328 お仕事モードですよ
なかなか精神的に疲れる学校が終わり、本当は食堂でのんびりしたいところだったけどまっすぐに帰ってきた。
今日は水の日だ。 先週はお休みだったが、今週はたぶんあの人が待っているはずだ。 ……恐らく、リビングで。
「あっ、おひゃえふぃあふぁ~い」
リスみたく口いっぱいにおやつをほおばり、ほっぺにクリームをつけたスーツ姿の若い女の人。
こう見えても新婚さんである。
「あら、本当に早く帰ってきたわね。 お帰り」
幸せそうに昨日の余りのケーキを食べているのはステイさん。 どうやら、少し残していたのはこの人のためだったようだ。 テーブルの向かいにはお茶を楽しんでいるセラさんもいて、初対面の挨拶はもう済んでいるようだった。
家の敷地に入った途端、俺の腕を抱きしめた上機嫌の妹様が挨拶をする。
「ただいまなの~!」
「うん、お帰りセーレちゃん」
「やぁすふん、こほふぇーひすごふおいひーえふえ」
「ステイさん……食べるか喋るか、どっちかにしようよ」
「……はむはむ」
「食べるんかい」
「ふふふふふっ」
楽しそうにセラさんが笑う。
まったく……幸せそうに頬を膨らませているステイさんは、相変わらず憎めない人であった。
「すみません、いつも先におやつをいただいてしまって」
「いえ、別にいいんですけどねー」
たまたま少しだけ離れていたらしいマールちゃんが戻ってきて、俺とセーレたんもそのままおやつタイムに入った。
俺達が食べたのは果肉多めのオレンジシャーベット。 セラさんのお手製らしく、サッパリしていて美味しかった。
ちなみに、ステイさんはこれもペロリと平らげた。 「大丈夫なんですか?」と言葉を濁しつつ聞いてみたのだが、「この仕事は体力勝負ですから!」という微妙にズレているようでズレていない答えが返ってきたので、気にしないことにした。
まあ、それで後日この人妻さんが泣きついてきたときには、チャロちゃんのヨガ教室にご招待することにしよう。
「ところで、今日はご報告なんですけど」
いつものように、俺はマールちゃんと一緒にステイさんを部屋に招き入れて、打ち合わせという名目の半分雑談に入った。 セラさんは興味のありそうな目で俺達を見ていたが、結局ついてくるとは言わなかった。
最近、ご近所の奥様やメイドさん達の間でヨガがブームになりつつあるようで、セラさんは近所の家へお喋りとヨガをしに出かけるんだそうだ。 なお、インストラクターはチャロちゃんである。
「はいはい」
ミルクティーを飲みながら返事をする俺。 ニアちゃんはまだ帰っていないようで、セーレたんはリソ君に勉強を教えているようだ。
「イラストが全部揃いまして、レイアウトも終わりました! ですので、これから印刷に入りますよ!」
「おおーっ!」
「とうとう、ジャス様の本が形になるんですね!」
原本を作るのにちょっと時間がかかるみたいだけど、それが終われば印刷と製本作業に入るとのこと。 ここまで来れば、書店に並ぶまでもはやノンストップである。
「作者のジャスパーさんには、この段階になれば本来はもうお仕事はないはずなんですけど……」
「ん?」
お茶にいっぱいシュガーを入れてスプーンでかき混ぜながら、編集さんは気になる言い方をする。 相変わらず、甘いのが好きな人だ。
「今回は、会社としましてもいろいろな面で力を入れている本ですので、ぜひとも宣伝にも力を入れたいと考えていまして」
「はあ」
増刷が決まりましたら表紙も変わりますしね、と付け加えて微笑むステイさん。
そう、初版と増刷分とでは表紙のイラストが変わるのだ! いわゆる初回限定版というヤツである。
参考書なのにそんなコトをしてどーするんだ、という気がしないでもないが……ステイさんの旦那さんでもある編集長の許可が出たのだ。 ここはプロの目を信じよう。
「それで……なにかいいアイデア、ありませんか?」
「そんなことを言われてもなあ……うーん」
当然ながら、前世でも本を出したことなんてない。 ましてや、こっちの世界でしかも参考書となると……。
「そもそも、普通だったらどんな宣伝をするんです?」
「そうですねぇ」
くりっとした目を斜め上に向ける人妻さん。 小首をかしげると、飴色の少し内側にカールしたショートカットがふわりと揺れる。
「大手の本屋さんとか……参考書の場合は学校にサンプルを持ち込んで売り込み、といった感じですね」
よく言えばとても堅実、悪く言えばとても地味だった。
だけど考えてみれば、参考書のプロモーションなんて普通はしないよなぁ。 書店に並べてさえもらえれば、あとは内容が良ければじわじわ売れる……たぶん、そんな感じなんだろう。
「……普通ですね」
「はい、普通なんです」
地味と口にするのはどうかと思い、とりあえずは言葉を濁しておいた。 ステイさんも真面目な顔でうなずく。
でも、せっかく参考書にしてはいろいろ新しい試みをしているのだ。 だったら、宣伝にもそれなりに力を入れてPRしたい……と。
「その通りです!」
編集さんの目に光が宿る。 当然会社にも担当の人はいるが、その部署からも新しいアイデアを出した俺の意見がほしいんだそうだ。
俺の隣でマールちゃんも考えてくれているようだが、チラチラと俺のことを上目遣いで見てきていて、明らかに俺に期待しているのが分かる。
うーん、そんなに期待されても困るんだけどな……。
「えっと……思いつきで悪いんですけど」
「いえいえ!」
まあ、可否を判断するのはプロなんだ。 俺は思いつくままにアイデアを出してみることにしよう。
「この本はイラストがまず目につきますから、そのキャラを前面に出すといいと思うんですよ」
「私は、内容も素晴らしいと思いますけどね……?」
「あはは……ありがとうございます」
それは嬉しいけど、内容の善し悪しは本を手に取って開いてもらってから判断されることだ。 まずは手に取ってもらわないとな。
「例えば、大きなポスターを作って本屋さんとかに張ってもらうとか」
「おおー。 マンガなどではやりますけど、参考書ではしませんね!」
そりゃそーだ。
「あとは、セイちゃんとマリちゃんを主役にしたマンガとか」
「おおっ! それはっ」
編集が小さなテーブルに身を乗り出してきた……て、顔が近い近い!
