呼び合う二人の休日
──トントンとキッチンで何かを切る音がして、ソファーで寝ていた俺は重い瞼を開ける。
昨日はたしかあの後、風呂に入ってここでうとうとしていたらいつの間にか眠っていた。
それにしても布団も掛けずに寝たのにやけに暖かい──。
「・・・・毛布?」
俺の身体にはいつの間にか毛布が掛けられていて、頭には枕が置いてある。
「香坂くん起きましたね、なにも掛けずに寝るなんて風邪引きます」
俺はソファーから立ち上がり、彼女の立っているキッチンへと向かう。エプロン姿の彼女はもうすっかり本調子のようだった。
「あとは俺がやるよ」
「いえ、私もやります」
病み上がりなのに寝てなきゃいけないのは彼女の方だろうと思ったけど、むうっと頬を膨らませて不服そうな彼女は意地でも譲らない気でいるようだ。
「なら、手伝いくらいはさせてくれ」
彼女は炒め物や玉子焼きを担当し、その間に俺は味噌汁や魚を焼く。新婚夫婦の朝ってこんな感じなんだろうか、キッチンを含めたリビング全体が和やかな空気に包まれている。
不意に、後ろに気配を感じた。
「天音、こっち向いて」
「今、なんて」
急に下の名前を呼び捨てで呼ばれて思わず振り返ると玉子焼きを食べさせられた。
「美味しい?」
「美味しい、けど急に驚くだろ・・・・」
呼び慣れていない名前の呼び方をした反動だろうか、彼女は頬を微かに赤らめて視線を斜めに逸らしている。
俺も下の名前で呼ばれたことと、玉子焼きを食べさせられたことの二重の攻めに視線を逸らして頭を軽くかいていた。
しばらく、お互い静止していたが、やがて各々の作業に戻った。
(昨日のもしかして聞かれてたのか・・・・?)
一通り出来上がった料理をテーブルに並べて俺たちは「いただきます」と手を合わせてから食べ始めた。
「香坂くんはいつも休日はなにしてるの?」
「んーゲームしたりネトフリで映画見たりかな」
「ネトフリ?」
「月額で映像作品が見れるやつ」
ほえーっと彼女は声を上げる。彼女なら不思議ではないが、今どきネトフリを知らない人はそう多くはないだろう。
「そうだな、今日は映画でも見て過ごすか?」
「良いの? じゃあこの部屋カーテンも閉めてもっと暗くしないとね」
「電気消せば充分暗いと思うんだけど」
今日の天気は雨で朝だというのにお日様は出ておらず、重たい曇り空からザっと雨が降り注いでいて外は薄暗かった。
「本当はシアタールームがあればいいんだけど」
「学生の一人暮らしマンションに求めるもんじゃないぞ、それ」
「そうだよね」
朝食を食べ終えて、食器を洗い終わると彼女は先にソファーに座って見る映画を選んでいた。
俺は二人分の紅茶を入れてテーブルに置き、彼女の言う通り電気を消してカーテンを閉める。
彼女が選んだのは恋愛物のアニメ映画で俺も名前だけは知っているやつだ。
綺麗な背景の描写から物語が始まった──。
一時間と少し経ったところで物語の恋愛描写が多くなってくる。隣の彼女は映画に没入しているようで小さな口をポカンと開けて見ている。
俺はといえば意識は映画よりも隣の彼女の方に向きつつあった。
映画の描写につられるような形でどんどん彼女への意識が高まっていく。
物語の終盤、主人公とヒロインが手を繋ぐシーンを見て、俺も彼女の手に触れてみる。
すると、彼女は握り返してくれた。
「相変わらず影響されやすいね、天音は」
「うるさい、それとドンピシャなタイミングで下の名前呼ぶなよ」
ふっと彼女は微笑んで映画に視線を戻した。
やがてエンドロールが流れて映画を幕を閉じた。
その後は、立て続けに色々なジャンルの映画を見て休日の一日を過ごして
行く。
コメディを見ては一緒に笑って、ホラーを見ては俺は彼女に半分泣きついて呆れられていた。
「ふー楽しかったけど疲れたね香坂くん」
「まあそりゃ一日中見てればそうなるよな」
電気をつけて、閉めたカーテンを開けると雨はまだ止んでいなかった。
夕飯までまだ少し時間がある。なにをしようかと思案していると隣の彼女はスッと近づいてきて身体をこちらに傾けてきた。
彼女の重みと体温が伝わってきて心臓の鼓動が跳ね上がる。
「なにしてるんだ?」
「充電」
そう言って彼女は首を傾けて俺の肩に触れさせる。
しばらくお互い無言でそうしていた。リビングには時計の音と雨音だけがする。
「ねえ、私、香坂くんが昨日寝る前に言ってたこと覚えてる」
(やっぱり聞こえていたのか)
「忘れてくれ」
「嫌だ忘れてやらない」
はあっとため息をついてから不意で放った。
「涼香」
そう呼んだ瞬間、彼女は目を細めて頬を赤色に染める。
「ずるだよ天音くん」
「映画と玉子焼きの仕返しだよ」
俺たちは顔を見合わせて微笑み合った。距離は限りなく近づいているのに俺はこのタイミングになっても思いを伝えるまで至らなかった。
──なにか大きなきっかけが必要だ、そう思う。
今年はまだ夏も冬もある。どこかで機会が来ればいいのだけど──。




