即席ラーメンのつくりかた
戦後の大阪。
屋台の前に、長い行列ができていた。イチゴは足を止めた。
「すごい人」
「そうですね」
「みんなラーメン食べるの?」
「そのようです」
湯気の向こうで、店主が忙しそうにどんぶりを並べている。しばらく見ていたが、列はなかなか進まない。
「遅いね」
「一杯ずつ作っていますから」
「すぐできないの?」
「できるなら、もうやっていると思いますよ」
「そっかあ」
「タカハシ」
「はい」
「すぐできるラーメンというのは、面白いと思わないか」
「思いません」
「そうか」
「はい」
「やってみよう」
タカハシは顔を上げた。
「何をですか」
「すぐできるラーメンだ」
「……並びましょう」
「イチゴも喜ぶぞ」
タカハシは黙った。
「楽しみだね!」
「……そうですね」
イチゴの父、安藤百福は、自宅の裏庭に小屋を建てた。製麺の道具をそろえ、鍋を置き、材料を買い込む。大きな研究所も、専門の研究員もいない。百福自身、麺作りの専門家ではなかった。
「おいしくて、保存ができる」
百福は指を折った。
「簡単に調理できて、値段が手頃で、安全であること」
タカハシは帳面に書いた。
「多いですね」
「必要な条件だ」
「減らしませんか」
「減らさん」
「そうですか」
百福が粉をこね、麺を作る。タカハシは材料を量り、前の試作と何を変えたのかを書き残した。最初から、うまくはいかなかった。
百福がどんぶりを置いた。
「できたぞ」
タカハシは箸を取った。
「いただきます」
一口すすった。百福が見る。
「どうだ」
タカハシはしばらく噛んだ。
「味は悪くありません」
「そうか」
「麺がなくなりません」
「固いか」
「はい」
作り直した。味を変えた。乾かし方を変えた。麺の作り方も変えた。
また、どんぶりが置かれた。タカハシは箸を持った。
「今回は?」
「食べてみてくれ」
タカハシは手を合わせた。
「次こそ歯で噛み切れる麺でありますように」
「大丈夫だ」
「前回も聞きました」
一口食べた。噛んだ。もう一度噛んだ。
「どうだ」
「進歩しています」
「そうか」
「噛む力だけはついてきました」
保存できるように乾かせば、今度は湯をかけても戻らない。百福が作り方を変えるたび、タカハシは量り、記録し、食べて、器具を洗った。翌日も、その次の日も、試作は続いた。
ある昼、タカハシは記録を終えると、別に取ってあった生麺を持って立ち上がった。小鍋に湯を沸かし、麺を入れようとする。百福が顔を上げた。
「煮るのか」
「はい」
「お湯をかけるだけで食べられるものを作っているんだぞ」
「これは私の昼飯です」
「普通に煮てどうする」
「普通に食べます」
「それでは意味がない」
「私の昼飯に意味を求めないでください」
それでも試作は続いた。
昼を過ぎたころ、イチゴが小屋へやってきた。盆には三人分のどんぶりが載っている。
「お昼持ってきたよ!」
「ありがとうございます」
「お母さんが作った天丼」
タカハシは帳面を閉じた。
「助かります」
「パパも食べよう」
返事がない。
「パパ?」
百福は天ぷらを見ていた。タカハシも百福を見た。
「……食べないんですか」
百福は天ぷらを箸で持ち上げた。
「これだ」
「お昼です」
「油で揚げる」
「天ぷらですから」
「麺もだ」
タカハシは箸を止めた。
「ラーメンを?」
「ああ」
「油で?」
「ああ」
「どうなるんです?」
「うまくいけば、湯で戻る」
「失敗したら?」
「考える」
「そうですか」
イチゴが二人を見た。
「天丼、冷めるよ?」
「いただきます」
その日の午後、百福は麺を油へ入れた。激しい音がして、タカハシが顔を上げる。
「本当にやるんですね」
「ああ」
揚げた麺をどんぶりに入れ、湯を注ぐ。二人で待った。やがて固まっていた麺が、ゆっくりとほぐれ始めた。タカハシは時計を見た。
「……戻りましたね」
「ああ」
「食べてみろ」
タカハシは一口食べた。百福が見る。
「どうだ」
もう一度噛んだ。
「これなら、あごの筋トレは必要なさそうです」
「味は?」
タカハシはもう一口食べた。
「そちらは、まだ必要です」
ようやく方法が見つかった。だが、一度できただけでは商品にはならない。百福は一食分の麺を揚げる器具を作り、味付けや揚げ方を変えながら試作を重ねた。タカハシは準備し、量り、記録し、食べた。
イチゴが小屋へ顔を出した。
「今日はどう?」
「噛み切れます」
「よかったね!」
「ありがとうございます」
「味は?」
タカハシは親指を立てた。
「まずいです!」
「そっかあ!」
イチゴが帰ると、百福が次の麺を取り出した。
「次だ」
「はい」
やがて、商品として売り出せるものが完成した。名前は、チキンラーメン。一食、三十五円だった。
タカハシは商品を持って問屋へ向かった。主人が袋を手に取る。
「一袋、三十五円?」
「はい」
「うどん玉なら六円だよ」
「こちらはお湯をかけるだけです」
「それでも高いよ。うどんを茹でればいいじゃない」
「毎日ですか?」
「毎日だって、茹でればいい」
タカハシは少し考えた。
「奥様の前でも同じことを言えますか?」
主人が黙った。
「……脅すのはよくないよ」
「商品の説明です」
一九五八年八月二十五日、チキンラーメンは発売された。まだ見慣れない乾いた麺だったが、実際に食べた人たちの間で味と便利さが知られ、注文は増えていった。
やがて、工場の前には出来上がりを待つ問屋のトラックが並ぶようになった。タカハシが外へ出ると、運転手が窓を開けた。
「まだできない?」
「作っています」
「昨日頼んだんだけど」
「昨日から作っています」
後ろにもトラックがいた。さらに後ろにもいた。
「いつできる?」
「順番に出しています」
「急いでくれよ」
「急いで作っています」
タカハシは工場へ戻った。百福が製造の様子を見ている。
「売れているな」
「はい」
「よかったな」
「はい」
百福が笑った。タカハシも笑った。
「今日も残って作らないとな」
タカハシの笑顔が消えた。
ひと区切りついた夕方、イチゴが三人分のどんぶりを運んできた。
「私が作ってもいい?」
「お願いします」
タカハシは伝票をまとめ、机を空けた。イチゴは麺を入れて湯を注ぎ、蓋をする。百福も仕事の手を止めて、向かいに座った。
タカハシがいつものように帳面へ手を伸ばすと、イチゴがその手を握った。
「今日は、書かなくていいんでしょ」
タカハシの手が止まった。
「……そうでした」
イチゴは手を離し、タカハシの隣に箸を置いた。タカハシは帳面を脇へ寄せた。やがて蓋を取ると、三つのどんぶりから湯気が上がった。
イチゴはラーメンをすすった。
「おいしい!」
「よかったです」
「ほんとにすぐできたね!」
「はい」
「これならどこでも食べられるね!」
「お湯があれば」
イチゴはどんぶりを見た。
「でも、どんぶりは?」
「必要です」
「外で食べるときも?」
「必要です」
「最初から入ってたらいいのにね」
百福が顔を上げた。タカハシは黙ってラーメンをすすった。
「タカハシ」
「聞こえません」




