第七倉庫
内港へ向かうタクシーの中で、俺は楓に、話せる範囲の状況を話した。
現地で世話になっているガイドが、たちの悪い金貸しに連れて行かれたこと。原因の一端が俺にあること。これから引き取りに行くこと。
「……九条くん。それ、警察案件だよ」
「警察が間に合う相手なら、そうしてる。……本当は、楓をホテルにでも置いていきたい。だが、電話の男は言った。空港もフェリーも見張っている、連れのお嬢さんも一緒でいい、と。つまり——楓の顔は、もう向こうに割れてる。一人で置いていく方が、危ない。皮肉な話だが、今この街で一番安全な場所は、たぶん、俺の隣だ」
「……ん。分かった。隣、行く」
楓は、窓の外を見たまま言った。声は、少しだけ震えていた。震えていたが、続く言葉は、真っ直ぐだった。
「怖いよ、正直。でも、九条くんが平気な顔してるから、私も平気なふりしとく。……友達の嘘は、伝染るんだよ」
「……ちなみに聞くけど、作戦は、あるの?」
「ある。九割は『俺が何とかする』で構成されてる」
「残りの一割は?」
「楓は、驚かないこと。今夜、たぶん、いろいろ見る」
「……ん、了解。今夜の私は、何を見ても経費で落とす顔をしておきます」
……この状況で、笑わせにくるな。おかげで少し、肩の力が抜けた。
第七倉庫は、二週間前にジョーさんが絡まれた路地の、さらに奥にあった。錆びた鉄扉の前に、見張りが二人。俺と楓を認めると、無言で扉を開けた。
倉庫の中は、天井の水銀灯が半分だけ点いた、薄暗い空洞だった。コンテナの谷間、パイプ椅子に、ジョーさんが縛られて座っている。頬が腫れていた。俺を見て、腫れた顔を必死に振る。来ちゃダメ、の形に口が動く。
その隣に、沙が立っていた。部下が五人。うち二人の腰に、透視するまでもない膨らみ。拳銃だ。
「時間ぴったりだ。若いのに、約束を守る男は好きだよ」
「従業員を返してもらいに来ました。彼は無関係だ。ネズミの件が俺の仕業だと言うなら——そうです、俺がやった。話は俺として下さい」
「く、九条くん!? 認めちゃダメなやつ!」
ジョーさんが叫び、部下に小突かれた。沙は、愉快そうに笑った。
「潔いな。ではビジネスの話をしよう。君のせいで、私は今期の仕込みを一つ、丸ごと失った。損失はざっと二千万香港ドル。この落とし前を、君の腕で払ってもらう。うちの部屋の専属打ち手として、二年。稼ぎの九割は私、君は一割。悪くない条件だろう? 君の手口が何かは知らんが、勝てる人間だということだけは、私の商売には十分だ」
「断ったら?」
「断る、という選択肢の説明が要るかね?」
沙は、顎で楓とジョーさんを示した。説明は、それで十分だった。
隣で楓が、俺のジャケットの袖を、ぎゅっと掴んだ。指先が冷たい。当たり前だ。普通の人間は、銃と人質のある空間に立ったら、こうなる。二ヶ月前の俺なら——いや、違うな。二ヶ月前の俺でも、こうはならなかった。十三年前から、俺はこの瞬間の準備をしていたようなものだ。
俺は、静かに息を吐いた。
「沙さん。最後に一つだけ、確認させて下さい。あんたの部下は五人。銃は二丁。倉庫の外に見張りが二人と、車が一台。……これで全部ですか? 追加はもう来ない?」
沙の眉が、初めて動いた。
「……なぜ、そんなことを聞く」
「あとで『不意打ちだ』と言われたくないんです。俺、フェアな取引が好きなので」
「……面白い坊やだ。ああ、これで全部だよ。十分だろう?」
「十分です。確認、感謝します」
俺は袖を掴む楓の手を、そっと外した。そして、二歩、前に出た。
「では、こちらの条件を言います。ジョーさんの縄を解いて、俺たち三人を帰す。あんたは今後、俺と、俺の関係者に、一切関わらない。以上です」
倉庫に、三秒の沈黙が落ちた。それから、沙の部下たちが、堪えきれずに笑い出した。沙だけが、笑わなかった。二十二年の黄さんとは別種の、獲物の急所を探る目で、俺をじっと見ている。
「……坊や。その条件を、私が呑む理由は?」
「呑まなかった場合に何が起きるか、これから三十秒で説明します」
俺は、指を一本、立てた。
その瞬間——倉庫の水銀灯が、全部、同時に消えた。




