274 まままままままままままま
広大な王都に、仕事終わりを告げる六時半時の鐘が鳴り響く。
空はまだ明るい時間だけど、街の中はまた朝とは違った活気に包まれ始める。
通りでは商品の少なくなった店が片づけを始めたり、今日の売れ残りを捌こうと閉店前の安売りを始めるところが出てくるのもこのくらいの時間から。 既に仕事が終って家路に向かう人達とすれ違い、そのお買い得品を求めて家計を預かる主婦のみなさんが急ぎ足で店に向かう姿は、この世界でもお馴染みの光景だ。
小さな子供と手を繋ぐお母さんが楽しそうに話をしながら歩いているのは、きっと幼児園からの帰りだろうな。 俺達に元気な笑顔を見せて「ばいばーい!」と手を振ってきたので、俺達もばいばーいと手を振り返しながらすれ違った。
「リリちゃんと、同じくらいの子だったの~」
「そうだね」
俺達も、ついこの間までは幼児園に行ってたんだよなー。
喫茶店で味もボリュームも大満足なおやつを食し、俺の横に席を移してきたセーレたんとまったりイチャイチャしながらお代わりのティーを楽しんでいたら……六時の鐘が聞こえてきてビックリ。 もうこんな時間! と、シンデレラみたいにドラマチックだったらまだよかったんだけど。
長居をしてしまってマスターにぺこぺこ頭を下げると、逆に「時間を忘れるほど楽しんでもらえたのなら、むしろ光栄です」と、怒られるどころか逆にお礼を言われてしまった。 しかも、代金は半分でいいとまで……。
マスター、男前すぎます。
「たっだいまー!」
「ただいまです~♪」
軽くなった財布以上の満足感で全身を満たされ、清々しい気分で家の門をくぐる。
すると、マールちゃんが玄関の外で箒を持って立っていた。
「あっ! ジャス様セーレ様、お帰りなさい♪」
にこやかに迎えてくれたマールちゃん。 俺達の様子を見て笑みを深くする。
「よほど楽しく過ごされたようですね……――」
最後になんて言ったのか聞こえなかったけど……満面笑顔で俺の左腕を抱きしめる妹様を見れば、楽しかったどうかは聞くまでもないよね。
「ところで、お二人でどちらへ……いえ」
そしてそのままデートの話を聞いてこようとして、なぜか途中で止めた。
代わりにマールちゃんは、首をかしげる俺に向かってさっきまで以上の笑顔を見せた。
「できれば、私の時にも同じ場所に連れて行ってくださいね♪」
「う、うん」
……ホント、貯金頑張ろうな? 俺。
ただいまを言って手を洗おうと、家の中に入ると廊下を真っ直ぐ歩いてキッチンへ向かう。
テーブルでは、夕食の仕込みを終えたんだろうか、チャロちゃんが一人でテーブルに座ってお茶を飲んでいた。
「あ、お帰りなさーい!」
「ただいまー……あれ、ママはリソ君とこ?」
「いえ、ジャスさまとセーレさまのお部屋にいらっしゃいますよ」
「――え」
つい先日のことを繰り返すようなやり取りに、一瞬肝が冷える。 ハニーの顔からも笑顔が消えた。
だが、心当たりなんて何もないし……か、考えすぎだよな?
「そ、そっか。 じゃあ、上がってただいま言ってくるねー!」
俺はセーレたんの頭をなでながら顔の引きつりをごまかし、一緒に手洗いを済ませると早足で二階に向かった。
自分の部屋の前で一旦立ち止まり、俺は軽く深呼吸する。
「お兄ちゃん……」
かすかに身体を震わせ、妹が俺に身体を寄せる。
でもあんなことがあったばかりで、俺もセーレたんも少し過敏になっているだけなのだ。 なにしろ、心配するようなことは何もないのだから。
俺は不安を振り払うように素早くノックすると、不安感を隠し彼女の頬をなでながら、できるだけ優しい声色で話しかけた。
「あ、あはははは。 大丈夫だって、何もないよ。
だってもう、この部屋には」
俺とセーレたんと――。
――昨夜からずっと静かに眠り続けている、あの娘しかいないのだから。
「……」
顔から急速に血の気が引き、平衡感覚を失った身体が揺れ始める。
まるで、大きな球の上に立っているかのように。
『はわっ!? は、ははははは、は~いっ!』
部屋の中から、お袋の返事が聞こえてくる。 ……が、何か様子がおかしい?
どんなときでも落ち着いているはずのお袋の、気が動転したような声が、凍りついた俺の思考の歯車を回し始める。
「――おにい、ちゃん?」
「へ? あ、いや……なんでも」
いぶかしげに首を傾けるセーレちゃんに、なんとか笑顔らしき表情を作ってみせる。 絶対に失敗しているだろうが。
だが、もし――もしも俺の考えている最悪がその通りだったとして、だとするとお袋のあの声は一体なんだ?
何か、俺達人間には想像もつかないようなことが起こっているのか……?
『じゃ、ジャスちゃあ~ん?
