様だ……。
「一体、セーレちゃんにどの様な心境の変化があったのかしらね?」
「もも、黙秘します」
「ふぅん?」
カバンを自分の机の横に掛け、俺はお姉様から目を逸らして席に着く。
するとお姉様に、机越しに両肩を掴まれて後ろを向かされた。 乗り出すようにしてマーヤさんの顔が近づき、シナモンっぽい甘い香りが鼻をくすぐる。
「父から聞いたわ。 昨日、あの会場でも見かけた……なんといったかしら? ジャス君のお宅を訪れたようね。
確か、マリ――」
「ちょっと待ーっ!」
「――えぅん」
とっさにマーヤさんの口を塞ぐ俺。 近くに例の男の子達がいるのに、その名前を出されると感づかれるかもしれないじゃないか!
……手のひらに、お姉さんのしっとりぷにっとしたモノを感じてしまったと思ったが、時既に遅し。
その目を見るまでもなく、笑みを浮かべたのが手のひらから伝わってくる。
「ま、まさか」
「んふふー」
し、知っているというのかッ!?
俺の、アレを――!
「……く、くれぐれも内密に」
「んふふー?」
お姉さんの鼻から抜けた吐息が、俺の手の甲を生温かくくすぐる。
柔らかそうな頬がつり上がり、彼女の目が細いアーチを形作る。
「くっ……何が望みだッ」
「んふー」
手のひらの中で、お姉様の唇が妖しくうごめく。 俺は慌てて手のひらを少しだけ浮かせたが、まだ手そのものを退けるわけにはいかない。
「まさか……」
「んふふー」
見せろと? アレを見せろとおっしゃいますかこのお方は!?
「くっ……ぐぎぎぎぎぎ」
「んふふふふ~」
マーヤさんは自分の手で俺の手をどかせることもせず、机越しから俺の手に顔を押しつけるようにして妖艶な笑みを浮かべ続ける。
すると、俺達の様子に気づいたらしい近くの女子から、なにやらひそひそと言っているのが聞こえる――って!?
「――――」
我が妹様が、とても薄い笑みを張りつけていらっしゃる!?
無表情でないのが逆に怖いよ!
「わ、分かった、見せるよ。 今度見せるから許して……」
全身から力が抜け、俺は敗北感に包まれながらマーヤ様から手を離した。
お姉様は乗り出していた体勢を元に戻し、ご自分のイスにお座り直される。
「ふふ」
くそぅ、誰から聞いたのか―― 十中八九、聖母様だとは思うが―― この人にまでバレていたとは。
血も涙もないな!!
……あ、精霊だから血も涙もないのは普通だった。
どーでもいいことを考えていると、マーヤさんは嬉しそうに笑った。
「ふふふっ♪ 楽しみだわ。
……何を見せてもらえるのか、知らないのだけれど」
「何いいいいいいーーーっ!?」
知らないッ!? 実は聞いていなかっただとぉーーーーっ!?
「ええ、父からは何も。 『彼に直接聞いてみてごらん』って言われただけよ?」
「な、なんてこった……」
つまりこのお姉様は、ただ笑っただけで俺からネタを引き出したというのか!
そう仕向けたアーンさんもアーンさんだが、この人もこの人だよ……。
「はーい! みんな、席に着いてねー♪」
世知辛い世の中に絶望していると、元気な声と共にシャルちゃん先生が教室に入ってきた。 もちろん、アズミーリ女史も一緒だ。
マイシスターも前を向いて周りの友人達も席に戻り、俺は暗澹たる気持ちのまま授業に臨んだのだった。
そのあと――妹様には、手のひらをペロペロされました。




