100 その笑顔を、決して離さない
観音開きらしい、二枚あるドアの左側の前に立つ。
年季の入っている木製の重厚なそれを見上げると、一歩前に出ているマールちゃんがこれまた古そうな黒鉄のノッカーを握っていた。
「ごめんくださーい!」
金属を叩く重い音が辺りに響きわたり、俺達は中からの応答を待つ。
『どなたですかー?』
年増の頃だろうか……というと失礼かもしれないが、しばらくすると女性のやや太い声が聞こえてきた。
「はい、以前ここでお世話に――」
マールちゃんが名乗ろうとしたとき、ドアについている四角いのぞき窓が開いた。 下からだと分かりにくいが、ふっくらしてそうな優しげな女性の顔が見える。
『ああっ! まさか……』
中の女性はマールちゃんの顔を一目見て分かったようで、すぐにのぞき窓を閉じるとロックが外れる音がしてドアが開いた。
マールちゃんより若干背の低い、エプロンを身につけたやはりふっくらした「おっかさん」っぽい女性が姿を現した。
「まあまあ、まあまあ!」
感極まったらしく「まあ」を連発しているおっかさんに、足元にバッグを落としたマールちゃんが両手で力いっぱいに抱きついた。
「お久しぶりです、お母さんっ!」
「まあまあ、まあまあ!」
「またお会いできて、嬉しいですっ……!」
文字通り、この孤児院で『お母さん』的な人なのだろう――頬をすりつけて甘えるようにしているマールちゃんは、まるで子供に戻ったかのようだ。
感動の再会に、俺は温かい気持ちになって二人を見つめていた。
「まあまあ、まあまあ」
「お母さん……お元気そうで、よかったです」
「まあまあ、まあまあ」
しばらくして、マールちゃんは抱擁を解くと密着したままおっかさんと向かい合う。 その腕は、まだ彼女の首に巻きついたままだ。
「お母さん……」
それにしても、さっきから「まあ」しか言ってないぞ、この人。
「まあまあ、まあまあ……えっと」
「はい?」
ようやく何かを言ってくれそうで、マールちゃんは首をかしげる。
後ろから見ると、軽く揺れたポニーテールがまさに彼女の気持ちを表しているようだな。
「えっと~、えっと~。
…………誰、だったかしら?」
「はぇ?」
「……」
「うにゅ?」
周囲が沈黙に支配される。
気の抜けた声を出してしまったマールちゃん。 その表情は見えないが、さぞ微妙な状態で固まっていることだろう。
「えっと~……ここまで出かかってるんだけどねぇ……」
「…………」
――感動の再会が、台無しだった。
**********
「あっはっはっは……やぁ~ねぇ~。 まさか、マールちゃんのことを忘れるわけないじゃな~い」
「……はぁ」
おっかさんに先導されて、横幅に余裕のある廊下を歩く俺達。
落として少し汚れてしまったバッグ、下がった両肩、そして力なく揺れるポニーテール……まさに彼女の気持ちを表しているようである。
「あっはっはっは……まあまあ、お入りなさいなぁ」
長くない廊下の突き当たりに着くと、おっかさんはその引き戸を開けた。
さっきから無言のセーレたん、身を寄せて俺の腕を掴んでいる手に力がこもる。 俺が不安そうな顔に微笑みかけてほっぺをなでてあげると、少しだけ口元が緩んだ。
「遅くなったわねぇ~」
「し、失礼します……」
『ふわぁぁぁあああーーーっ!?』
『もしかして、マールお姉ちゃん!?』
『マール姉ぇだ!』
『えっ、だれ……?』
『メイドさんキターーーー!!』
おっかさんとマールちゃんが食堂らしき広い部屋に入っていくと、たちまち幅広い年齢層の、少年少女達の歓声が上がった。
その声の大きさに妹様がビクリと震えたので、またもうひとなでしてから俺達も後に続いた。
先に立つマールちゃんの周りには、恐らく十歳~十五歳くらいだろう少年少女が数人集まっている。 もみくちゃとまではいかないが、マールちゃんはいろんな子達から肩や背中などを叩かれていた。
