271 こんなにも空が青いから
目覚まし時計を使っているわけではないが、わりと正確な俺の目覚め。 これも、幼児期からほぼ定時に起こしくれるお袋達のおかげだ。
闇に包まれた部屋にはわずかに明るさが混じっていて、夜明けが少しずつ早くなってきているのが分かる。
「お兄ちゃん」
「……ん?」
目覚めてぼんやりとした視界に最初に映ったのは、そんな部屋の中ではなく我が妹様の笑顔。
どうやら今日も、俺より先に目覚めたようだ。
「えへへへへっ。 おはよ~」
「おはょ……セーレちゃん、眠くない?」
「うんっ」
俺の身体の上で、元気なスマイルを見せてくれるセーレたん。 彼女の重みにも慣れたもので、もはや乗っかられたままでも俺は問題なく熟睡が可能である。 むしろ、その体温が心地よい。
いつから起きていたのかは知らないけど、マイシスターはおめめもパッチリだ。 その蒼い瞳には、夜明け前の空のように小さな星々が瞬いていた。
「お兄ちゃん、早く……。 『おはよう』、しよ?」
早起きの得をちょっとでも長く堪能しようと、セーレたんが顔を近づけてくる。
やれやれ、ゲンキンな子だ。
「ん」
今日もまた、長ーい挨拶から一日が始まる。
――カーテンの向こうが四角く光り始め、ようやくマールちゃんが起こしに来た。
「おはようございます、ジャス様セーレ様」
「うん、おはよう」
「うふふふふっ、おはよう~♪」
ベッドの上から挨拶を返す俺達。 振り返ったついでに、すりすりの場所を俺のほっぺから胸板に変えたセーレたんはご機嫌この上ない。
「ふふふ……すっかりお元気になられたみたいですね」
「まあね」
今日はまた学校があるが、この様子なら問題なく通えそうだ。
ぽんぽんとハニーの頭に手を置いて合図をすると、俺達は身体を起こしてベッドを降りた。
重みがなくなって、俺の胸にいっぱいに吸い込んだ空気は爽やかで……ちょっと、甘い香りがした。
「おっはよー」
「おはようなの~!」
すっかりお馴染みになった制服ファッションに身を包みダイニングへ行くと、今朝は親父もいた。
「おう、おはよう」
黒いTシャツに薄いズボンという格好で、シャツにはうっすらと胸板の上にU字の汗の跡。 首にはタオルを掛けている。 特に外から声は聞こえなかったけど、どこかで早朝トレーニングでもしてたんだろうか?
お袋とリソ君、そしてキッチンでこちらに背中を向けていたチャロちゃんにも挨拶をして席に着いて、俺は親父に聞いてみる。
「パパ、早朝トレーニング?」
「ああ。 時間の調整も兼ねてな、軽く自然公園を走って回ってきた」
「軽くって……」
今日は夜勤らしく、出勤前に一眠りできるように身体を動かしていたらしい。 にしても、自然公園までって……。
確かそれって、俺達の通っている初学校を越えて、東西に延びるこの二等区の更に向こうにあるって聞いたことがある。 そこを一周してきたというと、たぶんハーフマラソンくらいの距離があると思うんだが。
「なーに、鎧を着て剣と長盾を持って王都横断ランニングするのに比べれば軽い軽い」
「……わーお、さすが親衛隊」
それ、果たして何十キロあるんだろうか……重量と距離、両方の意味で。 どこかの空挺団も真っ青だ。
首のタオルを外しながら「ぷはーっ!」と爽やかに酒、ではなく水をイッキする銀髪の好青年を見ながら、俺は静かにマールちゃんの入れてくれたストレートティーを口へと運んだ。
時間になり、俺とセーレたんは席を立つ。
ここで、家を出る前のお小遣いタイムとなるのだが……。
「ジャスちゃんもセーレちゃんも、やっぱり保留かしら~?」
残念そうに微笑んでいるお袋。
特にここ最近は寄り道もしていないから、お小遣いも貯まりっぱなしだ。 それで持ち歩くには少々金額が大きくなってしまって、ここ二回分は預かってもらっている。
「うーん」
俺の小銭入れの中には五〇ガム近く入っている。 妹様もそのくらい。 そして、預かってもらっている分はそれ以上にある。
これだけあれば、学校の外でちょっとしたブランチすらできてしまう金額――あ。
「ママ、全部もらっちゃっていい?」
「えっ? ええ~」
初学生当時のエルネちゃんが見たらうらやましがるであろう金額を受け取り、かさばる分は両替してもらう。
表には国章、裏には王城がデザインされた一〇〇ガム硬貨は、お使いのとき以外で手にするのは初めてだ。 ちょっぴりドキドキ。
たった今思いついたことだけど、悪くないなと思ったこと。 キレイな瞳をパチクリさせて首をかしげるそっくり親子を目の前にして、俺はそのアイデアを開陳した。
「できれば、セーレちゃんもお金を下ろしてくれるかな?
