彼女が作る幸せの味
彼女と別れて教室に向かう際、一枚のメモを渡された。
「これは?」
「ここに書いてある食材を買ってきて欲しいの」
「何か作ってくれるのか?」
彼女はふっと笑みをこぼして頷く。夕飯を彼女が作るのは非常に稀なことで帰宅が楽しみになる。俺の知る限り彼女の料理のレパートリーはそれほど多くはない。それこそ頭の中であれかこれかと候補が絞れるくらいだ。
「楽しみにしてて、とりあえずメモにあるものをお願い出来るかな?」
「任せてくれていいよ」
俺は帰りに買い物する時、一つだけ意識していたことがある。
それは、食材をなるべく無心でカゴに入れてレジに持っていくことだ。でないと食材から作ろうとしてる料理を予想してしまう。
レジで会計を済ませて袋に入れたら買った食材の記憶を忘れるように努力した。ついでに本屋に立ち寄って彼女の読みたがってた小説の新刊を購入してからマンションに弾むような足取りで向かった。
「買ってきたよ涼香」
玄関からリビングに入ると外の蒸し暑さとは対称的にエアコンの効いた涼しい空気がスッと汗を乾かす。
「ありがとう天音、私が作ってる間にお風呂入っても良いよ」
彼女はなにやらスマホに映っているものをよく確認するように見ながら「よし」と小さな握り拳を軽く振って気合いを入れていた。
その仕草がなんだか微笑ましいのと彼女がそこまで気合いを入れて作る料理が楽しみでつい頬が緩む。
「こら、和んでないで食材置いてお風呂入ってきて」
「分かった、分かったから押さないでくれ」
彼女はグイグイとお風呂がある部屋の方に両手で俺を押す。当然、押されて動くわけがないのだが、背中が痛いのでささっと脱衣室に行くことにした。
湯舟に入ってすぐのことだった。リビングの方で彼女が歓喜の声を上げているのが聞こえてきた。
(さては小説の新刊の存在に気付いたな)
「天音、天音これ頼んでないのに」
脱衣室の扉の前で彼女が本を抱えてぴょんぴょんしている影が見える。
「たまたま見かけたからな」
「ありがとう、凄く嬉しい」
本当はポロっと言っていたのを覚えててタイミングを図っていたんだけどあえて言う必要もないだろう。
「それより、料理作るんじゃないのか?。俺がのぼせる前に作り終えてくれよ」
「そうだね、とびっきりのやつ作っちゃう」
(興奮しすぎて口調がおかしくなってないか)
彼女がキッチンの方に戻ったのを察すると俺は湯舟に肩まで深々と浸かり、小さく呟いた。
「・・・・可愛い」
なんだか身体が余計に火照りそうな気がして、俺は冷たいシャワーの水を顔に叩きつけた──。
「うお・・・・この匂いは」
脱衣室を出てリビングの食卓に行くとエプロン姿の彼女が料理を盛りつけていた。懐かしい馴染みのあるクリームシチューの匂い。それも、母親が良く作ってた特製のものに近い香りが鼻腔をくすぐる。
よほど機嫌が良いのだろう、鼻歌を歌いながら身体を微かに上下させている。
(奥さん・・・・?)
あまりの家庭そのものの雰囲気にそんな思考がよぎったが、気が早いと振り払う。
「召し上がれ」
見た目も香りも俺の大好きだった特製クリームシチューそのものだった。
向かい側の席に着いた彼女に疑問を投げかける。
「これ一体誰に教わったんだ?」
「天音のお母さん直伝」
(なるほど、どうりでスマホの画面を真剣に眺めていたわけだ)
大方、俺の母親にメッセージを通してレシピでも教えてもらったのだろう。
メッセージだけのレシピで、再現度がやたら高いのは流石としか言えないが。
「おかわりもあるから沢山お食べ」
彼女は言いながら軽く俺の頭を撫でる。
なんだか少しむずがゆいな、と思いながらスプーンで一口食べる。
「美味い、見た目や匂いはそっくりなのに母親のより少しマイルドな味わいがする」
一口運べば二口三口と止まらなかった。優しい包み込むようなクリーム感にじゃがいものほろっとした食感が合わさった時、身体から力が抜けそうになる。
「これが幸せの味か」
思わず口から出たその言葉が自分のものとは思えないほど自然でストレートだった。
「大袈裟だよ、でも作った甲斐があった」
彼女は、はにかむように微笑むと自分の分のシチューに手を付けては「革命的だ」とか「天才かもしれない」とか呟いて味わっていた。
「ごちそうさまでした」
そうして食べ終わった俺たちは二人でキッチンに入り、洗い物をする。
「ねえねえ天音くんや」
上機嫌な彼女はテンションがおかしい。まるでお酒で酔っているみたいだ。
「なんだ?」
「やっぱりなんでもない、洗った皿拭いて」
「おう」
俺が彼女から皿を受け取り拭いていると、不意に彼女は小さな声で言った。
「幸せの味、か。ふふ」
「人の思わずこぼした言葉で思い出し笑いするな」
「ごめん、でも大切にする」
「おう新刊、大切に読んでくれ」
ドスドスと彼女は肘で小突いてくる。彼女の頬は膨れていてなにやら不服そうだ。
(あれ、本のことじゃない?)
「悪かった、謝るから小突くのはやめてくれ地味に効くんだ」
いつも通り頭を撫でてやると膨れた頬は元に戻る。
「撫でればいいと思ってるでしょ」
「思ってる」
もう一度強く小突かれた。これは中々重い一撃で皿を落としそうになる。
「やっぱりずるい、それ」
彼女はとうとうそっぽを向いてしまった。これは、後出しスイーツで機嫌を直してもらうしかないな、とスーパーでこっそり買ったプリンを思い浮かべながら思った。




