273 ごちそう、さまさまでした
ものすごーく、生温かい視線とニヤニヤを四方八方から受け続けた学校が終わり、やっと放課後になった。
はあ……とてつもなく疲れたよ。
「はい、ジャス君」
アズミーリ先生が算数の授業の終わりを宣言した直後、後ろのお姉さんに肩を叩かれて紙切れを渡された。 しかも二枚。
「え、なに?」
振り返って首をかしげる。 一枚は単純に四つ折りしたものだが、もう一枚は少し複雑な折り方で自然には開かないようになっていた。
「ふふ。 ラブレターよ……って、言ったらどうする?」
「えー」「ええっ!?」
イタズラっぽく笑うお姉さんにどう返そうかと考える俺の右側で、もう荷物をまとめてきたらしいセーレたんが驚く。 俺の腕に抱きつく寸前で硬直した。
「ふふふ。 セーレちゃん、冗談よ?」
「び、びっくりしたの……」
「で、これは一体」
すがりつくように腕を組んできたセーレたんをなでながら、差し出された紙の正体について聞く。
「ええ。 まだ、デートコースを決めていないって聞いたから、私のおすすめでもどうかしらと思って」
休み時間に、今回のデートに至ったいきさつを聞かれた俺。 小鳥が死んでしまってセーレたんがすごく悲しんだこと、そして悲しみを乗り越えた彼女へのごほうびとしてのデートだということを話したんだが……。 どうやら、それで気を利かせてくれたようだ。
俺も急な思いつきだったので、帰り道にある喫茶店にでも適当に入ろうかと思っていたから、おすすめスポットの紹介はまさに渡りに船だ。
先に四つ折りの方を渡されて開いて見ると、ノートの半分くらいの大きさだろう中に、手書きでどこかへの行き先が図解されていた。
「地図……」
「そう、私がたまに行く喫茶店があるのよ。 落ち着いた雰囲気で、とてもおすすめよ」
「へえー」
学校がスタート地点になっている地図は、とてもキレイな字で分かりやすく書かれている。 ちょっと歩かないといけないみたいだけど、道自体は簡単だから迷うこともなさそうだ。 目印なんかもしっかりと書かれてるし。
俺が目でルートを追っていると、わざわざ俺の机をぐるりと回って左側に移ってきたセーレたんも覗き込む。 ……右側に立つのは違和感があるのかな?
「今なら、レアチーズとキスベリーのムースケーキがおすすめね。
ちょっとお高いけれど……それだけの価値はあるわ」
おおう、なんか本格的っぽいケーキの名前が出てきた!
ちなみにキスベリーというのは、イチゴによく似た果物だ。 完熟するととても甘いが、その一歩手前の甘酸っぱいものがいちばん美味しいと言われている。
これはまた、いかにもデートっぽいチョイスだな……。 俺も好きではあるけど、隣のハニーは目が輝いている。
「キスベリー……♪」
「ええ。 キスベリーとレアチーズが香り高くて、甘さの中に少しだけ酸味があって……それに、ひんやりとしていて口の中ですっと溶けるのよ」
「ふわああああ~……」
その味を想像したのか、セーレたんが両手を口に当ててくねくねし始めた。 そしてマーヤさんも、片手を頬に添えて若干うっとりとした表情を浮かべている……珍しい。
じーっと見ていると、俺の視線に気づいたお姉さんがハッとなって目を逸らした。 ちょっぴり頬が顔を赤くなっている。
「……こほん。 そ、そういうわけで、よかったら二人で行ってきたらどうかしら?」
「お、お兄ちゃああああ~ん♪」
「ははは……そうだね。 行こうか」
「うんっ!」
そんな期待いっぱいな目で見てられたら、俺も首を縦に振るしかないではないか!
つーか俺自身も、ちょっと想像して口の中にツバが……。
「ふふふ。 それじゃあ、こっちの紙は私からお店のマスターへの伝言。
ついでにお願いして悪いのだけれど、これをすぐに読んでもらうようにお願いしてくれるかしら?」
「分かったよ」
「ありがとう。 ……二人とも、楽しんできてね」
「うん、ありがと」「は~いっ♪」
もう一枚、というか一通の方も受け取って、俺は急いでカバンに教科書などを詰め込んだ。
教室を後にする背中に、「ひゅーひゅー!」「ひゅーひゅーだよ!」という冷やかしを受けながら。
やーめーてー!
