春先のお別れ
──バレンタインも終わり、冬に受けた模試の結果が返ってくる頃には校内でも春休み前にテストが行われた。
どちらかと言えば、模試の方が結果は厳しいものだったが、涼香のサポートと日々の勉強のおかげでなんとかE判定はもらわずに済んだ。校内のテストの方は打って変わって順位は上位をキープしている。
そして、短い春休みはあっという間に過ぎる。俺と涼香はこの春休みを何か特別なことをして過ごすということはなかった。むしろ今まで通り映画を見たり、料理をしたり、ゲームをしたりして、高校時代の同棲生活の終わり日を迎えた。
「お父さん、今日の夕方に迎えに行くって」
最後の日の朝もいつものように涼香が先に起きていて、エプロン姿で食卓机に朝食を並べていた。見たところ、メニューは意図してなのかは分からないけど一番最初にこのマンションで涼香が作ってくれた朝食のメニューと同じだった。
「そっか、いよいよなんだな・・・・」
「なんか、たった約半年なんて思えないくらい濃い時間だったね」
「そうだな、だからこそ余計にね」
「もう、天音一人じゃ家事出来なくなってたりしてね」
彼女はそう言って箸をこちらに向けて微笑む。たしかに、同棲生活中は彼女が積極的にやってくれるので、必然的に任せきりになりがちではあったが。
曲がりなりにも、専業主夫を将来の夢に掲げていた男である。たった半年間のブランクで失われるような家事能力ではない、と思う。
「涼香こそ、もう俺が居ないと寝付けなかったりするんじゃないのか?」
「それは・・・・たしかに心配かも」
まあ、そう言ってる俺も隣に彼女が居ないベッドで寝付けるのかと言われれば微妙なところだろう。
「なんていうか、俺たち触れられる距離に居るのが当たり前になり過ぎちゃったよな」
「隣に天音がいない生活を想像できなくなるくらいにはね」
「まあ、でも実質数年と半年だよ」
俺がそう言うと彼女は何を言っているのか分からないといった感じできょとんと首をかしげる。
「どういうこと?」
「片思い数年と同棲半年」
「ああ、でもそれなら天音だけじゃなくて私もそうかな」
「それなら両片思い数年と同棲半年になるな」
もっと早くお互いの好意を察することが出来たら、また違ったのだろうかと思うけどむしろ、両片思いだったけど、お互いの間に壁を感じていた期間があったからこそ同棲という環境で一気に強固な形で実ったと考えることもできるだろう。
「大学受験が終わったらまた一緒に住めるかな?」
ふと、彼女はこちらを真っ直ぐ見つめてそう言った。これは実際に住めるかどうかというより、俺が彼女とまた同棲する気があるか、という投げかけなのだろう。
それに対してはもちろん答えは決まっている。考えるまでもないくらいだ。
「もちろん、事情が許す限りはまた一緒に住もう」
「やった、大学生になった時の同棲ってまた違うんだろうなー」
「お酒も飲めるしね」
ふふっと彼女は楽し気な笑みをこぼして言った。
「天音と酔えるの結構楽しみかも」
「俺は結構強い気がするよ」
「どうだろうねー飲んでみないと分からないよ」
「まあ、それもそうだ」
そんな他愛のない朝の会話を一通り交わして朝食を食べ終わると、二人で分担しながら洗い物をする。
途中、彼女が意味もなく小突いてくるので俺は「だから地味に効くんだって」といつか言ったようなセリフを口にしていた。
「天音、最後に少し外歩かない?」
「良いけど、大丈夫なのか?」
「平気平気、最後の日ぐらい少し見られたって構わないよ」
──向かった先は校門前の並木道、外は三月上旬にはまだあった冬の面影もすっかり消えて、寒すぎず暑すぎない春らしい過ごしやすい気温で穏やかな陽光が降り注ぐ。
並木道の桜の木々は花を咲かせていて、風に揺られては桜の花びらが宙を舞っていた。
「相変わらず、この桜並木は見ると圧倒されるというか」
「本当にね、天音と初めて下校した時のこと思い出しちゃう」
「あの時は横顔見るだけでドキッとしたなー」
それを聞いた彼女は、なぜかむうっと頬をふくらませて不機嫌になる。
「なんかまずいこと言った?」
「別に、ただ今はドキッとしてくれないのかなって思っただけ」
「初々しいドキドキみたいなのは今はないかも」
あの頃はまだ、恋仲にすらなっていない上に若干高嶺の花の幼馴染という認識も残っていたため、触れるだけでドキッとしたし、下校を共にするだけでも新鮮で同時にドギマギしていた部分もあったのだ。
でも、今は今の感情があり、彼女の姿の見え方がある。
さっと吹く風になびく髪をそっと手で抑えながら、俯きがちに歩く彼女は映画のワンシーンに登場するヒロインや美しいポートレートの写真の人物ではなく、同じ屋根の下で暮らして結ばれた一人の魅力的な異性である。
「ねえ、天音──」
そう彼女は静かに俺の名前を呼んで立ち止まり、こちらを向く。
「私、今どう見える?」
宙を舞う桜の花びらに春の陽光が彼女の微笑みを何倍にも美しく際立たせていた。
「綺麗だよ凄く、ドキッとした」
「やったドキッとさせられた」
えへへっと彼女は頬を赤らめてはにかむような笑みを浮かべると俺の手を取ってしっかりと握った。
「帰ろう天音、もうすぐお父さんが迎えに来る時間だから」
「ああ、そうだな」
桜が舞う春の並木道を俺たちはマンションに向かって引き返した──。