は、早くぅ……早く、来てぇぇぇぇぇ~~~~』
心臓の痛みと心の動揺を押さえながら頭の回転を上げていると、更に中から助けを求めるような、とてもか細い声が聞こえてきた。
「な、なんだ?」
「ま、ママ~?」
お袋の声には、悲しみの色は感じられない。 が、まるで小さな子供に戻ってしまったかのような、ひどく頼りない声色だ。
セーレたんと顔を見合わせ、俺は二人で同じ方向に首をかしげる。 それでも回転し続ける俺の頭脳が、最悪の予想の確率をドンドン下げていく代わりにハテナマークで埋め尽くされていく。
……アカン。 これは、開けてみないとサッパリ分からん。
「あ、開けるね……?」
俺は、中のお袋と隣の妹様へ同時に声をかけ、こわごわとドアを開けた。
すると。
「あ……じゃ、ジャスちゃああ~ん……!」
ぺたりと座り込んで長い金髪を絨毯の上に広げたまま、こちらに振り返って泣きそうな顔を見せているお袋と――。
「ふむ、漸く開けたか」
もう、ひとり。
「――は?」
あまりにも予想の天元を突破した現実に、俺の思考は完全に固まる。
「自分の部屋の前で、其方は何をしていたのだ?」
開け放たれた窓の枠に腰掛け、薄布に包まれた細く長い脚を組んでいる。
「え? ……ええ?」
片方の手のひら上には、静かに眠り続ける翡翠色の球――ニアちゃんを乗せて。
「んふっ、相当に動揺しているようだな? 心臓の鼓動が酷く早くなっているぞ?」
「え、え、え、え、え」
もう片手は内側にひじを曲げ、小脇にとても分厚くて古そうな本を抱えるようにして持っている。
「やれやれ……久し振りに会ったというのに、挨拶もないのか」
「え、いや……え、なん――」
短いスカートから伸びる脚を、なまめかしく組み替える。 言葉こそ呆れたように聞こえるが、丸い金縁メガネの奥の瞳は愉しげだ。
「ん? 何故も何もあるまい」
白く細い指を立てると、手のひらから五本の指先の上に移った我が娘の表面を、その指の腹で下からさわさわとくすぐる。
「此処は我の造りし国で、この家には我が娘とその母親がいる。 それで充分ではないか?
……否、『つがい』と呼んだ方が良いのかな? んふふ」
「……」
鮮やかな桃色に濡れる唇で弧を描き、首元で揃った髪と肩を小さく震わせるその女性。
一応貴族ではあるけれど、それでも下級で一般に近い市民の、一家庭に気軽に姿を現すような存在ではない訳で。
「じゃ、じゃじゃじゃじゃジャスちゃああああ~……ん」
天下無敵だと思っていた我らがママさんが、瞳を潤ませて、まるで子鹿のようにぷるぷると震えている。
でも、それも仕方のないことだ。 相手は伝説にその名前を残すお方であり、歳の差などは何倍というレベルをぶっちぎってゼロが二つほど異なるのだから。
それでも知性あふれる美貌を維持し続ける永遠の少女は、風に揺れる白いカーテンの間で背中に日の光を受けながら、碧色の髪を揺らすことなく微笑んだ。
しかし、俺の左側で腕を組んでいる相方は、泣き出しそうな母親とは正反対の無邪気な笑顔を浮かべた。
「あっ……アルヴィちゃあ~ん! こんにちは~っ♪」
「うむ。 久しいな、セーレちゃんよ!」
我が妹様と小さく手を振り合うこのお方は。
何を隠そう、彼女はこの国を建国当時から守り続けている神様であり――。
「そしてジャスよ。 ……デートの後は身内同士で、腹を割って歓談しようではないか。 ん?」
「そ、ソウデスネー」
国民から『聖母様』と呼ばれる、ニアちゃんの父親であった。
相変わらずこの人は、トンでもないタイミングでトンでもないサプライズをくれるお方である。
「ところで聖……アルヴィちゃん」
「ん? 何だ、我がつがいよ」
俺は彼女の姿を見ながら問いかける。
以前は暗緑色のブラウスに背中の中程までの短いマントをつけて、ミニスカートに若草色のタイツという……身体の線は出しつつも露出を抑えた、彼女のカラーである緑を前面に押し出した服装だったハズなのに。
「なんで、そんな格好なの?」
今は腰辺りまでしか裾のない、V字の大きな襟が特徴的な白の半袖ブラウス。 胸元には緑色のスカーフを巻いている。
この国では子供くらいしか穿かないようなミニのプリーツスカートは黒く、露出している美脚は黒いストッキングで覆われている。 靴は履いていない。 履かれていたら困るが。
「ん? 偶には悪くあるまい?」
碧色の瞳をイタズラっぽく輝かせ、ニヤリと笑う聖母様は。
「ま、まあ……よく似合ってる、けど」
「そうかそうか。 んふふふふふっ♪」
なぜか、セーラー服を着ていた。