「えーっと、次は花壇のある家を右に……ココだな」
というわけで、俺達は腕を組みながら地図を頼りに散歩中なのである。
普段はあまり外では腕を組まないんだけど、もうこうなったらトコトンやってやるー! と、開き直ってしまうことにした。
「べり~、べり~、べりべりべり~♪」
ハニーは歩きづらくなるのも気にせず、俺の腕に抱きつくようにして即興の作詞作曲を続けている。
残念ながら、声は可愛らしい妹様もそっち方面のセンスは今ひとつのようだ。 ……無論、思っていても口には出さない。
「うふふふふふふっ。 べりべり、きすきす~……ふふふっ」
「……」
何かがツボに嵌ったらしいセーレたん。 とっても幸せなそうな彼女とその隣の俺に、道行く人からも温かい視線をいただく。 昼の鐘が鳴ったばかりで、人通りが少ないのが幸いである。
よく手入れされている家先の花壇や植木を見ながら歩いていると、草花多い通りの中でも、ひときわ彩りのキレイな白い店を見つけた。
着いたようだ。
「セーレちゃん、ここみたいだよ」
「えっ? ……わあぁ~」
こぢんまりとした、白く塗られた喫茶店。 壁の足元に沿って小さい花が植えられた鉢が並んでいて、入口の近くには折りたたみ式の木の看板。 手書きで店の名前と、本日のおすすめらしいメニューが紙に書いて張られている。 マスターが書いたんだろうか、優しそうな人柄がうかがえる筆跡だ。
「これはまた、オシャレな喫茶店だなぁ」
「すてきなの~」
日本の、しかも表参道あたりにあったとしても違和感を感じなさそうなたたずまい。 その外観だけでも、十二分にいい店だと分かるんだけど……。
「た、高そう」
「んにゃ?」
二人合わせれば二〇〇ガム以上はあるけど……足りるのか?
でも、同じ初学生であるマーヤさんの紹介だし、たぶん大丈夫だろう。 たぶん。
「は、入ろうか」
「うんっ!」
石タイルの低い段差をそびえ立つ壁のように感じつつも、恐る恐る上って白い木のドアを開ける。
カランコロン――ではなく、細い金属の棒を束ねた風鈴のようなシャララーンという音を聞きながら店内へ。 と同時に、とても落ち着く花の香りが俺達を包んだ。
窓からの日光と天井の明かりに照らされた中はアイボリー色になっていて、明るいながらも目に優しい。 低い壁で仕切られたボックス席は窓際から奥に向かって三つ、そして木の色をそのまま活かしたカウンターは数席。 やっぱり小さい店だ。 さりげなくあちこちに小さな花の鉢が置いてあって、香りはたぶんその花のものだろう。
昼時ではあるものの満席ではないようで、他の客はカウンターに紳士っぽい人が二人と、ボックス席は――壁の上から見える人の頭からすると、二組かな? どちらも空いている。
みんな静かにお茶やお喋りを楽しんでいるようで、まるでその声がBGMの代わりになっているみたいだ。
「いらっしゃいませ――おや?」
カウンターで紳士達と語らっていたらしいマスターが、俺達を見て目を細める。 想像よりも若かったが、壮年期に差しかかりそうなくらいのやはり優しそうな男性だった。
白いシャツに黒いベストがよく似合っている。
「これはこれは、可愛らしいカップルですね。 ……どうぞ、あちらへ」
思わず敬語になってしまった俺達。 はしゃいでいたセーレたんも、急きょお嬢様モードだ。 二人で会釈をして同時に足を踏み出す。
黒い玄関マットを越えると、木のフローリングが靴底を通して足に心地よかった。 空いている窓際のテーブルに向かい、先にお嬢様に座っていただく。 ソファーなのでイスを引く必要はない。
……店の雰囲気に飲まれて、なんだか俺がウェイターにでもなったような気分だ。
「セーレちゃん、どうぞ」
「あっ、ありがとう……」
俺達には少し高いソファーに、セーレたんの腰を持って軽く持ち上げてあげるとタイミングを合わせて軽く身体を浮かせてくれた。 そのままふわりと白いソファーに収まり、清潔なクロスの掛けられたテーブルに向かう。 ……ちょっと、テーブルが高いか。
それでもなんとか大丈夫かなーと思っていると、マスターがクッションを二つ持ってきてくれた。
「はい、これをお使いください」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます~」
「失礼……お嬢さん、少しよろしいですか?」
セーレたんにまたソファーから降りてもらうと、マスターがクッションを置いてくれる。
そしてマスターは俺の目をじっと見る……あ。
「はい、僕がやります」
クッション分だけ高くなっているが、また俺がハニーの腰を持って少し高めにジャンプしてもらう。 俺の服をスカートがかすめ、再度お嬢様がふんわりと席へ着く。
