抱き枕とデート当日1
「もしもし、天音だけど」
誕生日を間近に控えた夜、彼女にはちょっと用があるからと先に寝室に行ってもらい、俺はあまり掛けたくない人物に電話していた。
「おお、天音から電話を掛けてくるなんて珍しいな父さんが恋しくなったか?」
(やはり、切るべきか)
一瞬脳裏に過った思考を振り払って俺は本題を切り出す。脱線すればとことん脱線し続けるのが俺の父親の特徴なのだ。
「頼みたいことがあるんだけど」
「ほう、言ってみなさい──」
はあ、頼みたいことを頼んだ俺はついでに父親の無駄話に付き合わされ、通話を切るとため息を一つ付いた。
(寝よう、明日に差し支える)
「随分かかったね、何してたの?」
寝室に入るとパジャマを着た涼香がたぬきの抱き枕、通称ぽん太を両手に抱えて布団に入っていた。
彼女がぽん太を持って寝室に来たのは線香花火を上げた日の数日後の夜のことだ。
添い寝は付き合い始めてから頻度が増え、それに従って彼女はスタンダードな姿で寝ることにしたようだった。
「ちょっとね、明日の朝は早く起きれそう?」
「それ、逆に私が天音にそのまま返したいんだけど」
「ごもっともで、起きれなかったら起こしてください」
「任せて」
言いながら彼女は眠そうな顔を抱き枕にくっつけている。
(まさか彼女にこんな最終兵器が隠されていたなんて)
学校では完璧才女の藤野涼香がここでは完全に癒し系になっているなんて誰が考えられるだろうか。
「疲れてる?」
彼女は隣に横になった俺の顔を眠い目をこすりながら聞いてきた。
「いや、充電完了してる」
「なにそれ・・・・ねむ」
スヤっと彼女は抱き枕に顔をうずめたまま眠りに落ちた。
俺は眠くなるまで目の前の彼女の寝顔を微笑ましく眺め続ける。
可愛いも愛らしいも口には出せないけど胸中からどんどん湧き上がる。
いつかお互い気兼ねなく伝え合えれば今よりも、もっと幸せかもしれない──。
「天音、起きてる?」
「ん、涼香おはよう」
翌朝、寝室の開け放たれたカーテンから差し込む陽の光に当てられ、俺は重い瞼を開けると、もう既に外着に着替えて準備万端な彼女が俺を起こしに来ていた。
「全く天音は未だに朝が弱いのか」
聞こえてきたのは父さんの声、バッと飛び起きるとラフなポロシャツを着た男性が額を抑えている。
「ごめんね、どうしても上がらせて欲しいって言うから」
彼女は少し申し訳なさそうにこちらを俯きがちに見つめる。
「んん、まあ仕方ない、すぐ準備するから二人共車で待機していて欲しい」
二人は頷いて、寝室を出る。俺はホッと息を吐き、ハンガーに掛けられている服に着替えて財布とスマホを手に取り玄関を出た。
俺が父さんにお願いしたのは水族館のある場所までの送迎だ。
別に電車や新幹線に乗れば行けない距離じゃないけど、今は夏休みでかなりリスクがある。
なら、いっそのこと親に送迎を頼む方が確実だし、見つかるリスクは限りなく低くなる。
(出費も抑えられるしな・・・・)
「お、目は覚めた?」
マンションの駐車場に停まっている黒のワンボックスカーに乗ると隣の席にはぽん太を抱えた彼女がこちらにそう問いかける。
「それ、持って来たんだ」
「だって多分、私途中で寝ちゃうと思うから」
「藤野ちゃんは相変わらずそのぬいぐるみと一緒なんだな」
車はゆっくりと発進して街中に出る。
「父さん、ぽん太のこと知ってたのか」
まさか、俺だけの秘密だと思ってたのに。
「そりゃ小さい時から見てるからね、まあ名前までは知らなかったが」
父さんが苦笑するのを見て俺は自分が失言をしたことに気付く。
隣を見ると彼女が顔を火照らせていた。
「そ、その悪い・・・・」
「別に、いいよ知られて困ることじゃないし」
恥ずかしそうな表情を浮かべてぽん太に顔を埋める彼女。
(もう充分困ってるじゃないか)
これからは軽はずみな発言はしないようにしよう。
「それはそうとさ、どこに行くか私まだ聞いてないんだけど」
「おや天音、話してないのか」
「ああ、別に秘密にしようとしてたわけじゃないんだけど」
本当は直前まで喜んでもらえるか分からなくて、切り出す勇気がなかっただけなんだけど。
俺はポケットから二枚のチケットを取り出すと、一枚を彼女の方に差し出した。
「水族館? このクラゲ綺麗だね」
チケットの表紙には発光クラゲの画像がのっている。
「遊園地とかの方が良かったかな・・・・?」
「ううん、凄く楽しみ。だって水族館なんて幼稚園年中の時以来じゃない?」
「いや、覚えてないよ」
「イルカショーであんなにはしゃぎ合ったのに?」
(一体どれだけのことを覚えているんだろうか・・・・こわい)
「そっか、魚せんべいを美味しそうに食べる姿がまた見れるのかな」
「見れないと思うよ・・・・」
車は高速道路に入り、一気に加速する。このデートの個人的な目標は出来るだけ恋人としての距離を縮めることだ──




