286 スフィニアちゃん、爆誕っ♪
――プツッ。
俺の中で音が鳴るようにして、我が娘との繋がりが断たれる。 胸に走った痛みはオドから来たものか、それとも気持ちから来たものなのか。
ニアちゃんは最後に俺のオドをひとなでして、巣穴から飛び立ってみんなの前へ姿を現そうとしていた。
その時。 外の暗さとは逆に俺の部屋の中は、天井の照明と俺のお腹とで明るく照らされていた。
ベッドの上で蛍のように発光する俺の周りを家族のみんなが固唾を飲んで取り囲み、じっと見つめている……。
考えてみると、かなり異様な光景だ。
「そろそろ、出てくるぞ……んふふ」
繋がりの消えた余韻の痛みを感じていると、俺の右側でベッドに腰掛けている聖母様が静かに、だけど楽しそうに呟いた。
同時に、俺の右手に添えていない方の手を上げ肩の高さで人差し指を立てると、部屋の明かりが消えていく。 暗くなった室内の光源が俺だけになると、強く光るお腹だけではなく、身体全体がかすかに発光しているのが分かるようになった。 まるで夜光塗料のような、ぼんやりとしていて少しだけ緑の混じった光だ。
更に俺の目には、周りのマナ粒子が俺からの影響を受けて、空中で様々な色の光を淡く発しながら漂っているのも見えている。 ……これが見えているのは、残念ながら俺とアルヴィちゃんだけだろう。
この現象が俺を中心にして起こっているのだと思うと、わずかに残っていたオドの痛みがすっと消えてなんとも言えないような高揚感というか、感動にも似た気持ちが湧き上がってくる。
「うわぁ……」「おぉ……」
暗闇の中に浮かび上がる俺の姿に、感嘆の吐息を漏らす家族達。 下から、あるいは横から俺の光に照らされたみんなの顔が驚きに染まっている。 だが、それは俺自身も同じだ。
一方、透明なメガネのレンズにお腹の発光を映している向こうでは、アルヴィちゃんが「どうだ?」と言わんばかりに黄色を帯びた碧色の瞳を細めていた。
……そして、俺のお腹の輝きに変化が現れた。
光の形が縦長のだ円になり、一層強く光り出す。
俺の中にある熱の塊が浮き上がっていくのを感じていると、そのだ円が光のシルエットとなってお腹からゆっくりと盛り上がってきた。
『っ!?』
みんなの息を呑む音が聞こえてくる。
縦でも十センチあるかどうかの小さな光から現れてくるシルエット。 自分の腹を見下ろす俺からは、ピンポン球くらいの丸っこい頭と、今の俺でも片手で持てそうなほどの華奢な両肩がじょじょに見えてきている。 頭の大きさと比べるとほんの少し横に出ている程度の肩幅で、その肩を覆うくらいの長い後ろ髪が背中の方に流れている。
やがて肩が完全に外に出ると、続いて起伏のないらしい胸から下が現れてくる。 身体を支える二本の腕は、指で摘むのもためらいそうなくらいに細い。 俺の小指といい勝負かもしれない。
出てくる身体に沿って形を変えていた強い光が、両手と胴体の三つに分かれていく。 細い手の先に見えてきた手は豆粒のようで、そこについている指は光のために区別はつかないが、恐らく針か釘の先端ような細さなのだろう。
そして、お腹の光はシルエットに換わるように小さくなり――ついには完全に消えた。
――息をする音さえも聞こえない暗闇の中、ふわふわとマナの粒子が光りながら漂っている。
今や最も強い光源となっているのは、お腹の上でうつ伏せの体勢から腕を立てて上半身を起こしている、ちょっと頭の大きな光のシルエットだ。
そう……その姿は、ヒトの形をしていた。
もっと簡潔に表すなら、三頭身のデフォルメキャラのような形である。
「……」
俺自身も含めて、誰もが息を殺して彼女の姿に見入っている。
その姿自体は、決して予想外のものではなかった。 精霊は自分の意志で姿を決めるというから、俺達に囲まれて育ってきたこの子もきっとそうだろうと思っていたし……少なくとも俺は、そんなイメージを持っていた。
しかし実際にこの幻想的な光景の中にいると、「やっぱり」なんて気持ちは出てこない。
……あるのはただ、言葉にならない感動だけだ。
