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刺繍糸の紡ぐ魔術  作者: 矢弓煉々
第一篇 永劫にも思える旅路
2/7

プロローグ(後編)

 セピレーアが私との話を切り上げ、壇上の書見台の前に立ち、置かれた聖典に手を伸ばす。ゴテゴテした背表紙の宝石と、金糸で出来た複雑な刺繍……神官たちによれば魔術陣というらしいのだが、そんなお金のかかっているであろう聖典は今日もその輝きを惜しんでいない。

 セピレーアが持った聖典に手を置くと、金糸が少しずつ鮮やかな葉の色に染まっていく。神官によって何色に染まるか違うので、いつも不思議に思うし、神秘的だとも感じるけれど、少し、ほんの少しだけ、薄気味悪く感じる。


「最高神ソフィエルは、とある夫婦神から生まれた女神様。四季を司り、世界を美しく御創りになられた偉大なる女神様です」


 セピレーアの唇から滔々と語られる神話は、いつもと全く同じだ。綺麗事ばかりで胸焼けがするのは私だけでは無いようで、後ろの席のヴィジェをチラリと覗くと退屈そうに自分の指を触っている。これを苛立っているときに聞かされると、「世界はもっと理不尽なのに」と神話を書いた人に愚痴を言いたくなるのだ。

 正気で聞いて自然にお祈りまで捧げられるペッティナは全く尊敬に値する。


「なぁ、エウイル。ちょっといいか?」


 ヴィジェが背後から私に顔を近づけて耳打ちする。何、と振り返ろうとすると、後頭部を掴まれて固定された。相変わらず力の加減が出来ていなくて、正直かなり痛い。本日二回目である。


「エウイルは、御祈りの時に目を開けたことがあるか?」

「無いけど……ここにはいないけれどアスティ先生に見られたらと思うと」

「今日はセピレーアだから大丈夫だ。少し、半目でいいから開けてみてくれないか?」


 渋々頷くと、ヴィジェは満足そうに私の頭から手を放した。御祈りの時は目を開けるなと言われているし、実際、目を開けた同級生をここ最近見ていないので正直開けたくない。……が、ヴィジェのこの様子ならきっと見たことがあるのだろう。ヴィジェ程度が大丈夫なら、私であれば百回やっても大丈夫だ。大丈夫な筈だ。


「そうして、ソフィエル様の御創りになった世界で私たちは生きているのです。……では、御祈りの時間へと参りましょう。紙は持ってきましたか? 始めに、それぞれで神様の名前を復習したり、唱えたりしてくださいね」


 まずい、神様の名前が書かれた紙を家に置いてきてしまった。刺繍のことしか頭になかったので、刺繍道具しか鞄には入れてきていない筈だ。私は左隣を向き、ペッティナの目を、彼女が気づくまで見つめ続ける。


「あぁ、エウイル。分かってるわ」


 ペッティナの聖女の如き微笑みに浄化された気分だ。彼女は開いた紙を私と自身の間に置く。


「風の女神ヴァリトゥーフェ、音の女神ソフィエル、水の女神ラウトゥレヤ……ねぇ、ペッティナ。どうして最高神である音の女神より、風の女神の方が名前を先に唱えるの?」

「それは、風の女神様が音の女神様の姉君で元最高神だからなのよ。まだ、風の女神様と音の女神さまの仲が睦まじかった頃、そして風の女神様が最高神だったころに作られた御祈り言葉だから、先に唱えなければならないのよ」


 長年の謎が解けた、と感心していると、「本当にエウイルは神話読みを聞いていないのね」と苦笑混じりに呆れられる。神話にそんな話は無かった気がするのだが……。私が、じっとするのに飽きてきた後半あたりからしか聞いていないからだろうか。


「順番なんて変えたっていいじゃない? 神様が意を汲むためなら、多少言葉を変えたって……」

「エウイル。同じ言葉じゃないと、意を汲む前に神様に言葉が届かないのよ。それに、神様の御名を唱えるのだから、蔑ろにしてはいけないし」

「いくら神聖、神聖って言ったって、今はもうその聖書にお話としてしか残っていないじゃない。もしかしたら、ただの御伽噺かも――」

「エウイル!」


 今までに聞いたことのないペッティナの声が、私の言葉を遮る。鋭くて胸の奥まで突き刺さるような視線と声だった。教会の中がしんと静まり、音を立てて立ち上がったペッティナに注目が集まる。即座に顔を笑顔に取り繕った彼女は、セピレーアに顔を向けた。


「すみません、少し気が立っていたようです」


 一言だけ謝って席に座ると、私にも「ごめんなさいね」と少し困ったように笑って見せる。


「……では皆さん、もうそろそろ覚えられましたね? 御祈りの時間ですよ。目を閉じて、手を組んでください」


 場の雰囲気を和ませるようにセピレーアがふわりと柔らかく微笑んだ。その合図で、皆が背筋を正して同じ体勢を取る。


「では皆さん、神々の名前を唱えましょう」


 セピレーアのひと際大きい息を吸う音に皆が合わせ、神様の名前を唱えていく。


「風の女神ヴァリトゥーフェ、音の女神ソフィエル、水の女神ラウトゥレヤ。炎の神ロィフュシェドゥ、光の女神 暗の片ハミュレイア 明の片ヴァルニーケ、時の神クルノジエ――」


 最高神と上位神の名を唱え終わったところで、私はヴィジェに言われたよう少しずつ目を開ける。セピレーアがしっかりと目を閉じているのを確認し、やっと片目を半分開けられた。


「水の属神 治癒の女神テルヴェラ、豊穣の女神カセンヴィア……」


 属神の名が唱え始められたとき、私の目に映る景色が全く変わってしまった。少々古びた教会の壁や天井、床から、明るい青緑色や空の色の丸い小さな光がフワフワと出てきたのだ。金糸の色が変わったときのような不快感は無く、ただただ幻想的で神秘的な光景だ。その時にはもう、私は両の目を開いていた。

 ラウトゥレヤの属神の名を唱え終わった瞬間、丸い光はラウトゥレヤの像の掲げた右手に集まり、大きな水色の球となって弾ける。天井近いところから同じ色の小さな、雨粒のような光となって降り注いできた。床へ当たっては消え、また降ってくる。

 炎の神の属神の名を唱えたときにも同じことが起こった。全く違う色のはずなのに、二つの色が交わったり弾きあったりして、まるで深夜に見る極光のようだ。

 幻想的な時間はあっという間に終わってしまった。私はあわてて目を閉じ、またいつものようにセピレーアの合図で目を開けた。

プロローグの後半です。

読んでくださってありがとうございます。

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