285 さあ、でておいで
夜の帳の下りた明るい部屋が笑い声に包まれる。 ……ちょっと下品ではあるけれど。
「あははははは……ほんと、一時はどうなるかと――うっ!?」
――ドクン。
まるで鼓動のような、音を錯覚するほどの大きな衝撃を奥底で感じ身体が跳ねる。
途端、俺のお腹から熱いほどの熱が生じ、急速に全身へと波及していく。
「お兄ちゃん!?」
「……始まったようだな」
「あ……が……」
内側から俺という殻を押し上げるような感覚。 無意識に胸を反らして顔が上を向き、目を丸く見開く。
苦痛はまだ感じないが、未知の感覚に戸惑いと恐怖が胸の中に湧き上がってきた。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃんっ!」
「セーレちゃんよ、心配するな」
笑顔から一転して顔を青くしたセーレちゃんが俺に詰め寄る。
俺の身体を揺すろうとするのをアルヴィちゃんが止めてくれた。
「毛布とジャスパーの着衣を捲って、腹を出させよ」
「……あ、う、うん」
ドンドン熱さの増していく俺のお腹。 それは肉体ではなくオドの感覚であり、炉の中で燃える石炭のイメージが浮かぶ。
聖母様から指示を受け、恐らくセーレちゃんが俺の上にかかる毛布をめくった。
「っ!?」
胸の上の重さがなくなり、わずかに涼しさを感じる。 と同時に息を呑む音が聞こえ、俺は視線を下げた。
そして俺も息を呑む。
「こ……これ、は」
パジャマ越しに、普段通りの平坦な俺のお腹がぼんやりと光っている。
まさに電球を布で包んだような光は強く輝き、目を丸くしている妹の顔を白く照らしている。 ちょっとだけ、バースデーケーキを前にしたみたいだな……と思った俺はまだ余裕があるのか、それともまだ現実感が持てないのか。
しかし、室内の光量を増やしてるその光は現実のものだ。
「ジャスちゃんっ!」「ジャスッ!!」
「ジャス様っ!」「ジャスさまーっ!」
意識の片隅で聞いていた複数の足音。 間もなくして、部屋のドアが弾け飛びそうな勢いで開け放たれた。
お袋と親父、そしてマールちゃんとチャロちゃん。 俺のお腹を見て、一様に目を見開く。
そして普段であれば必ず靴を揃えてから上がってくるみんなが、足からすっぽ抜くようにして靴を散らかして駆け込んできた。
「ジャスちゃん、しっかりして!」「だ、大丈夫かッ!?」
「ジャス様……ジャス様っ」「こ、これはいったい……」
お袋と親父はセーレちゃんの後ろから俺の枕元に近づき、メイドちゃんズは横の足元の方から俺の身体と顔を覗き込む。
セーレちゃんは少し安心したような表情になって、後ろの両親に振り返った。
「ママぁ、パパぁ……」
みんなの慌てようを見て、熱を持つ体内とは裏腹に俺の頭は冷静になっていく。
「セーレちゃんも、みんなも落ち着いて。 僕は大丈夫だから」
「安心するが良い。 中でニアが光っているだけだ。 ……セーレちゃん、パジャマを」
「あ……うん」
父親が声をかけ、再びこっちを向いた妹がパジャマのボタンをたどたどしく外していく。
と共に、中から発光している俺のお腹が露わになってきた。
「こ、これは……」
「うー?」
親父はお袋のやや後ろから、怖いほどに真剣な表情で俺のお腹を凝視した。
その腕にはリソ君を抱いていて、彼は不思議そうに俺のお腹を見ている。
「ジャスちゃん……ママがついているわ。 もちろん、ニアちゃんもね」
枕元に一番近いお袋は、俺のお腹を確認するとすぐに俺の左手を優しく握ってくれた。
「ああ、ジャス様。 どうかご無事で……!」
泣きそうな顔で、左の足元の方から手を伸ばそうとするマールちゃん。 しかし届かず、自分の胸の前でぎゅっと握ってもう片手を添えた。
「が、ガンバってくださいね! 応援してますから!」
いちばん足元の方に立つチャロちゃんは、ベッドに両手をついて俺にエールを送ってくれる。 真上に立ったしっぽからも真剣さが伝わる。
そして。
「お、お兄ちゃあん……」
「うん、大丈夫。 頑張るからね?」
セーレちゃんが俺の左腕に手を伸ばしてくる。 お袋が握っていた手を一旦離すと、彼女に俺の手を握らせる。 更にお袋が上から自分の両手を添え、包み込んだ。
「ジャスとニアは今、互いのオドを臍帯のように繋げている。
それを引き千切って腹から出てくるのだが、人間の産痛に比べれば非常に小さなものだろう」
俺の右側に腰掛ける聖母様の「産痛」という単語に、セーレちゃん以外の一同が顔をしかめる。 今さら聖母様がすぐそこにいることに気づいて「ひうっ」と息を呑むが、その場から動くことはない。 マールちゃんも一瞬身体が震えただけだ。
出産を経験しているお袋は、包んでいる両手が小さく震えているのが分かる。 だけど、不安そうに振り返るセーレちゃんには穏やかな微笑みを見せていた。
「……ジャスは、ニアが無事に羽化するように念じると良い。
それが実際に羽化を助け、苦痛を和らげることに繋がる」
「うん」
俺の右手の上に自分の手を添えてくるアルヴィちゃんに、俺は小さくうなずいた。
それから、恐らく最後になるであろうテレパシーを送ってみる。
《――ニアちゃん、聞こえる?》
《――うん》
俺自身も息苦しい熱を感じているが、その中心にいる我が娘はもっと熱いんじゃないだろうか。
だが辛さを微塵も見せることなく、ニアちゃんは穏やかに言葉を返してくれた。
《ニアちゃんは熱かったり、辛かったりしてない?》
《ううん。 わくわくしてるよ! ……あったかいママの中から出てくのは、ちょっとさみしいけど》
《そっか。 ママも同じ気持ちだけど、やっぱり直接ニアちゃんをなでなでしてあげたいよ》
《うん、ニアもなでなでされたーい! あとねー、ニアもママにちゅーってしてあげるっ♪》
《あはは、楽しみにしてるよ》
《うんっ!》
へその緒を通じて、本当に楽しみにしている気持ちが伝わってくる。 きっと、ニアちゃんにも伝わっているだろう。
じんわりと温かい気持ちに浸り、二人でしばらく見つめ合うような沈黙が続く。
同時に、意識が内側を向いてお袋達への反応が鈍ってしまい、心配されてしまったので「大丈夫」と声をかけて微笑んだ。
《……さて。 みんなも、ニアちゃんが産まれてくるのが待ちきれないみたいだよ?》
《ほんとー?》
「だよねー」
『……?』
抱擁を解くのに似た名残惜しさを感じながらも、そろそろとニアちゃんに声をかける。
その流れでお袋達にも話を振ってしまい、みんなが右や左に首をかしげた。 うむ、とうなずいているのはアルヴィちゃんだけだよ……。
いけね、みんなには聞こえないんだった!