向かいの席に俺用のクッションを置きながら、マスターは穏やかに微笑んだ。
「――さて、何になさいますか?」
俺も席に座ると、マスターがカウンターから本日のメニューを持ってきてくれる。
「あ、その前に」
お嬢様モードで大人しく座っているセーレたんの……しかしその瞳だけはキラキラと輝いていて何をお望みなのか明白な視線を受けながらも、俺は頼まれていた用事を思い出してポケットから紙を取り出す。
「あのー僕達、同じ学校のクラスのマーヤ・マンダールさんに教えてもらって来たんですけど」
「……おや。 それはそれは」
笑みを絶やさなかったマスターが軽く目を見開いた。 俺が伝言だと紙を渡すと、マスターは頭を下げて受け取り、その場で読んでもらう。
あまり長文ではなかったらしいそれに目を走らせると、再び俺達を見て満面の笑みになった。
「マーヤちゃんのお友達でしたか……かしこまりました」
「……」
――あのお姉さんに、してやられたか。
文面はきっと『俺達をくれぐれもよろしく』とか、そういった類の内容に違いない。
「ははははは。 今日はお二人の初めてのデートだそうで。
マーヤちゃんやご家族にはご贔屓頂いていますから、ごゆっくりデートをお楽しみ下さいませ」
「はい~」
「ど、どうも……」
俺の方を向いて、マスターはセーレたんには聞こえないように口パクで「お安くしておきますね」って言ってくれた……。 た、助かります。
学食と比べる方がそもそも間違いではあるけど、ケーキにお茶をつけたら財布がほぼスッカラカンになるところだったよ。
「――お待たせ致しました」
「おおお……」
「うわあ~♪」
程なくして、マスターがアイスティーと一緒に持ってきてくれたのは、例のアレである。
窓からの明かりを受けてルビーのように輝く、表面の透き通ったレアチーズとキスベリーのムースケーキ。 真っ白で上品なお皿が、その色を更に引き立てる。
扇状に切られたケーキの断面は上から透き通った赤、ムースとベリーの混ざったピンク、そしてレアチーズの薄い黄色……という厚みのある三段構造。 いちばん上には真っ赤なキスベリーの実がちょこんと乗っていて、両隣には何かのハーブの葉が二枚、あたかもベリーを両手で捧げ持っているかのように添えられている。
見た目がキレイなのはもちろん、フルーティで甘酸っぱい香りが少し離れていても嗅覚を刺激してきてたまらない。
その横でコースターを敷いた上に置かれたコガネ色のアイスティーも、近づけば茶葉の豊かな香りが感じられる。 細長いストローが挿してある透明グラスの中には大きな氷が何個か入っていて、縁には輪切りのレモンつき。 そのレモンの香りもまた瑞々しい。
家で作ってくれるおやつやお茶も、見た目はそれなりに凝っているんだけど……やっぱり、プロの心遣いや気配りはひと味違った。 お袋達の盛りつけには家庭的な温かみのあるのに対して、こちらには技術の高さを窺わせる繊細さやクールさがあるな。
「どうぞ、ごゆっくり」
俺達の目はテーブルの上に釘付けになる。 マスターは小さく声をかけると頭を下げ、静かに離れていった。
「これは……スゴイな」
「うん……」
手に持ったフォークで切り取ってしまうのが、もったいない。 このまま視覚と嗅覚だけで、ずっと鑑賞していても満足できちゃいそうなんだけど――。
「食べよっか」
「うん!」
銀色のフォークをケーキの端へと入れる。 さして抵抗も受けず、フォークは上のゼラチン層からあっさりと下の皿まで通って一口サイズの塔ができあがった。
それを再び上から刺して、俺は落ちないように左手を添えながら口の中に運んでいく……。
「んむっ!?」
「んふっ!?」
よく冷えているケーキ。 冷気と共に口に入れたチーズ層から、なだれ込むように様々な味覚が舌の上を駆け抜ける。
最初はクリーミーであっさりとしたチーズの豊かな香りと控えめな甘みが来たと思ったら、間髪入れずに次のクリームムースのふんわりとした食感が口の中に広がる。 そのクリームのあっさり感と中に混ぜてある果肉混じりのベリーの甘さが、先のチーズのしっとり感と合わさってまた新しい、柔らかな味と香りを生み出した。
しかも芯までよく冷えているおかげで、舌の上で溶けていく様子がとてもハッキリと感じられるのだ。
まったく歯を使うことなくただ口を閉じただけで起こる化学反応に、俺もセーレたんも目が丸くなる。
《なんだ、コレ……!》
《す、すっご~い……》
口内に風味を閉じ込めたまま、真ん丸の瞳どうしでテレパシーを交わす達。
が、そんな俺達にならなる変化が襲いかかる!
