318 ちょっとだけ違う、いつもの光景
あたかもそれは、部屋の中を世界の舞台から隔離する緞帳のような――。
薄闇に染まる白いカーテンの向こうから、夜明けの鐘が聞こえてくる。
ないことが考えられない温もりに覆われゆっくりと目を覚ますと、目の前には幻想的な光に包まれた妖精が微笑んでいた。
「おはよう、お兄ちゃん」
観客もなく、暗闇がすべてを包む舞台裏。 胸元の貴石から優しい光をあふれさせ、可愛らしいヒロインは夜明けのような微笑みを俺だけに見せてくれる。
「……うん、おはよ」
俺の寝ぼけ眼に映る彼女が、女神様のような笑みをほころばせる。
彼女の身体にかかる毛布が光をさえぎり、真っ暗な部屋の中で彼女の姿と俺の身体だけを明るく温かく浮かび上がらせていた。
逃れることのできない運命のように、俺の目は蒼く煌めく二つの宝玉に吸い寄せられていく。 他には何も映らない。
無数の光を宿すその瞳にもまた、俺の顔以外には何も映っていなかった。
「ん……」
その瞳が細まり、白く整った顔がゆっくりと近づいてくる。
眠れるお姫様を起こすのは王子様の役目と相場は決まっているのだが……相手が女神様ならば仕方がない。
女神様の祝福を受けるのも、また王子様の役目というものだろう。
――こうして、今日もまた一日が始まる。
《行ってくるねーっ♪》
「うん、行っといで」
カーテンを開け放ち、少しずつ確実に早くなってきた夜明けの光を部屋の中に取り入れる。
俺はお腹の中で眠っていた本物の妖精さんを起こし、みんなが揃った朝食の後で青空教室へと送り出した。 ぱたぱたと羽ばたいてリビングの窓から飛び上がっていくニアちゃんの後ろ姿を、俺達はお茶を飲みながら見送る。
俺の隣で手を振るセーレたんは、ニアちゃんが見えなくなってもしばらくの間、感慨深そうな目差しを窓の外に向けていた。
「さて、今日はどうしようかしらねぇ~」
食事の終わったリソ君をひざに乗せ、ほっぺをいじりながらセラさんが誰にともなく声にする。
昨夜、寝るときに弟くんは少しぐずったらしいけど、ほっぺをぷにぷにされて笑ってる様子にその影はまったく見られない。 さすがセラさん、というべきか。
「ほれほれほれー♪」
「むぁむぁむぁう~」
……どう見ても親子です。 これで祖母と孫だなんて、言ったところで誰が信じるんだろうね?
「どこか案内しましょうか?」
お茶にほんのわずかなお酒を垂らすと、親父はゆっくりとカップを傾けてからセラさんへ声をかける。
「いいわ。 用事を思い出したし、ジェド君は今日はお昼から出勤なんでしょう?」
「はあ……まあ、そういう事なら」
では、と親父は席を立ち、歯磨きをしにキッチンへ向かった。
「ジャスちゃん、セーレちゃん。 そろそろ時間ですよ~?」
「おっと……はーい」「はいです~」
二人で席を立ち、今回はお小遣い帳だけを受け取って言われた金額を書く。
マールちゃんがそのお小遣い帳を二階に持っていき、間もなく俺達のカバンを持って下りてきてくれる。
「じゃ、行ってきまーす」「行ってきます~♪」
「ええ、行ってらっしゃ~い」「頑張ってね」
「行ってらっしゃいませー!」
お袋とセラさん、そして今日は休みで私服のチャロちゃんが手を振ってくれる。
「ふぉー」
歯磨き中の親父も、キッチンから背を向けたまま左手を挙げてくれた。
俺達も手を振り返し、マールちゃんに続いてリビングを後にした。
今日も子供達でごった返す学校の昇降口。 流れに沿って階段を上り、教室に入りみんなへ挨拶をする。
「おっはよー」「おはようございます~」
あちこちから飛んでくるおはように更なるおはようを返しながら、いつもの特等席へ歩いていく。
それにしても……本当に制服ファッションが増えてきたなぁ。 通学中にも見て分かるほどに増えてきたが、このクラスでは既に半分近くが制服ファッションになっている。
最初は女の子の姿が目立っていたけど、最近になって男子のそれが急増した。
まあ、男のそれは本当にシンプルな服装だし、バリエーションもほとんどないに等しいもんな。 白いシャツとパンツだけで十分だし。
ひょっとすると、本人よりも服を選ぶお母さん方に受けたのかもしれない。
「おはようございますっ!」
「……おはようございます」
マーヤお姉さんと談笑していたシャルちゃんが、始業前から明るい笑みを見せてくれる。
「ちょっとお話があるんですけど、いいですかー?」
「はい、いいですけど……」
シャルちゃんまでもがセーラー服というのは、いかがなものか。 似合いすぎていて、とても先生とは思えません。
……一瞬、他のクラスの子かと思ったもの。
セーレたんはさっそく友達とお喋りを始めていたので、俺だけ先生と一緒に廊下を出る。
いつも特等席を持ってきてくれる予備教室の方へ行けば、生徒の人通りも少ない。 あまり時間もないので、俺達は子供達のざわめきから少し離れた廊下で立ち話をすることにした。
「この前の、お家にお邪魔する日なんですけどー……」
耳をぴこぴこさせながら話を切り出したシャルちゃん先生。 そういえば、まだ決まっていなかったな。 セラさんの突撃で頭から吹っ飛んでたよ。
見た目は先輩な先生が俺の返事を待つように見つめていたのでうなずくと、シャルちゃんもうなずき返して口を開いた。
「はい。 それで、八日……週明けの、火の日の午後でどうでしょう?
