お揃いのマグカップとレモネード
夏休み明けの初日で彼女が夕飯を作ってくれたという嬉しい出来事に続いてその週の週末にはさらに嬉しいことが起きた。
「今日の夕飯は買い物から調理まで私がやってもいい?」
火曜日から木曜日まではまた俺が夕飯を作っていたのだが、金曜日の朝、学校へ行く前に玄関でそう聞いてきた。
「構わないけど、買い物くらい俺が行くぞ? 部活もあるだろ」
「秘密の買い物があるの、だから譲れない」
俺としては別に譲って欲しいわけではないので、彼女がそう言うなら任せるのが良いだろう。
「楽しみにしてていいんだよな」
「うん、とびっきりね」
その日の学校での授業中は次は何を作ってくれるのか、秘密の買い物とはなんだろうと思考を巡らせていてほとんど上の空になっていた。
休み時間になっても俺はぼんやりとあの時のシチューの味やその後の時間のことを思い出してはほくそ笑んでいたために、それを見た神代がなにやら気味が悪いものでも見るかのような視線を送ってきていた。
帰宅部の俺の帰りは基本的に彼女より早い。玄関のドアを閉めて、リビングに入って部屋着に着替えると、俺はスマホで彼女からのメッセージを確認する。
『私が帰ってくるまでにお風呂掃除して入っててね』
『了解』
短い返信を送り、俺は自分の任務を遂行しに風呂場へ向かった。
俺が掃除と入浴を済ませている間に彼女は帰ってきて、いつものエプロン姿で料理をしていた。
リビングにはジャガイモの香ばしい匂いが充満していて、俺の腹は空腹で締め付けられるような感覚に襲われていた。
まだか、まだかと食卓椅子で身体を左右に揺らしてる俺を見て彼女はふふふっと可笑しそうに笑ってから一言。
「天音、子供みたいで可愛いね」
「褒めてるのか馬鹿にしてるのかはっきりしない言い回しだな」
んーっと人差し指を口元に当てる。
「褒めてるつもり?」
「なんで疑問形なんだ」
そんな他愛のない応酬を繰り返しているうちに鍋が沸騰して、彼女は慌てて火を止めに行く。彼女がエプロン姿になってちょこちょこっとキッチン内を移動している様子は見ているだけで肩の力が抜ける。
「今日は肉じゃが、天音の胃袋はこれで掴めるって教えてもらった」
(俺の母親に弟子入りでもしたのだろうか)
向かい側に座った彼女と一緒に手を合わせて「いただきます」と箸でメインのじゃがいもをつまむ。
「言っておくが、俺は好物には厳しいぞ」
「とにかく食べて感想聞かせて」
こないだのシチューのようにはいかない。そんなことを思いつつ俺はつまんだジャガイモを口に運ぶ。
「ずるいよ涼香」
俺はシチューの時と同じくらい見事に胃袋を掴まれていた。もちろん要因は料理単体の威力もある。ジャガイモはほろりと溶けるし、しょっぱすぎずかと言って薄味でもない味付け。
しかし、それと同じかそれ以上にこの肉じゃがという極めて家庭的な料理を彼女と向かい合って食べている空気感が料理から感じる暖かみを増大させている。
「食べる前から結果は決まってたね天音」
「悔しいが、箸が止まらない」
その様子を彼女は頬杖をつき、目を細めて口元緩めながら眺めていた。
「なんだよ」
「別に、夢中で食べてて良いなって」
「どうせこうなるって分かってた癖に」
「まあね、じゃないとわざわざ頼んで自分に枠を渡してもらわないよ」
──食事や皿洗いを終えて彼女がお風呂に入っている間、俺はソファーに腰を掛けて音楽を聴いていた。
勉強もしなくてはならないのだが、どうにも頭がぼんやりして出来そうにない。明日は土日ということで翌日やればいいやという先延ばしを使うことにした。
イヤホンで音楽を聴いていたせいで、隣からシャンプーの甘い香りがするまで彼女の存在に気が付かなかった。
「上がってたんだ」
「うん、とっくにね。それより机の上を見て」
言われて視線をソファー前の机に落とす。水玉模様の可愛らしいマグカップが二つ並んでいた。
柄も色も同じ、いわゆるお揃いのマグカップ。
(秘密の買い物ってこれのことか)
「なんか良いよなこういうの」
俺はなにやら冷たい飲み物が入ったマグカップを手に持ってしみじみとそう呟く。
「喜んでもらえたなら、成功かな。ちなみに中身はレモネード」
「最高じゃん・・・・」
本当に最近の彼女は俺の好みを的確についてきて困るな、と冷たいレモネードを少しづつ喉に流す。
「うう、いてて・・・・」
隣を見ると、どうやら一気に飲んだらしい彼女が頭を抑えていた。
「大丈夫か? 少しづつ飲まないと」
頭を抑えながら、彼女はこくこくと頷いて両手でマグカップを持ち、極端なくらいちびちびと飲み始めた。
(これは写真に納めたいな)
そんな衝動に駆られるが、ここはぐっとこらえて代わりにレモネードを一気飲みする。
「いって」
「言った天音がやらかしてるのって面白いね」
彼女は痛がる俺をマグカップを越しにクスリと笑った。
お互いレモネードを飲み終わると、彼女は俺が聞いていた音楽を聞きたいと言い出し、俺は片方のイヤホンを彼女に差し出し、再生ボタンを押す。
再生して三曲目に入った時のことだった。
こつんと俺の身体の側面に重みが加わる。見ると彼女はスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
密着したことで甘い香りがより強く鼻腔をかすめ、火照った彼女の身体の体温が伝わってきて思わず心臓が跳ねる。
(自分で提案してきて数曲で寝落ちとか仕方ないな)
どうしようか、と考えた結果もう少しこうしていようと俺は曲を再生し続けた。




