東京ディズニーランドのつくりかた
一九七三年、東京。
「アメリカにあるディズニーランドって、すごく面白いんだって!」
イチゴは雑誌を広げて、タカハシのところへ持ってきた。城がある。汽車が走っている。写真の中の人々に、ミッキーマウスが手を振っていた。
「いいですね。航空券を手配しましょう。いつ頃がよろしいですか?」
「でもね、すっごく楽しかったら、毎日行きたくなるかもしれないでしょ?」
「そうですね」
「だったら、近所にあったほうがいいよね!」
タカハシは笑った。
「ははは。そうですね」
向かいで書類を読んでいた父も笑った。
「ははは。そうだな」
「でしょ?」
「ああ」
父は書類を置いた。
「作るか」
タカハシの笑顔が止まった。
「……何をですか」
「ディズニーランドを」
「日本に?」
「日本に」
「近所に?」
「できればな」
「わあ!」
イチゴが父に抱きついた。
「パパ大好き!」
それからタカハシのところへ来て、両手を取った。
「タカハシもありがとう!」
「え?」
「楽しみだね!」
「私はまだ何も――」
父が立ち上がった。
「忙しくなるな、タカハシ」
「待ってください」
父はオリエンタルランド専務、髙橋政知。タカハシの手を離したイチゴは、もう父に雑誌の城を見せていた。
さっきまで、航空券を取るだけの仕事だった。
もっとも、この計画は、いま思いついたものではない。
オリエンタルランドは一九六〇年、浦安沖を埋め立て、住宅地や商業地、大規模なレジャー施設を造るために設立されていた。社長の川﨑千春は、米国で見たディズニーランドに強く心を動かされ、日本への誘致を望んでいた。
浦安は、もともと漁業の町だった。しかし海の汚染などで漁業が衰え、町は大きな転換期を迎えていた。埋立てには、そこで暮らしてきた漁業者との話し合いが必要だった。髙橋はその交渉を担当し、県や地元の人々との間を行き来してきた。
タカハシが開いた資料には、すでに長い年月の仕事が詰まっていた。
「場所は、浦安を考えていらっしゃるのですね」
「ああ。東京に近い。広さもある」
「では、ディズニー側の了承は」
「これからだ」
タカハシは資料を閉じかけ、開いたままにした。
「こちらだけで決めてよい話ではありません」
「だから、来てもらって見せる」
一九七四年、オリエンタルランドは正式に誘致を申し入れた。川﨑が渡米して働きかけ、日本の市場と浦安の適地性を説明する資料も送った。
広い土地があります、だけでは足りない。どれほどの人が来るのか。繰り返し訪れてもらえるのか。日本で長く続く事業になるのか。会社は、その見通しを示す必要があった。
タカハシは説明資料をそろえる仕事を手伝った。航空写真の上では東京と浦安は近かった。その近さを、来園する人の数や交通の見通しと結びつけ、相手が判断できる形にしていく。
十二月、ディズニー社の首脳が来日した。帝国ホテルで説明を受けた一行は、バスで浦安へ向かい、さらにヘリコプター三機に分乗して開発用地を視察した。
タカハシは地上で、配布した資料の控えを抱えて待った。広い土地を見せるために、地面から離れてもらうところまで来た。
だが、視察が終わっても、建設には取り掛かれなかった。
パークの内容を詰める作業と並んで、事業の条件を決めなければならない。ディズニーの名前と技術を使い、日本側が建設し、運営する。売上に応じたロイヤルティを払う仕組みであり、米国の会社が資金も人も一式持ってきてくれる話ではなかった。
タカハシは、施設の資料とは別に、事業収支の資料を机に置いた。
「本物を造るためのお金を、こちらで用意するわけですね」
「ああ」
「開けた後も、運営を続けるお金が要ります」
「もちろんだ」
「もちろん、で済む金額ではありません」
髙橋は、数字の並ぶ紙を自分のほうへ引いた。タカハシも椅子を寄せた。
一九七九年四月三十日。社長となっていた髙橋と、ディズニー社のウォーカー社長が、設計・建設・運営についての基本契約に調印した。
資金調達では千葉県の後押しを受け、日本興業銀行が力を貸した。翌年八月には、二十二の金融機関による協調融資団が結成された。
タカハシは説明先の一覧を整理した。最初の一枚では足りず、二枚目を継ぎ足した。
イチゴが隣から覗き込んだ。
「こんなにたくさんの銀行が、お金を貸してくれるの?」
「はい」
「みんな、楽しみなんだね」
「返す日を待っていらっしゃいます」
イチゴは一覧を見直し、タカハシは返済計画へ目を戻した。
建設の前に、人を育てる仕事が始まっていた。
一九八〇年一月から、社員の米国研修が始まった。最初に送られるのは、運営の中心になる幹部九人。研修期間は約一年だった。
タカハシは渡航準備を手伝いながら、日程を確かめた。
「一年ですか」
「およそ」
「視察ではなく」
「運営を覚えてきてもらいます」
タカハシは予定表の、翌年のページを開いた。
九人が身につけるのは、自分が楽しむための回り方ではなかった。毎日大勢の客を迎え、施設を動かし、それぞれの部門を率いるための仕事だった。
イチゴが、研修の話を聞いて目を輝かせた。
「一年もディズニーランドにいられるの?」
「お仕事です」
