270 雨上がりのようなひととき
長い一日が終わり、翌日。
日の出前に起きるのはいつものことだが、今日は目を覚ますと既にお日様が昇っていた。
「――あれ」
「おはよう、お兄ちゃん♪」
まだ部屋が静寂と暗闇に包まれている中、目の前にぼんやりと白くて蒼いものが浮かんでいる。
瞬きをして視界をクリアにすると、息のかかる距離でセーレたんが朝のような笑顔を浮かべていた。
俺よりも先に起きてるなんて、珍しいな……。
「おはよ。 ……いつから起きてたの?」
「ん~と……えへへ、分かんない」
「眠くない?」
「うんっ」
「そっか」
気になったので、軽く唇を合わせてから聞いてみる。 妹様は俺の上に乗っかったまま、俺の胸板に頬ずりを始めた。
結局疑問は解けなかったが、どうやらセーレたんはいつもの調子を取り戻しているようだし、よしとしよう。
「うふふふふっ……えへへへへへへ~♪」
「……」
全然、いつも通りじゃなかった。
普段の挨拶がダッシュを織り交ぜた軽いジョギングだとすると、今日のはまるでフルマラソン。 マイシスターは俺の身体に乗ったまま、全身を絡ませてありとあらゆるスキンシップを楽しみ、最後に俺の顔を見てははにかんで……また繰り返す。 それが、いつまで経っても止まらない。
白く薄いカーテンの向こうでは、四角く切り取られた朝の光がだんだんと強くなってきている。 種類は分からないが、小鳥のさえずりも聞こえてきた。
妹様は俺のパジャマの上のボタンをいくつか外し、シャツの上からほっぺを擦りつけて嬉しそうに笑っている。 って、いつの間に外した!?
「温かくて、やわらかい……」
「……」
目を閉じて俺の心音を聞いているセーレたん。 開いた口から出そうとしていた言葉が止まり、吐息と共に身体から力が抜ける。
やっぱり、まだ完全に乗り越えたわけではないようだ。 少し乱れた妹様の髪を梳きながら頭をなでてあげると、俺に絡みついている腕と脚がもぞりと動いた。
「セーレちゃんも、温かくって柔らかいよ」
「えへへへへへ」
俺の顔を見て目を細めたハニーは、そのまま顔を近づけてきて……また何度目かのループに突入する。
昨日がものすごく長く感じたせいで途中で思い出したが、今日は風の日で学校はお休みだ。 なら、ギリギリの時間まで甘えさせてあげることにしよう。
枕元のニアちゃんもよく眠っているようだし、バタバタして起こすこともないだろう。
「……お兄ちゃん」
「んー?」
また俺の胸にすりすりしていたセーレちゃんが、俺の目を見つめている。
とっても嬉しそうな、そして優しい瞳で。
「今日ね……ぴっぴちゃんと遊ぶ夢、見たよ」
「そっか……。 楽しかった?」
「うんっ」
彼女の笑顔から、ぽろりとこぼれる朝の滴。
俺が親指でそっと拭ってあげると、再び彼女は目を閉じて――。
「あらあら~? なかなか……激しいわね~」
セーレたんに首筋をねろねろはむはむされ、時折神経を駆け抜けるくすぐったさを彼女を抱きしめることで耐えていると……。
珍しく起こしに来てくれたお袋に見られてしまった。
「うひっ! ……あ、ママおはよう」
「……はあっ♪ ママ、おはようなの~」
だが、俺はいたって普通に挨拶をする。 妹様も同様である。 温かいのを通り越して熱くなっている妹様が少しだけ身体を離してくれたので、隙間に空気が入ってきて涼しくなった。
ハニーも実は暑かったようで、ちょっと顔が上気していた。
「うふふふふっ、おはよう~♪」
そして、見ちゃった方のお袋も微笑ましそうにしているだけで、動揺などは一切見られない。
それだけ、見慣れてるってことだな……。
「もうすぐ朝ご飯なんだけど……二人とも、どうするかしら~?
