206 書籍化が決定しました
――どうやら、出版社の人から書籍化のお誘いを受けたようです。
「しゅっ、ぱん?」
「はいっ!」
「だから近いですって」
「……あ、すみません」
また接触するかと思ったぞ……。
ステイリアさんが両腕を絨毯に突っ張らせて、ようやく俺の上からどいてくれる、のだが。 ……下半身は相変わらずテーブルに乗りっぱなしで、たぶん二〇代の前半くらいだろうスーツ姿のお姉さんが人前で見せる体勢としては、非常にコミカルな画となっている。
「あのー、そろそろ普通に座りません?」
「え? ……あ、すみません」
やっと今の自分の体勢に気づいたようで、頬を赤く染めるお姉さん。 亀が首を引っ込めるように後ろへ下がり、すとんと女の子座りになった。
昼に向かって高度を増してゆく太陽。 その明るい光を横から受けて、飴色の髪が柔らかく輝く。
「つまり、ぼくのテキストをまとめたものを本にしよう、ってこと?」
俺も身体を起こして座り直す。 それから、セーレたんがティーカップを並べ直しているテーブルの向こうに戻った出版社のお姉さんに、確認を取る。
「はい! そうで……あ」
「あっ、お兄ちゃん」
力強くうなずくステイリアさん……だが、その動作の途中で言葉が止まった。
しかもほぼ同じタイミングで、妹様も俺の顔を見た途端に手を止めて俺の方に寄ってきた。 なんだ?
「お兄さま? ほっぺに、紅いのがついてるの」
「えっ? ……ア」
まさか口紅? 俺はとっさに袖で拭おうとするが、口調の変わったセーレ様に手首を掴まれる。
「わたしが、ふいてあげるね? ……んっ」
膝立ちのまま近づいてくる妹様。 彼女はおもむろにスカートのポケットに手を入れると、白いハンカチを取り出して……尖らせた先端を自分の口に含んだ。
あ、あれ? 拭いてくれるんじゃないの? と思った矢先、セーレお嬢様は片手を俺の頬に添え、もう片方にその濡れたハンカチを持って俺の頬へと押しつけた。
「んっ?」
「ふきふき……んっ。 ふきふき……」
「……」
「ふきふき……はいっ、キレイになったの♪」
俺の肌を痛めないようにと、妹様は優しく丁寧に、そして何度も自分の口でハンカチの場所を変えて濡らし、口紅を拭き取ってくれる。
しかも周辺までキレイにしてくれているみたいで、その範囲は頬から唇まで及んだ。
白いハンカチのあちこちがほんのりと紅色に変わり、しばらくするとにっこりと微笑んでセーレ様が離れた。
「ありがとな、セーレちゃん」
「えへへへっ」
まるでお袋に甘やかされたみたいな感じになってちょっと恥ずかしかったが、ハニーの笑顔を見てしまうと何も言えなくなってしまった。
彼女はそのまま上品にハンカチを畳んで再びポケットに戻し、残りのカップをテーブルに置き終わると俺の隣にくっついて腰を下ろした。
俺は、セーレたんの頭をなでながら途切れた話を再開する。
「えっと……そういうことですよね?」
「あ、はい! そうです!」
お姉さんはこくこくと首を縦に振る。
「――流石ですね」
俺達が話し合っている横で、るーちゃんと並んでいるメイドさんが謎のコメントを発信した。
「いや、さすがなのはツェリさんでしょ」
前から俺のテキストを褒めてくれてたけど、まさか出版社の人を連れてくるなんて思いもしなかった。
つーか、よくそんな人脈をお持ちでしたね?
「編集長である彼女の夫が、私の大学院の後輩なのです」
「はい! でも、ツェツィーリエさんの方が年下なんですよね……凄いです!」
うむ、さすがスーパーメイドさんである。
「それはいいんですけど……ジャスパーさん、いかがでしょう? もちろん、報酬はお支払いしますよ」
「うーん……」
まさかこの俺が――しかも、この歳で本を出すって。 いいの、ホントに?
思わずツェリさんの顔を見ると、むしろ堂々と言い切られた。
「確かに前代未聞な事ですが、内容も実績も申し分御座いません。 是非とも多くの子供達に活用して頂きたく存じます」
「ジャスくん、本を出すんだ……すごいっ♪」
静かに話を聞いていたるー君も、笑顔をこぼして音を殺した拍手をしてくれる。 ……ツェリさんも倣って拍手を始めた。
いやまあ、俺の書いたものが世間の役に立つと言ってくれるのは嬉しいんだけどさ。
「ええっと、報酬の方でしたら、できるだけ頑張りますよ?」
俺が渋っているせいか、ステイリアさんから更に一声がかかる。
少し前までの俺だったら「まだ子供なんだからお金なんて別に」って言うところだが……。 プレゼントの件で、今の俺でもお金はあるに越したことはないということが分かった。
別にプレゼントに限らず、俺や妹様の――そして将来的にははリソ君用にもなる勉強用の参考書とか、自分の財布で気兼ねなく買えるようになるし。
だが、揺れ始めた俺の中の天秤を一気に傾けたのは、我が愛しの妹様の言葉だった。
「うわあ~♪ お兄ちゃんのご本が、本屋さんに出るの? ……たのしみ~!」
これを見たら、某国の宇宙飛行士だって地球の青さに感動しなくなるだろう、というくらいの輝きを蒼い瞳いっぱいに宿し、セーレたんが俺の左腕に抱きついて見上げてきた。
そ、そんなに嬉しそうなお顔を見てしまったら!
「いよっしゃあああああーーーーっ! ベストセラーを狙うぜえええええーーーーーーーっ!!」
んでもって、教科書に載っちゃうくらいに頑張るぜ!
