雨の日の宣告
翌朝は天気が雨であるせいか寝室はカーテンを開けても少し薄暗かった。
土曜日の今日は珍しいことに俺の方が早く起きてしまったらしく、ベッドでは彼女が寝息を小さく立てて、時々「くう」と寝言のような声を出し身体を丸めて気持ちよさそうに寝ている。
(軽く触れるだけ・・・・)
俺は彼女の頬にかかった髪を少し後ろに払うとそのまま手の平で触れ、さする。彼女はくすぐったさを感じているみたいに閉じた瞳に力が入り「むう」と言葉にならない声をこぼす。
ただ、この様子だとしばらく起きそうにないのと、起きるまで永遠とさすってしまいそうな気がして、俺はある程度のところでやめておいた。
「ゆっくりおやすみ涼香」
俺はそう一言言い残して、寝室からリビングに行こうとした時、玄関のインターホンが鳴った。
時刻は六時半、こんな朝早くに誰だろうか・・・・俺はやや警戒しつつ玄関のドアをそっと開く。ザーッと雨音が鳴り響くマンションの通路に立っていたのは穏やかな雰囲気をまとったスーツ姿の男性。年は二十代後半くらいだろう。
その男性を俺はよく知っていた。
「やあ、香坂くんこうして面と向かうのは随分久しいね」
「事前連絡はなしなんですね」
俺がそう言うと男性は困ったように眉を下げて苦笑する。
「はは・・・・すまないね、色々と大人の事情があってね」
この温厚な男性は藤野東二、経営者としてかなりの財を築いている涼香の父親だ。
「それで東二さんが何の用でしょうか?」
「香坂くんは相変わらず、私の前だと固いね」
「それは・・・・」
俺は昔から東二さんを前にすると、どうしても身に力が入ってしまう。これは俺の本能が東二さんの温厚さに隠れた有無を言わさないオーラのようなものを感じ取ってしまうからだろう。
「まあ、ひとまず中に入れてもらえると助かるかな」
「ああ、すみませんどうぞ」
東二さんは玄関の中に入り、それから「涼香はまだ寝ているのかね?」と寝室の方に視線を送りながら聞いてきた。
「ええ、起こした方が良いですか?」
「いや、私が話したいのは香坂くんだからむしろ寝ているならそちらの方が良い」
「そうですか」
それを聞いた俺の内心にはこれからどんな話をされるのだろうかという不安が渦巻き始めていた。
同棲、に関することなのはほぼ間違いないだろう。
俺は東二さんがリビングのキッチン前の食卓椅子へ腰を掛けたのを確認するとお茶を入れて差し出し、自分も向かい合うように座った。
しばらく、東二さんは無言で出したお茶をすする。リビングに漂う緊張感を雨音が漏れ聞こえるばかりの静寂さがより一層際立たせる。
「あの」
俺は耐えきれずに声を発すると東二さんは「ああ、これは失礼」と穏やかに微笑んだ。
「本題、だね。そうだな、私が聞いてる限り娘との関係は良好、いやそれ以上かもしれないというのは本当かね?」
「本当、ですけど誰がそんなことを?」
意図せず匂わせてしまったことはあったが、明確に現在の関係性を公言したことはないはずだが。
「それを言うのは控えておくよ、本題はそこじゃないしね」
「それで、本題なんだが、香坂くんは高校受験の時と同じように娘と同じ大学に行くつもりかい?」
「そう、だと言ったらなにかあるんですか?」
強気な言葉とは裏腹に俺の唇は微かに震えていた。
正直、高校受験の時のように闇雲に彼女の後を追いかけて進学先を選んだわけではないが、あの時の俺を知っている人間ならそう言う風に捉えられても仕方ない。
「香坂くんの為にも娘の為にも受験前に同棲を解消する」
「それは、また強引ですね」
「元々強引に始めてしまったことだからね、ただ君自身が一番分かっているだろうけど、容易ではないよ。高校受験の時のようにはいかないかもしれない」
一流大学を出ている東二さんが言うとそれは鉛のように重い。
沈黙する俺に東二さんがさらに続ける。
「元々の同棲の目的であるわだかまりが解消された今、お互いの道の為に一度離れるというのが最善だと考える」
「具体的に期間はどれくらいまで」
一瞬、東二さんは考える素振りをして告げた。
「来年の春先、四月の上旬頃を目途に考えている──」
一応頭には入れておいて、娘にいつ伝えるかは任せるよとだけ言い残して東二さんはマンションを後にした。
「おはよ、天音。誰か来てたみたいだけど大丈夫?」
東二さんが玄関から出ていってしばらく立ち尽くしていると遅れて涼香が眠いそうに目をこすりながら起きてきた。
──いつ伝えるかどうか任せる。その言葉が脳裏を過る。
「どうしたの? 顔色悪いけど・・・・」
「大丈夫──」
ただそれだけ言って彼女の身体を抱き寄せた。ふっと彼女の体温が心の波をある程度静めてくれる。
今、伝えても伝えなくても、この同棲生活の終わりが近くなったことに変わりはない。
だけど俺はどうしても言い出せなかった──。




