帰り道(前編)
お菓子を食べ終わり、グリーデの刺繍をずっと見ているわけにもいかないとカルダに軽く叱られたので、仕方なく私は自分の作業に戻っていた。全体を広げて模様が分かるくらいまで下縫いが進んできたところで、一段落と切り上げて帰ることにする。このまま歩いて帰れば、丁度夕鐸の時間に帰ることが出来るのだ。
「エウイル、彼が迎えに来てくれたわよ!」
鞄を掴んで裏口から出ようと立ち上がった瞬間、色恋沙汰に敏感な女子筆頭のウルマが声をあげた。
「迎えに来たんじゃなくて、たまたま通りすがったのをウルマがわざわざ捕まえて持ってきたんじゃないの?」
図星を突かれた様子のウルマが顔を強張らせ、ドルテたちにクスクスと笑われる。兎にも角にも、もし本当にヴィジェがいるなら、家が近いので一緒に帰ることにはなるだろう。
「取り敢えず、ヴィジェがいるなら結局帰る事になるだろうし、今から帰らないと門限には間に合わないから……」
「一緒に帰るのね?」
諦めきれないような表情で私を見つめていたウルマは、返事を待たず顔を輝かせた。
裏口のドアを開けると外から冷たい風が吹き付けてくる。暖炉で温められた体との温度差に、全身が麻痺したような感覚になった。
「ヴィジェ、本当にいたの?」
私が分かりやすく片眉を上げて驚いてみせると、ヴィジェは嫌そうに顔を顰めた。
「そこで見張ってるやつがいるだろ。帰れなかったんだ」
幼馴染が工房の裏口側の窓の方を指差すと、確かにそこには 窓に張り付いて私たちを見守っている……もとい覗き見しているウルマの仲間たちがいた。目が合った瞬間、気まずそうに瞳を泳がせた。
「あれは仕方がないわ、いつまでも 勘違いしているんだもの。気にしたら負けよ」
寒さのせいか、ヴィジェの体が私の言葉の途中でビクリと震える。よく見ると マフラーや手袋もしていないようで、コートと冬用の服だけだった。
しかも顔まで赤い。私のマフラーを貸してあげようかと考えたが、それでは私が風邪を引いてしまう。ヴィジェのことは自己責任としよう。
「とりあえず家に帰ろう。ここにずっといたのは寒いだろうし、ヴィジェにも門限があるでしょ?」
「……そ、そうだな。完全に真っ暗になる前に帰ろう」
「ほら、声まで震えてる」
私が強引に腕を引っ張ると幼馴染も情けない声を上げながらついてくる。
「急に引っ張るな」
「いつも扱いが雑なのはそっちも。たまにはいいじゃない」
そう言って二人で歩き出す。不意に触れた彼の手は冷たくて、私は思わず両手で握りこんだ。驚いて立ち止まったヴィジェの手が少しずつ温かくなっていくのを感じながら、私は口を開く。
「ヴィジェはいつから外で待ってたの?」
「ほとんど待ってない。さっき捕まえられたばかりだ」
では今日の兵士の訓練は外で実施していたのだろうか。いつもはこれ程ヴィジェの顔が赤くなったりはしないので少し不思議に思えた。
……顔が、赤い?
私は徐にヴィジェのおでこに手を当てた。
「なんだ、エウイル――」
「おでこ、熱い。風邪引いてない?」
自分に限ってそんなことはないとヴィジェは反論するが、私にはハッキリと分かる。つい最近兄が風邪に罹ったばかりなのだ。
「家まで時間かかるけど大丈夫なの? お母さんは……そう、お腹に子供がいるもの、自由には動けなかったわね。倒れたら私が運んであげるわ」
いらない、大丈夫だとヴィジェが反応した後、しばらく 沈黙が続いた。それを破るように彼が口を開く。
「本当に、変なこと言っていいか」
「何でもいいけど……」
いつもは軽い雰囲気のヴィジェだけれど、この時ばかりは等身大の男の子のような、それでいてどこか真っ直ぐな眼差しだった。
「俺、母さんの子供は流産になればいいと思ってるんだ」
真剣なヴィジェの口からは普段出てこないような思いがけない言葉に、私は強い風で半開きになっていた両目を丸くした。流産。よくある事だけれど、望んでいる人を見たのは初めてだ。
「どうして? その、妹や弟が出来るって、私は羨ましいのだけれど……」
「母さんさ、次に生まれるのは女だって医者に聞いてから様子がおかしいんだ。実家に入り浸ったり、たまに帰ってきては『女の子よヴィジェ』って同じ事ばっかり。女が欲しかったから、俺は女みたいな名前なのか?」
話を聞いているだけでも、もし本当に流産なんてことになればヴィジェのお母さんは狂ってしまうのではないかと思わざるを得ない。ヴィジェがそんなことを思いつかない筈もない。
でも、もし「流産になればいい」としか言えないほどヴィジェが追い詰められているなら? 私の視界の外に、想像もできないような”何か”が起きているとしたら? そんな不穏な考えが頭を過って、私は黙り込んでしまった。
「……ごめん、本当に変なこと言ったな。でも、妹がちゃんと生まれたら、もう中途半端に親が俺の世話を見ることも無いだろうからさ」
「それは、二つの内のどっちの……」
私が問いかけると、言葉の途中でヴィジェは軽く手を振って遮った。少しだけ何かを諦めるような表情をした後、歩き出そうと言うように手招きした。
「まぁ、どっちにしろ考えるだけ無駄って奴だ。何とかなる」
「切り替えも大事よね。今日、強引に気持ちを切り替えるのって何回目だったか……」
考えてみればそこまで切り替えていなかった気もする。それに、今日やったことはいつもと変わらなかった。案外、日常の範疇だったのかもしれない。
「エウイル、君の兄さんが今日は兵士庁に来ていたけど……」
「病み上がりなのにもう? あれだけ外に出ちゃいけない、寒いから体調を崩すって言ったのに……」
また体調を崩されたら今度は誰も面倒を見ないと言ったはずなのに、わざわざ作り置きした昼食を置いて出ていくなんて薄情ではないか。いや、薄情だと思う前に心配せねばなるまい。
「あとで兵士庁に伝書鳩を送ろう。私、夕飯をどれだけ作ればいいか分からないもの」
「結局、兄の為じゃないんだね」
ヴィジェが呆れて溜息を吐くような笑い声を漏らした時、冷えた空気は白い煙となって、淡雪の夜に溶け込んだ。
帰り道(前編)、読んでくださってありがとうございます。
今回は特に事件は起きていませんね。
「短槍の扱いと昼食」同様に色恋要素が入っております。
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