……それとも~?」
あくまでも温かな笑顔のまま、お袋は小首をかしげて途中で言葉を切る。
いやいやいや、食事を抜いてまでイチャイチャしませんから!
「も、もちろん食べるよ! ね?」
「――――うん」
セーレたんは、瞳にまで熱がこもったような表情で俺の目をじーっとしばらく見つめてから、ようやく返事をした。
まさか、妹様は延長の方をご希望だったとか……あ、あははははは。
「そう? だったら……お着替えする前に、身体を拭きましょうね~。
特に、ジャスちゃんは。 うふふふふ~」
「は~い、なの!」
「……はい」
特に肩から上がひんやりしてきた俺は、お袋に感謝した。
「いや、あの……」
上半身を脱がされた俺は、絨毯の上にあぐらをかいてお袋に身を委ねている。
「うふふふふ♪ いいから、いいから~」
お袋はタオルとお湯の入ったタライを持ってくると両膝をつき、後ろから俺の背中を丁寧に拭いてくれた。 ……俺は自分でやると言ったのだが。
「ジャスちゃん、気持ちいいでしょう~?」
「う……っ」
熱すぎず温すぎない絶妙の湯加減とタオルの柔らかさ、そして固すぎない絞り具合。 そこにお袋の力の入れ具合と丁寧な拭き方、トドメに軽いマッサージまでもが加わり、俺に天上の至福をもたらす。
昨日は風呂に入る余裕もなかったため、まるで一皮剥けるような爽快感だ。 全身の力が抜け、ため息と一緒に声が漏れてしまう。
「ふふふっ。 ジャスちゃんにマッサージしてもらう、十分の一くらいの気持ち良さはあると思うわよ~?」
「おぉぉ~ぅ♪ ……え?」
昇天しかかっていた俺の意識が天井を蹴ってクイックターン。 二回目の転生はお預けだ。
ち、ちょっと待ってくれ? 俺の触手マッサージって、そんなにスゴイのかっ!?
「ええ~。 あれはもう、一度覚えてしまったら……もう、ダ・メ♪」
「ひうっ!?」
最後には熱い吐息と化した声を耳元にささやかれ、俺の背筋がゾクリと震える。 いろんな意味で。
も、もう、ダメっスか……。
「うふふふふっ♪ 十分の一というのは、ウソよ~」
が、次の瞬間にはいつものお袋ののんびりボイスが耳をくすぐった。
「び、びっくりした~」
お袋がくすくすと笑い、俺達のことを側で眺めていたセーレたんも、ふふふ~と穏やかに笑っている。
まったくもう、心臓に悪いよー。
『……でも、ありがとうね』
「え」
俺の腕を片手で伸ばしてもう片手で拭きながら、お袋がとても小さな声で耳打ちしてくる。
『セーレちゃん、峠は越えているみたい』
「ああ……うん」
目線を横に向けると、俺の右肩の上にあるお袋はセーレたんの方を見つめていた。
彼女は俺達から目を窓の外に向け、ちょっぴり大人になったような優しげな表情で、明るく晴れた青空を眺めている。
声にせず、呟くように動かした彼女の唇は……確かに「ぴっぴちゃん」と言っていた。
『誰よりも大好きな、ジャスちゃんの真っ直ぐな言葉だったから、きっとセーレちゃんに届いたのよ』
『……だとしたら、嬉しいな』
「ふふふっ……間違いないわ♪」
内緒話から普通の声のトーンに戻ったお袋。 目が合うと、お袋は蒼い瞳を輝かせて少女のような笑みを咲かせた。
「必ず、届くのよ。 この胸の、奥底に……ね♪」
そう言うとお袋はまたいつもの笑顔に戻って、俺の背中に当たっているモノをふにふにと押しつけ始めた。
「あ、あの……ママ?」
「ほらほら~♪ ちょうど、この辺りよ~?」
二人で押しつ押されつしていると、お袋の楽しそうな声に気づいた妹様が再びこちらを向いた。
「ママ~? なにがこの辺りなの~?」
「うふふふふふっ。 ジャスちゃんは、この辺りをくすぐられると弱いのよ~」
「うひゃあああっ!?」
いきなりお袋が、俺の無防備な右脇の下をくすぐってきた!?
