240 授業2日目の風景
授業が終わり、先生ズが教室を出ていく。
教室はいまだ、算数の授業の余韻を色濃く残していた。
「あー、覚えらんねえー!」「六の段って、暗算も難しいよね……」
「フッ、オレは速攻で五の段をマスターしたぜ!」「や、ボクもすぐ覚えたから」「な、なんだってー!?」
みんな勉強熱心だなー、感心感心。
なんとなく妹様の方を見ていると、クラスメートの女の子達に囲まれていた。 何やら話しかけられているけど、声を抑えているようで聞こえない。
セーレたんがうなずくと、みんなが「行こ行こ!」と手を引く……あ、目が合った。 席を立ったハニーが俺の前に来て、俺の手を取る。
「お兄ちゃ~ん」
「ん?」
なんか、セーレたんを誘った女の子達が「え?」って顔をしてるんだけど……なんだ?
「いっしょに、おトイレに行く~?」
「ぶっ!?」
小首をかしげるマイシスターから驚愕のセリフが飛び出した! 他の女の子たちも目を丸くして、頬がやや引き攣っている。
ちょっ……まさか、これって女の子特有の「みんなでおトイレ」ってヤツか?
せ、セーレたん、さすがに俺をコレに誘うのは違うと思うぞ……。
「い、いや……そういうのは女の子達だけで行くものだから」
「にゃ? ダメなの~?」
考えてみたら、ハニーはこういうのは経験なかったよな。
家のトイレは当然個室一つだけだし、幼児園は複数あったけど、行くときはお母さんを呼ぶか自分で行くかって感じでまだ「みんなで行く」というのはあんまりなかったような気がする。
「うん……そうだね。 それに、ぼくはまだ大丈夫だし」
「は~い、分かったの」
俺の手を二、三回きゅっきゅと握りながらうなずくと、妹様は手を離した。
「ああ、ビックリしたー」
「セーレちゃんって、本当にお兄ちゃん大好きだよね……」
「そういえば、まだ一緒に寝たりしてるんだよね」
セーレたんを誘っていた三人の女の子達が、俺達を囲むようにしてお喋りを始める。 ……あれ、行かなくていいの?
「あたしもお兄ちゃんいるけど、学校に上がるときに部屋も別になったなぁ」
「私は兄弟いないけど、そういう話はあんまり聞いたことないよ~」
「もうそろそろやめた方がいいと思うけど……さすがにお風呂は違うよね?」
「うん。 お兄ちゃん、いっしょに入ってくれないです……」
クラスメートの問いかけに、妹様は寂しそうな顔をして答える。 いや、さすがに風呂は俺も早くからやめてるって。
その後も押し切られて何回か入ったことはあるけど、トレーニングのせいか筋肉の付き方とかで体つきに差が出てきたから恥ずかしくってもう無理。
当然、お袋やメイドちゃんズと入るのもあり得ない。 まだ自分の手でうまく洗えないうちから、触手でタオルを持って洗うのを覚えて早々に卒業したもの。
今でもよく誘われるけど、きっぱりと断っているのだ。 その度に残念がられたり寂しそうな顔をされたりするけど、そこは諦めてもらわないと。
「いや、もうそういう歳じゃないからね?」
セーレたんが上目遣いで見てくるけど、ダメです。 ……今のうちに諦めさせないと、数年後が怖い。
あと、部屋を分けることもそろそろ考えた方がいいかな?
「……うぅ」
「だ、ダメだから……ね?」
こうやって、いつも本当に悲しそうにするマイハニー。 む、胸が痛い……。
これで首を縦に振った途端ににんまり笑うような子だったら俺も気が楽なんだけど、セーレたんは嬉し涙をにじませてぎゅっと抱きついてくる子だ。
それが分かっているから、意に添えないのは身を切るように辛い。 彼女は自分で自分を抱きしめるようにしながら、力なくうなずいた。
「きゃあ~っ! セーレちゃんかわいいっ♪ 代わりに私が入ってあげるーっ!」
「ふやっ!?」
「ああっ! 悲しそうにしながらも言うことを聞くセーレちゃん、けなげ……」
せめてほっぺをなでてあげようと手を動かそうとしたとき、女の子の一人が黄色い声を上げてセーレたんに抱きついた。
更にもう一人の女の子も、妹様頭を後ろからなでなでし始める。
「ジャス君って、いつもこのおねだりを耐えてるんだ……すごいね」
残ったあと一人の女の子は、俺の頭をなでながら俺に同情してくれた。 分かってくれて嬉しいよ。
そうこうしているうちに先生達がまた戻ってきて、みんなは名残惜しそうにしながら席に戻っていった。
……ところで、行かなくてよかったのかな?