「実はですね、イラストレーターさんから同じような企画の提案がありまして」
「あるのかっ!?」
俺も顔を寄せそうになって、なんとか思いとどまる。 ヘッドバッドするところだった……。
でもたしか、ビッグハンドの方もマンガ化するって言ってなかったか? そんなに描けるのかなと思ったが、考えてみればこっちのイラストは線がシンプルだから描けなくもない……のか? よく分からんが。
「原案はジャスパーさんですから、許可を頂いてからということで保留になっていますけど」
「いや、それはいいんですけど。 ……じゃあそれは、なるべく参考書とは直接関係のない内容でお願いします」
「へっ?」
理解できない、という風に目を大きくする編集さん。 テーブルに身を乗り出したまま固まった。
ま、宣伝したいのにするなって言ってるんだから仕方ないけどさ。
「いえ。 そういうのって、大体宣伝くさい内容になって面白くありませんから」
「ああ……そう言われると、確かに」
ステイさんは、苦笑いを浮かべて微妙に目を逸らせた。 そして、絨毯の上にすとんとお尻を落とした。
「『えっ、このキャラって実は参考書のマスコットだったの?』というくらいの気の引き方で十分だと思います。 それで、あわよくば手に取ってもらえれば……。
あとは中身で勝負ですよ」
「な、なるほど……」
俺が口元を上げて笑ってみせると、人妻さんは指を下の唇に当てて唸り始めた。 眉を軽く寄せ、完全に仕事をする人の目になっている。 こうして、ちゃんと考えてもらえるのって嬉しいね。
やがて、ステイさんの中で納得がいったんだろう。 晴れやかな表情になってうなずくと、テーブルの上に出していた書類を手早くまとめ始めた。
「確かに、中身には自信がありますもんね……分かりました!」
話がまとまると、ステイさんは意外といつもすぐに帰ってしまう。 そういうところではダラダラしない人なのだ。
「本当に参考になりました。 持ち帰って、担当と検討してみますね」
「こちらこそ、子供の言うことなのに耳を傾けてもらって嬉しかったです」
「あははははは♪ 私の中では、ジャスパーさんはもう立派な大人ですよ……それでは!」
隣のマールちゃんにもケーキのお礼を言い、ステイさんはぺこりと頭を下げると颯爽と帰っていった。
今回もお土産にもらったイラストをまとめていて、ふとマールちゃんがずっとだんまりだったことに気がついた。
「マールちゃ……って」
「はぁ……」
横を見るとマールちゃんは、なんだか夢の中にいるような、ぼんやりとした表情で俺のことをずっと見つめていた。
ちょっと顔が赤いけど、どうかした?
「も、もしもーし」
「あぁ、ジャスさまぁ……♪」
焦点の合っていないような目を覗き込んでみると、なぜかだんだんと潤んできた……な、なんで?
「ちょ、ちょっと? 大丈夫?」
目の前で手を振ってみると、ようやくマールちゃんの目の焦点が戻った。
途端に驚いたような顔をして身体を後ろに引くと、両手で自分の胸をぎゅっと押さえる。 ほんのりと染まっていた顔が、みるみる耳まで赤くなってきた。
「――えっ? あ……じゃ、ジャス様っ!?」
「本当に大丈夫?」
「だ、だだだだ大丈夫ですっ!? ……あれ、ステイさんは?」
「いや、もう帰ったけど」
震えるように首を左右に振るマールちゃん。 後ろのポニーテールが思いっきり波打っている。
息も少し荒いし、本当に大丈夫なんだろうか……。
「い、いつの間に……えっ、もうこんな時間なんですか?」
「うん。 ねえ、もしかして熱でもあるんじゃ――」
「ひゃあああっ!?」
「おおうっ!?」
おデコの温度を見ようとしたら、マールちゃんは座ったままものすごい勢いで後ろに下がった!
いや、そんなに嫌がらなくても……。
「いいいいいい、今はダメですっ!? 今触られたら……!」
「そ、そう……」
「は、はいっ! 大丈夫ですから、まだ大丈夫ですから……」
マールちゃんは、首を痛めそうな勢いでまた横に振りはじめた。
なんだかよく分からないが、本人が大丈夫だと言うんだから大丈夫なんだろう。 そう思うことにする。
……まだ、というのが意味不明だが。
両手を交差させ胸を押しつぶしながら深呼吸を繰り返すマールちゃんを、俺はただ見ていることしかできなかった。




