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側近タカハシ ~またですか~  作者: こんてな


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1/6

新幹線のつくりかた


一九五九年、東京。


「大阪のたこ焼きが食べたいなあ」


イチゴは時刻表を広げていた。


大阪から来た客に店の話を聞いて以来、焼いているところまで見たくなっていた。


「タカハシ、この『こだま』がいちばん速いの?」


「はい。東京から大阪まで、六時間五十分です」


「食べたくなってから六時間五十分かかっちゃうんだ。たいへん」


「早急に最寄りに大阪のたこ焼き屋を誘致しましょう」


タカハシは手帳を開いた。


「四時間くらいしか、がまんできないかも」


「それは早急に取り掛からなければいけない問題だ」


向かいに座っていた父が、書類から顔を上げた。


日本国有鉄道総裁、十河信二である。


「いや、たこ焼き屋を誘致……」


「タカハシもたこ焼き好きだもんね」


「いや、それほど……」


「では一緒に、早速取り掛かろうか」


「聞こえてます?」


十河が広げたのは、東京から大阪までの地図だった。


すでに国鉄では、東海道に新しい幹線を造る計画が進んでいた。


経済の成長につれて、人も荷物も増え続けている。東海道本線には特急、普通列車、貨物列車がひしめき、これ以上列車を増やす余地が乏しくなっていた。


「今ある線路で、速い列車だけ増やすわけにはいかん。前を走る列車に追いついてしまう」


十河は地図に指を置いた。


「だから別に造る。速く、大勢を運べる鉄道を」


「大阪まで?」


イチゴが身を乗り出した。


「ああ」


「いいね!」


タカハシの手帳には、「たこ焼き店」とだけ書いてあった。



技術を率いるのは、国鉄技師長の島秀雄だった。


新しい鉄道は、従来の線路よりレールの間隔を広くする。急な曲線を避け、川には橋を架け、山にはトンネルを通す。


車両だけではない。


線路、電気設備、信号、駅。


高速で走るためのものを、まとめて造らなければならなかった。


「連絡と調整を手伝ってほしい」


十河に言われ、タカハシは担当範囲を尋ねた。


返事を聞いてから、もう一度尋ねた。


「東京から大阪まで、ですか」


「各地に担当はいる。君には、その間をつないでもらいたい」


「一人では無理です」


「必要な人は付けよう」


タカハシは地図の端を押さえた。


大阪まで広げると、手元の湯飲みを移さなければならなかった。


隣からイチゴが覗き込んだ。


「私にも手伝えること、ある?」


肩が触れた。


タカハシは少し椅子を引いた。


「では、そちらの端を」


「うん」


イチゴは大阪のあたりを両手で押さえた。


「これで大丈夫?」


「はい」


「顔、赤いよ?」


「地図が大きいので」


「そうなんだ」


十河がうなずいた。


タカハシも、うなずいた。



四月、工事が始まった。


タカハシが最初に思い知ったのは、線路を敷く前に必要な仕事の多さだった。


地図に引いた線の上には、田畑も家も道もある。


土地の話がまとまらなければ工事に入れない。


工事が進んでも、資材を運び込む段取りができていなければ、その先へ進めない。


ある現場から、搬入日の変更を求められた。


タカハシは運送側と連絡を取り、別の日を押さえた。


今度は荷下ろしに使う機械の予定と重なった。


現場へ戻って相談し、機械の手配を確かめ、ようやく双方へ同じ日付を伝えた。


机へ戻ると、別の現場から電話が入っていた。


タカハシは一度、受話器を見た。


鳴っている。


取った。



新丹那トンネルでは、地面の下が予定どおりにいかなかった。


全長は約八キロ。


近くを通る旧丹那トンネルは、かつて大量の水や難しい地質に苦しみ、完成まで十六年を費やしていた。


今回はその経験と、進歩した機械を使える。


それでも、山の中身を都合よく変えられるわけではない。


西側の工区で、断層付近から水と土砂が噴き出した。


工事は足止めされた。


現場から戻った担当者が、状況を説明した。


タカハシは工程表を見た。


「いつ復旧しますか」


「分かりません」


「そうですか」


工程表を閉じた。


「あきらめましょう」


「いや、国家事業をそんな簡単に……」


「分かっています」


タカハシは工程表を開いた。


「一度言ってみたかっただけです」


工事は続いた。


トンネルを掘る技術者と作業員は、難所を一つずつ越えていった。


その間も、ほかの場所の工事は進む。


止まっている区間を待つ仕事と、先に進められる仕事を分け直さなければならなかった。


タカハシは東京へ戻り、工程の変更を伝えた。


「では、その分を後で取り戻せるのか」


「現場が確認しています」


「見込みだけでも」


「確認してから、お伝えします」


「だいたいでもいい」


「だいたいで開業日を決めないでください」


同じようなやり取りを、何度もした。


帰りの列車では座れた。


膝の上に工程表を広げた。


