帰り道(後編)
一際強い風がヒュウ、と音を立て、白い結晶とともに私たちの視界を遮る。横に歩いているヴィジェが呻きながら、両手で赤い鼻を押さえた。
「鼻が痛い……エウイルは何ともないか?」
「もうその域は超えて、寒さは感じなくなったわ」
私が少し自慢げに言ってみせると、彼は恨めしそうに空を睨んだ。
「鼻も耳も真っ赤よ。赤イチゴくらいね」
ヴィジェは鼻を啜り、空気の冷たさで青みがかった唇から白い息を漏らした。意識しなくても息が白む時期は、それこそ手袋などが必要なのにヴィジェは服が比較的薄い。鼻を啜っているのは、そのせいで風邪を引いている証拠ともいえる。その時、夕鐸の鳴る時間が近づいている合図の鐘が鳴った。
「そういえば夕鐸って、どこで鳴らしているのかしら。教会の鐘は有事の為の鐘だし、他に鐘のあるところは……」
「兵士庁だ。兵士庁の建物の天辺についてる。毎回、士長か副士長が鳴らすんだ。君の兄さんは副士長の側付きだろ?」
「そうだったの? 私、兵士の話には興味がないから……」
聞く意味がないし、兄さんも話す気は無さそうだったので特に役職については知らない。けれど、副士長の側付きということはかなり上の立場だということなのだろうか。
「つまり、数日に一回帰りが少し遅いのも、副士長が鐘を打つのを待っているということなの?」
「エウイル、たまには頭が回るな」
私の頭はいつでも回っているのだが、ヴィジェに反抗しても殴られるだけだろう。いいや、寒さで弱っている今なら勝てるだろうか。そう邪推していると、右腕の肘で小突かれた。
「あら、優等生様は頭の中も読めるのかしら?」
グッと痛みを堪えてなるべく冷たく笑ってみせると、ヴィジェは私を見下ろして同じように微笑んだ。こういう時ばかり身長差を利用するのはどうかと思う。
「エウイルの頭の中が読めるなら、扱いにここまで苦労しない」
「私は道具じゃないんだけど?」
ヴィジェはハァ、と溜め息を吐き、「違うんだよ」と小さな呟きを地面に落とした。その時、風で強く吹き付ける雪と雪の間から、溶けた雪で所々濡れた伝書屋の看板が目に入る。
「ヴィジェ、伝書屋が見えてきたよ。私は兄さんに連絡するけど、先に帰る?」
「いいや、寒いし伝書屋の中で待つよ。体を温めたいし」
私は一度頷き、伝書屋に向かって軽く走ってドアの前の引き鈴から垂れ下がる糸を引いた。小さな鈴が揺れ、チリンチリン、と音を立てる。
「おじさん、来たよ!」
ドアが開くのを待ちながら店の中に声をかけると、店主のアーヴのものであろう足音が近づいてきた。隙間が開いた瞬間、冷気が流れ込んだことに驚いたらしい檻の中の鳩たちの鳴き声が溢れ出す。後ろからついてくるヴィジェの気配を感じながら、私は店の「キィ」と音を立てる古い木の床を踏んだ。
そして一つの檻の鍵を開けると、私は左腕を檻の前に差し出した。
「エドルー、おいで! 伝言を頼むよ」
私のよく使っている鳩の名前を呼ぶと、私の差し出した左の手の甲に鳩が一匹降り立った。
「おい、別の名前で呼ぶな。ナンツが反応しなくなったのはお前のせいだな?」
聞き分けの悪いアーヴの言葉を無視し、私はエドルーに伝言の言葉を話しかける。
「兄さん……リュードに伝言をお願いできるかしら。エウイルの兄の、リュードよ」
少なくともこの村にリュードは二人いるので、確定できるように「私の兄」と言っておく。エドルーは返事をするように一度頷いたあと、私の手の甲から離れ、右肩に止まった。
「兄さん、エウイルよ。今日は家に帰ったら手を軽く洗ってすぐにベッドに入ってね。風邪を引いているのに心配させたツケもちゃんと回ってくるわ。とにかく、夕鐸が鳴ったらすぐに帰ってきてね」
兄さんが聞いたら苛つかれそうな言葉をなるべく選んで、エドルーに伝言を頼む。
「俺も頼んでおく。ナムツェ、おいで」
エドルーが飛び立ったのを見て、ヴィジェも鳩の檻を開ける。ナムツェと呼ばれた比較的黒い鳩がヴィジェの左腕へ降り立ち、頷くようにして伝言を催促した。
「ルーダに伝えて。母さん、明日はエウイルを家に誘うから開けておいてくれ」
ヴィジェが短い言葉を発すると、ナムツェは言われるまでもなくドアの隙間からルーダのもとへ向かう。……私が、ヴィジェの家に? そんな話をした覚えはないが、ヴィジェが親に公言してしまったからには行かなければならないだろうか。私が行くか行くまいか決めていると、アーヴが変な目で私たちを見ていることに気づいた。色恋沙汰好きな、あのウルマたちのような目だ。
「おじさん、子供を変な目で見ると周りに勘違いされますよ?」
「そろそろ認めたらどうか、お二人とも」
「結構です。はい、代金」
私はアーヴを追い払うために少しだけ多く二人分の三ユペを手渡し、暖炉の前で快適そうに目を細めるヴィジェに手招きして、思い切りドアを開ける。忘れた頃にやって来た冷たい強風にまたもや鳩たちが騒ぎ、私も自分の体を抱いて目を細めた。
「差が激しいな……先に帰った方が良かったかもしれない」
「私も、兄さんは放置すれば良かった気がしてきたわ……」
家までの道のりは遠い。考え始めて涙目になってきたところで、私は重い足を動かす。いくら泣いても、私の気持ち程度で天気は変わらない。
「そういやエウイル、明日うちに来ないか? 見せたいものがあるんだが……」
「そっちの母さんに言っちゃったならいいよ。明日は暇だしね」
私たちはさっさと明日の約束を取り付けて途中で別れ、少し駆けたりしながら家へ早足で帰った。
「た、ただいま……」
私は脱力した体を引きずりながら、家のドアを開けた。家の中に入っても寒いのはいつものことだが、いつもこうだと期待もしなくなってくる。暖炉の灰を火かき棒で取り除き、家の裏にある薪を足して息を吹きかけた。パチパチとした小さかった火が生き返ったようにボッと燃え上がり、たちまち周囲を明るく照らす。
松明にも火を灯し、壁の明り掛けに松明を立てかけて居間の椅子に座って一息ついた。
「はぁ……段々寒くなってきて嫌になっちゃう」
寒さ等で溜まりにたまった苛立ちを声に出して少し吐きだし、ガタッと音を立てて立ち上がり、頬を一度強く手のひらで叩いて、台所へ夕飯の準備をしに動き出した。
こんにちは、矢弓煉々です。
今回は忙しいこともあって二日に一回投稿が崩れるかと思いましたが、なんとか投稿できました。こうして遅れることも多々あると存じますが、これからも読んでいただけると幸いです。
次話は兄との会話や食事がメインなので、ぜひぜひ。
少しでも良いなと思ってもらえたら気軽に評価やコメントお願いします!