『っ!?』
融け合ったチーズとクリームがなくなり始め、残ったゼラチンを舌と口内の天井部分とで押し潰すと、にゅるんと楽しい食感や冷たさと共に、閉じ込められていたキスベリーの味と香りが大爆発した!
特に香りが素晴らしく、鼻腔を駆け上がってくると脳内が一気にイチゴ畑と化してしまう。 一方で少し濃厚すぎるかなと思うくらいだった味の方は、消えかかっていたクリームに中和されて絶妙な加減に落ち着いて口の中を満たしていった。
『……』
俺と妹様は、顔を見合わせたまま動けない。
今俺達の口の中はすべてが溶け去り、「キスベリーを食べた!」という充実感で満たされていた。
「んふーっ……」
「んふ~ぅ……」
感嘆の溜め息のために口を開けるのももったいなくて、俺達は鼻からゆっくりと息を抜いて余韻に浸る。
それから息を鼻から吸い込むと、新鮮な空気が余韻を流して人心地着いた。 ……というか、自分の肩に力が入っていたことに今気づいた。
俺は肩の力を抜き、今度は口から息を吐いた。
「はあー」
「はふ~」
次に俺達は同時に手を伸ばし、アイスティーのグラスに挿してあるストローに口をつける。 前世での「わら」の語源と同じように、何か植物の茎を利用しているらしい。
よく冷えたコガネ色のティーが口からのどへと流れていき、甘さ控えめのサッパリとした風味と、少しだけ溶け出したレモンの酸味が全身に染みわたっていく。
「……ふぅ」
「……ふひゅぅ~」
同時にストローから口を離し、俺達は思わず背中を反らし……自分ん家でもないのにさすがにリラックスしすぎだなと気づき、慌てて姿勢を正す。
気づくと、セーレたんのお嬢様モードも完全に解けてしまっていた。
《にしてもセーレちゃん、これ――》
《うん、うん!》
静かな店内で声を上げるのも憚られ、俺達はなおもテレパシーで会話する。
俺の視線に対し、向かいのセーレたんは金色の髪を揺らしながらすごい勢いでうなずいた。
「――はははは。 お2人共、別にお話頂いてもいいんですよ」
すると、ずっと見ていたらしいマスターがカウンターから優しく声をかけてくれた。 ちょっと恥ずかしい。
「へ? ああ……どうも」
「ところで、それはお気に召していただけましたか?」
「それはもう――」
目尻に浅いしわを作って微笑むマスター。
俺はハニーとうなずき合うと、子供らしく元気に、ピッタリと声を合わせて感想を言った。
『すごい、ですっ♪』
明るく落ち着いた店内に、すごく美味しいケーキとティー。
だけど、それ以外は普段通りのおやつタイムを楽しんだ。 まさに四六時中一緒にいる俺達に、特別なやり取りは必要ない。
ケーキを食べ、ティーを飲み、お互いを見て微笑み合って、たまに省略されて短くなった言葉を一言二言交わす。 それで十分だ。
「おいしいな」
「うんっ」
「今度お礼言わないとな」
「うんっ!
……はい、お兄ちゃん♪」
「ん? ……あーん」
テーブルの向こうで、マイシスターが窓からの日差しを浴びて全身を輝かせている。
上品に笑みを咲かせるセーレたんは、普段よりもちょっとだけ大人っぽく見えた。
「うん、美味しいよ」
「うふふふふっ♪」
俺はいつまで、こうしてこの子の向かいに座らせてもらえるんだろうね?
大人になった彼女の姿をお袋に重ねてイメージしながら、そんなことを思った。
「……本当に、いいんですか?」
「はい」
帰り際の会計で、マスターの前で財布を開いているのは俺一人だけ。
なんと、セーレたんの分を丸々タダにしてくれたのだ!
「とてもいい笑顔を見せて頂きましたからね。 そのお礼と、私から初デート記念のお祝いです。
それに――」
彼女の財布は開かせない方がよろしいでしょう? と、俺の後ろでにこにこしているハニーに聞こえないよう、マスターは小声で言いながらお茶目にウィンクして見せた。
「あ、あはははは……ありがとうございます」
俺は素直にそのご厚意に甘えて――次に来たときは、ちゃんと普通に支払えるように頑張ろうと思った。
店先まで見送りに出てくれたマスターに片手を振りながら、俺達はもう片手どうしを繋いで、石畳の小道を我が家目指して歩いていく。
……俺の財布の中身からは、両替してもらった一〇〇ガム硬貨がその姿を消していた。




