競馬、倫理審査で不合格
玉転がし期、二週間目。
通帳残高は五十八万円まで回復していた。一日一店舗、多くて二店舗。勝ち額は一店舗あたり三万から五万に抑える。目立たず、騒がず、確実に。俺は都内パチンコ店マップを塗り潰していく作業ゲームの真っ最中だった。
真っ最中、だったのだが。
「飽きた……」
十四日目の朝、俺はベッドの上で認めた。凝り性の化け物にも、弱点はある。作業化した瞬間、実績としての魅力が消えるのだ。玉転がしはもう「解除済み」。あとはただの日銭稼ぎである。
もっとスケールのでかい戦場はないのか。国内で、合法で、一撃が重いやつ。
スマホを眺めていた俺の目に、ニュースが飛び込んできた。
『日本ダービー、今週末開催』
「……競馬か」
考えたことがなかったわけではない。むしろ、能力的には相性が良すぎる。
走っている馬は、現在進行形の物理だ。第四コーナーで、狙った馬の周囲の空間をほんの少し押してやれば——いや、もっと上品にやるなら、対抗馬の進路の空気抵抗をわずかに増やすだけでもいい。着順は、俺の指先ひとつで決まる。
単勝万馬券を的中させれば、一撃数百万。パチンコ二ヶ月分が、三分で終わる。
「見に行くだけ、見に行くか」
週末、俺は府中の東京競馬場にいた。
入場して、まず驚いた。でかい。綺麗だ。家族連れがピクニックシートを広げ、ビール片手のおっさんたちが新聞を睨んでいる。パドックでは、筋肉の彫刻みたいな馬たちが周回している。
俺はスタンドの端で、レースを二つ観戦した。能力は使わない。ただ、観察する。
そして三レース目の前、オッズの電光掲示板を眺めていて——俺は、根本的な問題に気づいてしまった。
「……待てよ。この配当金、どこから出てるんだ?」
スマホで調べる。競馬の配当方式は「パリミュチュエル方式」。客が買った馬券の総額をプールし、胴元(JRA)が約二十五パーセントを控除して、残りを当たった客で山分けする。
つまり。
俺が万馬券を当てて数百万を受け取るとき、その金の出どころは——JRAの金庫ではない。
外れた客の、財布だ。
あのビール片手のおっさんの。孫の小遣いを増やそうとしてる爺さんの。給料日前の会社員の。負け分を、俺が総取りする。
「…………」
俺は掲示板の前で、腕を組んだ。
俺のマイルールを再確認しよう。個人からは盗らない。盗るのは胴元と市場からだけ。
カジノは、客対カジノだ。俺が勝てば、カジノの金庫が減る。胴元から盗っている。
パチンコも、客対店。同じく合格。
だが競馬は違う。JRAは何があっても二十五パーセントを先に抜く。胴元は絶対に負けない構造だ。客同士が残りを取り合っているだけ。そこで俺がイカサマをすれば、それは胴元からではなく、隣のおっさんから盗ることになる。
「……不合格だな」
俺は呟いて、買いかけていた馬券の購入画面を閉じた。
念のため言っておくが、俺は善人ではない。透視で他人の胸ポケットを覗くし、世間を騙すことに罪悪感もない。それでもこのルールだけは守る。理由は倫理というより、美学と実利だ。
美学の面——個人を泣かせて稼ぐのは、実績として、ダサい。
実利の面——個人から盗る奴は、いつか個人に刺される。恨みは債務より重い。胴元は損しても「システムの誤差」で処理するが、全財産を失った個人は、一生かけて犯人を探す。俺は空を飛べるが、恨まれない人生のほうがもっと身軽だ。
メインレースの発走ファンファーレが鳴った。俺は何も賭けていない目で、十八頭の疾走を眺めた。
……正直に言う。めちゃくちゃ面白かった。ギャンブルは、賭けなくても面白い。この発見は無料だった。
帰りの京王線で、俺はノートに結論を書いた。
国内総括:くじ=構造的に無理。パチンコ=労働。競馬=ルール違反。
結論:日本には、俺の戦場がない。
顔を上げる。窓の外を、夕暮れの街が流れていく。
客がカジノという「胴元」と直接殴り合える場所。一晩で家が建つ額が動き、イカサマ師と監視カメラが百年騙し合いを続けてきた、あの眠らない街——。
「マカオ、か」
種銭一千万。目標は変わらない。だが、貯め方は変える。
翌朝、俺は大学の図書館で、二冊の本を借りた。一冊は『バカラの数理』。もう一冊は『はじめての中国語会話』。
司書のお姉さんが、絶妙に不安そうな顔で貸出処理をしてくれた。




