東京湾は宝の山(ヘドロ味)
マカオ行きを決めたはいいが、現実問題として種銭が足りない。
現在の残高、六十三万円。渡航費と滞在費を引けば、カジノに持ち込めるのは五十万がいいところだ。ハイレートのテーブルに座るには、桁が一つ足りない。パチンコ行脚を再開すれば貯まるが、あの作業をあと三ヶ月続けるのは、俺の精神が拒否している。
何か、一撃のでかい国内案件はないのか。
深夜、部屋で天井を眺めていた俺は、ふと思い出した。大学一年の海水浴で、友人が婚約指輪——彼女に渡す前のやつ——を海に落として、半泣きで砂浜を掘っていた事件を。あのとき俺はまだ透視の精度が低くて、見つけてやれなかった。
「……海の底って、どうなってるんだ?」
思い立ったが吉日。いや、吉夜。午前一時、俺は認識阻害を全開にして、夜の東京湾上空二百メートルに浮かんでいた。
眼下は真っ黒な海面。だが俺の視界には、関係ない。空間を歪めて光の経路を曲げ、海面下へ、さらに海底へと「視線」を潜らせていく。水深二十メートル。ヘドロの堆積した海底が、ぼんやりと見えた。
そこは、思っていた百倍、ゴミ捨て場だった。
自転車。タイヤ。ショッピングカート。傘の残骸の群れ。スマホ、スマホ、スマホ——おびただしい数のスマホ。酔っ払いが落とすのか、投げ捨てるのか。
「宝の山とは言い難いな……」
だが、根気よくスキャンを続けると、混ざっているのだ。光るものが。
一時間の走査で発見したもの——指輪三個(うち一個は明らかにプラチナ)、ネックレス二本、腕時計四個(うち一個、ダイバーズウォッチがまだ動いていた。さすが防水)、そして小型の手提げ金庫が一個。
金庫。金庫だと?
俺は空間ごと金庫を掴み、海底からずるりと引き抜いた。ヘドロを海水中で洗い落とし、宙に浮かべたまま透視する。
中身は——書類の腐ったやつと、錆びた実印。現金ゼロ。
「空か! ……いや待て、これ、事件性あるやつじゃないだろうな」
俺はそっと金庫を元の位置に戻した。触らぬ神に祟りなし、ならぬ、触らぬ証拠品に前科なしだ。
さて、回収した貴金属類だが、ここで問題が発生する。
これ、誰の物だ?
落とし物は拾得物だ。ネコババすれば占有離脱物横領罪。俺のルール的にも、指輪の落とし主は「個人」であり、個人から盗るのはルール違反だ。
翌日、俺は回収品を持って交番に行った。
「東京湾で、拾いまして」
「……東京湾で? 潜ったの?」
「趣味のダイビングで」
「深夜に?」
「ナイトダイビングという文化がありまして」
お巡りさんは深く追及しない大人だった。書類を書きながら、彼は教えてくれた。落とし主が現れて受け取った場合、拾い主は五から二十パーセントの報労金を請求できる。三ヶ月間落とし主が現れなければ、所有権は拾い主のものになる、と。
「……ほう」
つまり、こういうビジネスモデルが成立する。
一、海底から高額品を回収する(原価ゼロ、俺の場合)。
二、警察に届ける(完全合法)。
三、落とし主が現れれば報労金、現れなければ全額。どっちに転んでも利益。
しかも落とし主が指輪と再会して喜ぶ姿を想像すると、なんというか、悪くない気分だ。俺は善人ではないが、後味のいい稼ぎが嫌いなわけでもない。
……ただし、だ。
プラチナの指輪一個、時価にしてせいぜい十万円。三ヶ月待って、報労金なら一、二万円。一晩ヘドロの海を眺めた対価としては、しょぼい。国内の海底は、宝の密度が低すぎる。
だが、俺は図書館で借りたもう一冊の本——『世界の沈没船と海底財宝』を思い出していた。
世界の海には、回収不能とされた沈没船が三百万隻眠っているという。スペインのガレオン船、戦時中の輸送船。積み荷は金貨、銀塊、陶磁器。引き揚げに数十億かかるから、誰も手を出せないだけだ。
数十億かかる、のは、潜水艇とクレーンを使う場合の話である。
空間ごと掴んで引き抜ける男には、関係のない見積もりだ。
「……マカオの次は、海か。夢が広がるな」
実績解除リストに『沈没船サルベージ』を書き加えて、俺はにやりと笑った。
その帰り道、駅前の宝くじ売り場の前を通りかかった。足が、勝手に止まる。ガラスケースの中のスクラッチの束を、俺の透視が反射的にスキャンする。
ハズレ、ハズレ、ハズレ、二百円、ハズレ——。
「…………やってないからな。今のはノーカンだからな」
誰にともなく言い訳して、俺は家路を急いだ。