それでもなんとか口を開こうとしていると、下を向いていた彼女――いや、俺の娘が、下を向いていた顔を正面に向けた。 動くのは当たり前なんだけど、人形のような小さな身体が実際に動くとそれでも驚いてしまう。
周りから誰のとも知れない声が漏れ聞こえ、俺は逆に絞り出そうとしていた声がつっかえて止まる。
『……』
ただでさえフィギュアのように丸い顔の輪郭は、全身もろともかすかに緑の混じった光に包まれていて、細かいところまではまだ判然としない。
しかし、前髪にギリギリかかるかかからないか……というくらいの二つの瞳はとても大きく、鮮やかな翠色の輝きを宿しているのが印象的だ。 見ていると癒されるような、優しい色合いである。
だがその瞳には、白目や黒目―― 実際には翠だけど―― といった部分はあるものの、その中央にあるはずの瞳孔や虹彩が見当たらない。 かつてのタマゴだったときの、透明感のあった球体の表面を思い出す。 そのことが、改めてこの子が人間ではないことを示している。
そもそも、こんなに小さいヒト種族なんてこの世界でも聞いたことがないんだが。
一見するとどこを見ているのか分かりにくいけど、その瞳は確かに俺の目をじっと見つめている。
名実ともにヒトとは異なる存在。 しかし恐怖感や忌避感なんてあるはずもなく、大きくつぶらな瞳はどこまでも純粋で、ただただ可愛らしい。
俺の口元には自然と笑みが浮かび、それを見ていた我が子も……。
『――♪』
俺の子は目を細め、その下にある小さな小さな口を弧にしてにっこりと笑った。
その瞬間。
「ふわっ?」「おわぁ!?」「はわっ!」
彼女の肩がくっと上がったかと思うと、全身から部屋全体を照らすほどのフラッシュ光が魔力粒子と共に弾ける!
と同時に華奢な身体の向こうで長い髪が舞い踊り、肩甲骨あたりだろう位置から一対の鋭い三角形が左右に飛び出した!
それはまさしく――。
「ぴっぴ、ちゃん……」
蒼い瞳を丸くしたセーレちゃんが、俺の手を握りながらベッドの左側に立ってぽつりと呟く。 俺達の手を更に上から包んでいるお袋の両手にも、きゅっと力がこもった。
それから、俺とお袋と……そしてマールちゃんとチャロちゃんも、声を揃えて同じ言葉を口にする。
『――はね』
たぶん彼女が、両腕を横に伸ばしたくらいの幅があるだろう。
淡い碧色の光を発するそれは、上部にそれぞれ「へ」の字に折れ曲がるフレームを左右対称に持ち、下部には縦長のだ円のようなものがいくつも重なり合っているらしいシルエットが、背中の後ろのつけ根に向かって緩やかなカーブを描いている。
それはまさに、柔らかい羽毛が集まってできた、小鳥のような羽であった。
しばらく茫然と眺めていると、いつの間にか俺の身体から光が出ていないことに気づく。 周囲のマナ粒子も光を消し、それから羽以外の、ニアちゃんの全身からも少しずつ光が抜けていった。
すかさず夜の闇が入り込もうとする部屋に、ひとりでに天井の照明が灯り始める。 チラリと右側を見ると、人差し指を立てた緑のお姉様が小さくうなずいた。
魔力を使った人工光が明るく照らし、幻想から現実へと帰ってきた室内。 だけどその中で文字通りに羽化した娘は、いまだぼんやりと薄い碧色に光り続ける羽を背後に広げ、うつ伏せで腕を立てた体勢のまま微笑んでいる。
「に、ニアちゃん……」
『――っ♪』
俺が声を絞り出して呼びかけると、ニアちゃんは嬉しそうに大きな瞳を瞬きさせ、光る羽をゆっくりと下に動かす。
すると小さな身体がふわりと浮き上がり、本当に人形のような、華奢で繊細そうな全身を俺達の前に晒した。
……体長は十数センチくらいだろうか。 肌は新雪のように白く、三頭身のちょっと大きな頭に印象的な瞳が光る。 髪はその瞳よりも薄く明るい碧色で、柔らかそうなストレートがつま先の下まで伸びていた。
そして背中の後ろには、自身の身体をほぼ包み隠せそうな一対の羽。
この、この上なくファンタジーな可愛らしい子が、俺の娘――。
と思ったのもつかの間、ニアちゃんは再び振り上げた羽をもうひと羽ばたきすると、俺に向かって一直線に飛んできた!