他のお家にも行きますので、それ以外だと再来週になっちゃうんですけどー」
指導室で喋ってたときに、他にも何人かの家に行くって言ってたもんね。
ということは、明後日か……。
「はい。 お昼過ぎからだったら、いいですよ」
「ありがとうございますっ♪ もちろん、おやつ時にはお邪魔しませんよー!
……わたしも、おやつを食べてから行きますから」
あははーと先生が笑う。
俺はそういう意味で言ったんじゃなかったんだけど……いや、だったらそうするかな?
「いえ、むしろ食べないで来てください。 うちのメイドさんに作ってもらいますので」
「ええっ!? い、いいですよ! そんなわざわざ……」
「いいんですよ。 元々、いっぱい作ってもらう予定なので」
「……そ、そうですかー?」
慌てて両手を横に振っていたシャルちゃんだったが、俺の言葉にその手が止まった。
「はい。 うちのメイドさんの手作りお菓子……美味しいですよ~?」
「て、手作り……えへへ~……♪」
先生の笑みがだんだん子供っぽく崩れてきた。 胸の前で小さな両手を組み合わせ、少し長めのリス耳が垂れ下がっていく。 アメジストのように輝く瞳を上に向けて、頬を緩ませている表情がとても可愛らしい。
……これは、誰だって餌付けしたくなるわ。
俺がニヤニヤしながら見ていると、我に返った先生が耳を立て、両手で口元を隠しながらほっぺを赤くした。
「ふあっ!? ……え、えっと」
「あはは……はい、楽しみにしていてください」
「……はいっ♪」
結局、先生は素直に首を縦に振ったのだった。
――二時限目の魔術の時間になっても、シャルちゃんはご機嫌だった。
「それじゃあ、今回もてきとーにグループになってくださいっ♪」
今日もフラヴリースの練習らしい。 既に資格を持っている俺達とこれから受験する子供達が、ラケットを手にして地下体育館の一室に集まっている。
しっぽを揺らしまくる先生の号令で、俺達は適当……ではなく、前回のルールに従ってメンバー探しを始めた。
「ジャス君っ」
「お、おう」
「今日も……いいよね?」
「もちろん」
さっそくるー君の魔眼にロックオンされる俺。 今日は男子バージョンの制服ファッションで、妙に爽やかなキャラでやって来た。
普段はまあるい目を細くして、クールな笑みを浮かべている。 ……残念ながら、ボーイッシュな女の子という枠を破れていないが。
「もう少ししたら、るーちゃんも級持ちになるから……。 そ、それまでの辛抱ね!」
「そうだねー」
でも、他の子達への効果はてきめんらしい。 周りの女の子達はうっとりとした視線をるー君に向け、ニャル子ちゃんもほんのりと顔を赤くしてるー君の腕を抱きしめている。 俺の方に近づこうとしているるー君を、腕を引っ張って離そうとしていた。
その一方で、美少年るー君に目を奪われている男子はいつもの半分くらいだ。 ……ごく一部は、普段以上に熱心に見つめているような気もするが。
うさ耳君と三つ編みちゃんは視線が合うと、明るい笑顔を交わした。
「うん。 合格できるように、がんばるよ」
「うん、応援してるね!」
性別的には男女だし、腕も絡めちゃったりしてるんだけど……どことなく、気の置けない同性の友達のようだ。
それに比べて。
「お兄、ちゃん♪」
「お、おう……」
妹様は、上ではあどけない笑顔を見せながらも、下ではさり気なく手の繋ぎ方を変えて指と指を絡めてくる。
いつの間に、そんな高等テクニックを使うようになったんだこの子は……。
「えへへへっ」
「……」
ま、いっか。
力を込めたり緩めたりして、左手を甘くにぎにぎされながら他のメンバーを探していると、前の内気な女の子と目が合った。
女の子はかすかに口元に笑みを作り……そして右隣にいるるー君を見た途端、音がしそうなくらいに顔を赤くして走って行ってしまった。 そのまま、同じくるー君を見てキャーキャー言っている女の子達のグループに混ざると、お互いに肩を叩き合ったり手を繋いだりしてこっちを見ながら楽しそうにし始めた。
「……まあ、いいか」
あのグループならあの子も仲よくやっていけそうだし、良しとしよう。
「――ジャス君」
じゃあ、残りは誰にしようかと考えていると、後ろから声をかけられた。
馴染みのある声に振り返ると、そこにはやはりあのセーラー服を着たお姉さんと、前回も同じグループになった彼が立っていた。
「今度はこちらに混ぜてもらいたいのだけど、いいかしら?」
「マーヤさん……でも、いいのかな?」
個人的には大歓迎だけど、お姉さんも級持ちだ。
前のルールにのっとると、俺とセーレたんを含めて級持ちが三人になっちゃうんだけど。
「構わないみたいよ? 前の授業で球を打てるようになった子が増えたからって、先生が言っていたわ」
「そっかー。 だったら大歓迎だよ」
「ふふっ。 ありがとう♪」
俺がそう言うと、マーヤさんは年相応な可愛らしい笑みをみせた。
「前にあんな事をしでかした身だが……俺もいいか?」
少し居心地が悪そうに、シューハ君は頭を掻きながら俺達とニャル子ちゃん、それからるー君を見る。
もちろん俺は一向に構わないし、セーレたんも異存なさそうだ。
そして。
「うん、もちろんだよ」
「ええ、終わったことだもん」
るー君は当然とばかりに爽やかにうなずき、ニャル子ちゃんもまったく気にしていない素振りで答えた。
「そっか……ありがとな!」
シューハ君はサル耳をピクリと動かすと、白い歯を見せて男の子らしく笑った。