「本当ですかあああああああっ!?」
「うわっと!?」
右手を天に掲げて雄叫びを上げる俺に、お姉さんが再び身を乗り出してきた!
「ありがとうございますっ! ありがとうございます~っ♪ 一緒に頑張りましょ~う!」
「ええ……が、頑張りましょう」
またテーブルを乗り越える! と思って人妻さんの両肩を押さえて押し留めようとしたら、今度はその手を握られてものすごい勢いでぶんぶんと上下に振られた。
――セーレ様とるー君が止めに入ってくれたおかげで、なんとか三度席に着くことができた。
詳しい話はまた後日ということで、今はツェリさんとるー君もテーブルを囲んで俺の出版決定を祝ってくれている。
だけど、ふと思ったんだけどさ?
「あのー、ステイリアさん?」
「なんでしょう?」
ひとしきり喜んだお姉さんは、ようやく落ち着きを取り戻した。
セーレたんとるー君が左右にくっついて俺をガードしてくれているけど、この様子なら大丈夫……かな?
俺は両隣の二人に視線で謝意を伝えてから、至極マトモなことを口にした。
「こういうお話って、ぼくよりも先にパパやママに通すものなのでは……?」
しかし、返ってきたのは予想の斜め上を行く回答であった。
「ああ、大丈夫ですよ」
「な、なんで?」
軽くうなずいて笑みを見せるお姉さん。
「既にお母様からは、ジャスパーさんのご判断にお任せすると言われていますから」
「……」
お、お袋さんよぉ……。
商業契約を未就学の幼児に一任って、ちと大物過ぎやしませんかね?
だけど、お袋ならにっこり笑顔で『ジャスちゃんにすべてお任せしますわ~♪』とか言いそうだな。
「はい、まさにそうおっしゃいまして、失礼ながら『六歳の子供に全部任せて本当に大丈夫なの?』って思ってしまいました」
「まあ、そうですよねー」
むしろ、お袋が大丈夫? と言われてしまいそうだ……。
「お母様は、実際に会ってお話すれば分かるとおっしゃっていましたけど……どうやってジャスパーさんに話を持ちかければいいのか、ものすごく混乱してしまって。
もしも失敗したら、ツェツィーリエさんやパ……じゃない、編集長の顔に泥を塗っちゃうことにもなりますし。
ただでさえ、いつも迷惑ばっかりかけてるのに……」
そうなったときのことを想像しちゃったのだろうか、ステイリアさんの肩がどんどん下がっていく。
でも、それであんなパニックに? ……にしても、ちょっと酷すぎだよねぇ。
俺が一瞬渋い顔をしたのがバレちゃったようで、お姉さんは苦笑いを浮かべた。
「あははは……本当にすみません。 昔から、興奮したり気が動転したりするともうダメで」
「はあ、なるほど」
きっとこの人、学校の通知表に「もっと落ち着きましょう」って書かれてたんだろうなぁ。
「ですけどジャスパーさんは、あんなに動揺した私をむしろ落ち着かせようとしてくれました。
それで、『ああ、この子は本当にすごいんだ』って思ったんです」
「ど、どうも」
「本当に、ありがとうございます」
そう言って、お姉さんは深々と頭を下げた。 俺も思わず素で相手しちゃったが……今回はそれが功を奏したようだな。
俺は妹様にお願いして、マールちゃんにお茶のお代わりを持って来てくれるように言いに行ってもらった。
――結局。 お姉さんの所属するケンスルック社から、正式に出版契約を結ぶことになった。 作者の年齢を大っぴらにPRしないことを条件にして。
もちろん、契約には保護者であるお袋が責任を持つことになる。
「おめでたついでといっては何ですが、私の方からも報告申し上げる事が御座います。
元はこちらが本題だったのですが」
セーレたんが下にいるお袋に出版の件を報告に行ってくれて、メイドちゃんズと一緒に「おめでとう~♪」と大喝采をもらった後。
お袋達はお祝いの夕飯を作るために買い物に行ってしまい、お留守番のリソ君が妹様に預けられた。
そしてお代わりの紅茶を飲んでいると、白銀さんが新しい話題を話し始めた。
「――るー様が先日、準魔術師三級の認定試験に合格されました」
「おおーっ!」
「わあ~っ♪」
ちょっと自慢げな表情でサムズアップするるー君に、俺とセーレたんは歓声を上げて拍手する。
準魔ということは、精製補助がついた魔導具の方だよな。 もう使えるようになったんだ……。
「そ、それはすごいですね! さすがツェツィーリエさんのご主人さまですっ!」
仕事の話が終わってリラックスしたお姉さんも、手をパチパチ叩いてお祝いする。
「……ありがとう、お姉さん♪」
「ひゃっ!? ……ふわぁぁぁぁ」
るー君はおもむろに立ち上がり、目の悪いステイさん――そのように呼んでほしいと言った彼女のすぐ側まで行くと、とってもクールな貴公子スマイルを投げかけた。
すると、足を崩して横座りになっていたお姉さんは、よよよ~と横向きのまま絨毯に倒れ込んでしまった。
るー君と一緒に来たから、てっきり「朱の魔眼」も平気なのかと思ってたけど……どうやら、単純に視力が悪くてしっかりと見えていなかっただけらしい。
この様子だと、俺と妹様が準魔だけでなく魔術師六級と武術五級の資格も持っていることは言わない方がいいだろう。
「ですが、ジャスパー様とセレスティア様は――」
と思ってたら、絶対に言うんだよなこのメイドさんは……。
「ひゃ、ひゃいぃ~?」
お姉さんは、夕方までぐっすりと我が家でお休みになりました。