「うわっ!」
『――♪』
とっさに目を瞑り後頭部を枕にうずめた俺の顔に、真正面からニアちゃんが張りつく。 勢いはあったものの衝撃はなく、代わりにほんのりとした温かさとしっとりとした彼女の身体の感触が俺の顔を覆う。
鼻の頭には、彼女のお腹らしい柔らかな弾力がふにふにと押しつけられる。 左右の腕は両方の頬骨の上に沿って回していて、俺の顔に抱きついているらしいことが分かる。 しかも俺の鼻に沿って腰を曲げているようで、細い脚が俺の唇とあごに当たっていた。
つま先は完全に浮いているようで、俺の鎖骨のあたりには何も感じない。 つまり完全に俺の顔に乗っかっているわけだが、体重はほとんど感じない。
「んーっ!?」
あまり顔を動かすと、彼女がずり落ちてしまいそうで……うかつに喋ることもできない。 というか、うっかり足を食んでしまいそうだ。
しかしなんとか声を出そうとすると、彼女のお腹に息がかかってしまって柔らかい身体がふるっと震えた。
《きゃんっ♪ ママ~、くすぐったいよぅー!》
《なっ!?》
なんと、俺の頭にテレパシーが聞こえてきた!
ついさっきまで行っていたやりとりが早くも復活して、嬉しさのあまり目を見開いて――慌てて閉じる。
俺の顔の筋肉が縦に動いて、またニアちゃんがくすぐったように密着した身体をよじった。 また軽く息を吸い込むと、桜の花のような爽やかで少し甘みを含んだ香りが俺の鼻腔に広がる。
《ひゃわっ、また動いたあー!》
《ご、ごめん! またこうして話ができたから、つい。
っていうか……もしかして、こうしないと喋れなかったりする?》
《うん。 まだカラダがちゃんとできてないから、声が出せないんだよー。
……うー! なんでヒトのカラダって、こんなにややっこしいの~?》
いや、そんなコトを俺に言われても困るんだけど。
《でも、ややこしいのに更に羽までつけてくれたんだから、十分にすごいよ。 それに、いずれ成長していけばいいんじゃないかな。
ところで、その羽って……》
《……うん。 あの子の羽をマネっこしたの。
それにママも、ニアには羽があった方がいいみたいだったから……これ、どう?》
触れ合うオドから、ニアちゃんがセーレたんや小鳥のことも想ってそうしたらしいことが伝わってきた。
この羽で飛び回って、その姿を見たセーレちゃんが笑っている――そんなイメージが脳裏に浮かぶ。 優しい子だな。
それにしても、この子は俺も望んだみたいな言い方をしたけど……そんなこと言ったこと、あったっけ?
確かになんとなーく、ニアちゃんは前世でいう「妖精」っぽい感じだなーとは思ってたけど……。 ひょっとして、イメージが伝わってたのかな。
《ねーママ! ニア、にあってるー?》
《へ? ああ……うん、とっても可愛いと思うよ》
《きゃはっ♪ やったあーー!!》
ほめてあげるとニアちゃん両足をバタバタさせ、俺の顔に乗り上げた身体をすりつけながら抱きついてくる。 その上、眉間のあたりではちゅっちゅと小さくて柔らかいものが何度も触れる感覚が……!
《ちゅっ! ちゅーっ♪》
《ちょっ!?
と、とにかく一旦離れて! 息ができない》
《ちぇー。 ……はあーい》
「はあ、はあ、はあ」
顔からニアちゃんから離れるのを感じ、俺はすぐさま限界だった呼吸を再開する。 は、恥ずかしい上に息苦しかった……。
それからゆっくりと目を開け、俺の胸の上で羽を広げたまま浮かんでいるニアちゃんの色白なプリティフェイスを見る。 離れるときに拗ねたような声を出していたけど、今は周りのみんなに身体を向けて、ちっちゃな両手をぶんぶんと振りながら無邪気に笑いかけている。
アクティブに動く身体から、桜の香りがほんのりと振りまかれる。 自由に動けるようになって、とっても嬉しそうだ。
『~♪』
元気いっぱいで手を振るニアちゃんと、酸素を取り込んで落ち着いてきた俺。
ボーゼンとしていたみんなはそんな親娘の姿を見て、安堵とも感嘆ともつかないため息をつくとようやく笑顔を取り戻していった。




