三十秒の説明
暗闇は、三秒で終わった。
水銀灯が再び点いたとき、倉庫の景色は、二つだけ変わっていた。
一つ。部下五人が、全員、その場から一歩も動けなくなっていた。歩こうとして、腕を上げようとして、空間に固定された自分の体に気づき、顔だけが恐怖に歪んでいく。
二つ。二丁の拳銃が、持ち主のホルスターを抜け出して、天井近くの宙に、ぷかりと浮いていた。
「な——」
沙が、生まれて初めて見る種類の光景に、言葉を失っている。ジョーさんは「や、やっぱり! 金縛りと瓶とトタン!」と謎の答え合わせを叫び、楓は口を両手で覆ったまま、固まっていた。
「説明します。三十秒なので、よく聞いて下さい。——ああ、先に言っておきますが、俺が何なのかは、説明しません」
俺は、歩きながら話した。
「考えても、無駄です。イカサマの手口でも、隠した装置でも、催眠術でもない。あんたの部下が全員この状況を証言しても、誰も信じない。世界のどこにも、対策の売ってない現象だと思って下さい。それが、あんたが今夜知っていい、唯一の情報です」
沙の足元まで歩き、俺は浮いていた拳銃の一丁を、彼の目の高さまで、すうっと降ろした。
「その銃、撃鉄も弾倉も、今は固まって動きません。試しに引き金を引いても構いませんが——動いた場合、弾がどこへ飛ぶかは、俺が決めます」
「…………」
「次。俺があんたの条件を呑まない理由」
俺は、そこで一拍置いて、沙の目を見た。
「——あんたのオフィスの、六階の隠し部屋。あそこの中身を、俺はもう知ってるからです」
沙の顔から、初めて、色が引いた。
「大型金庫に現金、香港ドルで目算一億——日本円で二十億。あんたの商売なら、あれでも小口でしょうが。壁のファイル棚。貸付台帳の担保欄——『長男・カナダ留学中』なんて書き方をするんですね、あんたの業界は。回収予定表には、うちのジョーさんの『旧債権(創作)』。自分で創作って書くの、やめたほうがいいですよ。それと顧問料ファイル。卓長・陳、月四万パタカ。他にも換金所のマネージャーと、ホテルのフロント長と——続けますか?」
「……いつだ」
沙の声が、低くなった。
「いつ、入った。うちのビルの警備は——」
「入ってません。一度も。それが証明できないのが、あんたの今夜の不運です」
ここが、勝負の核心だった。俺は、ゆっくりと言った。
「台帳の中身は、全部、写しにしてあります。俺か、ジョーさんか、この二宮に何かあれば、写しは黄啓文と、マカオ保安局と、本土のしかるべき窓口に届く。手配はもう済んでます。……あんたは『証拠を必要としない主義』でしたね。奇遇です。あんたを信じさせるのに、俺も証拠は要らない。今の三十秒が、証拠の代わりです」
沈黙。長い沈黙だった。
浮いた銃と、固まった部下と、腫れた顔のジョーさんと、俺。沙は、それら全部を順番に見て、最後に、天井を仰いだ。そして——笑い出した。乾いた、しかし本物の笑いだった。
「……はは。ははは。なるほどなあ。黄の奴が、手口が分からんと唸っとるわけだ。手口なんぞ、最初から、この世に無いんだからな」
沙は、パイプ椅子の一つを引き寄せ、どかりと座った。
「坊や。いや、九条さん。訂正しよう。あんたは獲物じゃない。災害だ。台風に落とし前をつけさせる馬鹿はいない。……いいだろう。条件を呑む。城戸は返す。あんたと、あんたの関係者には、二度と触れない」
「賢明です」
「ただし、一つだけ聞かせろ」沙は、身を乗り出した。「その力があれば、あんたは私の金庫から、今夜、二十億を黙って持っていけた。私を消すことすら、できたはずだ。なぜ、しない」
いい質問だった。楓とジョーさんも、俺を見ている。俺は、少し考えて、正直に答えた。
「金庫の二十億は、盗ってもよかった。あんたは俺の分類上、『盗っていい側』なので。……でも、やめました。あんたから二十億盗ると、俺は今夜から、二十億分あんたを警戒して生きることになる。割に合わない。俺の目的は勝つことじゃなくて、舐めた人生を、誰にも邪魔されないことなんです」
「……はっ。徹頭徹尾、経済合理か。若いのに、枯れてやがる」
「よく言われます。あと、消す消さないの話は——」
俺は、宙の拳銃二丁を、そっと床に降ろし、部下たちの固定を解いた。五人が、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「——個人からは、盗らない主義なので。命は、その最たるものでしょう」
帰り道。俺は二人にだけ、全部話した。空間を掴めること。透視も飛行も、原理は同じであること。そして——小四の冬から十三年間、毎日三時間、練習し続けた結果であること。沙には一生教えてやらない情報だが、この二人は、もう俺の「関係者」だ。命を張らせる側の人間に、手の内を隠すのはフェアじゃない。
聞き終えたジョーさんは、泣きながら俺の肩を叩き続け(痛い)、楓は、ずっと無言だった。
タクシーに乗り込む直前、彼女はようやく口を開いた。
「九条くん」
「……引いたか?」
「引いた。ものすごく引いた。……でもそれ以上に、悔しい」
「……悔しい?」
「うん。こんなすごいこと、四年も友達やってれば気づけたのに——って言いたいけど、まだ二ヶ月ちょっとの友達だから、気づけなくて当然で、それが悔しい。……ねえ、九条くん。十三年分の練習記録、明日、見せて。二ヶ月分の遅れ、明日一日で取り返すから」
「取り返すって、どうやって」
「朝から晩まで、質問攻め。開始、朝六時」
「友達歴の取り返し方が体育会系なんだよ。……七時にしろ。銃より朝が怖い男に、なるところだった」
……この女は、命の危機の直後に、友達歴の帳尻を合わせに来るのか。
大した監査法人——いや。大した、友達だった。