その様子をぼーっと見ていると、その集まりの向こうのテーブルに座っていた子供の一人から不意に俺達を指差され、大きな声で問いかけられた。
『ねーねー、その子たち、だーれ?』
「……っ!?」
急に食堂の中が静まりかえり、子供達の顔と視線が一斉にこちらを向く。
その目はどの子もキラキラしていて、否定的なものは含まれていない。 それが興味の色だということは俺には分かるが――。
遠慮のない、しかも今まであまり接したことのない年上まで含む子供達の視線に、セーレたんはすっかり怯えて俺の背中に隠れてしまった。
「あっ!? す、すみませんジャス様!」
驚きと喜びから、しばし俺達のことを忘れてしまっていたマールちゃんの声が部屋の沈黙を破り、すぐに人の輪を抜け出して俺達の前に来てくれた。
「セーレ様……すみません、怖くないですからね」
「う、うん……」
俺の背中にしがみついているセーレたんの頭を、マールちゃんが横から優しくなでる。
伝わってくる震えが、少しずつ治まってきた。
その様子を見たせいか、立っていた年長の子が他の小さい子供を長い二列のテーブルに戻らせて、部屋の雰囲気が落ち着かせてくれた。
おっかさんを除くと、立っているのはマールちゃんと同じくらいの背丈の人が五人。 気づかなかったが、明らかに成人している二十歳過ぎくらいの女性も一人いた。
座っている子は全部で……四〇人くらいか? 食べ終わったお皿とコップが並んでいるので、おやつの時間が終わったところだったんだろう。
「さあさあ、マールちゃん」
俺達の隣に来たおっかさん―― ひょっとすると院長さんか? ―― に肩を叩かれ、マールちゃんが立ち上がり子供達の方に向いた。
そして軽く息を吸い込むと、慣れた様子で大きめの声を出して話し始めた。
「ええっと、いきなりお邪魔してごめんなさい。 私は、四年前までここにお世話になっていた、ラリマールといいます。
私はここを出てから、メイドになって王都に住んでいるんですけど、奥様がこの街の出身で、しばらくの間、こちらのお子様方のお供として戻ってきて、オリオール家のご実家にいます」
分かりやすいように、区切りながら喋るマールちゃん。
それでも、幼くて分かっていなさそうな子もいるが、あちこちから「へー」「おおー」といったリアクションが聞こえてくる。 俺達がここいる理由も分かって、向けられる視線も穏やかになった。
「セーレたん」
「う、うん……」
マールちゃんが一旦言葉を止めて俺達を見ているので、俺は手を後ろに回して妹様の背中を軽く叩いた。
すると、おずおずとながら横に出てきて俺の左腕にしがみつく。
俺の陰から日の出のように現れたエンジェルをハッキリと目にした子供達から、「ふわぁ」「かわいいー」「美幼女キター」といった感嘆の声が次々と聞こえてくる。 ……おい、最後に言ったヤツは誰だ?
出てきたセーレたんを見て、マールちゃんからのアイコンタクトを受信。
その意図を察して、俺も大きな声を出した。
「ぼくは、ジャスパー・オリオールと言います! 四歳です! ジャスって呼んでくださいっ!
それで、こっちが双子の妹の……」
俺が左を見ると、緊張した面持ちの妹様と目が合う。 唇が少し震えているので、何をすればいいかはちゃんと分かっている。 あとは、ちょっと勇気を出すだけ。
だから俺は、彼女の頭を少しこちらに寄せてから耳元に唇を近づけてエールを送る。
「ほら、セーレたん。 ……おにぃがついてるから」
そして頭の横側に添えた手のひらを、ささやいた反対側の耳元から頬までゆっくりとなでるように滑らせて手を離し、優しく微笑んで見せた。 セーレたんの顔から緊張が取れて、蒼い瞳に光が宿る。
うん。 今、我ながらキザっぽいことしたなーと思ったよ……。 だから子供達よ、「きゃー♪」とか言うな!
「せ……わ、わたしは、いもうとのセレスティア、四さいですっ! せ、セーレって、よんでくださいっ!」
……オッケー!! 声も、比較的しっかりと出てました!
