短槍の扱いと昼食(後編)
「ねぇ、今日の昼食はカレサのスープと、ケルグのサンドだって。私が一番好きなメニュー! 秋の始まりからもうずっと食べていないもの、今日は沢山食べるわよーっ!」
刺繍工房の裏手のドアを開けた瞬間、目を輝かせて拳を握り、いの一番に話しかけてきたのはグリーデだった。お気に入りのメニューだ、と献立の書かれた厨房前の大きな石板を指差し、耳元にキンキンと響く声で満面の笑みを浮かべている。
「ケルグは私も好きだけれど、ちょっと苦くて酸っぱい感じがして、偶に苦手なの。良くないケルグは特にね」
ケルグは特に果物のなかでも個体差が激しいので、いつでもおいしいわけでは無い。工房で出るのは大量受注できる安物がほとんどなので、正直「苦手なケルグ」の側である。パン生地に挟まれているなら、少しはレイヴァの香ばしさで中和できるだろうか。
「レイヴァ農場の見習いは毎日美味しいパンが食べられるのかしら、羨ましいわよね、エウイル? 私は、農は男の仕事だからってやらせてくれなかったのよ。酷いと思わない?」
「その代わり、刺繍よりももっと重労働で運動量が比べ物にならないと思うけれど……」
私は、グリーデのそのふくよかなお腹を見下ろして、考えるのをやめた。グリーデには金輪際まともな運動は出来ないと考えてしまうのは、失礼だろうか。
「最後の一人が来たので、昼食にしましょうか。皆さんは自分の持ち場に行って席に座り、水桶で手を洗えた人から器によそって各自で食べ始めてくださいね」
隅の方でお喋りをしていた子や刺繍の練習をしていた子も、厨房奥の中央の五つ並んだテーブルにそそくさと集まる。真ん中のテーブルにいるからか、耳を澄ましても私の話題は特に聞こえないのに視線を全方向から感じる。耐えきれなくなったようにグリーデが口を開いた。
「ねぇ、ヴィジェとはどういう関係なわけ? 私たちずーっと気になっていたの。今日の短槍の練習の時だって、その……」
「どういう関係? 幼馴染というか、友達というか、一種の敵というか……曖昧なところね」
「違う、違うわ。私たちが求めている回答じゃないのよエウイル、女の恥よ!」
訳の分からないことを聞かれたと思ったら、次にはかなり直接的な暴言である。女の恥とはなんだ、私は刺繍も料理も一通りできるし、少しなら顔に自信もあるのだ。
「ヴィジェが可哀想じゃない……ヴィジェは分かりやすいのに、エウイルはそれを理解するのも放棄しているなんて……」
「大体、ヴィジェなんだから性別関係なく訓練で叩きのめしたり、馬乗りになったりするのは変わらないじゃない。それを距離が近いだあーだこーだって、あなたたちが敏感なだけじゃないの?」
ポカーンと、周囲が一斉に固まる。冷静に食い意地を張っている一人の女の子だけはスープを椀によそう音を立てているが、それ以外は何の物音も無くなった。
「誰にでも馬乗り、ねぇ……この話は無かったことにしましょう、工房長にも迷惑をかけるから、スープの冷めないうちに早くよそいに行きましょう!」
周りも同じ雰囲気を維持したくなかったのか、グリーデの勢いに乗って皆が手を洗いに行ってしまった。私も後につき、先程の会話を反芻しながら考え込んだ。
「エウイル、寒い日にはやっぱりスープよねぇ」
スープを一口飲み、顔を綻ばせたグリーデに私も同意する。スプーンで掬った少量のスープをゆっくりと味わうように舌の上で転がしていけば、程よい塩味がカレサの旨味を引き立てて、簡素な材料やレシピでも、淡雪の降る冬の始まりに飲むには丁度良い。飲み込んでみせると、スープの通った場所から、芯から冷え切った体に少しずつ染み渡っていく。
「冬は何でも料理が美味しいのよね。いつもは物足りないけれど、今はご馳走気分だもの……」
向かいでいかにも美味しそうにスープを口に流し込むドーティの微笑みに、つい私もつられて笑う。今日の私は運がよかったのか、ケルグがいつもよりずっと熟していて甘い。
「エウイル、短槍には慣れた?私はどうしても剣が重くて……そういえばエウイルの使っていた武器は、先端がちゃんと鉄だったわよね」
「ヴィジェが『刃の重さに慣れないと、狩りで使い物にならない』って言って渡してきたの。皆が持っているような新しい綺麗な武器ではないけれど、最近は自由に使えるようになってきたわ」
恋人の熱心な指導のおかげね、というグリーデの余計な一言で、同じテーブルと、近くの女の子から黄色い歓声があがる。最近、何度も繰り返されるやり取りに飽き飽きしてきた私は、つい言葉を尖らせた。
「……そういう事にしといてあげる。でも私には兄さんがいるし、誰かに縛られるのって自由がないようで嫌じゃない? ヴィジェだってそう言っていたもの、勘違いするなら勝手にしてほしいけれど」
「じゃあ勘違いさせてもらうね、エウイル!」
ギスギスした雰囲気を無自覚にも緩和したドーティの言葉にクスリと笑う。スープを味わうのをやめて思い切り口に流し込むと、私は刺繍道具の入った鞄をひったくって立ち上がった。
「私は一足先に刺繍の準備をしておくけど、時間は気にしておいた方がいいわよ」
残り時間を示す大きな砂時計は、もう残り少ない砂をサラサラと溢している。それに気づいたドーティが喉にパンを詰まらせながら間食し、「二番!」と言って同時に立ち上がった。周りも一斉にスープやパンに口をつける。
さぁ、今からは時間も何もかもを忘れて刺繍の時間だ。工房長に図案を取りに行くのでさえ足取りが軽い。仕事場の隅の机に座り、図案を広げる。布の上に紙を置いて炭の粉をはたけば、小さな丸が集まって図案が布に移された。
煤入りの膠を先につけた鉄筆で線を一通り描き、枠に布を広げて留め、私は刺繍箱からお気に入りの針を一本取りだした。
二話目、読んでくださってありがとうございます。
今回は少しだけ恋愛に寄ってはいますが相変わらずエウイルの心中は刺繍のことでいっぱいです。
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