284 うん、よかったね!
穏やかな日差し。 窓から見える青空に、柔らかそうな雲が漂っている。
気持ちのいい微睡みの中で目を覚まし、ほとんどお昼になってしまった朝食をいただいた。 せっかく作ってくれたのを温め直すことになってしまったが、みんなは笑顔で許してくれた。
「うふふふふっ。 だからスープにしたのよ~」
さすがはお袋。 すべてお見通しでいらっしゃる。
具だくさんの野菜スープは素朴な味つけで、噛めば噛むほどに出てくる野菜の自然な甘みが美味しい。 オドが多少回復して体調が持ち直したのもあり、お腹を中心としてぬるま湯に浸かっているような温かい心地良さに包まれる。
「ふう、美味しかった。 ……セーレちゃん、ありがとね」
「えへへへっ♪」
野菜を切ってコンロの火加減も担当したというセーレたんをなでなで。 将来はいいお母さんになりそうだなー。
ベッドの左側でにこにこしている親娘の反対側では、アルヴィちゃんが自分のひざの上にリソ君を座らせて切った果物を食べさせていた。 一見すると小さな子供は苦手そう、あるいはあまり好きじゃなさそうな容貌をしているのだが、優しい笑みを浮かべてリソ君に「あーん」している様子はとても自然だ。
俺の方を向いて空中に座っている、という点さえ除けば。
「おいちー!」
「そうかそうか♪ うむ、リソベルはいい子だな」
アルヴィちゃんのひざの上でバンザイしているリソ君。 彼にとっては、聖母様も普通のお姉さんだな。 しかも俺の触手プレイに慣れているから、宙に浮いていても何とも思っていないみたいだし。
「さあリソベル、次もあーんし……ん?」
「あえーっ!」
フォークに刺したフルーツを差し出されたリソ君は、なぜかそれを手で押し返してアルヴィちゃんの方に。 さらに両手でぐいぐいと押している。
もうお腹いっぱいなのかな?
「……もしや、我にも食べよと?」
「あいー♪」
これは驚いた! リソ君が、自分の食べるものを人にあげようとしている。 その様子を見ていたお袋も少し驚いた顔をして、そして嬉しそうに微笑んだ。
「うむ、では貰おうか……はむ」
「いひー!」
身体的に食べる必要のないお姉様だが、リソ君に勧められるままに口を近づけてパクリ。 メガネの横を軽く抑えながら果物をもらう仕草は、本当にどこにでもいそうな知性派お姉さんだ。
「ふむ、これは美味だな。 よく熟れている」
「おいちー?」
アルヴィちゃんは口元を緩めるが、弟くんは理解できなかったようで小首をかしげる。
すると聖母様は、リソ君の頭をなでながらもっと大きな笑みをこぼした。
「ん、おいちーぞ!」
「ぃえーーーー♪」
またリソ君がバンザイすると、アルヴィちゃんはその手に自分の手のひらを合わせてタッチを交わす。
見ている俺達も、自然と口元が上がる。
「うふふふふ~。 リソちゃん、よかったわね~」
「リソ君、よかったなー」
「……お兄ちゃんも、あーんする?」
「い、いや」
俺はもう食べ終わってるからね? 「美味しかったよー」と言って空っぽの器を手渡すと、妹様は複雑な顔をした。
「ほほう? では我があーんしてやろうか?」
「いや、それリソ君のだから」
「うふふふふっ♪」
お産の時がすぐそこに迫っているとは思えない、そして国王様以上の超VIPがいるとは思えないような、とても穏やかなひとときだった。
だけど、親父は仕事モードの顔でちょこちょこ様子を見に来るのだがすぐ出て行ってしまい、メイドちゃんズは恐縮しているのか、毎回親父について来るものの中に入ってきてはくれない。 そのときにマールちゃんは俺に向かってぎこちなく微笑んでくれるんだけど、チャロちゃんは親父の背中やドアに隠れて、耳やしっぽの先しか見せてくれない。 その耳やしっぽも震えっぱなしだ。
入ってくればいいのにーって思うんだけど……無理なんだろうなあ。
「――ん。 ……あれ?」
「あっ、お兄ちゃん!」
違う意味でお腹と胸が温かくなり、また眠気が襲ってきて――気づけば夜だった。
あたりはとても静かで、明かりのついた部屋の外は夕焼けの混じった紫から青暗い色になっている。 それに気づいて相当な時間眠っていたことに気づくが、オドを失ってそれだけ疲労したということなんだろう。
比較的スッキリとした目覚めと共に映ったのは、いつの間にか運び込まれていたイスに座ってにっこりと微笑むセーレたん。 ……でも、けっこう疲れているようで隠しきれていない。
一人で座っていたみたいだけど、ずっと見ていてくれたんだろうか。
「起きたか」
気配なくかけられた声に右を向くと、ベッドに腰掛けて俺の顔を見下ろすアルヴィちゃんの姿が。 こちらは当然ながら、疲れなどとは無縁のようだ。
魔力の気配はむしろ消しておいてくれないと、ご近所が大騒ぎになるだろうからそれはいいんだけど……座っていてもベッドがまったく沈まないので気づかなかった。