どうよ、バッチリでしょう! と視線を投げると、マールちゃんも満足げにうなずいて締めの言葉に入った。
「ということで、今日は少しの間、いっしょに遊んでくださいねっ!」
『はーーーーーーーーいっ!!』
スピーチの成功を確信できる、子供達の挙手と大きな返事が食堂全体から響いてくる。
「……あぁ♪」
緊張を乗り越えた喜びの吐息が、返事に混じって横から聞こえる。
俺は紅潮したセーレたんの頬をなでながら、満面の笑顔で賞賛した。
「よくできたね、セーレたん!」
「うんっ!」
またひとつ、妹は大きくなりました。
**********
――――俺は、すっかり忘れていた。
忘れて、いたんだ。
『わーーーーーー!!』
『きゃーーーーーーっ!!』
『おーーーーーっ!!』
『ようじょーーーーっ♪』
最もやんちゃ盛りの、子供達のパウワーを。
「あばばばばばばばばっ!?」
「ふにゃああああああっ!?」
同じくらいの背丈の幼児から、頭一つ二つ高いお兄さんお姉さんまで。
学校の一クラス分に相当する子供達に囲まれ、叩かれ、引っ張られて。
『あそぼーーーっ!』
『こっちきてよーーーーっ!』
『かわいいーーーっ♪』
『ようじょーーーーーーーっ!!』
「ぬっはあーーーーーっ!?」
「きゃあああぁぁぁぁん!?」
なんかもう、絶望的な兵力差で籠城戦を強いられているかのような心境になっていた。
しかし、せめて幼女幼女ってほざくヤツからは死んでも守る! 離すものかッ! ……と決意していたその時。
救援の騎士団が、颯爽と現れた。
「みんな、ちょっと落ち着くんだ!」
「ほら、ふたりとも怯えちゃってるじゃない!」
俺達をかばって前に立ってくれたのは、十歳くらいのお兄さんとお姉さん。
とても人の良さそうな顔立ちで、俺の目にはとても大人びているように映った。
『うっ……ゴメン』
『ごめんねー』
『かわいくて、ついつい』
『お、おびえるようじょ……』
お兄さんとお姉さんのおかげで、少しずつ周りの子たちも落ち着いてきた。
すると二人は、俺達の方に振り向いて声をかけてくれた。
「ジャス君とセーレちゃん、だったかな。 驚かせてしまって、ごめんね」
「怖がらせちゃったみたいね……でも、みんな悪気はないのよ? だから、嫌わないでほしいな」
軽く屈んで、優しい目で俺達の目を見ながら頭を順番になでてくれるお兄さんとお姉さん。
抱き合って震えていた、俺とセーレたんの気持ちがほぐれていく。
「うん、分かってるからだいじょうぶ。 セーレたんも、だいじょうぶだよね?」
「……う、うん、だいじょぶ」
俺も抱き締めたまま頭をなでてあげると、姫様も落ち着いてくれた。
「そっか……よかったよ。 ジャス君はしっかりしているし、セーレちゃんもいい子だね」
「ええ、凄く仲よしさんね。 ちょっと妬けちゃうくらい♪」
俺達に笑顔が戻ったのを見て、お兄さんとお姉さんも微笑む。
落ち着いてよかったと、互いに見つめ合ってうなずいている二人は、仲が良いと言うよりはまるで――。
『ああーーっ!? またふたりが見つめ合ってるぅ~っ♪』
『ラブラブだあ~♪』
『ラブラブカップルだーっ』
『アベックだー!』
「き、君達っ!?」「や、やめてよっ!?」
子供達の矛先をいきなり向けられ、お兄さんとお姉さんが茹だったように顔を真っ赤にする。 そして巻き起こるラブラブコール。
うん、俺も同じことを思ったよ。 二人で両手を振りながら否定している姿も見事にシンクロしてるし、マジで両想いなんじゃない?
……つーかさ、「アベック」って古くないか?
『キスしちゃえー♪』
『しちゃえー』
『キース、キース♪』
「ううっ、困ったな……」「みんな、いじわるしないでぇぇ」
チラチラと視線を合わせながら、あたふたしているお兄さんとお姉さん。 周りの声も、ラブラブコールからキスキスコールへと変わってきた。
まあ、大きくなってくると子供達も、こういう話題が好きになってくるからねぇ。
矢面から免れて、悪いなーと思いつつも俺もちょっとニヤニヤしてたり。 うん、ごめんよ♪
「ね~ね~、おにぃ?」
ちょっと生温かい気分になっていると、未だ抱きついている妹様から声がかかった。
「ん? どうしたの」
「おにいさんとおねえさん、ラブラブなの~?」
おおっと、なんだかセーレたんもタンザナイトのようなキラキラした瞳になっちゃってますよ?
妹様も立派なリトルレディ……乙女なハートがきゅんきゅんしちゃいましたかっ!
「うーん……たぶん、ラブラブだろうねぇ」
からかわれて困ったようにしながらも、わずかに口元が緩んでいる二人を見ながら俺は答えた。 お似合いのカップルだと思うよ。
「そうなんだぁ~♪」
まるで自分のことのように、満面の笑みを浮かべる妹様。
そして。
「じゃあ、セーレとおにぃも、ラブラブだねっ♪」
「おう、そうだな――――んむぅ!?」
『きゃあああああああーーーーーーっ♪』
「ちょ、ふたりともっ!?」「ええええっ!?」
巻き上がる歓声、変わる矛先はブーメラン。
お兄さんとお姉さんも弾かれたように振り返り、赤い顔が首元まで真っ赤に。
「んん~~~~~~~っ♪」
「んんっ! んぅむーーーーーっ!?」
ちょ、セーレた……離し……やめ……!
「んんんんん~~~ふふふふふんっ♪」
あ、あのね、『いーや♪ やめないもーん』じゃなくってさ?
お願いだから離れよう? ……って、ちょっと、さらに腕の力が強くなったよぉ!?
「んんっ! んんんんんんーーー!!」
「ううんっ♪」
まだダメって……ちょっとーーーーっ!?
お願いだからっ!
はあーーなぁぁーーしぃぃぃーーてえぇぇぇぇーーーっ!!




