207 いろんなモノがやって参りました
三月も末が近くなり、俺達の初等学校デビューの日が少しずつ迫ってくる。
消えにくいインクを使ったペンで自分の持ち物に名前を書く……というお約束イベントは、とっくの昔に消化済みであった。 セーレたんが真剣な表情で新品の教科書の表紙に折り目を入れ、裏表紙の下の方に呼吸を整えながらペンを走らせている様子はとても心が癒されたよなぁ。
一方その横で、何の感慨もなくサラッと書き終えてしまった俺。 目をキラキラさせていた妹様と比べて、ちょっと悲しい気分になったよ……。
「おんなじクラスになるといいんだけどなー」
「うん」
俺の呟きに、マイシスターがこくりとうなずいた。
少子化が問題になっていた前世とは違い、こっちはそれなりに子供が多いようだ。 四種類に別れている通学時間帯の中でも、それぞれ複数のクラスがあるのだとエルネちゃんから聞いた。
そうなると、メンバー全員が同じクラスになるのはほぼ無理だろうな……。 特にセーレたんとは同じクラスになりたいが、反面分かれた方が彼女のためになるかもという思いもあって、複雑だ。
「すぅ……はあ……」
開け放った窓から、かろうじて分かるくらいのかすかな花の香りが漂ってくる。 すぐ外にある桜の木はまだ三分咲きといったところだけど、それでも薄い水色の花は俺達の目と鼻を十分に楽しませてくれる。 深呼吸すると一層気持ちがいい。
こっちの世界に生まれてから、ときどき外の景色を眺めるようになった俺。 セーレたんも昔から俺の横で同じようにしていたけど、つい最近まではやや退屈そうにしていた。
でも、この頃はちょっと分かるようになってきたらしい。 ゆっくりと流れる雲や飛んでいるちょうちょ、庭の草木なんかを俺が指をさして春の兆候を教えてあげると、ハニーは感心の声を漏らして興味を示すようになった。
「ニアちゃ~ん、風がきもちいいよ~♪」
春夏用に交換された白の薄いカーテンが風に揺れ、それと同じようにセーレたんの髪もふわりと浮き上がる。 妹様は俺がプレゼントした白いリボンのバレッタで、長い金髪の横の部分を後ろで留めて流し、耳がちゃんと見えるようになっている。 少し印象が明るくなったように思う。
そんなセーレたんは俺のウェストポーチからニアちゃんを両手で取りだして、窓に向かって掲げるようにした。 近頃急に大きさを増して野球ボールのサイズを超えたニアちゃんは、ヒスイのように滑らかな表面から淡い緑色の光を緩やかに明滅させて喜んでいる。
見た目は宝石のようなのに、手に持つとほんのりと温かくて、しっとりとしてるんだよなぁ。 感触はむしろ人肌に近くて、ついつい長時間なでてしまう。
するとくすぐったくてたまらないのか、わずかにぴくぴくと震えるのだ。 ……もっと触ってあげたくなる。
「よしよしー」
五本の指の腹を使って、まるで占い師が水晶占いでもするかのようにさわさわと表面をなでてみる。 さっそくニアちゃんはぴくぴくし始めて、光の色が白く変わった。
「……ひぅっ♪」
なぜか妹様がそれを見て、自分がくすぐられたわけでもないのに背中を震わせた。
『やああぁぁぁぁぁぁ……!』
窓の向こうの下から聞こえてくる女の子の声。 どうやら、庭ではエミーちゃんが親父を引っ張り出して槍の稽古を始めたらしい。
精霊の日の朝から俺だけハブられ、エミーちゃんとセーレたんとエルネちゃんが三人だけでクッキーを作ってくれて、俺は昼にいっぱいご馳走になった。 そして、これから俺はセーレたんと一緒にエルネちゃんの引率で、初学校に久々の魔法射撃に行くことになっている。
残念ながら、エミーちゃんはお留守番なのだ。
『ジャスくーん!』
「はーい!」
後ろから元気なノックの音が声と共に聞こえ、間もなくドアが開かれた。
振り返ると、赤と黒の両方のカチューシャをつけた黒ワンピのエルネちゃんが、ひょっこり顔を覗かせていた。
……でもなんか、ちょっと笑顔が曇ってるよ?
