242 あなたも非常識です
湿度のせいだけじゃない、少し重くなったような気のする空間で。
区切られた地下体育館の大きな部屋の一つで、二人の先生が数メートルの距離を取って向かい合っていた。
俺達は四方の壁際に散らばって座り、二人を見学する。 俺とセーレたんが一緒なのはもちろん、少し間を開けた右側にはなぜかニャル子ちゃんも。 そして、他にも何人かの生徒達が近くにいた。
真上には空中回廊が壁に沿って一周しており、そこに続く螺旋階段を上っている子もいる。 それもアリなのか。
俺もちょっとだけ上から見たくなったけど、まあいいかと思い直して動くのはやめた。
「よし。 全員、見学場所を決めたか? では始めるぞ――宜しいですか」
やや横長の大部屋の、俺達から見て右側にアズミーリ女史が立っている。 黒いバネのようなポニーテールに黒のスーツ、更に手に持つ柔らか仕様の模擬剣までが黒い。 うーん、惚れ惚れするくらいにカッコイイ。
部屋内を見回しながら大きな声を出した先生だけど、最後の言葉は対峙するもう一人の先生に向かってかけられたものだ。
はーいと返事する子や「がんばってー♪」と黄色いエールを送る子の声が体育館に響く。
「いよしゃああああーーーーーー! 体よく気晴らしするぜえええええーーーーーーー!!」
対する絶叫先生は、体育教師のような青いジャージ姿。 アズミーリ先生よりもやや長い模擬剣を、天井に向かって突き上げて叫ぶ。
って、そんなことぶっちゃけていいのか?
男子の笑い声や「センセ、大丈夫なのー?」といったからかい半分の声が四方から聞こえてくる。 シリアスな空気が台無しだった。
「はぁ……まあ、いいでしょう」
女史も肩を落として首を左右に振っている。 縦に揺れるスプリングポニーがコミカルに見えた。
「さて、私は対人特化の刺突剣術、ストローグ先生は魔獣にも対応できる剣術と格闘でそれぞれ三級を取得している。
流石に本気を出すことはないが、ある程度の段階までは動いていくので今後の参考や目標にしてほしい」
再び俺達に説明のために声を張り上げるアズミーリ先生。
周りのうなずきや返事を見て満足したらしく、先生はもともと凛とした表情から刃のごとき鋭さを抜き放つ。 そして弓を引くように模擬剣の先を絶叫先生に向けると、両足を前後に開いて身体を深く沈ませた。
黒い格好も相まって、その姿は獲物を狙う黒狼のようだなと思った。 俺の近くにいる誰かの、唾を飲む音が聞こえる。
「よっしゃ! いつでも来いやあああーーー!!」
横から見ているだけでも突き殺されそうな気迫を放つ狼に対して、ジャージの先生は右手に持った模擬剣を無造作に降ろしたまま、残った左手の人差し指を女史へと向けた。
ひょっとして……この先生の方が強いのか?
「……始まるわね」
二人分くらいの距離を開けて、三つ編みちゃんが呟く。 俺が彼女を見て目が合うと、ぷいっと目を逸らされた。
「そうだな」
「うん」
単なる独り言だったのかもしれないけど、俺も半ば独り言のように言葉を返す。 それにうなずいてくれたのは、あぐらをかいている俺に身を寄せるように横座りをしている妹様だ。
親父が中距離で二級を持っているのに比べると、実力的にはちょっと下のように思える先生達。 だけど、俺達からすれば二人とも同じ雲の上だ。
前世の映画やアニメのようなアクションシーンを間近に見られるのかと思うと、背筋が震えるぜ。
「――フッ」
始まりは唐突だった。
かすかに息を吐く音が聞こえたと思うと、アズミーリ先生はあっという間に数メートルの距離を埋めて、大して身長差のないはずのジャージの先生の真下へ潜むように駆け込んでいた。
「は、早――」
「ハッ!」「はっはー!」
俺が思わず呟いた頃には、既に狼の矢は教師の胸元を貫く――ことはできず、斜めに受け流されていた。
どころか、すぐに上半身だけを引いたアズミーリ先生は立て続けに二の矢、三の矢を放っていた。 ……が、それも絶叫先生は首をわずかに傾けて避けている。
「……!」
「そりゃそりゃそりゃあー!」
無言で機械的にも見える精確さで突きを放つ女史に対して、絶叫さんは獰猛な笑みを浮かべて一見力ずくのような雑な動作で受け流す。
でも、身体の中心線は一切ぶれていないのだから自然な動きなんだろう。 早すぎて手元が分からないから、胴や肩の動きを見るしかない。
「ていっ! せやあっ!!」
「――ッフ!」
模擬剣のため、丈夫な布どうしが擦れ合う音が次々と聞こえてくる。
何撃放たれたのかも分からない攻防の数秒後、突然絶叫さんが何も持たない左手の拳を突き降ろして狼の頭部を狙った。
先生は頭を上げず、スライドするように半歩下がってパンチをかわす。 そこに大振りの模擬剣が更に上から襲ったが、先生は真横にすっ飛んだように動いて避けた!