気がつくと終点だった。


タカハシの予定表から、日曜日の印が消えた。



資金も必要だった。


十河らは世界銀行との交渉を進め、一九六一年には八千万ドルの融資契約が結ばれた。


借りるためには、この鉄道にどれだけの需要があり、どう運営していくのかを説明しなければならない。


各部門の資料をそろえる仕事の一部が、タカハシにも回ってきた。


数字が違っていれば、どちらが新しいのかを確かめる。


費用が増えていれば、何が変わったのかを聞く。


理由を持ち帰ると、その理由を裏付ける資料が必要になった。


資料を提出した。


追加資料を求められた。


追加資料を提出した。


「こちらについても説明をお願いします」


タカハシは席を立った。


「どちらへ?」


「あなた方が一度に言わないので腹が立ちました。少し外で叫んできます」


(少しお手洗いに)


相手が黙った。


タカハシも黙った。


「……本音が漏れていませんか」


「失礼しました」


「お手洗いです」


「叫ばないんですか」


「検討します」



ある晩、イチゴがお茶を持ってきた。


「まだ終わらない?」


「今日の分は、もう少しです」


彼女は机の空いたところに湯飲みを置いた。


「私、そんなに急いで食べなくても大丈夫だよ」


タカハシは顔を上げた。


「ありがとうございます。ただ、もう皆さんが必要としている鉄道ですから」


「そっか。じゃあ、ちゃんと完成させないとね」


「はい」


イチゴは机の端から落ちかけていた紙をそろえながら、タカハシの湯飲みを見た。


「タカハシ、疲れてる?」


「多少は」


タカハシは湯飲みに砂糖を入れ、ひと口飲んだ。


動きが止まった。


イチゴが、タカハシの手元にある入れ物を見た。


「それ、お塩だよ」


タカハシは入れ物を確認した。


「…………」


「疲れてるね」


「多少ではありませんでした」


線路の一部ができると、試験が始まった。


速く走れた。


それだけでは、人を乗せられない。


車体の揺れ、ブレーキ、電気を受け取る装置。


車両と地上の設備を組み合わせ、繰り返し確かめる必要があった。


試験で分かったことを技術者が検討し、必要な改良を施す。


その結果を、また走らせて確かめる。


タカハシは試験の日程と、関係する担当者の予定を合わせた。


車両側の準備ができても、地上設備の確認が終わらなければ始められない。


変更の連絡は、全員に届かなければ意味がなかった。


電話を置いたあと、誰に伝えたかを指でたどった。


最後の一人に電話をかけたところで、最初の相手から折り返しが来た。


「変更ですか」


受話器の向こうで返事があった。


「……承知しました」


タカハシは、いま引いた線を消した。


しばらくして、もう一度電話が鳴った。


「変更ですか」


違った。


タカハシは少しだけ嬉しそうだった。



工費は、当初の見込みを大きく上回った。


その問題が厳しく問われる中、一九六三年、十河は総裁を退任し、島も国鉄を去った。


仕事は、後を引き継ぐ人々に託された。


十河の机から私物を運び出す日、タカハシは廊下で呼び止められた。


「最後まで頼む」


「はい」


少し間を置いた。


「もう増えませんよね」


十河は答えなかった。


「聞いておりますか」


十河はタカハシの肩を叩いた。


「頼んだぞ」


「そういうところです」


十河が去ったあとも、タカハシのところへ電話はかかってきた。



一九六四年。


各地で進められていた工事が、一本の鉄道につながっていった。


トンネルを抜け、川を渡り、駅へ入る。


試験の列車が走る線路を、今度は営業の列車が走る。


車両を整備する人。


運転する人。


駅で迎える人。


大勢の人々が、開業へ向けて準備を重ねた。


東京から新大阪まで、「ひかり」で四時間。


タカハシはその時刻を確認したあと、手帳を閉じた。


背広の袖口は擦り切れていた。



十月一日。


十河は自宅のテレビで、東海道新幹線の出発式を見守っていた。


画面の中で、白と青の列車が動き出す。


イチゴは父の隣で身を乗り出した。


「走ったね、お父さん」


「ああ」


十河は、列車が画面から消えるまで見ていた。


タカハシは少し離れた椅子に座っていた。


朝、襟元を整えようとして、ネクタイを結び直すのに二度失敗した。


いまは両手を膝に置いている。


イチゴが振り返った。


「これでたこ焼き食べに行けるね! タカハシ!」


「そうですね」


彼女はそばへ来て、その手を取った。


「ありがと。楽しみだなあ」


タカハシの肩から、少し力が抜けた。


「この前、仙台から来た方がね、牛タンを焼くおいしいお店があるって教えてくれたの」


指先が止まった。


「牛タン食べたくなっても、これで安心!」


タカハシは、ゆっくり手をほどいた。


廊下へ出て、家の者を一人呼んだ。


「イチゴ様の前で、牛タンの話はしないように。皆さんにも伝えてください」


相手がうなずくのを確かめ、声を落とした。


「ずんだもです」

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