二時限目は生活の授業。
国語がなくなった代わりに入った形になる科目だけど、やっぱり前世の家庭科を受けているような感じがする。
「季節というと春・夏・秋・冬とあるが、この四つが大体同じくらいの長さになっているというのは実は珍しい。
例えば、六月の使節祭で目にする北のインダルフィアでは冬が長く――」
アズミーリ先生が俺達に背中を向けて、この国・ヘルヴィオールとその周辺の地図を簡単に書いて説明してくれる。 教科書にも載っているものだ。
この国は「ラアン海」という内海に西に向かって突き出た半島全部を王都としていて、西側以外の三方の陸地を四つの衛星都市で囲んでいる。 王都から見て東にある、師匠とセラさんの住むセスルームもその一つだ。 ……ちなみに今、五つ目の都市を建設中らしい。
もっと広範囲に目を向けると、三日月状に北と南西に伸びるラアン海の北端の更に北に、今先生が話をしているインダルフィアがある。 冬の厳しい山岳地帯の中にある国だ。
逆に南西の端まで行くと陸地が途切れ、亜熱帯の森の中に南の大国・ヒミングレアがある。 途切れるとはいっても、海峡を挟んで更に西側は大陸があるんだけど。 そして東側の平野を進むと南北に山脈があり、そこを越えると山脈に沿うような平野が広がっていて、中小の国が乱立しているらしい。 更に東に行くと、大海が広がっていて行き止まりになる。
分かりやすくイメージするなら――氷河期の日本列島だろうか。 ヘルヴィオールを能登半島とその周辺として、本州やユーラシア大陸と繋がっている北海道あたりがインダルフィア、朝鮮半島を臨む九州がヒミングレア。 で、日本アルプスを越えて関東平野に当たるところが中小国家群地域って感じかな?
「――住んでいる人々も、身体の強靱な亜人種が多い。 亜人種の諸君の祖先の多くは、この北方からやって来たとも言われているな。
そして、南の――」
なお、その「日本列島」の更に外側については謎だ。 ……少なくとも、教科書には載ってないし他の本でも見たことがない。
いくら近代化しているとはいえ人工衛星なんてないわけで、しかも「外界」には怖い魔獣がわんさかといる世界だ。 冒険者や探検家みたいな個人が長旅するのは無謀だし、大軍を率いるには資金やら食糧やらの問題が……といったところだろう。
毎年「使節祭」の時期に外から使節団がやって来れるのも、大国でかつ距離が近いからこそ可能なんだと思う。 何しろ、ラアン海の向こうにある国と貿易するにも海軍の艦隊が必要らしいし。
「――精霊様が非常に多くおられ――」
でもふと思ったが、あの聖母様なら人工衛星みたいに上空――いや、宇宙から世界を見たことがあるかもしれない。 覚えていたら、次に会ったときに聞いてみようか?
クラスメートのみんなが珍しい「外」の話を興味深く静かに話を聞いている中、俺は教科書の後ろの方を見てにこにこしているセーレたんを時折眺めていた。
「では、教科書の十八ページから……ジャスパー、読んでみろ」
「は、はいっ!」
い、いかん。 既に知ってるからといって油断していると危険だ。
なんとか意識の半分が先生の声を耳に捉え、俺は教科書の音読を始めた。
生活の授業が終わり、次の時間はついに武術。 みんなにとって体育みたいなノリらしく、シャルちゃんが「着替えをする男の子は隣――」という説明の途中で飛び出していく子が多数。
先生、耳を寝かせてちょっと凹んでたぞ?
「さーて、飛び級のジャス君は武術の方はどうかなあ~?」
セーレたんがまた女の子達に誘われて席を立つのを横目に、俺も男子に声をかけられた。 言ってる内容はちょっと挑発的だけど、声のトーンはいたって明るい。 冗談半分、期待半分っぽい意図なのが十分に伝わってくる。
「いやー……どうだろう? 勉強はともかく、武術は明らかに不利だし」
その子も含めた三人の男子に誘われて席を立つ。
なにせ、みんな年上なのだ。 この年代は一歳差でも体格差が大きいし、二歳以上開けば頭身からして違うもんなぁ……。
みんなとの実力差が分かるまでは、胸を借りるつもりで頑張ろうと思う。
「ま、そうだよなぁ。 こんなにチンチクリンだし」
「ち、チンチクリンって」
仕方ないこととではあるけど、そう言われると凹む……。
「もう、それは酷いよー? ……まあまあ。 ボクも運動苦手だから、一緒にガンバろうよ」
「うむ、俺も苦手なことに関しては自信がある」
「自信あるんだ……」
賑やかな教室を、俺はクラスメート達と一緒に後にする。 目指すは地下体育館。
昼時が近づいて、雨の降り続いている外もだんだんと明るくなってきていた。




