元・未来の同期
「九条くん、だよね? 東和精機の懇親会にいた」
ファミレスの通路に立っていたのは、二宮楓。俺と同じ大学四年、東和精機の内定者。懇親会で隣の席になり、俺の「特技:スプーン曲げ」を唯一笑わなかった女だ。
正確には、笑わなかったのではない。もっと悪かった。「それ、手品じゃなくて本物だったら面白いのにね」と、こっちの目を見て言ったのだ。あの時の俺の背中の汗を、俺は忘れていない。
「ああ、二宮さん。久しぶり」
「野村さんから聞いたよ。内定、辞退したって。……投資で食べていくって、本当?」
「まあ、そんなところ」
「ふーん」
楓は勝手に俺の向かいに座った。おい。
そして彼女は、テーブルの上を無遠慮に眺めた。食べかけの和風ハンバーグとライス大盛り、ドリンクバーのメロンソーダ、開きっぱなしのノート——『マカオ カジノ 最低賭け金一覧』と書かれたページを、俺は音速で閉じた。
「……ねえ九条くん。単刀直入に聞くけど」
「どうぞ」
「先週の木曜、平日の昼の三時に、箱根の温泉にいなかった?」
メロンソーダを噴き出しかけた。
「……なぜ、それを」
「おばあちゃんの慰安旅行に付き添いで行ってたの。休憩所の畳で、ものすごく幸せそうに転がってる同世代の男がいて、顔を覚えてた。で、今日ここで見かけて確信した」
「人違いでは」
「箱根まで何で行ったの? 車持ってないよね、懇親会で言ってたし。ロマンスカーだと往復四千円くらいかかるけど、就職しない大学生が平日に?」
「…………」
こいつ、経路と運賃から詰めてきやがった。なんだその生活感のある捜査手法は。
「別にいいでしょ、どこで湯に浸かろうと。俺はもう東和精機とは無関係の人間だ。二宮さんこそ、入社前の大事な時期に、辞退者に構ってていいのか」
「よくない。よくないけど……」
楓は少しだけ声を落とした。
「……私、最近ちょっと不安なんだよね。東和精機、内定者研修の課題がやたら多くてさ。週報も出せって言われてて。入社前からこれって、入社したらどうなるんだろうって」
「辞退すれば?」
「あのね、普通の人間はそんな簡単に辞退できないの! 奨学金の返済もあるし、親も安心してるし……って、なんで私が九条くんに愚痴ってるんだろ」
「さあ。俺の顔が、湯上がりみたいに緩んでるからじゃないか」
「あ、それかも。九条くん、なんか……人生うまくいってる人の顔してる。ムカつくくらい」
褒め言葉として受け取っておこう。実際、うまくいっているからな。
楓はドリンクバーを注文し(頼んでないのに居座る気だ)、ウーロン茶をすすりながら、探るように言った。
「ね、本当のところ、何やってるの。投資って言っても、元手いるでしょ。九条くん、懇親会のとき『貯金は十七万』って正直に言ってたじゃん」
「増えたんだよ、それから」
「二ヶ月で? 何倍に?」
「……六倍弱、かな」
「ろくばい!?」
店内に楓の声が響いた。近くの席の主婦グループがこちらを見る。俺は認識阻害を薄くかけて、注目を空間ごと逸らした。便利。
「怪しい。絶対怪しい。ねずみ講? 転売? それとも闇バイト? 九条くん、捕まるやつだけはやめなよ。同期になるはずだった人が捕まると、私の気分が悪い」
「安心しろ。俺のやってることは、清々しいほど合法だ」
嘘ではない。パチンコは合法。拾得物の届け出も合法。イカサマの立証は物理的に不可能——もとい、俺はただ、玉の行き先を心の中で応援していただけだ。応援は自由だ。
楓はじとりと俺を睨み、それから、財布から千円札を出してテーブルに置いた。
「今日の私のドリンクバー代とチキン南蛮……あ、まだ頼んでなかった。ドリンクバー代。奢られる理由ないから」
個人から盗らない主義の俺として、その姿勢は嫌いじゃない。
彼女は立ち上がり、去り際に振り返って、こう言った。
「九条くん。私、四月に入社したら営業経理部なの。数字のズレを見つける仕事。……あなたの人生の数字、なんかズレてる気がするんだよね。いつか絶対、種明かししてもらうから」
……勘のいい女は、嫌いだよ。
俺はメロンソーダの残りを飲み干し、閉じたノートを再び開いた。
マカオ、最低賭け金一覧。よし、渡航を前倒ししよう。日本は、少し狭くなってきた。