「ねーねー。 今、ツェリ先生がジャスくんに話があるって来てるんだけど……お客さんを連れて」
「え?」
ついこの間、出版の件で来たばっかりだぞ? 契約は交わしたばっかりだし……なんだろ?
これはひょっとしたら、今日の射撃練習は中止になるかもしれないな。
「分かったよ。 ここに来てもらってー」
「……はあーい」
エルネちゃんも同じことを思ったようで、お出かけの中止に少し肩を落としてドアの向こうに消えていった。
妹様も今日は楽しみにしていたので、よしよしと耳の下をなでてあげると思った以上にくすぐったがって喜んだ。
ポーチに戻して半分だけ顔を覗かせたニアちゃんも一緒に両手で二人……「ふたり」でいいか? をぴくぴくさせていると、再びノックが聞こえてドアが開いた。
「――失礼致します」
るーちゃんがいないことを除けば、先日と寸分変わらない所作で姿を現した白銀さん。
しかし、今回はそこから先が違っていた。
「失礼しまーす。 ……ふふっ、こんにちはっ♪」
「あっ!?」
「ふわあ~♪」
ツェリさんに続いて入ってきたのは、飴色の髪の人妻お姉さん……ではなく。
ついに役所に届けを出して正式に人妻となった、紫の髪の新婚お姉さんであった。
自分の誕生日に合わせたらしいよ。
「元気そうね……って、まだひと月くらいしか経ってないのよね」
「ヴェオラさん!」
「えんちょうさんなの~」
「ジャス君先生、セーレちゃん、お久しぶりー♪」
幸せがあふれるような笑顔をさらに輝かせ、園長さんは俺達に可愛らしく手を振った。
――お茶とクッキーの残りを持ってきてくれたエルネちゃんも腰を下ろし、俺達はテーブルを囲んでヴェオラさんの言葉に耳を傾ける。
残念ながら新婚さんののろけ話ではないようで、俺は横にひっくり返る必要はなさそうだけど。
「ということで、ちょっと困ったことになってしまって……」
「……あー」
苦笑いを浮かべる園長さんに、俺は微妙なリアクションしか返せない。
というのも、今回の飛び級講座で九人全員合格というトンデモな結果を出してしまったせいで、今年の入園希望者が殺到してしまったらしい。 しかも年長クラスだけでなく、年少も年中も全部。
おかげであっという間に定員オーバーし、この半月以上は申し込みに来るお母さん方に頭を下げ続ける日々なんだとか……。
それでリリちゃんが年中クラスにいる関係で、今も幼児園に顔を出しているツェリ先生に園長さんが相談して、さらに俺のところにも話が回ってきた、と。
「できれば、週に一回でも授業に来てもらえたら嬉しいかなー……なんて」
てへりと舌を出して上目遣いを見せる新妻さん。 ……なんか、可愛さがアップしていませんか?
「うーん」
俺は腕を組んで思考の海に沈む。 これはまさしく、俺がまいた種であるわけなんだけど……。 でも、安請け合いしていいものではないしなあ。
学校は水と土の日だから無理だけど、その兼ね合いでアナさんのシフトが火と風と精霊の日に変わったから、その日なら行けるのか。
いや、待てよ?