それで――放課後、二人でぶらっと遊びに行こうか」
「えっ?」
「あら~」
セーレたんは反対側に首をかしげ、お袋は胸の前でぽんと手を叩いた。
水を飲みまくっている親父に給仕していたチャロちゃんも、耳を動かしてこっちを見ている。 オレンジがかった黄色い瞳がキラキラしていた。
「ジャスさまー?
それってつまり、デートっていうことですか?」
『デートっ!?』
遠近から二つの声が重なって聞こえてきた。 俺の隣の一人は嬉しそうに、キッチンで洗い物をしていたもう一人は驚いた声で。
「お兄ちゃん、デートしてくれるのっ!?」
「ででででででっ! デートですかっ!? 初デートですかああああっ!!」
「い、いや、そこまで大それたものじゃないけど……。
っていうか、マールちゃん叫びすぎ」
悲しみを乗り越えてまたひとつ大人になってくれたセーレたんに、ちょっと贅沢なおやつタイムをプレゼントしたいなーと思ったのだ。 家でも学校でもなく、外の店で食べるというのもたまには悪くないだろう。 これも経験だ。
……とはいっても割り勘なので、デートとは言えないだろうけどな。 そもそも兄妹なんだし。
「デート……お兄ちゃんと、デート……♪」
セーレたんは自分の両頬に手を添えて、どこかのメルヘン王国に行ってらっしゃる。 こ、これは否定しづらい……。
でもまあ。 この子もいつか、誰か他の男とデートをする日が、く、る――ぐぬぬぬぬぬぬぬぬっ! なんかムカついてきた!!
「おう、お兄ちゃんとデートだっ♪」
スイートハニーに向けてサムズアップする俺。
せめて、初デートはこの俺がGETしてやる! ザマーミロ!!
「うわああああああああ~~~~~~~いっ!!」
スカートがまくれ上がるのも気にせず、妹様はバンザイして大きく飛び上がる。
と思ったら、ギリギリ見えそうで見えない範囲で収まった。 ……恐るべし。
「うふふふふふっ♪ セーレちゃん、良かったわね~」
「うんっ!!」
「セーレ様、いいなあ……」
俺の腕のしがみついてすりすりしてくるハニーの頭を、お袋は我がことのように喜びながら優しくなでた。
そしてマールちゃんは……親指を噛んで本気でうらやましそうにしている。 見ると、目が少し潤んでいるような……。
「え、えっと……マールちゃんは、また今度ね?」
「っ!? ほ、本当ですか!? 約束ですからねっ!」
「う、うん」
「う、嬉しいですっ!」
思わずそんなフォローを入れてしまう。
まあ、日頃からいろいろ助けてくれているんだから、そのくらいで喜んでもらえるならば安いもんだ。
……も、もちろん、割り勘でね?
「あははははっ♪ セーレさまもお姉ちゃんも、よかったですねー」
「うんっ!」「ええ♪」
チャロちゃんの言葉に、二人は元気にうなずいた。
「あらあら~……ママには、デートのお誘いはないのかしら~?」
「あっ、そういえば! ジャスさま、私もいつでもいいですよー?」
「ああ……ま、まあ、またお小遣いが貯まったら、そのうちに」
楽しそうだなとは思うけど……急に出費の予定が増えた!
が、頑張らねば。
「家族ばかりとはいえ、六歳でもうデートかよ……」
わいわいと楽しそうな女性陣の隅っこで、親父がなんだかぐったりとしていた。
「いってきまーす。 ということで、帰りは少し遅くなるね」
「行ってきまああああ~~~~~~っす♪」
「ええ、楽しんでいらっしゃ~い♪」
玄関を出る俺達を、代表してお袋が手を振って見送ってくれる。
俺とハニーも手を振り返して――。
「……ぴっぴちゃん、行ってくるね」
庭の方に視線を向けて、妹は小さく呟く。 俺は繋いでいる手をきゅっと握り、もう片手で彼女の頭をなでた。
空を見上げると、あの子とよく似た小鳥が二羽。
ぴぴぴと楽しそうな声で鳴きながら、夜明けのグラデーションの中を踊るように飛んでいた。




