スクラッチは投資である(大嘘)
駅前の宝くじ売り場に、俺は立っていた。
ガラスケースの中に、スクラッチくじの束が鎮座している。一枚二百円。削って絵柄が揃えば当たり。最高額は等級によるが、この「わくわくスクラッチ」は一等一万円だ。
俺は視線をくじの束に固定し、空間をわずかに歪めた。券面の銀色の被膜——通称スクラッチ部分——の下に、光を迂回させて潜り込ませる。
見えた。
一枚目。ハズレ。
二枚目。ハズレ。
三枚目。ハズレ。
四枚目、ハズレ。五枚目、ハズレ。六枚目——お、絵柄が二つ揃って……三つ目、違う柄。ハズレ。
七枚目、ハズレ。八枚目、ハズレ。九枚目、ハズレ。十枚目、ハズレ。
「…………」
おかしい。
十一枚目、ハズレ。十二枚目、ハズレ。十三、十四、十五——ハズレ、ハズレ、ハズレ。
十六枚目。……二百円、当たり。
「……よし」
よし、じゃないんだよ。二百円だぞ。購入額と同額。プラマイゼロ。神の透視能力を十六枚分フル稼働させて、収支ゼロ円。
気を取り直して続ける。十七枚目からまたハズレの砂漠が続き、二十九枚目で千円がようやく一枚。三十枚超えたあたりで、売り場のおばちゃんの視線が痛くなってきた。そりゃそうだ。買いもせず、ガラスケースを十五分睨み続ける青年。不審者ランキング、堂々の一位である。
「お兄さん、買うの? 買わないの?」
「あ、買います。えっと……上から十六枚目と、二十九枚目を」
「は? 選べないよ、束の上から順だよ」
「…………上から二十九枚ください」
こうして俺は五千八百円を支払い、当たり二枚(二百円+千円)を含む二十九枚を購入した。
収支、マイナス四千六百円。
「………………」
近所の公園のベンチで、俺は削り終えた二十九枚のハズレ券の山(二枚を除く)を見下ろしながら、静かに計算した。
透視スキャン十五分、購入と換金に十五分。計三十分でマイナス四千六百円。時給換算、マイナス九千二百円。
働いたら負けどころではない。存在するだけで負けている。
「いや、待て。落ち着け九条蓮。今のは買い方が悪かった。当たりだけ引き抜ければ勝てる。問題は売り場のシステムだ。束の上から順にしか売らないなら——当たりが上のほうに固まってる売り場を探せばいい」
俺は立ち上がった。執念の化け物が、実績解除モードに入った音がした。
その日、俺は都内の宝くじ売り場を七軒回った。飛行と認識阻害を使えば移動は一瞬だ。人気のないビルの屋上に降りて、何食わぬ顔で階段から現れる。神の機動力である。
七軒、束の上から百枚ずつ、計七百枚をスキャンした結果を発表する。
一等一万円——〇枚。
千円——四枚。
二百円——二十二枚。
俺はビルの屋上で夕日を浴びながら、天を仰いだ。
「一万円が、ない。七百枚見て、一枚もない。……おい、これ、普通の人どうやって当ててるんだ?」
答えは簡単だった。当たっていないのだ。
当たり前の話を、俺は身をもって理解した。宝くじというのは、当たらないから商売になる。胴元は最初から、還元率という名の関所で客の金を抜いている。スクラッチの還元率は五割弱。つまり客は二百円払った瞬間、期待値ベースで百円ちょっとを胴元に献上している。
透視ができても、この構造は覆せない。存在しない当たりは、透視できない。
「……なるほどな」
夕日の中で、俺は静かに認めた。今日の敗因は、能力ではない。戦場の選定ミスだ。
くじは、確率が印刷された時点で固定されている。俺がどう視ようが、束の中身は変わらない。
だが——ルーレットはどうだ? 球はテーブルの上で、今この瞬間も物理法則に従って転がっている。転がっている球なら、空間ごと誘導できる。
ポーカーはどうだ? 伏せられたカードは透視できる。相手の心拍が跳ねれば、空間の微かな振動で分かる。
確率が固定された賭けは、胴元が勝つ。だが、進行中の物理と、人間の判断が介入する賭けなら——俺の独壇場だ。
俺は、屋上の縁に立った。認識阻害を展開。眼下の街から、俺は消える。
「方針決定。個人からは盗らない。盗るのは、胴元と市場からだけだ」
誰にも聞こえない宣言を残して、俺は夕焼けの空へ浮かび上がった。
ちなみに、帰り道にもう一軒だけ売り場を透視した。当たりは二百円が一枚だけだった。買わなかった。
……買わなかったが、少しだけ悔しかったのは、内緒だ。