先生の足の動きをしっかり見ていなかったせいもあるけど、どうやって動いたのかがよく分からない。 真横に伸びた先生の黒いポニーテールが、残像のように俺の目の焦点に映っただけだ。
なんか、「ムーンウォークを極めたらこうなります」というのを見せられたような気分だ。 俺が触手アンカーで唐突な動きを見せたとき、相手は今の俺と同じようなことを思うのだろうか?
しかし先生が活性化を使っていないのは見れば明らかだ。 それは絶叫先生も同じ。
生身でも、あんな動きができるのか……。
「……ック!」
「そいそいそいそおーーーーい!」
足先なんて見えないので脚のつけ根を見ていると、アズミーリ先生は腰のひねりをうまく使っているようだ。 絶叫さんに正面を向けたまま、右側からまとわりつくように距離を保っていろんな方向から突きを繰り出す。 身体の高さも活用した、三次元的な攻撃だ。 先生の背後で、黒髪がヘビと化す。
一方の絶叫先生は、蹴りを活用してその場に足止めされないようにしながら、至近距離は手足で、少し離れたら模擬剣で攻撃している……ように見える。 動きをよーく見ていて分かるようになってきた。
そして先生が更にもう少しでも距離を開けると。
「だりゃあああああああーーーーーーーっ!」
あたかも山が動いたようなダイナミックさで女史に迫り、四方八方から手足や剣の雨あられ。
すると先生の剣の動きが小さくなって回避と受け流しに徹し、乱れ飛んでくる猛攻の針の穴を通すように反撃を仕掛ける。 しかしそれも、絶叫先生は半歩下がるなどしてすべて紙一重で避けた。
――そして、決着。
「あいさああああーーーーッ!!」
アズミーリ先生が少し距離を置いたのと同時に、絶叫先生が上から大振りの剣撃を放つ! 女史はわずかに絶叫さんの右にずれて回避する……が、そこに襲いかかる跳ね返ってきたような横薙ぎの追撃!
先生は長身を地に伏せるようにして剣をやり過ごし、恐らく下から反撃の突きを――。
「――ッ!?」
「ほいやッ!!」
――放たなかった。
伏せた先生の側頭部には、絶叫先生のヒザが突き刺さる直前でピタリと止められていた。
少しの間そのままで固まっていた二人だったけど、やがてゆっくりと構えを解いて真っ直ぐに立った。
『すっげー……』
何やら小さな声で一言二言交わしているのを見ていると、どこからか誰かの感嘆の声が聞こえてきた。
というか、始まってから今まで誰一人声を上げていなかったことに、今気づいた。
『うおおおおおおーーーーーーーっ!!』
『きゃあああああーーーーーーーっ!!』
みんなも今思い出したように、周囲から大きな歓声を先生達に送り始める。
俺も気がつけば、「すっげー! すっげー!」と声を上げながら拍手を送っていた。
「うおあー、すっげえええーーーー!
ねえ、見た見た? セーレ――」
我ながらバカみたいなセリフだけど、前世の常識を粉々に砕く光景を目にして、他に言葉が出てこないのだから仕方がない。
この感激をセーレたんにも伝えたくて、左を見てみると――。
「ふふっ♪」
口に曲線を描いてはいるものの。
蒼い瞳をキラリと輝かせ、だけど何か余裕のようなものを感じさせる、穏やかな笑みを浮かべた妹がいた。
「……」
俺の背筋に戦慄にも似た震えが走る。 間違いなく彼女は、俺に見えなかった何かを見たのだ。
凡人には見えない、天才にしか見えなかった何かを。
「――……ね、お兄ちゃん?」
「へ」
「お兄ちゃん?」
「え、あ、ああ」
セーレちゃんが澄んだ瞳で俺を見ているのに気づいて、俺は声を絞り出した。
俺を見つめる彼女は、可愛らしく小首をかしげている。
「す、すごかったな」
「うんっ。 すごかったの~」
あどけない笑顔を輝かせるセーレたん。
もう既に兆候はあったけど、俺はいつか――いや。 遠くない将来に、彼女に追い越されてしまうだろうことを確信した。 恐らく、他の分野でも。
そして、俺は離れていく彼女の背中すら見失ってしまう日が来るんじゃないか……。
そう思うと、半身を斬り裂かれるような恐怖が脳天から背骨を駆け抜けた。
「お兄ちゃん……だいじょうぶ?」
「あ、ああ……」
震える俺に気づいて、横から身体を寄せてそっと抱きついてくる彼女。 その温もりを離すまいと、俺も左手を彼女の腰に回した。
「俺も、もっと頑張らないとな」
「わたしもがんばるの~♪」
でも俺は決して、俺のエゴでこの子の足を引っ張ることはしない。 これからも伸ばし続ける。
ならばせめて、俺自身がその背中を見失わずについて行ける程度にはならないと……。
「うふふふふふ……♪」
より強く俺に抱きついてきたこの子の頬を、俺は手の震えを押さえながら優しくなでた。
彼女はこてんと首を倒して目を瞑り、先生から集合がかかるまで、その身をずっと俺に委ねていた。
「おにい、ちゃん……」