「うふふふ~♪ わたしも知ってるの~」
「あら、やっぱり~?」
「うんっ」
「やっぱりなのかっ!?」
その後は俺の弱点の話で盛り上がり、俺は聞いているだけでも全身がぞわぞわしっぱなしだった。
――学校がないということは、アナさんとエミーちゃんが来るということである。
お次はトップレスとなったセーレたんをお袋が拭き拭きしているのを……俺は、ベッドの上でよく眠っているニアちゃんをなで続けていた。 もちろん、二人の方には背中を向けて。
そこにチャロちゃんが朝食に呼びに来てくれたので、みんなで一階に下りて団らんを楽しんだ。 ……となれば良かったんだけど、残念ながらマールちゃんは休日で既にるー君の家に出かけた後だった。 朝も、向こうでご馳走になるらしい。
スープパスタでつるつるんと胃袋を満たした後、すぐに出勤した親父と入れ替わるようにしてアナさん達がご出勤。
「ふーん、そうだったんだ……セーレ、辛かったね」
「……うん」
今日はお袋から、お手伝いの休みを申し渡されてしまった。
そこで俺とマイシスター、そしてエミーちゃんはリソ君の部屋で面倒を見つつお茶を楽しんでいた。
エミーちゃんも小鳥のことは知っていたけど、ハニーがつきっきりだったのでエルネちゃんと一緒に少し覗いた程度だ。 かわいそうだったね、と顔を曇らせてくれるけど、当然ながらそこまでの感慨はない。
エミーちゃんはセーレたんの話にうなずき、よしよしと頭をなでながら……そのもう片手で、リソ君のワンツーパンチを受け止めていた。
な、なんというお姉さんレベルの高さだ。
「ふぁんちー! ふぁんちー!」
「ふふ、いい感じね……これなら、どう?」
「あちょー!」
手のひらの位置が高くなったが、弟くんはアッパーを繰り出して見事にヒットさせた。
これにはちょっとビックリ。
「おっ! やるなあー」
「にひーっ♪」
俺は囲んでいたテーブルを右から対面へと周り、エミーちゃんの隣でファイトしていたリソ君の頭をわしゃわしゃとなでた。
マイブラザーは頭をぐらつかせながらも仁王立ちして耐えきると、だいぶ生えそろってきた白い歯を見せて男の子らしく笑った。
うむ、こういうナデナデもいいな!
「あっ! お兄ちゃん、わたしも~っ」
俺も歯を見せて男同士の友情を確かめ合っていると、妹様がテーブルを回ってこっちにやってきて……座っている俺の腰にしがみついてきた。
「にひ~っ♪」
「いや……別にマネしなくても」
リソ君に対抗しているのか、俺の顔を見上げると並びのキレイな歯を見せてスマイル。
ちょいワルというか、おてんばな感じのするセーレたん……なでてあげると、すぐにいつものふんにゃり笑顔になったけど、貴重な画をいただきました!
『に、にひー』
「……ん?」
視線を落として、俺のひざの上で液状化した妹様をなでていると、何やら正面から謎の声が?
「え、エミーちゃん?」
「に、にひぃーーー? ……あうぅ」
可愛らしい八重歯を見せて子供っぽくなったエミーちゃんが、顔を真っ赤にしていた……。
「え、えっと……よしよし?」
「……んふふっ」
すぐにうつむいてしまったけど、そのおかげでなでやすい高さになった頭をなでてあげると、エミーちゃんは顔を隠したまま嬉しそうな声を漏らした。
「ふぁんちー!」
「げふっ!?」
と、特に何もしない日というのも、たまにはいいもんだな――ぐふっ。