だから少しビックリした。
「あ、うん」
「ニアの変態が終わったが、気づいているか?」
「え? ……あ」
言われて気がついたが、今朝から感じていたお腹の熱が収まっていた。
オドもかなり回復していて、ニアちゃんが静かに眠っている――いや、違うな。 まるで何かを待っているかのように、じっとしている気配が中から感じられる。
毛布の上から俺のお腹に手を置いた聖母様に、うなずいて応えた。
「今、ニアは羽化の準備が終わり、機会を窺っている状態だ。 故に、其方が許可すればすぐに羽化が始まるだろう」
気のせいじゃなくて、本当に待っててくれてるんだ? ああ……そう言えば、産まれそうなときは先に教えてって言ってあったっけ。
横で俺達の話を聞いている妹様から「ふわぁ」と嬉しそうな声が漏れ聞こえてくる。
「そうなの? じゃあ――」
「まあ待て」
だが、即OKを出そうとするとお腹をぽんと軽く叩かれて止められてしまう。
「その前に聞け。 ……其方とニアは今、細いオドの糸で繋がっている」
「へ? うん……そうだね」
最初はタマゴ、というかさなぎ状態だったニアちゃんがくっついただけだったけど、今はへその緒のようなラインで繋がっている。 一本じゃなくて何本かついてるけどね。
たぶんだけど、だからこそ交信ができたんじゃないかなって思う。
「糸――この場合は臍帯と言っても良いか。 オドの吸引にも使われただろうが、それ以上にオドの親和性による所が大きい」
「親和性?」
「うむ。 通常、生物同士のオドは干渉し合わないが、特定条件下で親和性を発揮する。
具体的にはオドの成分が非常に似通っているか……精霊の様に、自らの意思でオドを操作できる者同士が意図的に融合しようとした場合だな」
「ふーん」
言われれば納得。 俺は自分でオドを操作できるし、それに「妊娠」というキーワードでニアちゃんと繋がることを意識していたのも確かだ。
「それで、だ。 羽化するという事は即ち、融合しているものが別個の存在に乖離する事に他ならない訳だが……」
ベッドの向こうに脚を流し、腰を九十度くらいに捻ってこちらを向いている聖母様が上半身を傾け、俺の上に覆い被さるように顔を寄せてくる。
その表情は昼間と違って真剣なもので、俺は思わず唾を飲み込む。
「わ、わけだが……なに?」
「つまり、今から行われる『羽化』とは、繋がっているものを断ち切り引き剥がす事を指す。
精霊が自分の意志で身体を千切って分体を作る際は兎も角、既に独立した意思あるものを引き剥がすとなると――」
そこで意味深に言葉を句切られる。 息もしない、髪もなびかない彼女の顔が目と鼻の先まで近寄り、黄色を帯びた深い碧の瞳に俺の顔が映る。
「と、なると……?」
「――それなりに、痛いぞ?」
「うっ」
艶めかしい唇を歪めて、お姉様は意地の悪いことをおっしゃった。
「い、いや、それは……」
それはつまり、陣痛とか産痛とかいうヤツですか? そ、そこまで再現しちゃうんだ……。
つーかヤッパリ、ニアちゃんはアソコから出てくるのか!?
ぎょっとして頬が引き攣る俺に、聖母様はイタズラっぽく目を細める。 そうして顔を見合わせていると、横からセーレたんの声がした。
「お、お兄ちゃん……痛くなるの?」
「うむ、少しだけな。 なに、ちょいと傷のかさぶたを剥がす様なものだろう」
我にかさぶたはできないがな、とセーレたんを見て笑いを漏らす聖母様。
また俺の方を向くと、身体を起こしながら俺のお腹をぽんぽんと叩いてなでた。
「んふふふふ……そこまで心配するな。 互いに離れようと意志を持つことで、痛みは大幅に軽減される」
「そ、そうなんだ……」
だ、だったら安心か。 ニアちゃんも別に、俺の中にずっといたいとは言ってなかったし。
「そ、それとな? ……ふはははははっ♪」
少しうつむいて肩を震わせていたお姉様だったが、なぜかその笑いはドンドン激しくなってついに噴き出した。
しまいには自分のお腹を抱えて足をばたつかせる聖母様。 その様子に、俺もセーレたんもきょとんとしてしまう。
何ともリアクションできずにしばらく眺めていると、やがて収まってきた笑いにまだ身体を揺らしながら、アルヴィちゃんは俺のお腹をまたぽんぽんと叩き始めた。
「んふふふふ……ジャスよ、心配するでないぞ」
「は、はあ」
「――ニアは決して、其方の尻の穴から出てくる訳ではないからな?」
「へ」
そ、そうなの? よかったあ~! 産む俺もイヤだが、産まれてくるニアちゃんも絶対にイヤだろうしなー。
だったらどうやって? という疑問は残ったままだが……取り敢えずはほっとした。
「んにゃ? うんち~?」
その横で、妹様があどけない表情で小首をかしげた。 聖母様が再び噴き出す。
お願いですから、絶世の美少女がそんなセリフを口にしないでください……。




