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刺繍糸の紡ぐ魔術  作者: 矢弓煉々
第一篇 永劫にも思える旅路
9/9

兄との夕食(前編)

 私はまたマフラーを巻いて勝手口から井戸へ向かい、桶に野菜を洗うための水を汲む。溜まった水が星空と私の顔を鮮明に反射した。日が沈んだ暗闇を幾千もの星が、街灯の無いこの庭を明るく照らす。


「今日の夕飯、シチューにしようかしら……」


 地面に落ち切ったはずの私の言葉を拾ったのは、リュードだった。


「今の俺にシチューは……ゲホッ、酷じゃないか?」


 言葉の合間に咳が挟まる。やはり風邪が治りきらないまま仕事をしに兵士庁へ向かったのが体に障ったようで、振り返ると、リュードの顔がいつもより青い。


「もういたの? 家に帰ったらすぐに寝てって言わなかったかしら。あぁ、兄さんの部屋は温めていなかったものね。居間の暖炉から松明で火を運んでね、自分で」

「病人に対する気遣いが……あぁ、元々無かったな」


 自ら悪化させたくせによく言う兄だ。一瞬顔を顰めてお腹を押さえた後、彼は勝手口から家の中に入って行った。今日のリュードの夕飯は麦粥とポセットにすると決めて、私は庭に生えているハーブを適当にいくつか摘む。匂いを嗅いで食べられるハーブか確認し、私は台所に戻った。 


「塩が……もう無いじゃない」


 私は空の塩壺を見て落胆する。今日はいつにも増して疲れているというのに、岩塩を砕くところから始めなければならないのだ。鉢ですり潰すことは面倒なので諦め、私は木槌とk 私はまたマフラーを巻いて勝手口から井戸へ向かい、桶に野菜を洗うための水を汲む。溜まった水が星空と私の顔を鮮明に反射した。日が沈んだ暗闇を幾千もの星が、街灯の無いこの庭を明るく照らす。


「今日の夕飯、シチューにしようかしら……」


 地面に落ち切ったはずの私の言葉を拾ったのは、リュードだった。


「今の俺にシチューは……ゲホッ、酷じゃないか?」


 言葉の合間に咳が挟まる。やはり風邪が治りきらないまま仕事をしに兵士庁へ向かったのが体に障ったようで、振り返ると、リュードの顔がいつもより青い。考えてみれば、肉の脂身なんかは病人には良くないものだった……気もする。


「もういたの? 家に帰ったらすぐに寝てって言わなかったかしら。あぁ、兄さんの部屋は温めていなかったものね。居間の暖炉から松明で火を運んでね、自分で」

「病人に対する気遣いが……あぁ、元々無かったな」


 自ら悪化させたくせによく言う兄だ。一瞬顔を顰めてお腹を押さえた後、彼は勝手口から家の中に入って行った。今日のリュードの夕飯は麦粥とポセットにすると決めて、私は庭に生えているハーブを適当にいくつか摘む。匂いを嗅いで食べられるハーブか確認し、私は台所に戻った。 


「塩が……もう無いじゃない」


 私は空の塩壺を見て落胆する。今日はいつにも増して疲れているというのに、岩塩を砕くところから始めなければならないのだ。鉢ですり潰すことは面倒なので諦め、私は麻布を台所の棚の奥から探し出した。

 大きめの岩塩を麻布で包んで、包丁の柄を折れない程度に強く叩きつける。静かに出来ないのか、とどこまでも図々しいリュードの言葉が長椅子の辺りから聞こえる。


「シチューはやめて、麦粥とポセット作ったげるから我慢して。いいや、感謝して頂戴よ」

「洗濯や掃除はともかく、料理は女の仕事だからしょうがない」

「それはそうなんだけど……ねぇ、兄さんも料理の仕方を教えたら自分で作るわけ?」


 農や力仕事は男のやる事だとか、料理や服飾は女のやる仕事だとか、神話に忠実なのは分かるがその思想がどうにも「区別」ではなくて「差別」にしか見えない。声には出さないが、私はその日頃の悩みを込めて岩塩に包丁の柄を思い切り叩きつけた。

 岩塩がそれなりに細かくなるまで砕き、布を広げて壺に移す。これでやっと料理らしい料理が出来る環境になった。私は額に溜まった汗をぬぐい、台所の隅に置いた大きなビールの樽に視線を移す。

 あいにくうちには水のように薄いビールしか無いので、煮詰めるしかない。グリーデの家になら良いビールが置いてあるかもしれないが。


 グツグツと音を立てる温まった鍋の中のビールに、苦みや酸味を抑えるための干しベリーを入れる。干しベリーの使い切りのために私の分まで作るので、不味いポセットは極力作りたくない。

 温め切ったビールに、今日の早朝もらったばかりのミルクを勝手口の側から取り、木の器から布を外して、一応腐っていないか匂いを嗅ぐ。農場の配るミルクには、ほんのたまに「外れ」が混ざっているのだ。

 別の鍋を用意してすぐ隣に置き、同じようにミルクも温める。少しだけトングで薪の位置を調整し、フッと息を吹き込んだ。煮詰めて半分より少し多いくらいになったビールの鍋の下の火を小さく調整し、これ以上減らないようにする。


「はぁ……いい匂いだ。あの安ビールにしては果実のような匂いだな?」

「ベリーを混ぜてるのよ。苦くて不味いポセットは飲みたくないでしょう」


 それはそうだな、ありがとうと率直に感謝されて、私は少しの間気づかなかった。ミルクが吹き零れそうなのをただ見つめながら、何度も反芻して理解しようとする。


「……どう、いたしまして?」


 自分の言葉でハッと我に返り、一筋、また一筋と零れていくミルクの鍋をあわてて格子から離し、高い位置からビールの鍋へミルクを勢いよく注ぐ。今度はミルクの甘い匂いが部屋に広がり、少し荒立っていた私の心が解けていった。

 最後に、ミルクが入っていたものともう一つの器を取り出して注ぎ、ビールの樽の上に二つとも置く。

 冷ますのと分離させるために放置しておく間は麦粥を作るのだ。岩塩と同じように麻布で包んで砕き、ミルクを温めた鍋にそのまま入れて、野菜を洗うために汲んだ水を注ぐ。冷たい水は温まりにくいが、時間はあるので良いだろう。クタクタになるまで煮込んで先程の塩を二つまみ程振り、完成だ。

今回は料理回です。

皆さんはポセットや麦粥、食べてみたいですか?

次回は食事回です。食べます。

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