「いいなあ」
タカハシは出発までに済ませる手続きへ、視線を戻した。
一九八〇年十二月に着工式が行われ、翌年から本格的な工事が始まった。
米国には、見本となるパークがある。ただし、そのまま持ってくれば日本でも建てられるわけではない。建築や消防の決まりも、気候も違う。見た目を再現しながら、日本で安全に使える建物にしなければならなかった。
設計者と施工者は、ディズニー側と協議を重ねた。形を変えずに済むところ、材料や構造を改めるところ。その判断を一つずつ積み上げていく。
タカハシは図面と協議の記録を突き合わせた。外からどう見えるかを説明する資料と、内側がどう造られるかを示す資料を、同じ場所で開けるように印を付けた。どちらか片方だけ渡しても、話が通じなかった。
誘導灯にも調整が必要だった。非常時に出口を知らせるものだから、目立たなくしてしまうわけにはいかない。そのうえ計画の途中で、それまでより大きな誘導灯が必要になった。景観との折り合いをつけながら、設置計画を見直さなければならなかった。
休憩中のタカハシのところへ、担当者が図面を持ってきた。タカハシはソフトクリームを片手に、示された箇所を覗き込んだ。
「誘導灯を、大きいものに変える必要があります」
「灯りを明るくするのですか」
「いえ。灯具そのものが大きくなります。取り付ける場所も、もう一度検討を」
「ディズニー側との調整も?」
「はい」
タカハシはうなずいた。手に持っていたソフトクリームを胸ポケットにしまい、空いた両手で図面を受け取った。
「直しましょう」
素敵な笑顔だった。
隣で休んでいた作業員が、そっと図面を取り上げた。
「……先に、休みましょう」
やがて協議記録は、県の建築担当とのものだけで七十回、消防とのものは九十数回に及んだ。
机に並んだ背表紙を見て、イチゴが聞いた。
「これ、全部ディズニーランド?」
「はい」
「写真は?」
「ほとんどありません」
イチゴは一冊を開き、少し読んでから、丁寧に元へ戻した。
工事が進み、城が姿を現した日も、タカハシはまず図面と同じ方向から見上げた。いつも紙の上で確かめていた形が、空を背に立っていた。
隣のイチゴは、何も持たずに見上げている。
「ほんとにできたね」
「まだ完成していません」
「でも、お城だよ」
「お城ですね」
「最初は雑誌だったのにね」
タカハシは鞄の留め金から手を離した。
「そうですね」
「タカハシ」
「はい」
「ありがとう」
「まだ早いですよ」
「じゃあ、できたらもう一回言うね」
「お願いします」
イチゴは笑った。タカハシも少し笑って、しばらく一緒に城を見ていた。
開園準備では、別の難しさが待っていた。
働く人が必要だった。一九八二年に雇用センターを設け、パートやアルバイトのキャストを約三千人規模で募集した。しかし、当時の舞浜は通勤の足が乏しかった。いまのように、駅を降りればすぐパークという場所ではない。
タカハシは採用担当を手伝い、仕事の説明と一緒に、通勤経路を確かめるようになった。始業に間に合うか。勤務が終わってから帰れるか。園内の地図の隣には、周辺の交通を記した地図が広がった。
イチゴが募集の案内を手に取った。
「毎日行きたい人、たくさんいると思うな」
「毎日通えるかも、確かめなければなりません」
タカハシは時計を見て鞄を閉じた。その日は、自分でも帰りの経路を歩いて確かめるつもりだった。
人が集まれば、すぐ開けるわけでもない。仕事を覚え、それぞれの持ち場で客を迎えられるようにする。タカハシは人員の確認を終えるたび、実際の現場まで足を運んだ。机の上では埋まっている欄が、そのまま園内の働き手になるわけではなかった。
一九八三年春。完成した施設では、招待客を迎えるプレビューを通じて、運営の習熟が進められた。
タカハシは園内を歩き、立ち止まり、また歩いた。景色を楽しめるように造った道を、いつも次の用事へ向かって通り過ぎていた。
四月十五日、雨。
東京ディズニーランドが開園した。待っていた人々がゲートをくぐり、髙橋社長が開園を宣言した。父の声を聞いて、イチゴはタカハシの袖を引いた。
「できたね」
「はい」
タカハシはうなずいた。いま何か頼まれたら、返事をする前に一度座りたかった。
けれど、その日イチゴが頼んだのは、書類でも確認でもなかった。
「ジャングルクルーズ、もう一回乗ろう!」
「三回目です」
「楽しいね!」
「そうですね」
タカハシも笑った。さっきは船に乗って腰を下ろすことばかり考えていたが、今度はイチゴが指さすほうを一緒に見られそうだった。
「喜んでいただけて、頑張った甲斐がありました」
「うん! ありがとう!」
イチゴはパンフレットを抱えて、次のアトラクションを探した。
「あとはね――」
「はい」
「アメリカに行ったお友達が言ってたんだけど、ゆにばーさるなんとかっていうのも、面白いんだって!」
タカハシの足が止まった。
「そこにミッキーはいません」
「そうなの?」
「はい」
「じゃあ違うの?」
「まったく違います」
「そっかあ」
「はい」
タカハシはイチゴの肩をそっと園内へ向けた。
「今はミッキーに集中しましょう」
「うん!」




