ドレスの刺繍(前編)
※あらすじにもありますが、一話分を分割して投稿します。
ご要望があればプロローグと二話も分割します。
手渡された図案は、何枚も重ね着をする晴れ着の一番奥の厚い布にする刺繍だ。レース布に金糸や銀糸で刺繍する煌びやかなものと違い、繰り返しのい地味な模様かつ、糸も細く布地の色味に似た単色である。
服全体の雰囲気を知るために細かい色や意匠の描かれた紙も渡されたのだが、私はそれをみて、感嘆のため息を吐く。
「布の素材も高価なのに大量に使って、表面のレースに小さい宝石まで織り込むなんて……どこのお嬢様の服かしら」
今まで私が見習い仕事としてやっていたのとは現実味の無さが比べ物にならない。お金も人手も技も全てがいるし、限界を見極めなければ不可能一歩手前である。呟きが聞こえたのか、見習いの様子見に来ていた副工房長のアウルラが私に話しかける。
「実はね、この衣装は工房長の娘さんの、成人式用晴れ着なんだって。ペッティナ……だったかしら? 綺麗な子よねぇ」
アウルラの口から出た予想外の名前に、思わず声を出して驚く。ペッティナはもうそんな年だっただろうか。確か初めて会った四年前に十二だったので、今は十六。成人の十七間近だ。
「ペッティナの髪には鮮やかな紅色が映えるので、工房長の色選びは光っていますよね。意匠や構造にも矛盾が無いですし……服飾に精通している刺繍師ならではの注文方法、とても良いと思います」
工房長は頭の回転が速いし矛盾を潰すのが得意そうな、要するに目くじらを立てるのが得意な人間だ。それはともかく、ここまで精巧なデザインの絵が描けるなら絵師にもなれたのではないだろうか。
なんとか刺繍に戻ろうとお喋りなアウルラを黙らせる方法を考えていると、丁度食べ終わったところらしいグリーデが私の刺繍の下準備や図案を覗き込み、黙り込んだ。
「美味しいところを取ってあげているのよ、グリーデ。レースの刺繍、あなたは得意だったわよね?」
「と、得意だけれど面倒だし時間がかかるんです、到底見習いにさせるものじゃないと思うんですけど……」
苦笑いを浮かべてなんとかレースの刺繍から逃れようとするグリーデに、アウルラは一歩距離を詰めた。
「レース、破いたらどうなるかぐらい分かるわね?」
グリーデは私の記憶の限りではレースを破いたことは無かったと思うのだが、その分のが激しいらしい。特にペッティナの晴れ着なんて聞いてしまえば失敗なんぞ誰にも出来ない。
「それにね、生地の量と複雑さのせいで人手が工房員だけじゃ足りないの。見習いの中でも、エウイルは基礎固めが出来ているし、グリーデはレース特化。適材適所よ、不慣れな大人に任せるより何倍もマシだもの」
不意に人手不足を突きつけられて、私は軽く目を見開いた。そして、工房長も無茶ぶりをするものだと思ったが、グリーデは違ったらしい。考えるように一度うつむいた後、パッと顔をあげて嬉しそうに笑った。
「私、見習いでも工房長にちゃんと認められているんですね」
刺繍は線を引いて模様を作るだけでは無い。塗りつぶしたり、様々な色の糸を使うことで濃淡や色調を変えたりもできる。今回は布自体に色調の変化があるので単色で塗りつぶすが、どうせなら凝ってみたいものである。
そんな無駄事を考えている間にも手は止めない。塗りつぶし前の下縫いは一番時間がかかるが、塗りつぶしの質に関わるので無下には出来ないのだ。針の刺さるプスリという軽い音、針を抜く時の布と糸の擦れ合う音。私の一番好きな音で落ち着く音だ。
「にしても、一番内側の布にまでこんなにビッシリ……工房長はよっぽどペッティナが好きなのね」
「そうねぇ、レースの刺繍も難しくて、何度か間違えそうになったもの。レースだとやり直しが利かないし。けれど、この工房でレースの刺繍を任せられるのはほんの一握りだけだからって言葉を信じて頑張るしかないわね」
私にはまだ繊細過ぎるレースの刺繍は出来ない。仕方は分かるが、年齢的にも見習い期間的にもレース布自体に触らせてもらえないのだ。私は針を置き、隣の席で作業するグリーデの方に体を向けた。
「ねぇグリーデ、刺繍をしているの、隣で見ていていいかしら」
「いいけど、何のために?」
「将来のためよ。私もレースの刺繍が出来るようになりたいもの。技術は盗まなきゃ」
そうこなくっちゃ、とグリーデは悪戯っぽく笑い、刺繍の下準備を始めた。レース布は私の縫うような厚手の布とは違い、折り目が付きやすい。刺繍枠に入りきらなかった布をクルクルと巻き、フェルトを当て布にしてから木バサミで枠に慎重に止めなければならないのだ。これくらいは私にも分かる。
「これ、フェルトを忘れるか思いっきり木バサミで止めちゃうと取り返しが本当につかないの。工房員の人でも、何人かは経験済みだそうよ……」
ひぃ、と小さく悲鳴を上げてみせておどけているが、その様子だとグリーデは失敗したことが無いのではなかろうか。グリーデに運動は無理だが、私にはレース布の刺繍が不可能かもしれない。
布と図案を枠に留め終わったグリーデが早速針を手に取った。ここからは私が勝手に刺繍しないように教えられていない。穴に二本の糸を通し、完全には糸を通しきらないまま裏から表、裏とあまり間隔をを開けないで縫う。布の裏面に残る糸の輪に針を通すと、あっという間に始めの糸は固定されてしまった。
ここからは同じと思ったが、縫い方まで違った。レースは繊細だからか下縫いをせず、裏と表に同じ模様が残るような縫い方をしている。
さらに私が縫う時のシュルルという音とは違い、針が紙を貫くザクッという音が何度も響く。けれど、私はいつもより少し針の出す音が小さいことに気づいた。よく見てみれば、私の使う動物の刃の針とも色や光沢が違うではないか。
「もしかしてグリーデ、その針……」
「お察しの通り、奮発して鋼の良い針を買ってみたのよ。少し重いけれど力を入れても壊れにくいし、音が小さくて神話読みの時も刺繍が出来る……あら、少し喋りすぎたかしら」
そう言ってグリーデは「誰にも言わないでよ?」とウィンクした。
三話前編、読んでくださってありがとうございます。
今回はかなり刺繍メインですね、技法も沢山。
詳しい人が読んだらニヤッとしてしまうような小説、そんなものを書ければなと思っている非有識者です。
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