「みんなも、早くニアちゃんの姿を見たいよねって話」
俺がフォローを入れると、合点がいったとみんなが笑顔で首を縦に振る。
「うふふふふっ。 そうね~♪」「……そうだな」
「どんな姿なんでしょうね……」「楽しみにしてますよー!」
「ニアちゃん、元気でうまれてきてね~?」
最後にセーレちゃんが、俺の手をきゅっと握り締めてお腹に向かって話しかけた。
そしてニアちゃんは、みんなには聞こえないけれど元気な声で返事をした。
《うんっ! まっかせてー♪》
――それに呼応するかのように、お腹の光が明るさを増した。
やや眩しいくらいの光量に覆われる俺のお腹。 しかし、不思議と見ていても目がチカチカしてくることはない。
《ママ……ガンバるね?》
《うん、一緒に頑張ろう》
《うんっ! ……うううううーーーーっ!》
ニアちゃんが動き始めると俺は上に引っ張られる感覚に襲われ、彼女と繋がった数本の糸に負荷が加わる。
と同時に、オドの奥底からピキピキと鋭い痛みが走る。 場所は分かっているのに分からないような感覚は、力みどころが分からず堪えようがない。
「……ぐぅっ!」
「ジャスちゃん!」「お兄ちゃん!?」
隠せなかった苦痛の顔に、お袋とセーレちゃんが真っ先に反応する。 その直後にメイドちゃんズも心配げな顔になり、親父は耐えるように眉を動かす。
冷静に俺の様子を見守っているアルヴィちゃんを除けば、リソ君だけが意味が分からなそうにぽかーんと見ているけど……それがかえって俺の気分を楽にする。
「グッ……ぅく……」
とにかく全身を固くして小刻みに震える俺。 ニアちゃんが少しずつ境界面に浮き上がってくるのを感じ、糸が限界まで引き伸ばされる。
――ブチッ。
「あぐっ!」
どう例えたらいいんだろう。 俺の身体の内側にある毛を、数本まとめて引っこ抜いたような痛みが走る。 髪の毛を抜いたときのそれに似ているけど、それよりはずっと距離感の近い痛みだ。
まあ確かに痛くはある……けど、想像していたほどじゃない。
わずかに涙が出そうになった両目を一瞬だけ瞑ると、すぐに薄く開いて自分の露出しているお腹に目を向ける。
二度目などないであろう、自分の出産の瞬間をなんとか直接見たいから。
輝くお腹の表面。 何かが出てきそうな感覚はあるものの、まだ少し届かない。
《うぅ――ぅぅぅ――ん》
何割か小さくなったニアちゃんの声が、俺の中から聞こえている。
更に糸が張り詰め、えいやっと引っ張られると続けて何本かが一気にちぎれた。
「おうあああっ!?」
《――ぁ――っ!》
い、今のはちと痛かった……! また両目を瞑り、ニアちゃんも中で痛そうな声を上げた。
一方で外からは、俺の名前を呼ぶみんなの声が聞こえてくる。
「だ……だいじょ……ぶ」
「お、お兄……ちゃん」
残された糸はわずか。 自分を鼓舞するためにも、俺はちぎれた後の鈍痛に耐えながら口角を上げてみんなに応える。
特にひと筋の涙をこぼすセーレちゃんには、その手をしっかりと握り返して大丈夫だと伝える。
《……ニアちゃん?》
《――っ》
最後の呼びかけ。 ほとんどの繋がりが切れた今、娘の声はほとんど聞こえない。
だけど、辛そうにしながらも頑張っているのは伝わってきた。
《あと、ちょっとだ。 ……さあ、出産ておいで!》
《――――ぅん! ママ!!》
意識の外で、みんなの応援してくれる声と、俺の手を包んでくれる温もりを確かに感じながら。
最後の糸が切れる直前。 中から聞こえてきた我が娘の返事は、とても力強かった。