「ちょっと待ってくださいねー」
頭の中を整理しようと、俺は紙とペンを出して入学後にやることなどを一週間の予定表としてまとめてみる。
まずは学校とアナさんの出勤予定を書き込む。 あと、精霊の日は幼児園が休みだから除外。 さらに水の日は、学校から帰ってきてからステイさんと出版の打ち合わせをすることになってるから、この日は午後も無理。
「へ……出版っ!?」
俺が紙に「出版打ち合わせ」と書くと、覗き込んでいたヴェオラさんが素っ頓狂な声を上げた。
そしてこれはまだ未決定だけど、高校に向けての講座を開いてほしいとニコとセーレたん以外のみんなから来てるから、火と風の日にやろうかと思っている。
――あれ、どこも空いてなくね?
自分の多忙さにギョッと目を剥いて顔を上げると、ツェリさんから出版の話を聞いたらしいヴェオラさんが「へえー」と、髪よりも濃くて青に近い紫の瞳をキラキラさせながら俺を見ていた。
うあー、ますます言いづらくなってきた。
「ジャスパー様」
園長さんに頭をなでられて、それに対抗しているのかセーレたんも俺のほっぺをなでてくるし、エルネちゃんにいたっては後ろから抱きついてきて耳元で俺の名前をささやいてくるし……って。
「くすぐったいわー!」
「きゃっ!?」「ひゃあんっ」「ああんっ♪」
ゾクゾクして思わず叫ぶ俺。 驚いた新婚さんと妹様とメイド見習いちゃんが離れる。
特にエルネちゃん、ドサクサに紛れて耳を舐めないように! まだ震えが止まらないよ……。
「ジャスパー様?」
「あ、ごめんなさい……なんです?」
さっきからツェリさんが俺のことを呼んでいたようで、俺は姿勢を直すと白銀さんに向き合った。
「この予定表について、私に考えがあるのですが宜しいでしょうか?」
「ああ、はい。 どうぞ」
「るー様と皆様にして頂ける授業なのですが、火か風のどちらかを精霊の日に変えては頂けないでしょうか」
「へ?」
せっかくの休みの日なのに、授業してほしいの?
「はい、幼児園の授業は週二日ですので――」
園長さんはツェリさんにも教師役を依頼しているようで、既にOKしているらしい。
で、その授業に俺のテキストを使いたいから、だったらその授業を、出版に使うテキストを試す場として利用してはどうか……というアイデアだった。
まあ確かに、参考書の出版にあたって書き直しや新しく書き下ろす必要のある内容も少しあるから、売り出す前に子供達の反応を見られるのは助かるといえば助かるけど。
「授業自体は私が受け持ちますので、ジャスパー様はテキストのご提供と、時々授業に立ち会って頂ければ十分です」
おおっと。 去年みたいに授業の内容や計画とかを考えてる時間はないですよー、って言おうと思ったのに先を越されちゃった。
今年からヴェオラさんの旦那さんも幼児園の運営に携わるらしく、園長さんと代わり番こで授業のサポートもしてくれるとか。 更に必要なら、学生のバイトさんを雇うことも考えているらしい。
「精霊の日の授業は皆様の同意を頂いておりますし、テキストの利用についてもステイリア様と出版社から許可を頂いております」
「それじゃあ、出版予定のテキストをうちの園で使わせていただけるんですか……すごいです!」
「……」
外堀は完全に埋められていた。 若奥様も感激していらっしゃる。
……こうなると、もはや俺の答えはひとつしかなかった。
「は、はあ……そういうことでしたら」
最終的には、るー君たちの授業は風と精霊の日にすることになり、幼児園の授業は火と風の日に決まった。
そして、俺は火の日に時間があれば幼児園に顔を出すことになったのだった。
「ツェリ先生、ジャス君先生……また、よろしくお願いしますねっ♪」
「――こちらこそ、宜しくお願い致します」
「い、いや、こちらこそ」
三人で互いに頭を下げ合う俺達。
これで俺、学校へ行きながらみんなの授業と出版の仕事をして、しかもときどき幼児園へも行くことになった訳か……。
「……あれ?」
これで俺、一週間全部の予定が埋まっちゃったんじゃない?
や、休みがないぞー!?




